ぞわぞわと落ち着かない気分のときほど、ガラハッド・オリバンダーは勉学に没頭する。
一時間目、「消失呪文とは。“ある”、“なくなる”というのはどういうことか、仮説を立ててみなさい」と言ったマクゴナガル先生を相手に、彼は挙手して般若心経を論じた。
「 はい。無、それは有の対立概念にあらず。いま、ここに在るはずなのは絶対の無。五蘊は空相にして、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減。 それゆえに空中に色なく、受想なく、行識なし―――そもそも我々は、何事につけて“ある”と錯覚しているだけではありませんか? 」
「 ―――… 」
唾を呑む音が響いた。
アンドリュー・カークはちらりとガラハッドの横顔を見て、彼がとことん真剣であることを悟り、とんでもない隔絶を感じた。何を言っているのかわからなすぎる人物が、隣に座っているのってなんだか怖い。
「 絶対の無、ですか… 」
マクゴナガル先生は小さく繰り返した。
彼女は、たっぷり三分間ほど考え込んだ後で、眼鏡をくいっとあげて「もう一度言ってください」と言った。以下、何度もそのやりとりが繰り返されて、多くの生徒は眠りに落ちていった。
~二時間目~
その日、魔法薬学教授のセブルス・スネイプは、尋常ならざる集中力を見せる生徒に、とうとうねっとりと嫌味を言い損ねた。本日のガラハッド・オリバンダーは、諸事情あって人間に変えられたフードプロセッサーのようであった。猛烈な速度でとてもとても細かく、鰓昆布の茎を微塵切りにしていった。
「 お、おう…そうだ…それでいい… 」
午前の授業はこれにて終了だ。
午後の授業ではガラハッドは、合法的に暴れに暴れた。
いやに過激で実戦をよしとする闇の魔術に対する防衛術のムーディー先生が、「父のように貴様らを従わせてみせる」と言って、生徒に一人ずつ“服従の呪文”を体験させたからだ。
そのときまでに、ガラハッドは何度も昨夜のことを思い返し、どうしようもなくイライラしていた。
ちくしょう、なにが「愛人を目指せ」だよボケ…
俺は、これまでカノジョのひとりさえ出来たことがないのに…
「父」という単語が出た時点で気が立っていたガラハッドは、ムーディー先生の魔力に襲われるなり、無茶苦茶にストレスを爆発させた。彼らの剣幕のほどといったら、果ては掴み合い、素手で目を抉り合いそうなほどであった。
猛々しくムーディー先生は命じた。
「 飛び乗れ…机に飛び乗れ…! 」
「 誰が従うか~ッ!!!クソ~~~ッ 」
「 しかし貴様は飛び乗るのだ―――インペリ… 」
「 インセンディオ! 」
「 ッ…プロテゴ!?フィニート! 」
ムーディー先生の対処は素早かった。
何をも焼き焦がすことなく、放たれた炎は消えていった。
しかし同時に“服従の呪文”の効果も終了してしまい、この体験の時間は終わった。
ガラハッドはゼエゼエと肩を上下させた。
自身に向けて火炎を放ってきた生徒を、ムーディー先生は唸りながら褒めた。
「 よくぞ戦おうとした。しかし危なかった。お前は、大いに動揺した!戦おうとすればこそ、焦ってとりもあえず強硬策に出た。それではいかんのだ 」
ガラハッドは神妙に拝聴した。
やはり、歴戦の闇祓いの眼力は凄いなあ―――マッドアイの言葉は、そのまま昨夜から今日の自分の行動に当てはまる。
少なくともガラハッドはそう思った。
ガラハッドは俯いて床の模様をみつめ、コツ…コツ…という音を聞いた。
