今日は朝から読み始め、昼近くまで続けたもののさすがに疲れた。読み飛ばしているだけでほとんど頭には入ってこないせいかもしれない。この辺りで少し仕切りを入れよう。
査察団も去ったことだし、クレリアやエルナにも休息が必要だ。辺境伯軍の移動は商人たちの移動が終わったあとから本格化する。ちょっと時間があるな。セシリオ軍との戦闘が始まれば当分、のんびりする時間もないだろうし。
ドアのノック音とともに俺の応答を待つまでもなく、クレリアが入ってきた。エルナも一緒だ。たのむから入室時は一拍おいてほしい。
「アラン、相談がある。ガンツでの戦いなんだけど、」
まさか戦闘に参加するなどと言わないでくれよ。こればかりは断固譲るつもりはない。
「戦場にいくというのに、着ていくものがない。冒険者の頃の鎧は色を変えてしまったでしょう?」
初めて出会った時にはクレリアはミスリル製の武具をつけていた。目立ちすぎるのでゴタニアの町で鍛冶屋に頼んで加工したんだったな。鍛冶屋はうまく冒険者風のありきたりの鎧に仕立て直して、色もすすけた感じに加工してくれた。あれを王族が着ていくのに難があるのはわかるが……。俺にどうしろと?
「査察団が帰ったから本職の鍛冶屋はもう復帰しているはずだ。けど拠点の武具は全部売れたらしいし、あと二日ではちょっと無理じゃないかな」
「あのみすぼらしい武具のままでは配下に示しがつかないわ」
「いや、クレリアが着るならみすぼらしいことなんか全然ないよ」
「えっ」
「何を着ても似合うからね」
「そ、そうなの」
現地の人間だから当然だろう。俺なんかどうあがいても貴族服が似合わない。正装だとブレーズのほうがよっぽど様になっている。
「鎧のことは何とかするよ。ところで、査察団もいないし大市は明日まで開いている。お忍びで食べ歩きでもどうかな。ダルシム隊長はブレーズと準備中だし問題ない。たまには街をぶらぶらするのも……」
「クレリア様!」
クレリアはいきなり廊下に飛び出し、エルナが後を追った。
よっぽど大市に行きたかったらしい。まあ、ここ数日のクレリアの心労を考えると半日くらいはつきあってやってもいいかもな。
◇
……で、なんでこうなる。
冒険者時代の服に、いつもの深いフード付きのローブをはおって階下に降りた。玄関フロアにはクレリアとエルナのほかにセリーナとシャロン、そしてメラニーまでいる。全員が航宙軍の制式防寒服を着ていた。メラニーには大きすぎたが、さして気にしていないらしい。俺以外が全員女性というのもかなり周囲の耳目を集めるような気がする。今日はお忍びなんだし、……困った。
「あまり人目につきたくないんだが」
「クレリア様が外出されるならば、当然、護衛の私は同行します」
「わかった」
「査察団もいませんし、私も買い物を楽しみたいです」
「セリーナが外出するなら、私もです」
「わからなくもない」
「アラン様! 僕も!」
いや、分からない。メラニーまでついてくる理由がさっぱりだ。大市に誘ったのは俺がクレリアに負担をかけたからだ。勝手に人の記憶を改ざんしてこれくらいで済ませるつもりはないけれど、外出のメインはあくまでクレリアだろう。
「アラン、私はかまわない。このところ皆もずっと閉じこもってばかりだ。セリーナたちにも休みが必要でしょう?」
「それはそうだが……メラニー、マルティナはどうした」
「姉様は少し横になりたいって」
メラニーを上手に扱えるのはこの城館では彼女だけだが、あまり体力が回復していないんだな。人混みを動きまわるのはまだ無理か。とはいえ、俺はもう素顔をさらして歩くわけにもいかないし……。
