TS魔法少女の刑に処す 作:TS魔法少女を曇らせ隊
空腹は、すなわち極上のスパイスである。
ありふれた格言であるが、ありふれているからこそその意味を理解している者も多い。
であればこそ、試さざるを得ないというのが人の心理。
そこから生まれた己であっても、それから逃れ得ることはできない。
ぐぅう、と鳴る腹をそのままに、吸血鬼は彼女を想う。
『早ク来ないカなァ……クふ』
あの黒衣の、麗しい少女。
あれを骨まで貪って、この空腹を満たせれば、どれだけ幸福になれるだろう。
無理を押しての顕現だったが、それを思えば後悔など湧くはずもない。むしろあれだけの才能を持つ魔法少女を食うことができれば、全盛期に近しい力を取り戻すことだってできる。
──そう、全盛期。
『悪』の絶頂、あの裏切り者が道を築く前のことだ。
『思えバ、あの時もワタシは食い逃シた……』
麗しい少女を。
力ある魔法少女を。
己は
だが、あの姿に対する焦がれは、魂の奥底に焼き付いていた。
“偏食”たる吸血鬼にとって、それはあまりにも鮮烈だったのだ。
あれに比するモノを一つでも備えていなければ食えない……食指が伸びない。そう思わせるほどには。
そういう意味でも、あの少女は合格だった。
卓越した戦闘センス、日本人形のごとき麗しさ、そして常軌を逸する精神性。どれもあの彼女に比する、あるいは凌駕する面すら持ち合わせている。
あの赤い少女もまた並み居る魔法少女の中では別格だが、黒い少女の方が上物であることは間違いない。
──だからこそ、食わねばならない。
そのためにこの場所を──ショッピングモールと呼ぶらしいここを、決戦場として仕上げたのだから。
ほの暗いショッピングモールの最上層、天への道を閉ざすように張り巡らせた夜の帷が、空から吸血鬼を見下ろしている。
それは陽の暖かさを遮り、魔性にとって棲み良い世界へと変貌させる天幕だ。夜の貴族と形容される吸血鬼、その特質を与えられた彼にのみ許された『
それは空きっ腹をさらに痛めつける所業に等しいが……問題にはならない。
……コツン──
『…………あァ』
夜闇にも似た静寂に、かすかに響いた靴の音を、彼は聞き逃さなかった。
長く、枯れ細った脚を使って立ち上がり──『くハ』
笑う。
嗤う。
──
極上の馳走が、腹に収めるべき獲物が、来た。
ぐぅぐぅと、腹が鳴る。
/
その道を歩むことに恐怖はなかった。
はぐれ、薄汚れた飼い犬が、ようやく見つけた帰路を辿るに等しい喜びがあった。
階段を一歩ずつ登るたびに、心の底から笑える気がした。
はるか彼方に忘れていたものを、もう一度拾えた気がした。
“………………”
だから、思ったのだ。
この道行で車に撥ねられ、死んでしまったとしても。
「ここか」
ショッピングモール最上層、黒い天幕に包まれた場所。
おそらくは吸血鬼が施したのだろうそれは、まるで扉のように最上層と階段の境を断絶していた。
“一方通行の結界だ。入ることは容易いが、出ることは難しい……夜という
「なるほど、まさしく決戦場ってワケだ……視界不良の可能性は?」
“充分にある。今のうちに闇を見通す魔法を使え”
「了解」
ここに来る前に積み重ねてきた議論の通り、短い確認をする。
夜を恐れず、踏破するための魔法──人類が積み重ねてきた原初の歩みを再現する力。それを拝借して、充分に目を慣らす。
「さて、と。それじゃあ行くかァ」
とりあえず暗幕に触れてみると、ふわりと歪み、しかし力では破れない柔軟性を備えている。
それでも片手を押し込めば、つぷ、と水面に手を沈めたのと同じ感触で暗幕を貫いた。なるほど確かに、これなら入ることは容易だろう。
一旦手を引いてから、すぅ、と息を吐く。
そして自覚的に頬を歪めて、俺は笑う。
恐怖は、なかった。
大きく一歩踏み込んで、暗幕に身を躍らせる。
数瞬の拮抗を経て、水面に沈む小石のように、俺は夜に脚を踏み入れた。
「…………」
薄暗く、月明かりすら見えず、喧騒からは遠く離れた静かな夜。
田舎、曇り空の夜がこれに近しいのだろうか。俺は田舎とは縁遠く、明確に断ずることはできなかったが。
「……寒いな。ああ、寒い」
それでも、肌を突き刺すこの冷気だけは何もかも違うと思えた。
命を包容する夜とは真逆の、あるものを拒む鋭い冷気。それを醸し出す存在は、考えずともよくわかる。
闇を見通す視界の先、夜闇の中心でそれは居座っていた。
『やァ、お久しぶリですねェ』
あの戦闘で破壊された瓦礫の山、我が物顔で居座る姿はつい先日と変わりない。
アマイガスの不死性を改めて見せつけられて渋い顔になる俺とは真逆に、ニタニタと笑う吸血鬼は瓦礫の上に立ち上がり、高貴ぶった礼をした。
『このワタシの招待、受ケていタだキ感謝しまスよォ』
「ハ、小狡い脅しで引き摺り出したテメェが何を言う。そうじゃなきゃ二度と会いたくねェし、俺が来ることもなかったさ」
たとえどれほど強かろうが、頭数を揃えてリンチすれば大抵は殺せる。高位のアマイガスたるヒトガタ、その危険性を鑑みれば他支部からエースを引っ張ってくることも現実的に可能だろう。
