サイラスさんたちは夜を徹してこの拠点に来たはずなのに、すぐにガンツに戻っていった。見送りに出ると、なんと馬車ではなく馬に騎乗してきたらしい。
サイラスさんは馬に飛び乗るとすぐに走り去っていく。アリスタさんは騎乗の前にきちんと礼をしてから、笑顔とともに騎乗した。
「アラン様のご勝利を確信しております。ではガンツでお会いしましょう!」
走り去る姿は手綱さばきが見事だ。アリスタさんは大商人のお嬢さん、という枠に収まらないところがあるな。
◇
「アラン様、ガンツ攻防戦の陣営ですが」
ダルシム隊長の目に隈ができている。昨夜はかなり遅くまで作戦会議を開いていたようだ。同席するヴァルターも疲れた顔だ。近衛と辺境伯軍が互いに少しでも目立つ配置をめぐってやりあったに違いない。その両者のあいだで板挟みになったのがロベルトか……すっかりやつれた表情だ。ブレーズだけが泰然と構えている。先日までの衰弱ぐあいが嘘のようだ。
大広間の大テーブルには俺が作った地図が再び広げてあった。かなり詳細な書き込みと訂正の取り消し線が乱雑に引かれている。……相当もめたな。
何か言いかけたヴァルターを制して、ダルシム隊長が口火を切った。
「アラン様のご推察通り、敵の初攻は正門を狙わず、城壁を左右から攻撃するものとなるでしょう。したがって後衛となる我々は、」
ダルシムは指揮棒を手にとって、図上の敵本陣からガンツ正門に向けて動かした。
「敵軍が左右の城壁に向かって進軍を開始した時点で、スターヴェーク王国旗を掲げます。スターヴェークの傭兵を確認後、辺境伯軍が傭兵の回収に動きます」
少しタイミングが早いな。イーリスの雷撃の前に、辺境伯軍が突入するのはまずい。だが、あまり遅すぎると、スターヴェーク傭兵は裏切りを感知した敵軍に背後からやられるだろう。
「上空からではスターヴェークの兵を判別するのは難しいな。左右どちらの側が傭兵なのか俺に旗などで知らせてくれれば、ドラゴンに指示しよう」
「それは名案です。わが辺境伯軍の軍旗がありますので、正門屋上のスターヴェーク王国旗の左右どちらかに軍旗を立てます」
「傭兵のいる側に軍旗が立つということだな?」
「はい。ただ、確実にアラン様に伝わったかどうか判断できないのが難点ですね」
「それは何とかしよう」
現地指揮が必要だな。シャロンかセリーナどちらかを戦線指揮官としてガンツ城壁にいてもらうことにするか。
「敵の本陣の扱いについてはすべて俺に任せてもらう。戦闘中の手出しは一切無用だ。ドラゴンと俺の魔法で主力を潰走させる」
「どのような魔法を使われるのでしょうか」
「見てのお楽しみだ」
「勉強させていただきます」
この大陸最高の魔術師、ブレーズといえども雷撃は無理だ……いや、わからないぞ。この男の魔力には底知れぬところがある。
「次に、わが方のガンツ入場だが、住民の混乱を抑えるために商業ギルドとユルゲン家のデニス家令の手で情報統制をおこなっている」
「情報統制、と言いますと?」
「セシリオ王国の先遣隊がベルタ王国に侵入し、ガンツに向かっている。ガンツ守備隊では守りに不足があるため、近隣貴族の俺が救援に向かった、と」
「なるほど、七万の軍勢が攻めてくるとわかると、我々の助勢など相手にされない可能性があるからですな」
「そうだ。……これでガンツ防衛の体制はできたな」
ブレーズが立ち上がった。
「アラン様、王国旗だけでは罠ではないかと警戒される可能性もあります。私も火魔法で彼らを誘導したいと考えます」
「ブレーズ様の火魔法は大陸一。迷えるスターヴェーク傭兵も、わが方にブレーズ様の存在を認めれば、確信するでしょう」
ダルシムがそこまでブレーズを推奨するなら信用するしかないな。
「わかった。認めよう」
「アラン、私もガンツに赴きたい」
認めない。さすがにだめだろう。この大陸の習慣は知らないが、お姫様が最前線に立つなんて危険すぎるだろ。作戦会議に参加させるのではなかったな。まあ言い出したらきかないし……。
「素晴らしいお考えです。我々の士気も上がることでしょう。御身の安全は辺境伯軍が命を懸けてお守りします」
「ヴァルター、警護は近衛の務めだ。越権行為はやめてくれないか。……クレリア様、戦場は危険すぎます。お考えを改めていただけないでしょうか」
今回ばかりはダルシムに賛成だ。クレリアの警護に気を取られては近衛も戦闘に集中できないだろう。
「ダルシム、そなたの心配ももっともだが、私とて矢の標的になるつもりはない。私とエルナも魔法に修練を積んできた。たいていのものは弾き飛ばせる」