「ではこうしよう。俺たちはガンツの富裕層の子弟で拠点に観光に来たという設定だ。万一、誰かに問われたらそう答えるように。全員兄弟姉妹だ」
「シャロン姉様!」
いきなりメラニーがシャロンに抱きついた。メラニーの適応能力には呆れる。シャロンも悪い気はしていないようだ。抱擁でこたえてやっている。セリーナはややうんざり顔だが。
「すると何? 私とエルナもアランを……」
「いや、もう好きなように呼んでくれ」
◇
商業エリアまでは歩いていく。いくら金持ちの子女に化けたつもりでも全員が馬で乗り付けたら目立つことこの上ない。幸い、そろそろ春めいてきた拠点は気温が少し上がって歩くにはちょうどいい。
俺とクレリアが横に並んで歩き、エルナが先頭、俺の後ろにメラニーを挟むようにシャロン、セリーナの順だ。完全に護衛体制だな。
『イーリス、すまないが偵察ドローンを一機、俺たちの直掩にまわしてくれ』
[了解]
こんなことに貴重なドローンを使うのは忍びないが、万一ということもある。
[アラン艦長。人混みの中ではくれぐれもお気をつけください。王都でシャロンとセリーナがついていながら、罠にはまったことをお忘れなく]
王都でエルヴィンたちと出会ったときのことだな。あのときは叙爵と救出作戦がうまくいって気が緩んでいたのだろう。結果、親切心が仇になって完全にだまされてしまった。
『今度、誰かが助けを求めてきたら罠がないか警戒してくれ』
[了解]
『私たちも気をつけます』
イーリスはシャロンとセリーナにも伝えたようだ。
商業エリアでは立ち並ぶ天幕の間をたくさんの人々が行き来していた。商人のほかにガンツの一般市民もいるようだ。大市の前夜にカリナと見て回ったときより店が増えている。増えたのはほとんどが飲食関係の屋台だな。観光客が予想より増えたので商人たちが急いで開店したのだろう。天幕が集まっている場所の中央は広場になっていて、テーブルがならべてある。ここで飲食できるらしい。
唐突に香ばしい肉の焼ける匂いがしてきた。
「クレリア様、この匂いは」
「私も思い出していた。たしかガンツでも食べたな」
ビッグブルー・フロッグの肉だ。塩ベースのタレにガーリックもどきをきかせて串焼きにしてある。よく見ればあのときの店主じゃないか。わざわざここまで出張してきたらしい。
「アラン?」
「わかったよ」
何も言わなくてもクレリアの気持ちはわかる。そういえば昼食はまだだった。
「おやっさん、串焼きを六本くれ」
「あいよ。一本、十二ギニーだ」
微妙に値段が高いな。ここまでの旅費は商業ギルドが補助しているはずだが、お祭り価格ということで、まあいいか。
七十二ギニーをはらって串焼きと木の皮でできた使い捨ての皿をもらった。テーブルには結構な人数がいたが、ちょうど入れ替わりで一つだけ空いた場所があった。
「ちょっと塩辛いけどおいしい」
「この味は癖になりそうです」
メラニーはものも言わずにかぶりついている。たしかにうまいが原材料がカエルの肉とは言わないほうがいいな。
ちょっと席を外していたセリーナが戻ってきた。
「さっきエールの量り売りをしていた出店があったので頼んできました」
「ありがとうセリーナ。気が利くな」
「僕も飲みたいです」
「メラニーにはこれを」
セリーナはオレンジに似た果物を袋から取り出した。この果物はゴタニアの魔術ギルドで食品撹拌機を披露したときに使ったな。この時期に手に入るということは長期保存が可能なのだろう。
「おまたせ~。エール五つでーす……ア、アラン様!?」
「ユリアン。どうしてここに」
「査察の間は学校がお休みなので。叔父のエルヴィンがまだ戻りませんし、それで小遣い稼ぎというか」
しっかりしてるな。たしかまだ十四歳だったはず。メラニーより一つ上か。