「 闇雲に服従から逃れようとする者が、自身の思いつく限りの破壊的な呪文を使うとどうなるか?悲惨だ。まっこと、悲惨だ。その者は、自身が誰を傷つけているのかもわからず、正気に戻ってから絶望することになる。そして、『己は術によって縛られておくことが相応しいのではないか』と考え始める。自身が邪悪な主体である可能性に耐えられず、他者に従属することによって、己は無害になれるのではないかと…そうなれば敵の思う壺だ! 」
ムーディー先生は声を大きくした。
ガラハッドはゆっくりと顔をあげた。
マッドアイ・ムーディーの声色と表情には、闇の魔法使いに対する憎しみが重く詰まっていた。
そんな、本日のノリにノッているムーディー先生から、次に“服従の呪文”をかけられる番なのは、スリザリンのエイドリアン・ピュシーだった。気の毒に、彼は席を立つ前からもう縮みあがって、おそらくは腰を抜かしていた。
ムーディー先生は義眼を回した。
「 記録せよ。今のをノートにとれ…―――次の者、出てこい! 」
そのとき終鈴が鳴って、エイドリアンは命拾いをした。
「ああ今回も野蛮だった!」と、教室を出るなりマリエッタはぶちぶち文句を言った。もう二ヶ月くらいは授業を受けるなかでわかったけれど、ムーディーは彼女のような良い子ちゃんが嫌いだ。
一方ガラハッドは初回こそ身構えたし当惑したものの、ムーディーの授業のやりかたは嫌いではない。ホグワーツには体練科にあたる授業がないので、近頃の闇の魔術に対する防衛術は、運動欲を発散できる良い機会である。
不機嫌なマリエッタに近づくことを避けて、ガラハッドはエイドリアンと話しながら廊下を歩いた。「あの先生はスリザリン生に偏見を持っている」と、彼はとてもしんどそうにぼやいた。
ガラハッドはふわっと返事をした。
「 たしかにその節はあるかもしれない 」
「 偏見を生む歴史は、そりゃあ、あるさ。けれど、どうしろっていうんだ… 」
エイドリアンの憂いは深かった。
ガラハッドは、エイドリアンのことを真っ当で良い奴だと思っているが、特にこれといって光るものを感じず、頼りになるとは思っていない。自分のほうからは話題を出さないで、彼に助けのようなことを言ってやった。彼と隻眼の魔女像のところで別れたとき、ガラハッドの心は決まっていた。
( …結局のところ、何だって独りで向き合っていくしかない )
はて、このように思考するのは、肉体だろうか、それとも霊魂だろうか?
この脳はグレイスと何が違うと言えよう?―――ガラハッドは朝からそのこともひっかかっていたが、今つぶさに検討する気にはなれなかった。
とにかく、このあとの晩餐会の場には、朝よりかはマシな状態で臨むべきなのだ。
ガラハッドはせかせかと西塔の階段をのぼって、ドアノッカーに触れる前から次に仕掛ける問題を考えた。
そうして、レイブンクロー寮に戻って自分の個人スペースへとひっこんだとき、ガラハッド・オリバンダーという人は、ちゃんと身長に合ったローブに着替えた。
短くったって着れるし勿体ないからと、入学時のローブを着倒すことは、もう、やめようと思った。
もし、誰かに何かを言われたら―――…古いほうのローブは、さっき自滅して焦がしたということにするのだ。秀才の名をほしいままにする頭を、ガラハッドは、訊かれてもいないことの言い訳を考えるのに使った。
彼は、こうまでするほどに恥ずかしかった。
これから出会うボーバトン生たちに、ドラコ同様に顔を売れるようにという目的で装いを変えたなんて、本当に、誰からも気づかれたくなかった。
だってこれは、ひどく浅ましいことのような気がするから。
色気づいて、女の子たちからの評価を気にしてさ。
とにかく総当たりで、上っ面で好感を持たれようとしているんだ―――どの子が婚約者候補かわからないから、こうするしかない。
嫌だけど、他に手段はないだろう?
