今日も今日とて世界は回る。
否が応にもくるくると。
くるくるクルクル
たとえ兵藤一誠がはぐれ悪魔と間違えられて襲われようとも、その後すっぽんぽんのリアス・グレモリーに添い寝されようとも、仲睦まじい恋人さながらに並んで登校しようとも、知らぬ存ぜぬ阿修羅の世界は、不変のままにただただ巡る。
狂ったようにひたすら巡る。
ついでに阿修羅の周りをネコが回る。
「でぇと、でぇと、阿修羅とデートだにゃー♪」
「デートじゃない。お前が退屈だ退屈だとウルサイからその辺を適当に回るだけだ。鬱陶しいからいい加減止まれ」
「むー、相変わらず女心ってものがわかってないなー」
「他人の心など理解する必要も意味もなかろうよ」
両腰に手を当てて顔を覗き込んでくるブレアに、阿修羅は教師失格な発言をした。
弱き者を見捨て、縋る者を蹴り払う。
足元にひしめく有象無象の気持ちなど、雑多に積まれたゴミクズにも劣る。
全知全能と嘯かれる本当の『神』とはそういう――誰よりも、この世の何物よりも身勝手な子どものような存在なのだ。だから『神』として腫れ物の如く扱われる。仮にも鬼神の、万物恐怖症で隙あらば引きこもりたくなる阿修羅自身がそう思っているのだから間違いない。
「でも、何だかんだ言いつつ付き合ってくれる阿修羅は優しいにゃん」
「お前が勝手についてきてるだけだろう?」
外が怖い。
公園で遊ぶ子どもたちが怖い。
八百屋のおじさんの掛け声が怖い。あ、でも大根が安い。
まったく、仕事でもないのに街中に繰り出さなければならないとは、もう慣れてしまったがこの駄猫の気まぐれにも困ったものだ。せめて黒猫の姿のままならまだ『ペットと散歩』で済んだだろうに、肌色成分の多い格好のせいで先ほどから衆人の視線が刺さって痛いのなんの。
無意識の内に狂気が溢れ、ドロドロと渦巻く波長が右手に集まっていく。
ああ――しかし我慢、我慢だ。歯を鳴らし、肩を震わせて、怯え恐れ慄きながら、それでも耐え忍ばなければ。
こんなところで無闇矢鱈に『暴発』させたりしたら、狂気の概念すらもロクにわかってない馬鹿共でも流石に異変に気付くだろう。人間に悪魔に天使に堕天使――どいつもこいつも雁首揃えて攻め込んでくるに違いない。
ダメだ。それだけはダメだ。
せっかくの安息が、神一人とネコ一匹の殺伐ライフが
さてどうしよう、ああどうしよう……やはり怖いからぶっ壊してしまおうか。
恐怖の赴くままに、何もかも全てを――
「阿修羅!」
ブレアの声が現実に引き戻す。
見れば彼女は、阿修羅の右腕を抱き締めてキラキラと目を輝かせていた。泥のように纏わりつく狂気など少しも意に介さずに。
「……何だ?」
「クレープ屋さん!」
彼女が指差す先には確かに移動式のクレープ屋があり、車体には店名がカラフルな文字で表記されている。生地の焼ける甘い匂いをブレアは敏感に嗅ぎ取ったらしい。
「ね、ね、買ってこうよ!」
「……勝手にすればいいだろう」
「するにゃん♪ スミマセーン!」
嬉々としてクレープ屋に向かうブレアの後ろ姿を見ながら、危なかったと阿修羅は安堵する。
あのまま名を呼ばれなければ、多少は抑えていたとはいえこの場所はおろか町全体、いや日本全体に狂気が広がり阿修羅にとって酷く面倒な事態に陥ったはずだ。
「阿修羅ー、早く来るにゃー!」
自制心。
自分にはそれが欠けている。
だからこそ、身を潜めている今はあのネコが必要なのだ。
唯一の枷が――おおよそ恐怖など感じそうもない自由気ままな彼女が。
◆ ◆ ◆
「イラッシャイマセにょー」
「げ……」
「あ、ミルたんさんにゃ」
驚いたことにクレープ屋の店員は知り合いだった。
それも、あまり外では出会いたくないと阿修羅が思っている人物だった。
