ひっそり連載もやってます
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窓からは遠い山なみと太陽の動きに合わせて濃淡を変える空がみえた。吹き付けてくる冷たい風に髪をゆらしてお姫さまはいつも空を見ていた。
雲間から差し込む柱のような光が広い野に落ちる。「あそこに光の池ができている」白い指をのばしてお姫さまはぼくに教えてくれた。
お姫さまがからだを洗うお湯をはこぶのはぼくの役目だった。階段の途中までは下男たちが運び上げ、お姫さまの室まではぼくが何度も運ぶのだ。お姫さまの白い脚がぼくのはこんだ湯の中でゆらゆらしていた。
「力があるのですね」
お姫さまは褒めてくれたが、ぼくはいつまでも子どもではない。お姫さまの白い脚。朝露をこぼすように爪がしずくを垂らして木桶からそっと出ていく。いつしかぼくは目を逸らすようになっていた。凝視してしまうと何か危ないものが内から湧き上がってきそうだった。
何故ぼくがお姫さまの世話係になったのかといえば、ぼくの父がお姫さまの父である王さまにお仕えしていた宰相だったからだ。お姫さまとぼくは共に敵国に捕まって、ぼくが囚われたお姫さまの面倒をみることになったのだ。
国があった頃、お姫さまはぼくとよく遊んでくれた。木の葉で舟をつくり、そこに摘んだ花をのせて泉に浮かべ、息を吹きかけてどちらが先に反対側に到着するか競争したことを覚えている。
ある日、牢の中で背比べをしてみたらぼくのほうがお姫さまよりも背が高かった。お姫さまはうろたえて、それからはぼくをあまり近くに寄せないようにされた。
ぼくが室に入っていくとお姫さまは窓辺に逃げてしまう。からだを洗うのも衝立の向こうに隠れてしまい、ぼくは外から「お湯を足しましょう」「お湯を変えましょう」と声をかけ続けることになった。
ある日業を煮やして、ぼくは衝立を退けてしまった。
高貴な女人は衣を着たまま風呂をつかう。お姫さまは薄物いちまいで浅くはった湯に入り盥にしゃがんでいた。濡れた衣を透かしてお姫さまの美しい膚と肢体がみえた。お姫さまは声もなく愕いた顔をされて胸を隠して後ろを向いてしまった。ぼくはその背にむかって云った。
「ぼくはお姫さまのことが好きだから、傷つけるようなことはしません」
云うだけ云ってそこから待っていた。しばらくしてお姫さまは細い首を傾けて頷かれた。その耳が赤かった。お姫さまが衝立の向こうに隠れてしまうことはそれからも変わらなかった。
「で、やってるの」
ぼくたちを捕らえた国の王には王子が四人いた。四人の王子は弟のようだといって、ぼくをからかったり可愛がったり、狩りを教えてくれるかと想えば詰まらない悪戯を仕掛けてくるなど、散々に扱っていたが、ぼくはうまくやっていた。父から教えられていた処世術が役立った。あと一つにはぼくの容貌が敵国の王女たちの関心を惹くに足るだけのものがあったからで、王子たちが何かやると王女たちが「何をするのよ」と兄や弟たちに猛烈に抗議してくれたのだ。
「さすがは宰相の子だ。この子は頭がいい」
王はそう云って、ぼくに教師をつけてくれた。遺恨を捨てていずれはこの国を支えよというのだ。
「やってるのとは」
王子たちに訊き返した。弓から放ったぼくの矢は空にあがり鳥を射抜いた。この国の者たちに殺されていった亡国の者たちの恨みを晴らすつもりでぼくは狩りに真剣に取り組んでいたから、みるみる上達し、弓こそ小型でも今では駆けさせた馬の鞍の上から獣を正確に射ることが出来るようになっていた。
こういう質問をしてくるのは第三王子と第四王子だった。
「お姫さまと」
するわけがない。ぼくは弓を引き絞った。閉じ込められたお姫さまを好きに扱っているのは王子たちであって、ぼくではないのだ。
お姫さまがこの国に連れてこられたのは戦の勝敗が決した後だった。
茨の木の茂みの中に隠れているところを見つかって引きずり出されてきたお姫さまは傷だらけだった。お姫さまが茨の奥へ奥へと逃げようとしたからだ。
お姫さまの美しさは知らぬ者がいないほど諸国に鳴り響いていた。傷をつけずに捕らえてこいと王は強く命令していた。だから茨の棘で傷だらけになったお姫さまが王の前にはこばれてきた時、捕らえた者たちを王は処刑した。