そもそもショッピングモール最上階という場を兵器で破壊してしまえばいい。地の利も罠も意味を成さなくなる。
もっとも、ヒトガタであるが故にそのような真似ができなかった、と言われればその通りだ。
知性があるなら、そのような状況を許すはずがない──あるいは陥った瞬間に逃げるだろう。
眼前の吸血鬼が良い例である。
『くフ、それは手厳シい。ワタシはアナタに、恋焦がれていタというのニ』
「チッ、相変わらず気色悪ィな」
夜の冷気と合わさって鳥肌が立ちまくり、もはや山脈の如しである。
そんな腕をさする素振りで腕を引き──直後、死角に剣を振り抜いた。
『GYUAッ!?』
脳天から股下まで、一息に切り裂かれたそれは、耳障りな断末魔とともに墜落し……地面に叩きつけられる瞬間に、溶けるようにして闇に消える。
「……
奇襲、とも呼べない児戯だ。しかし、軽視することはできない。
剣を構え、腰を引き、たなびく風さえ捉えるように、全方位に神経を集中させる。
それは待ちの構えであり、受動の働き。焦れる心は耐え難く……俺にとっては慣れたものだ。
吸血鬼が笑う。
『素晴らシい。アナタはいつも、ワタシを昂らセてくレる』
吸血鬼は天を仰ぐ。
空を抱きしめるように、捉えて逃さず、絞め殺すように。
──刹那、世界が変わった。
微睡む夜が赤く移ろう。
仰ぎ見れば、空に浮かぶは赤い月。
鼻腔をつんざくそれは、かつての俺が嗅ぎ慣れた──血潮にまみれた風の臭い。
先ほどまで、あれだけ穏やかだったのに。
今や月光に照らされ──否、月光に蝕まれて、
「随分とまあ、
これはまるで。
『──まさしく、これなるは人の想いし我が世界』
天を仰いだ吸血鬼は、どこか流暢に宣言する。
それはきっと、夜に棲まう怪物としてのさが。俺も人であるからわかる、人が想像する吸血鬼らしい姿。
夜でなければ本気を出せないという、
『人が想い、人が考え、人がその身に秘める
周辺に集う数多の
戦における絶対の真理──俺がやろうとし、しかし叶わなかった数の力を、よりによってこの化物が振るおうとしている。
「不服か?」
まったく、反則に過ぎる。そういうのは人間サマの
それでも口は止まらない。止まることなどあり得ない。言葉を吐き出し、思考を回す時間を稼ぐ。
『──まさか』
俺の端的な言葉を吸血鬼は笑うでも、まして無視するでもなく、まるで偶然出会った街角で話し込むような気軽さで言葉を返した。
『ワタシは嬉しいのです。ワタシという存在を定義づけられるほど、人類は発達している……人類が積み重ねてきた歴史、すなわちヒトという無垢を彩る最高のスパイスに他ならない……』
『ワタシはそれを、この身に与えられた特質によって理解し、咀嚼とともに嚥下できる。なんと素晴らしきことか』
そのか細く痩せ細った掌で胸を掻き抱き、けれど穏やかな──矛盾した顔で彼は言う。
『ゆえにこそ、ワタシは“ワタシ”として、在るがままに振る舞いましょう! うつくしきものの血を啜り、骨の髄までしゃぶり尽くして、その身その姿を我が魂に焼き付けて──それを、永遠に、繰り返すのです』
どうしようもない。
この吸血鬼は、己の業をふさわしきものとして受け入れ、その義務を娯楽として楽しんでいる。
人であれば、欲を仕事の中で満たそうとするある意味真面目な姿だが──それが道理から外れていると、かくも醜悪に見えるのか。
……人も人で、醜悪なのは同じことか。
脳裏に浮かぶ、罪を罪とも思わず嗤うけだものじみた男たち──そして、あれらを拷問にかけて惨殺した俺もまた、道理に背いた同じ穴の狢だ。
だからこそ“そうかよ”とだけ、呆れにも似た言葉を吐き捨てた。
剣を構え、腰を引き、脚を曲げて、筋肉を張り詰める。
夥しい数のコウモリは、その場で羽ばたき赤い瞳でこちらを見つめている。その目に野生的な遊びはなく、ただ俺を食い殺すことだけを夢想し、汚らしい涎を垂らしていた。
そんなところまで主人と同じで、吐き気がするほどの純粋な食欲──吸血鬼が一声かければ、これが一斉に襲ってくるのだ。
背筋が粟立ち、冷たい汗がたらりと額を伝った。
“正面から相手をしようと思うなよ。無為に苦しんで死ぬだけだ”
「わかってらァ……」
はぁ、ふぅ、と息を吸い込んで……剣を握りしめていた片手を開き、それをコウモリの群れへと向ける。
剣ではこの数を処理しきれない。それは自明の理──であれば畢竟、
……そうだ、この状況に陥ることを知らずとも。
「
俺はいずれ来る脅威を打ち破るため、牙を磨いてきたのだから──!
「──《
言葉を契機として現れたのは、大きなバケツ数杯分の、透き通るような穢れなき水。
それは鏡よりもなお強く、俺の認識を濾し取り望むがままに形を変え──盛大に、俺はコウモリどもにありったけの水を叩きつけた。
それは、開戦の号砲と呼ぶにはささやかな物だったのかもしれない。
けれどそれは、紛れもなく明確な形で、この“