「ありのままの自分を肯定してくれる人がいい」と言えば、なんだか聞こえがよくて開き直った怠惰さが隠れるが、コードやマナーを無視してなおプラスの印象を残すような魅力が、自分にはあると思い込むほど厚顔じゃない。
せめて、真っ当だと見なされ初手で足切りに遭わないように、ここは全力で行儀良くしていくしかないだろう。なんせ他人様から「まともだ」とご評価いただくことが、哀しいかな自分は大変不得意なのだから…。
気負う気持ちを少しずつちぎって捨てるように、ガラハッドは溜め息を吐き続けた。
「 ハァ… 」
「 君、そんなにあのローブを気に入ってたんだねえ 」
マーカスはたっぷりとガラハッドを慰めた。
「 誕生日に、気の毒に。“元気になる呪文”、要るかい? 」
「 いや大丈夫。俺が元気すぎても、困るだろ? 」
「 それは否定できないなあ 」
「 そんときはまた決闘しよう 」
ロジャーはガラハッドの肩を叩いた。
ガラハッドは小さくはにかんだ。
いつもどおりの友人たちに救われつつ、ガラハッドは大広間を目指した。
今に始まったことではないが、腹を括ったあとのガラハッド・オリバンダーはつよい。土壇場までうだうだ悩む性分だというだけで、彼は「不器用」という評には縁がない。
ニタニタ嗤うジャックオランタンの脇を通り抜けて、いよいよ大広間の中へと至ると、案の定ロジャーは手を振って「ボンジュール!」を連発し、ボーバトン生たちの注目を集めた。一緒に視線を浴びたマーカスは、バッヂ付きの胸を反り返らせた。
ガラハッドは、そんな二人を「見た」というような首の振り方をして、ひょいと眉を上げて、あくまで仲間の振舞いにきっかけがある様子で、クスッと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。そして気取り屋であるとはみなされないように、サラリとちゃんとした“挨拶”をした。右足の爪先を90°外向きにして、斜めに出した左足と弧を描くような右手の動きで、なめらかにローブの裾を捌いたのだ。立ち上がって、ホグワーツの教室配置についてロジャーに訊ねようとしていたボーバトン生は、あっと驚いた表情をした。
ガラハッドは、ほとんど質問を理解していないロジャーに代わって、その女子生徒へとフランス語で言った。
「 毎日構造が変わるんです。特に階段は、曜日によって違う場所に着きますよ 」
面食らった相手が次の発言をするよりも前に、ガラハッドはサッとボーバトン生たちが固まって座っているエリアを離れた。こう見えて彼は緊張していて、もう限界なのであった…―――そんな内情は誰も知らない。
彼のように際立って飄々としている人物を、ボーバトン生たちはよく知っていた。もう別のレイブンクロー生と喋っているガラハッドのことを目で追って、ボーバトン生たちは囁きを交わした。
「 みつけた!ノアイユ先生の息子! 」
ガラハッドは背後に聞き耳を立てた。
興奮したような声色で、ボーバトン生たちは囁きを交わし続けた。
「 似ていませんよ? 」
「 似てるって! 」
「 私はわかってたわ。あなたたち、本質を見抜けていないの 」
「 嘘ばっかり。そんな理由じゃないくせに 」
「 彼、朝もいたかなあ? 」
「 いましたわ。わざとみすぼらしい格好で… 」
「 どうやら、ゴブレットに頼るまでもないようだ。気づかなかった間抜けは、代表選手に選ばれるまい 」
話題は一区切りついたようだ。
ガラハッドは内心ドキドキして、自分からアンドレ・エグウに話しかけたくせに、背後のフランス語ばかり拾って、アンドレの発言を聞き流していた。
「代表選手」という一単語を機に、ボーバトン生たちは姿勢を正して、真剣にテーブルクロスを睨み始めた。
さしものロジャーもこの空気を乱してはならないと感じて、幸運を祈るハンドサインをして、ボーバトン生たちの近くを離れた。何人かの生徒は小さく頷いて、「彼は緊張をほぐしてくれた」と感じた。マーカスは空気扱いだった。
ロジャーが空いている席に座ったとき、既に着席していたガラハッドは、真剣にスリザリンのテーブルを観察していた。とある人物と向かい合う形で、たまたま近い席になれたことを、ひそかに喜んでいたのだ。
セオドール・ノットの背中が邪魔だが…。
ガラハッドは、ノットの向かい側に座っている―――金の皿を持ち上げて、裏返してつくづくと眺めているそのダームストラング生に、あわよくば、こちらに気づいてもらえまいかと首を伸ばした。
ガラハッドがあまりに熱心に視線を送っているので、マーカスとロジャーは、すぐそこにビクトール・クラムがいるのかと思った。しかし、期待して視線を追ったというのに、ロジャー・デイビースに言わせるならば、そこにいたのは