刀剣も銃弾も弾き返すであろう筋骨隆々の肉体を、ネコミミカチューシャ付きのエプロンで覆い隠した謎生物。ぶっとい腕に握られたホウキがまるで歯ブラシのように小さく見えてしまう。
自称――ミルたん。
性別の壁をも超越し、何時の日か魔法少女になることを夢見る漢女である。
「ここってミルたんさんのお店だったの?」
「そうにょ、先週からバイトしてるにょ。ブーたんは阿修羅ちんとお出かけにょ?」
「うふふ、実はデートなのだ!」
「なんと!」
デートじゃない。飼い猫を散歩させてるだけだ。
阿修羅としては色々否定したいところだが、恋バナに盛り上がる乙女(?)二人はおそらく聞く耳など持ってはくれないだろう。違うと言い張っても照れていると勘違いされるのが関の山だ。
手作り感溢れるメニューを開くミルたんと、どれにするか迷っているブレア。
「ねえ、阿修羅は何が食べたい?」
「その一番上の『当店オススメ!』ってヤツでいいだろ。中身は知らんが」
「んー、じゃあこのスペシャルドリアンクリーム二つお願いにゃ!」
丸投げしたらとんでもない物が注文された。
おおよそ食べ物とは思えない臭いの代物が目の前で作成されつつある現実に、阿修羅は財布だけ置いて帰ってしまおうかとすら考える。
そもそもどうしてそんなメニューをオススメしているのだろうか。しかもスペシャルって何だスペシャルって。臭いか? 臭いが特別に強力なのか?
「はい、お待たせ! 二人の幸せを願ってお金はサービスしてあげるにょ!」
「わぁ、ミルたんさんアリガト! 良かったね阿修羅!」
「……ああ、そーだな」
タダになって嬉しいのは分かったから、その悪臭の元を近付けるのは止めてくれ。思わずマフラーで顔を覆ってしまいたくなる。
ちなみに、鼻の曲がりそうな臭いに反して味はそれなりだった。
「ところで阿修羅ちん、ちょっとミルたんのお願いを聞いてほしいにょ」
「DVDならブレアとでも一緒に見てくれ」
「違うにょ。ほら、あっちにいる女の子」
彼だか彼女だかが視線で指し示したのは、反対側の歩道でウロウロする修道服に身を包んだ少女だった。足元に大きな荷物を置き、メモのようなものを見ては行き交う人々に声を掛けようとして失敗を繰り返している。
「んー、外人さんみたいだにゃん」
「たぶん迷子さんだと思うけど、さっきからずーっとああして困ってたにょ。阿修羅ちん、ちょっと行って来て話だけでも聞いてあげてにょ?」
「どうして俺が……」
「だって阿修羅ちん、先生やってるにょ」
教師だからといって誰彼かまわず人助けする理由にはならないと思うのだが、代金をタダにしてもらった礼もあるため、阿修羅は渋々ながら仕方なく車道を横切ってシスターに声を掛けた。
「……ちょっといいか?」
「はひっ!?」
背後からの声に飛び上がるシスター。
まあ、極道筋も腰を抜かすような不機嫌な口調なので無理もない。
振り返る動きに合わせて金髪が波打ち、わずかに涙の溜まった双眸が阿修羅を見る。欲に塗れたこのご時世では珍しい、純真無垢の一言に尽きる輝かしい魂の持ち主だった。
「あ、ああああの、何でしょうか!? 懺悔ですか!?」
「……するような顔に見えるか?」
「見えませんゴメンナサイ!」
だろうね。
アーシア・アルジェントと名乗ったシスターはミルたんの予想通り迷子であったらしく、異国の地に降り立ったばかりで言葉も通じず途方に暮れていたのだそうな。
とにかくメモに書かれていた地図に加筆して目的地を教えてやり、何度も何度も頭を下げる彼女を適当に手を振りながら見送って、阿修羅とブレアは早々に帰宅と相なった。
この後アーシアが一誠と出会うとは想像もせずに。