王の足許に身を投げ出して、どうかそんな恐ろしいことはなさらないで下さいとお姫さまは彼らの助命を王に懇願した。お姫さまの衣はあちこちが裂けていて、そこからは白い肌がのぞいていた。王は云った。これからも何度でもお前が逆らえば周りの者たちを殺してやる。
お姫さまを戒めるために王はその場でお姫さまを捕らえた者たちを殺した。うつむいたお姫さまの眸から涙がこぼれ落ちた。たとえそれが敵の兵であってもお姫さまは誰かが自分のために殺されることに震えて泣いていた。
第一王子がまたいつもの自慢話をしていた。
最初に無理やり俺のものに触らせた時に、お姫さまはかたく眼を閉じたまま「蛇」と怯えて悲鳴をあげたんだ。長男の第一王子は宴の場といわず狩り場といわず、あらゆる場所でその話を披露した。蛇がお嫌いなのだろう。周りの者たちも第一王子に迎合して笑い崩れた。今は好きになったんじゃないのか。
「心配しないで」
お姫さまはお姫さまを護ろうとしたぼくを抱きしめてくれた。お姫さまが逆らえば今度はぼくが殺されることがお姫さまには分かっていた。ぼくはお姫さまのいる牢から外に出された。最初に王が、次に長男の第一王子が、その次に二番目の王子が。王と四人の王子たちは順番にお姫さまの牢に入って行った。
「お前たち、よくそんなことが出来たな」
二番目の王子は嫌な顔をして兄弟を見廻した。
「可哀そうで何も出来なかった。お前たちもほどほどにしておけ」
王もほかの兄弟たちも誰もそうしなかった。
夜になるとお姫さまの牢にはいつも誰かがいた。
弓だけでなく剣技もぼくは熱心に修得していった。ぼくの背は高くなり力は強くなり、「声が変わった」と云われた。今ならお姫さまを馬に乗せて何処にでも行ける気がした。子供のころはお姫さまに抱かれて踊りを教えてもらっていたぼくが今度はお姫さまを抱いてさしあげるのだ。でも今はまだその時期ではない。ぼくは待った。王を殺し父を殺し国の民を殺しお姫さまを苦しめているこの国でぼくはお姫さまを護らなければならない。
おとなしいだけのお姫さまに飽き足りなくなって第三王子と第四王子はしだいにお姫さまの牢から遠のいたが、第一王子はずっとお姫さまに執心していた。王が「いずれはお前の妃にするがよい」と云ったからだ。第一王子はお姫さまの身体だけでなく心まで欲しがった。お姫さまは粗暴なだけの第一王子にうまく応えることが出来なかった。あんなに乱暴にしていたら当たり前だろうと、ぼくは階上から聴こえてくる第一王子の雄たけびのような息使いと、あいまあいまに漏れ聴こえてくるお姫さまの小さな呻き声を壁に凭れて腕を組んで聴いていた。
小さな宰相さん、明日また遊びましょうね。
夕陽に染まる庭で身をかがめてぼくと指切りをしていたお姫さまの手に傷がついていたことがある。どうしたのか訊くと「蛇に咬まれたの」お姫さまは身を震わせて応えた。
お姫さまの白い手に唇を押しあてて毒を吸い取ったのがぼくでないことがただ残念だった。
遠慮していた二番目の王子もやがてお姫さまの牢に通うようになった。鍵をまわして牢に入っていく第二王子はお姫さまのために楽器や花や果物をもっていた。ぼくは第二王子にお姫さまが喜びそうな花や色を教えてやった。
陽が差している間、お姫さまは刺繍をしていた。お姫さまは針仕事がうまかった。お姫さまには粗末な衣しか与えられていないのに、それらの繊細な刺繍は王の王女たちの衣の裾や胸元に飾られていった。
ある日、静かなので誰もいないと想いお姫さまの室に入ると、お姫さまと第二王子がいた。お姫さまの膝には第二王子がもってきた栗鼠がのっており、栗鼠をかわいがって木の実をあげているお姫さまを第二王子が見つめていた。
お姫さまが昔の歌をうたっていた。片側に流した髪を三つ編みにしたお姫さまは歌いながら空を見ていた。
お花が一つ、お花が二つ、水に浮かべた三つめのお花は誰にあげよう、わたしの大切なあなたのために……
昔はその歌を一緒にうたって花を編み、春の祭りの準備をしたものだ。その歌を覚えていますとぼくが云うと、お姫さまは寂しく微笑まれた。お姫さまは懐かしい故郷そのものだった。