「俺たちのことは辺境伯軍の連中には内緒にしてくれ。お忍びだ」
「わかりました。ところでメラニーがなんでいるんですか」
ユリアンの視線の先に、焼串を持ったままのメラニーが睨んでいる。
「ユリアン、あんたは知らないかもしれないけど、僕とアラン様は兄弟なの」
「ええっ! 本当ですか?」
どう見ても仲がいいとは言えないな。俺の視線を感じ取ったシャロンが答えた。
「二人は拠点の学校でも一、二を争う成績なんですけど、少々折り合いが悪くて。ユリアン、メラニーはアランの兄弟ではありません」
「ですよね。全然似てないし」
メラニーが今にもなにか言いたそうな顔をしている。
「ユリアン、一緒に食事していかないか」
「僕は夕方までの約束で働いているので。失礼いたします」
ユリアンはちらりとメラニーに視線をやってから、礼儀正しく頭を下げ店に戻っていった。
届いたエールは生ぬるかったが、気温がすこし低いからちょうどいい。
「メラニー、なんでユリアンと仲が悪いんだ?」
「姉様にまとわりついて質問してばっかりなんです」
よくわからない。マルティナは算学の才があるのでシャロンの授業を手伝っているんだったな。メラニーはデニス家令がしっかり教育していたおかげで成績は優秀だという。
それまでだまってやり取りを見ていたエルナが口を開いた。
「クレリア様の幼い頃を思い出します」
「あまり思い出したくないな」
「何を思い出したんだ?」
クレリアもなんとなく照れたような顔をしているが、エルナを止めるつもりはないようだ。
「クレリア様のお兄様、アルフ様は貴族の子女にたいへんな人気でした。あるときアルフ様主催の園遊会に、とある貴族のご令嬢を招いたのですが、ご令嬢の態度が悪いとクレリア様が大層お怒りになり……」
「エルナ」
「……水差しの水を頭から浴びせたのです」
「アラン、別に悪気あってのことではない。礼節というものを教えてやったのだ」
いや、今すべてを理解したような気がする。令嬢も気の毒に。
「まだクレリア様もメラニーと同じくらいのお年頃でしたので」
「年齢は関係ない。メラニー、大切な人を守るときはためらってはいけないぞ」
「はい、クレリア様」
そこで意見一致するのか。話が穏やかじゃないな。
エールも飲み終えたことだし、河岸を変えよう。
それから商人たちの天幕を覗き込んでは冷やかして歩いたが、もう食材や書籍などは購入済みだしこれといって手に入れたいものはない。俺とシャロンが薬草を少々購入したのは化粧品の研究のためだ。
クレリアはあちこち見て歩くのが楽しそうだ。ひっきりなしに店に入り込んではエルナと相談しながら何かを買っている。ゴタニアの街で食べ歩きしたのはかれこれ八ヶ月も前だったな。そのあいだクレリアもかなり辛抱していたらしい。
そろそろ日も傾いてきたので帰ることにしよう。帰路をたどる最中はメラニーは押し黙ったまま、俺の手をしっかり握って離さない。さっきのユリアンとのやり取りで見せたとんがった様子はどこへやら、なんとなく元気がない。まあ、難しいお年頃ってやつかな。
クレリアもここ数日は魔法を教えられる状態ではなかったし、メラニーは査察が始まってからはほとんど魔法の練習をしていない。退屈だったのかもな。ガンツ攻防戦が終わったら魔法の手ほどきは再開しよう。いや、いちどはデニス家に帰すべきか……。
城館の門の前で、クレリアは一瞬、商業エリアへと目をやってから言った。
「ありがとうアラン。今日は楽しかった」
「また機会があれば、いつでも付き合うよ」
俺ができるのは今のところこれくらいだ。そろそろ風も強くなってきた。中に入ろう。これからは当分、ゆっくりする時間はない。来週には戦が始まる。