「 なんだよ。ちょっと期待したじゃん 」
「 どうして気になるの? 」
「 彼、樹のにおいがする 」
ガラハッドは少し微笑んで囁いた。
「 グレゴロビッチは代々、跡継ぎがマイキューを名乗る。あそこの彼、マイキュー・グレゴロビッチだと思う―――たしか十四世だ 」
「 へえ。太陽王って、呼ばれてそう 」
ロジャーは冷ややかに言った。
彼は、マイキューのことを陰気な野郎だと思ったのだ。まだ学生なのに髭面で、やけに年上に見えるとも思った。唯一褒めるところがあるとすれば、熊毛の制帽がよく似合っている点だ。
ガラハッドは、ロジャーのことは無視して、マーカスのほうを向いて続けた。
「 彼、杖だけじゃなく楽器までつくるらしい!ラルフ・スパッドモアが言ってたんだ 」
「 うわー、君、いつの間にスパッドモアに会えたの?感動したでしょ 」
「 もう、感動も感動。大ファンだからな。ワールドカップに感謝 」
「 選手より職人が好きっていうのが君らしいよね 」
「 実は最近は、家具製造にも興味がある。マグル界の家電に着想を得て…中に服を吊るすだけで服が綺麗になるクローゼットとか、頑張れば作れると思わないか? 」
「 ―――パス 」
マーカスはあっさりと両手を挙げた。敢えて言わなくていい本音を言うならば、彼も最初からこの話題に興味なんてなかった。
ニヤッとしてアンドレが前のめりになり、衣服の素材の種類と特徴、必要な手入れの話を始めた。壇上で開会が宣言されるまで、ガラハッドは彼と討論して気を紛らわせた。
全員が静かに前を向く時間になって、ガラハッドはようやく安堵することができた。「何だアイツ」と言われることを怖れて、ここそこで交わされる会話に聞き耳を立てるのは、とても疲労する行為だ。三校長の話を聞き流しながら、ガラハッドは自身の健闘を讃えた。
( よかった…多分、何とかなった…! )
いやまあ、まだまだこれからなんだけども。
昨夜アラベールとの話題にあがった人々を、こうして現認できたことだし…。
わずかな一歩ではあるけれども、自分は、ちゃんと踏み出せている。
眼球を動かすだけで様子を窺えるので、ガラハッドはしつこくマイキュー・グレゴロビッチのことを観察した。
マイキュー十四世の両親は、たしかスイスと南アフリカに行ったはずだ。彼もまた現店主の跡継ぎとして、出生国政府に囲われた身分である。
彼は、持続可能な発展のための国際魔法使い協定について、どう考えているのだろう?このたびの事業が一生に一度の外国体験になることを、どう感じているのだろうか…。
ガラハッドは、今年グレゴロビッチは英国の美しさに触れ尽くすべきだと考えたら、この石城は暗くて単調だと思った。前世では想像もしなかった美しいものが、この国にはもっといっぱいある。もしも自分が学生総代になったら、この城を美しくするのになぁとか思った。
校長たちの話は長かった。「ふわぁ…」と目立つ声をあげて、近くでルーナが大あくびをした。マクゴナガル先生が首を伸ばして、キッと睨みを飛ばしてきた。
ガラハッドは考え事を続けた。
学生総代か…―――所詮は雑用係だけど、選ばれた者は侮れない存在だ。きっと将来、有力な人物となる。なんせ一国一校で、魔法界はマグル界よりも狭い。
もしも、コーマック・マクラーゲンが総代に選ばれたら…あいつは、嬉々として俺にマウントをとり続けるだろうから、そのときは本当に真剣に、亡命を検討しなくてはならない…。
ガラハッドは、とにかく反抗したい欲求を抱えているくせに、昨夜アラベールの言ったことどもは、どれもこれも尤もだと思っている。他証言と矛盾しない証拠物のある供述で、正当性のある権利要求で、合理的で有効な手法で―――生憎こういうことを、一般的に「正しい」と呼ぶ。完全にイカレているのに、やんぬるかなアイツは正しい。
ガラハッドは、アラベールがマトモな人物のフリをしているのを見ると文句を言いたくなるので、身体は教職員席のほうに向けているけれども、実質何も見ないようにしていた。三校長からの言葉が終わると、バーテミウス・クラウチによる式辞まであって、ガラハッドはますます
聞くもんか。
目には映っているけれど映っているだけ。
耳はついているけれどついているだけ…。
―――…。
…かの男は、彼女の肉の表面に暴行し、卑しめて征服した気分になっただけ。
彼らはそれを見ていただけ。
自分は、たまたまここに存在しているだけ。
偶然、避けがたく過去の上に立つ現在者であるだけ。
厄介を好むたちではないのに、選ばず関係してしまっている立場なだけ…。
だけ、だけ、だけの果てに何が在る?