角笛が吹き鳴らされた。鹿狩りにぼくは参加していた。うさぎみたいに跳びあがって跳ね回る鹿を猟犬とともに追い詰めていく。
鞍の上でしっかり姿勢をとって矢をつがえ、ぼくは荒れ野に大鹿を追い、弓を放った。その日の一番の手柄だと、王女たちが手を叩いてぼくに見惚れていた。ぼくは王女たちの前を通る時には馬の上から失礼のない程度の流し目をくれてやることにしていた。
時々は、となりにお姫さまがいるような気がした。白い肢体がぼくに絡みついて、細い腰がぼくのものを呑み込んで溶け合っているような気がした。目覚めると夜明けの空の青色には輝きを失い日の出に消えかけていく星座があった。
「来て」
下女ばかりでなく王女たちも夜になるとぼくを室に誘うようになっていた。
何か嫌なことがあるたびに荒々しく石段を駆けあがり長い時間をかけてお姫さまに泣き声を上げさせている第一王子と違い、第二王子はお姫さまに優しかった。或る日第一王子と第二王子がはげしく言い争っていた。
「二度と触れるな」
第二王子が第一王子に云い放っていた。お姫さまに触るなと云っていた。
「どういうことかしら」
室の扉を細くあけて覗いていた王女が云った。「そのうちに収まるでしょう」とぼくは応えて王女のはだかの腰を後ろから抱いた。
「虜囚のお姫さまを争ってお兄さまたちの仲が悪くなるなんて」王女たちはふしぎそうにしていた。
「美しいお姫さまのことをどう想ってるの」城の女たちから揶揄うように訊かれれば「うん、美しいですね」と応えておいた。
ぼくは王に気に入られていた。如才ない男は国に必要だと云われた。この国で地位を築くことがお姫さまのために不可欠だった。お姫さまの湯あみの支度をする役割はとうの昔にぼくではなくなっていたが、ぼくは香りのよい花をお姫さまの牢の床に敷いたり、吟遊詩人が来ていると知るとお姫さまにも聴こえるように宴の間の窓を大きく開けたりして過ごしていた。
ある秋、いつものように霜を砕いて狩りに出ていく時になんとなく塔を仰ぐと、お姫さまがぼくを見つめていた。赤紫に色を変えた蔦に囲まれた塔の窓からお姫さまはぼくを見ていた。前回の狩りではぼくと同じ年の若者が落馬で死んだ。お姫さまは心配してくれているのだ。気がかりで顔を曇らせている優しいお姫さまに応えて他の者には分からないように少しだけ弓を掲げてみせた。冷たい朝風を受けて縮んでいた胸が勇気で熱くふくらんだ。あのお姫さまのためなら何でもやれそうな気がした。
このままではお姫さまが病気になってしまうと口実をつけて、閉じ込められているお姫さまを森に誘うように王子に頼んだのもぼくだった。頼む相手は第一王子にした。
「ほら、女の人は美しい景色の中でなら男に気を許すというでしょう」
そう云うと第一王子はおおいにはりきり、鞍の前にお姫さまを乗せて初雪のちらつく森に連れて行った。第一王子がお姫さまを連れていくのを、第二王子がきつい眼をして見送っていた。その隙に、ぼくは王の娘たちのうち一番年長の第一王女を掴まえて、森に行って留守になっている第一王子の寝所に誘いこんだ。お堅い第一王女はそれまでぼくに気があるくせに他の王女たちのようにぼくに声をかけてはいなかった。
ぼくは第一王女の頭を抱えて口づけをし、第一王子の寝所で愛を囁いた。
「ここに連れて来たのは他の王女たちとは違い、あなたとのことは誰にも秘密にしておいて欲しいからです。第一王子に露見すればぼくの命はありません。それだけの危険をおかしてもいい。この気持ちを止めることが出来なかったことをこの振る舞いから知って欲しいのです」
もちろん女は秘密なんか守らない。
第一王子と第二王子の仲が険悪になり、王女たちはぼくを誘い、ややこしいことになってきていた。
或る夜、ついに我慢できなくなってお姫さまにそれを求めてしまった。
「わたくしは穢れているから」お姫さまは首をふったがぼくも首をふった。お姫さまの足許に膝をついていたぼくはお姫さまの膝を抱き腰を抱き、やがて今ではぼくの身体ですっかり包んでしまえるようになった女を抱きしめた。心配しないでといつかの日にまだ子供だったぼくを抱きしめてくれたように、ぼくはお姫さまをかき抱きながらそう云った。
