信長を引退させた男。~本能寺うまぴょいの真実~   作:はめるん用

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 我が国でウマ娘のための教育機関として最も有名なのは府中にある『中央トレーニングセンター学園』であることは誰もが知るところであろう。

 しかし、トレセン学園の歴史を遡るとその始まりが愛知県にある『政秀寺』にたどり着くことはあまり知られていない。

 

 政秀寺は戦国時代を代表する大名のひとりである織田信長が、自身の教育係であり、父・信秀の代から家老として織田家が抱えるウマ娘たちの世話を引き受けていた平手政秀が現役を引退した際に、長きに渡る忠義への返礼として創建されたと言われている。

 

 寺院が受け持つ本来の役割が何らかの理由で走ることを終えたウマ娘たちの勝負服と蹄鉄を供養することにあるのは改めて説明する必要はないだろう。当初の政秀もその役目を全うしていたが、とある時期を境目にウマ娘の指導のために敷地を開放し、自らも積極的にアドバイスをしていたという記録が残されている。

 政秀が本来の役目のほかにウマ娘たちの教育を始めた理由については定かではない。何故なら、政秀寺に残されている記録のうち一定期間の物が(公的な記録だけでなく政秀個人の手記なども含め)見つからなかったからだ。

 この謎の空白より後の記録では既に現代でいうトレセン学園としての活動が始まっており、さらには戦国時代で最大と言っても過言ではない大事件が発生した時期がそこに含まれていることもあって、歴史学者は勿論のことウマ娘学者たちの間でも様々な議論が絶えなかった。

 

 だが近年、ついにその謎を解き明かす鍵となる貴重な資料が発見されることとなった。第二次世界競争の後夜祭にて政秀寺の一部分に火災が発生し、焼失した建造物の再建作業を進めていたところ、なんと地下に隠されていた倉が発見されたのだ。

 

 このような倉には大抵の場合は財宝の類いが隠されていることが多い。貴重な財産という意味では、倉の中で発見された書物はどれもこれもがとてつもない文化的価値を有しているだろう。何故ならばそこには当時の貴重な情報が──今日まで日本各地のあらゆる場所を探しても見つかることのなかった、あの歴史的な大事件に関わる記述がいくつも発見されたのだから。

 

 

 例えば、織田家家臣のひとりである佐久間信盛が残した直筆の雑記帳などがそうだ。

 

 トレーナーとしてウマ娘の育成を手掛けており、特に逃げウマ娘の担当をしているのであれば『逃げの佐久間』を知らぬ者はいないだろう。先行の位置で荒々しくも華々しい走りを魅せるウマ娘たちを大勢育て上げ『攻めの三左』と称えられた森可成、観衆が息も忘れるほど豪快な追い込みをウマ娘たちに完璧に叩き込んだ『鬼柴田』こと柴田勝家と並ぶ、名将揃いの織田家にあっても屈指のトレーナーのひとりである。

 

 信盛は信長の信頼も厚く、本願寺との共同ライブの実行責任者なども任されていた。しかし後に悪天候でも構わず走り込みを実行しようとしたウマ娘を引き留める際に腰を痛め、これも良い機会であると息子の信栄に事後を託して引退している。

 その後は高野山に居を構えて己の愛バと静かな余生を過ごしていたが、当時は信盛以上の逃げウマ娘トレーナーが見つからなかったためか、信長も暇を見つけては上質な諸白を持参して相談に行ったとされている。

(これには諸説あり、ウマ娘の脚質については旧くは平家物語にて平清盛の義弟・時忠が『先行・差しに非ずばウマ娘に非ず』と発言したとあることから、そもそも逃げウマ娘を好んで育てる武将が織田家以外にはいなかったのではないか? という研究もある)

 

 これを信盛は茶と菓子、そして新鮮な果実を用意して出迎えたという。信盛が残した手記には「信長様は御自身が下戸であるのに、必ず濁りではない酒を御持参なさる。ひとなめで顔を赤らめ、杯を干しては前後不覚となり、今日も蘭丸を困らせていた」とあることから、信長がトレーナー業務を引退した家臣とも良好な関係を続けていたことがわかる。

 

 

 だが、本題はほかにある。同じように信長と酒を酌み交わしたときのことについて、次のような文章が記されていた。

 

「今日も御膳の肴を二皿ほど食べた辺りで酒が悪い方に巡ったようで、また信長様は渋い顔のまま私にあの時のことを吐き出した。もしも後の世で信長が()()()と評されるのであれば、それは光秀に時代変革の咎を全て押し付けてしまったことに他ならない、と」

 

 それだけではない。織田家の家臣ほか、友人である細川藤孝や長宗我部元親、丹波の国で鎬を削り合いレースを盛り上げた赤井直正、そして武田、上杉、北条、伊達、毛利に島津など、戦国史を学べば必ず耳にするであろう名将たちの家からすっかり消えていた『空白の時間』を記した書物が多数発見されている。

 

 

 

 

 それらには必ずと言っていいほど共通するいくつかの単語があった。明智光秀、時代の変化、そして──本能寺。

 

 

 

 

 何故、名だたる武将たちが明智光秀のことを文章に残しているのか。

 

 何故、それらの書物が揃って政秀寺の地下に秘匿されていたのか。

 

 何故、本能寺で謀叛を起こされた側の織田信長が後悔しているのか。

 

 

 

 

 これらの真実については紐解くには、まずは明智光秀が美濃の国の大名にしてトレーナーの名門・土岐頼芸の家臣としてウマ娘たちの世話をしていたところから語らねばならないだろう──。




この内容でタグどうすりゃいいんだべ……。(とんらん)
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