唯識無境、境識倶泯―――嗚呼!今ここにボガートが現れたら…―――教学を持ち出して没入を目指すのは、
ルーピン先生が教えてくれたことを、ガラハッドは無駄にしたくない。
そうだこれでは、何だってろくに考えぬこうとしたことがないくせに、場当たりに自身を正当化するために「正義の反対は別の正義」とか言いたがる奴と同じだ。
おつむが懐が肝っ玉が小さくて、単に抱えきれないだけのくせに…。
わかってる、自分はどうしようもない奴だ。
こんなどうしようもない奴を、どこの誰が好きになってくれるんだ。
式典はつつがなく続いた。
ガラハッドは、滝に打たれる僧のように、あるいは鍛えられた兵士のように、静かに微動だにしなかった。最上座にいるアルバス・ダンブルドアは、そんな彼のことを見つめて、遠くからとてもにっこりした。
「 いよいよじゃのう 」
軽やかにダンブルドアは壇上にあがった。
古来、魔法使いは夜育つ。
夜空を引き写したようなローブを纏って、美しく星々を瞬かせて―――今宵、アルバス・ダンブルドアという男は、どんな悲しみも痛みも、永遠の夢に甘く融かしてくれそうな、素敵な神様のように微笑むのだ。彼の頬はサンタクロースのように輝き、長い髪と髭の艶めきは真珠のそれだった。
彼は心から願っている。
諸君、歌え危険を愛する情を。示威と冒険とを常とする諸君。
熱ある不眠、奔馳、死を賭する跳躍、こぶしを以てする殴打…その美へと殉じたまえ!
破壊なくして、再生はない。
万物は、かならず“金”となるだろう。
じっくりと炎を見つめたあと、ダンブルドアは一度目を閉じた。
「 さて、ゴブレットは、ほぼ決定したようじゃ。わしの見込みでは、あと一分ほどじゃの 」
途端に大広間はガヤガヤし始めた。ダンブルドアはすいっと手を挙げて、一瞬にして場を静まり返らせた。
「 代表選手の名を読み上げる。名を呼ばれた者たちは、立って教職員テーブル前に来るがよい。そしてテーブルに沿って進み、隣の部屋へと入るよう――― 」
ダンブルドアはとある扉を指さした。
「 ―――そこで、第一の指示を与える 」
ダンブルドアは杖を取り出し、鞭打つように大きく振るった。するとハロウィンのカボチャたちを残して、あとの蝋燭がすべて消え、あたりはほとんど真っ暗になった。
炎のゴブレットは、いまや明々と輝き、青白い炎は目に痛いほどである。
誰もがゴブレットを見つめている状況って、思えば不思議な空間じゃないか?
