「 無上甚深微妙法百千万劫難遭遇我今見聞得受持願解如来真実義… 」
朝、地獄から悪魔でも呼びそうな声が隣のベッドから響いてきて、ロジャーとマーカスは震え上がった。明日から本気出せよと煽った相手のことを、昨日まで彼らは舐めていたのだ。懺悔三帰に三竟十善戒、ふたりにとってはずっと意味のわからない呪文が、低く震えるような声で詠唱されていった。
「 ひぃッ…! 」
二人は後悔した。ガラハッド・オリバンダー、そういった名前の、このふたりにとっての同室生の奇行は合計30分以上も続き、ふたりは共にしっかりと目を覚ましていたが、恐怖のあまり動けなかった。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、もう十年は漢字のひとつも見ていないのに開経偈から理趣経まで自然に口が動いたガラハッドは、その朝ことのほか上機嫌だった。
なかなか起きてこないふたりの布団を剥いでやり、時間だぞと笑顔で言ってやった。一方ロジャーとマーカスは、恐怖で口も利けなかった。
「 どうしたんだお前ら? 」
怪訝に思ってガラハッドは尋ねた。掛け値なしの心配だった。
「 …いや、 」
焦ってとめようとするボタンはなかなかとまらない。
ロジャーは、ガラハッドに見られていることで、五回も制服を着損ねてしまった。
「 その、なんていうか…刺激的で。一体何してたんだ? 」
「 準備運動 」
ガラハッドの奇行はまだまだ続いた。
4月、入学8か月めにして、ヤバすぎる同級生を持ってしまったとロジャーとマーカスは思い知らされたのだった。彼らにとって、その春はただただ試練だった。
ロジャー・デイビースは、自分たちがガラハッドの素行に度肝を抜かれてしまうのは、彼はべらぼうに勉強ができるからだと理解していた。
ゆっくり質問してみると、彼は別段怪しい儀式をしていたわけではなくて、その昔覚えたインドだか中国だかの呪文を忘れないよう、復習しているのだそうだ。きっとそのうち使えるものだからと。
ロジャーは、朝はぎりぎりまでつい寝てしまい、ホグワーツ入学前に家で読み書きしか学んでこなかった自分を、恥ずかしく思った。もう一人の同室マーカス・ベルビィは、「あんなものを覚えてから入学してくるのは、ホグワーツ中探したって杖職人の子くらいだ」とぼやいて慰めてくれた。
そうはいっても気分は晴れなかった。
同級生のなかにガラハッドがいる限り、学年でロジャーが一番になれる日は来そうにない…。
一方でマーカス・ベルビイは、ガラハッドには頭の出来以前におかしいところがあると思っていた。
ある土曜日、外で遊んでから自室に帰ってきたマーカスは、そのことに気づくなりのけぞって悲鳴をあげた。
勉強机で、ガラハッドがカーテンを閉めることすらせずに、鳥の死体を解剖し、ノートにスケッチをしていたのだ。おぞましい光景を見ないよう、クッションを掲げて視界を遮り、渾身の力でマーカスは叫んだ。
「 今すぐ捨ててきてよ!! 」
うるさいなという目つきすら寄越さず、ガラハッドは平然とスケッチを続けた。
「 カラスだぞ。何がそんなに怖いんだ 」
「 怖いよ!死体じゃないか! 」
「 死体の何が怖いんだ 」
「 君はどうかしてる! 」
「 お前は…まあ、こっちの子だから仕方ないか。僕は、生き終えたホトケさんに手を合わせ、許しをいただいて学ばせていただいているんだ。そういう態度は、失礼だぞ。 」
「 君は何を言っているの!? 」
「 魔法使いになるんだろう? 」
ぴしゃりとガラハッドは言った。
マーカスは黙り込んだ。マーカスにとって一層怖いことに、ガラハッドの誕生日はハロウィンなのだ――――その日に生まれる子は異界から来るという。
まるで自分のほうが譲歩してやるんだみたいな顔で、ガラハッドは小さく肩を竦めた。
「 まあそっちが嫌がるなら、僕は場所を移すよ 」
「 出ていって!出てけよ!あの世にかえれ! 」
うわああああッと泣いてマーカスは顔を覆った。
あんまり様子がおかしいので、ガラハッドはマーカスのことが心配になった。この様子だと、何をしでかすかわからない。
蓑虫のように布団にくるまったマーカスに、ガラハッドは立ち去り様に背後から杖を向けた――――純粋な親切心によって。
「 オブリビエイト! 」
「クスン…」と、マーカスは静かになってそのまま昼寝を始めた。
( まったく繊細なヒステリーちゃんめ )
立ち去っていきながら、ガラハッドは「仕方ない」という思い半分、半分は心底マーカスに対し呆れていた。談話室を横切って螺旋階段を降りつつ、しみじみとため息を吐いた。
( あれじゃあ挺身隊にも入れんぞ。やはりこの世界の男児は軟弱 )
可愛い顔してとんでもないやつだと、この頃にはガラハッドの人となりは寮内に知れ渡っていた。
あまり同級生から話しかけれなくてもガラハッドは、全然困っていないので気にしたことがなかった。
レイブンクロー塔から降りるとガラハッドは、ちょうどいいおもちゃを見つけてニヤッと笑った。ポルターガイストのピープズが、廊下をいく生徒たちの鼻をつまみ上げて、「釣れた釣れた」と馬鹿笑いしていたのである。
「 そこの幽霊! 」
「 ヒィッ 」
びしりとガラハッドは指をさした。嬉々とした声に震えあがって、ピープズは急にしぼんで虚空できりきり舞いした。