「……わかりました。城壁に上られる際は近衛が護衛いたします」
何とか話はまとまったようだな。
「明後日には大市が閉幕する。商人たちが退去したのち、部隊の移動を開始する。ただちに準備にかかるように」
「はっ」
◇
ダルシム隊長が去ったあと、俺たちは執務室にARモードで集まることにした。クレリアには話せないことがある。
『イーリス、セシリオ軍の動向は』
仮想スクリーンに偵察ドローンからの映像が映る。
[すでに先発部隊は国境に向かい、まもなく本隊も移動を開始するようです]
よし、予定通りだな。
『改めて集まってもらったのはほかでもない。指揮系統の変更だ。今回は俺がドラゴンに乗って直接戦闘に向かうため、変則的だが指系統を見直す。まずグレゴリーに騎乗してドラゴンの集団を統括する必要があるが、』
『では私がグレゴリーに騎乗します』
『セリーナは次席指揮官でしょう? 拠点に残るべき』
『シャロン、残っていた権利を使うことにするわ。アラン、私がグレゴリーに騎乗します』
『こんな時に権利を使うなんてずるい!』
次席指揮官として俺と一緒に行動することが少ないセリーナの気持ちはわかるが、まだあの権利とやらの約束が残っているのか。
『セリーナがグレゴリーに騎乗する。シャロンにはガンツで戦線指揮官を任せる』
セリーナの顔に一瞬影がさした。現場指揮官として活動するのとグレゴリーに騎乗するのとでは面白さの次元が違うからな。
『じゃあ、シャロンにガンツでの指揮はまかせるわ。でもアランが総司令官だということを忘れないでね』
『グレゴリーが崇めているのはイーリスだから、セリーナの言うことを全然聞いてくれないかも』
『二人ともやめないか』
二人の言葉の応酬はいつものことで、おそらく戦闘への緊張感を緩和するためだろうが、こっちは結構気をつかうからやめてほしい。
『シャロンは俺がドラゴンに乗っている間、俺やセリーナからの情報をまとめて対応してくれ。特に辺境伯軍がガンツ正門から打って出るタイミングは俺から指示するのは難しいからな。スターヴェーク傭兵の確認後、俺が攻撃に移るまでの数分間が勝負だ』
『了解』
『次席指揮官は総指揮官の戦い方から学ぶものだ。とはいえ、俺も促成教育の臨時艦長だからな。勉強になるかどうかわからないが、シャロンもセリーナも頑張ってくれ』
『『了解』』
◇
シャロンとセリーナが去った後には、イーリスだけが残った。これからは指揮官と参謀だけの検討事項だ。
『イーリス、スターヴェークの傭兵について処遇は決まったか』
[拠点の食料生産能力の観点から、彼らには一時療養のあとでアロイス王国へ捕虜開放の名目で帰国させましょう。信頼できる者を組織化したうえで送り込むのです。今後のスターヴェーク奪還のための抵抗組織です]
『リーダーにはブレーズが適任だろう。現在のスターヴェークをよく知っているし、辺境伯軍、近衛どちらからも信頼を置かれている』
[真偽判定モジュールの値が八割であることをお忘れなく]
評価が八十パーセントでは航宙軍の将官には無理な数値だ。だが、現地民のリーダーなら大丈夫だろう。
[素案として組織図、連絡方法などを起案します。また、今後の大陸攻略のためにもさらなる資料収集をお願いいたします]
資料収集? イーリスの立体映像がゆっくり動いて、執務室の隅にある書籍の山に目をやった。恐ろしく人間らしい所作だ。
見つめているのは大市にやってきた雑貨商から購入した書物だ。その意味するところは俺にも分かった。
『わかった。これから入力する』
[続いて、コンラート号へのシャトル便の製造ですが。当初の予定通り順調です。合成燃料の貯留を開始しました。まもなく改良型エンジンの燃焼試験を行います]
『燃焼試験は地上でおこなうのだったな。ガンツ防衛で出払っている夜間に実施。今後も進捗について報告してくれ』
[了解]
ようやくここまで来たか。秋口に汎用掘削機をフル稼働させて、離発着場は造成している。部品はほとんど居城の地下工場で作るが組立は離発着場にある工場で行っている。
[まもなく春の作付けをせねばなりませんが、土壌改良や用水路の建設が必要です]
『わかっている。拠点は高地にあるから平野部より作付けは遅くなる。まずはシャトル便完成が先だ』
[了解]
イーリスがARモードを抜けた後、執務室に無造作に置かれた書籍の山が嫌でも目に入る。……四百冊か。今週中に何とかなるかな。