ガラハッドは変に思いついて、ニヤッとして辺りを見回した。みんな青白い光に照らされて、眼窩に陰翳を宿していた。
ダンブルドアは目を細めていた。彼は、この光景を決して忘れまいと思う。
突然ゴブレットの炎が赤くなり、火花を散らせて燃え上がった。ダンブルドアの視界において、万民は炎に舐められたのだった。
焦げた羊皮紙が一枚、はらりと落ちてきた。
ダンブルドアはそれを取り上げて、再び青白くなった炎の明かりで読んで宣言した。
「 ダームストラングの代表選手は、ビクトール・クラム 」
「 そうこなくっちゃ! 」
ロン・ウィーズリーが大きくガッツポーズをした。
大広間中に歓声が湧き立ち、拍手の嵐が起きた。
喝采を浴びることには慣れた様子で、クラムは立ち上がって指定された部屋へと向かった。
「 ブラボー、ビクトール!わかっていたぞ、お前がこうなるのは! 」
カルカロフ校長が大声で言った。
ガラハッドは、ボーバトンの女性校長に比べて、彼は英語が流暢だなと思った。
再びゴブレットが赤く燃え上がった。
「 ボーバトンの代表選手は――― 」
ボーバトン生たちは両手を組んでお祈りをしていた。
「 ―――フラー・デラクール 」
ワァッと大広間は賑わった。
今度のは歓声だけでなく、泣き声も混じっていた。間近にボーバトン生たちがいるガラハッドには、そのことがわかった。選ばれなかったことで、泣き出した子たちがいる―――誇らしくてたまらないという仕草で優雅に立ち上がったのは、今朝ロジャーが口笛を吹いた美少女だった。「おめでとう」ってフランス語で何というのか、猛烈な勢いでロジャーは尋ねかけてきた。
フラー・デラクールも隣の部屋へと消えると、また沈黙が訪れた。
興奮で張り詰めた静寂が、ぎしぎしと肌に食い込むかのようだ。
次はホグワーツの代表選手だ…。
食い入るように炎を見て、ガラハッドの眼は煌々と照り映えていた。
ダンブルドアが三枚目を読み上げた。
「 ホグワーツの代表選手は、セドリック・ディゴリー 」
爆発的な歓声が轟いた。
ハッフルパフ生たちは総立ちになり、叫び、足を踏み鳴らした。
セドリックはその中を通り抜けて、教職員テーブルの前へと着いたとき、ガラハッドが笑顔で親指をあげているのを見つけて、にっこりとVサインを返した。
またしても拍手が爆発した。
「やった!あいつ、やった」と囁くガラハッドに、ロジャーもマーカスも微笑んで頷いた。彼らも心底思っていたのだ―――立候補したという同寮六年生にくらべたら、他寮のセドリックのほうが代表にふさわしい、と。ホグワーツの名を背負うからには、勝利を掴みとれそうな選手に出場してほしいじゃないか。
ハッフルパフ生たちの騒ぎが収まった頃、ダンブルドアは嬉しそうな声で言った。
「 さて、これで三人の代表選手が決まった。選ばれなかったボーバトン生も、ダームストラング生も含め、みんな打ち揃って、あらん限りの力を振り絞り、代表選手たちを応援してくれることと信じておる。選手に声援を送ることで、みんなが本当の意味で貢献でき――― 」
ダンブルドアは言葉を切った。
何が彼の気を逸らせたのかは、誰の目にも明らかだった。
虚空に火花を迸らせ、炎のゴブレットが再び燃え上がり始めたのだ。赤く―――これまでのどれよりも赤く赤く、荒く猛々しい炎だった。おそろしいような火焔に、ダンブルドアは手を差し伸べた。彼は羊皮紙を掴み取って、それを見つめ―――長い間、黙って手のひらに視線を落としていた。誰もが沈黙に耐えられなくなった頃、ダンブルドアは咳払いし、ゆっくりとそれを読みあげた。
「 ハリー・ポッター 」
息の多い声だった。
かじかんだ手に息を吐きかけるように、ダンブルドアはその名前を口にした。
「 四人目の代表選手、ハリー・ポッター 」
誰も拍手しなかった。
ガラハッドは、他のレイブンクロー生たち同様に、身体を捻ってハリーがどこにいるか探した。グリフィンドール生たちも一斉にハリーのほうを向き、呆気にとられているので、彼を見つけることは容易かった。放心したような顔つきで、ハリーはあんぐりと口を開けていた。
「 僕、名前を入れてない… 」
あまりにみんなが静かなので、ハリーの呟きはレイブンクロー席にまで届いた。
「 入れてないよ。本当だ…! 」
「 ハリー・ポッター! 」
ダンブルドアの声は大きくなっていた。
「 ハリー。ここへ、来なさい 」
ガラハッドはひどく困惑した。ハリー自身も、かなり困惑しているように見えた。
ハリーは、ローブの裾を踏んづけながら、おずおずと教職員テーブルのほうへと向かった。ハーマイオニーに背中を押されて、仕方なく立ち上がってますます視線を浴び、それに追い立てられていった。
救いを求めるかのように、ハリーはダンブルドアのことを見上げた。けれどもダンブルドアは微笑まずに、隣の部屋の扉を指差してハリーを急かした。
呆然としていたマクゴナガル先生が、ハッと立ち上がってダンブルドア校長に駆け寄った。
「 一体、どういうことなのか… 」
彼女はダンブルドアの腕に触れた。
「 アルバス、
するりとアラベールが立ち上がった。
「 はて、前例のない事態ですな 」
彼は冷ややかに英語で言った。
彼の隣ではマダム・マクシームが、フランス語で怒りをぶちまけていた。
この状況で表情を変えないダンブルドアって、どういう神経をしているんだろう?