あまりにも長い年月望みすぎていたせいで足が震えていた。欲しかった。接吻する間も衣を脱がせる間もお姫さまは少し哀しそうにして身体から力を抜いていた。牢に男が来るたびに、お姫さまはいつもこうやって力を抜いて抗わずにすべてを諦めてきたのだろうと想った。
やがてぼくの胸の中で少し苦し気にお姫さまが愛を告げ始め、ぼくに応えはじめた。樫の木の扉の向こうで第二王子が聞き耳を立てている。そのことがぼくには分かっていた。だからお姫さまには悪かったが声を上げさせるために遠慮なくやった。ためらいがちにお姫さまの両腕がぼくの背中に回された。男の熱を受けてお姫さまは小さな火のようにぼくの腕の中で揺らいでぼくにすがって濡れていた。大好きなお姫さま。
第二王子が第一王子を刺し殺した。
「第三王子が、お兄さまを唆したのよ。第一王子がいなくなればお姫さまが第二王子の妃になるって第三王子がお兄さまに云ったのよ」
王女たちが騒いだ。寝所で王女たちにぼくがそう教えておいたからだ。潔白を主張する第三王子はしばらく遠くに追いやられ、第二王子は地下牢に幽閉された。それらの知らせもぼくは王女たちの寝所できいた。
王女たちは知らないだろう。王女たちが暗闇でもし眼が見えたなら、彼女たちを抱く時にぼくがどんなに恐ろしい顔をしていたか知っただろう。王女たちは悦びの声を上げて乱れていたが、お姫さまの苦しみをぼくは王女たちの上に思う存分に晴らしていた。
この国のものたちを許す気はなかった。
いつものように剣稽古をしている時に第四王子の剣がぼくの肩を裂き、ぼくの剣の先が第四王子の腕を皮一枚だけ切った。ぼくの怪我が治るより前に第四王子は死んでいた。剣の先に毒を塗っておいたのだ。
謹慎の地で賭け事と酒に溺れていた第三王子が河に落ちた。遺体ははるか下流で見つかった。たまたま逢ったふりをして馬を並べた夜道でぼくが第三王子を鞍から突き落とした。
父の仇だったから胸も痛まなかった。
一度に三人の王子を立て続けに失った王はさすがに驚愕し失望しがっくりと老い込んだ。
「王さまにはまだ第二王子がいらっしゃるではありませんか」
ぼくは王を励まし、狩りに誘った。
王の額に打ち込まれた矢が何処から飛んできたか誰にも分からなかった。森に隠していた強弓を使ってはるか遠くの獲物を狙って引き絞れるまでにぼくの腕は強くなっていた。
第一王女の首を細い紐で絞めてしまうと、その国はぼくのものになった。第一王女がぼくとの結婚を熱烈に望み、気持ちが逸るあまりに王に頼んで諸外国にまでその旨を伝達していたからだ。
城を出ていくか第一王女のように縊り殺されるかどちらかを選べと云うと、ほかの王女たちは泣きながら国を出て行くほうを選んだ。お姫さまが刺繍をした衣をはぎ取り、はだしにして追放した。よろめき歩く王女たちの姿が丘の向こうに完全に消えてしまうまで、ぼくは城の狭間胸壁から眺めていた。
石壁に月光がさざ波をつくっている。
王妃になったお姫さまはぼくが寝るのをまって、薄物を羽織ると静かにぼくの寝所からぬけ出していく。牢獄に入れられたままの第二王子の許に向かうのだ。第二王子とお姫さまが愛し合っていることをぼくは知っている。だからお姫さまが牢獄に逢いに行くのをぼくは止めない。お姫さまが第二王子を愛しているから、ぼくは第二王子の命はとらなかったのだ。
緑の中に花が咲いている。城の庭に植えた故郷の花々の上を風が吹き過ぎる。乳母が世継ぎの王子を抱いて窓の下にいる。ぼくの子なのか第二王子の子なのか分からない。ぼくにはどうでもいいことだ。
諸国からぼくは残忍で狡猾な若い王と云われて怖れられている。構わなかった。
ぼくは、ぼくのお姫さまのためにやったのだ。
お姫さまがぼくの前に身をかがめて膝をつく。ぼくはお姫さまの手を取ってそんなことはしなくていいのだと教えてあげる。夜の間中、ぼくはお姫さまの身体に男の愛を教えてあげる。衝立の向こうに隠れていたお姫さま。
貴女の為ならなんでもしよう。蛇のような王だと呼ばれながら、ぼくはお姫さまを護っていくだろう。
[了]
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