ガラハッドは眉根を寄せて彼を見た。「ホグワーツだけ二人の代表選手を出す」という趣旨の宣言に、大きなブーイングが巻き起こっていた。
ワールドカップで、ブルガリアが失点を許したときのようだ。
ボーバトンアカデミーの女子たちは、立ち上がり、選ばれなかった悔しさあまって怒り百倍、マダム・マクシームそっくりに指を突き立てて吼えまくった。
ダームストラング生たちは低い唸りをあげ、カルカロフ校長は強くテーブルを叩き、赤ワインを溢して滴らせていた。
アラベールは飄々として言った。
「
彼はフランス語で生徒たちに呼びかけた。
「 よく出来事を観察して、読み解きの努力をするべきところだ。さもなくば本質は見えない―――なんと我々のうえにある女神は、四つめの林檎を地に落とした。すなわち我らが掴まんとする栄光は、アタランテーへの勝利と、彼女からの愛を凌ぐものではないかね? 」
「ん?」とアラベールは微笑んで、生徒たちを黙らせ座らせた。最後の一人がおとなしく座ったのを確認すると、くるりと彼はマクゴナガル先生のほうへ向き直った。
「 つまり、事故も祭りの醍醐味のうちかと 」
アラベールは英語で言った。
ガラハッドにはマクシーム校長は、「アラベールは自身の通訳をしている」と信じているように見えた。
救われたような心地で、マクゴナガル先生はぎゅっと胸を押さえた。
くつくつとアラベールは笑った。
「 何が起きるかわかっていたのでは、つまらぬ見世物となりましょう 」
邪悪な声色だった。
“彼女”に向けての言葉だろうかと、ガラハッドは聞いていて思った。
あらゆる人の動きを見世物として、しずかに楽しんでいるひと。
今宵喜んだ者の喜びの顔、悲しんだ者の悲しみの顔―――すべてが“彼女”にとっては見世物だ。
“彼女”は、絶対的な観劇者。
今この瞬間も、どうだろう?
ガラハッドは、“彼女”がどんな表情をしているか知りたくなって、そっとゆっくりとそちらのほうを向いた。そして輪郭しかわからないヴェールに、ゾッとするような心地がした。
今、目が合っていますか?
それとも他を見ていますか。
僕がここにいることを、ご存知ですよね?―――そんな問いかけをすることは許されない。
ブルボン大公妃にして、
彼女のために設けられた席には、鏡合わせのような双頭の鷲が掲げられている。
炎はじゅうぶんだった。青く蒼く燃え盛り、明々と家紋を照らした。
ゆらゆらと炎に反射して光り、あの鷲は生きているかのようだ。
万古、世界は
■עַשְׁתָּרוֹתはアスタルテの複数形で、キリスト教徒から見て異教の女神全般をあらわす普通名詞。アスタルテは実在する古書店の名前で、仏文学者生田耕作による命名、幻想怪奇文学専門。この夏閉店予定
■ダンブルドアの独白「諸君~殉じよ」はマリネッティの『未来派宣言』から
■唯識無境…ただ識(感覚)だけがあって外界は存在しない/境識倶泯…心の存在も仮のものであり、心的作用をなくせば外界も識も消えてしまう