「 オン・アキシュビヤ・ウン 」
「 ギャ~~!イヤァ゛~~~オリバンダー様!オリバンダー様お助けを!! 」
さながら押し寿司の型に鮨詰めにされるように、変な形にピープズは変形してカチコチに固まっていった。
その姿でどうしようもなく、微動だにせずに廊下の高いところに浮いていた。
ガラハッドは、浮いているピープズを間近に見上げられる位置に来ると、「ふむ」と興味深く息をついて今回の結果を手帳に記録した。
「 お助け…お助けを…!」
「 別に今日こそ成仏させてやろうという気はない 」
大真面目にガラハッドは言った。むしろピープズに成仏されると、実験台がいなくなって困ってしまう。
「 僕が呼び止めたのに、お前が逃げようとするからだよ 」
「 ご、ご用事は…? 」
「 部屋を探している。一人きりで集中できる場がいいな。お前は、城に詳しそうだからな 」
「 ヘッヘッヘそういうことならァ… 」
「 あははゲスな顔!悪巧みして、下手な場所は紹介しないほうがいいぞ?僕の光明真言ひとつで、お前は簡単に消え去るんだからな。ここはひとつ、恩を売っておいてはどうなんだ? 」
つんつんとガラハッドは、結界のなかで固まっているピープズをつついた。折しも前方からやってきたスリザリン生が、信じられないものを見るような目でこっちを見て、足早にどこかへ去っていった。
「 そうだな。とびきりのところを用意してくれたら、お前が生徒にかけるちょっかいのうち、レイブンクロー生以外に対するものは目を瞑ろうか 」
「 ほ、ほん…ほん…!? 」
「 本当だ。二言はないさ、僕には 」
「 こ、こちらに…あああ、あああ動けない。動けないぃぃぃお連れしたいのに!このピープズ、オリバンダー様にお仕えしましゅぅぅぅううお連れしたいのにィ! 」
「 そう?それじゃあ、僕が運んであげるね 」
「 ほぐわぁ!? 」
立方体になった自身のうえに布包みを置かれて、ピープズは白目を剥いて変な声を出した。
包みのなかには解剖中のカラスの死体が入っていて、「んのぉぉぉぉ」とピープズは抵抗するも無力だった。
悲鳴ごときに動揺するガラハッドではない。
不細工なピープズを両手で抱えて、「軽いなあ」とガラハッドは面白そうに言った。
「 ゴーストって、軽いんだ?あはは、ニックはいつも大儀そうに自分の頚を持ってるのに、実際は軽いんじゃないか!あれはパフォーマンスなんだな 」
「 そ、そこを右に… 」
「 OK。僕に抱えられる気分はどう? 」
「 最悪に決まってんだろぉビヂクソがあああ! 」
大笑いするガラハッドを、遠目から観察しているカップルがいた。
「 …あの子がオリバンダー? 」
パーシーとペネロピーだ。
今しがた図書館から借りてきた本をパーシーは、左手に抱えなおして右手で眼鏡をおさえた。
「 そう。可愛い顔して、凄いでしょ? 」
「YES」と言わせる口調でペネロピーは言った。
「凄いけど、かなり変わってるよね」とパーシーは言った。ピープズに何やら指図できるなんて、ほとんど首無しニックに言わせれば血みどろ男爵くらいであるのに。
あのげっそりとしたゴースト同様にへつらわれたいかというと、パーシーは、別にピープズからは一生、馬鹿にされたままだっていいのであった。存在が災害みたいなものだから、今更ポルターガイストなんかに腹は立たない。
「 何年かに一人はいるんだって。レイブンクローには、ああいう子が。いいなあ、私もハロウィンの夜に生まれたかった 」
ああ私って凡人だわと、憂うガールフレンドに寄り添うことのほうが大切だった。
五月、猛烈な雨が降った。
それから少し経って爽やかな晴れが何日か続いたあと、ある朝目覚めると、塔の高みにあるレイブンクロー寮からの景色は様変わりしていた。
これまで気づきもしなかったが、黄ばんでいた芝生は青々とした緑に生まれ変わり、ヤナギの葉は芽吹き、湖面は鮮やかになっていたのである。
湖の向こうの禁じられた森の入り口では、薔薇かと思われる花が色づいて天然の垣根をつくっていた。
「 わあ綺麗 」
俺が、そう思ったときにはもう身体は動いていた。
両手で窓を押し開いたとき、もう眼は変身を遂げていたように思う。
遠いはずの薔薇垣がハッキリと立体的に見えて、掴んで手折りたくなった。
一迅の風が吹いたので、それっきり俺はいなくなってしまった。
「 ガラハッド―――!? 」
誰かが叫んでいるような気もしたが、大した問題ではない。
俺は、そのまま天空へと駆け出して、重力に任せて落下していった。
恐怖は一切なく、今、再び生まれ変わるんだと思った。
玄妙の境に落ちていくまでもなく、天知る地知るつもりの者の正体は、一切が空だから。
空気の層があって、羽ばたくと風が俺を高く高く舞いあげていった。坂を上るような心地だ。
どこから滑り降りたらよいかは、直感的に理解することができた。
俺は、気づいたら薔薇の垣根に突進して脚で花を掴んでいた。
当然ぐしゃぐしゃにしてしまったが、すぐ舞い上がって丁寧に花を摘み直すことはできなかった。
「 ハァ、ハァ―――…きっつ!! 」
変身を解いてのたうった。息の吸いすぎで肺がはち切れそうで、心臓は爆発寸前だ。
ガラハッドは、そこらへんの芝生に仰向けに転がって、汗をぬぐいながらゼェゼェ呻いた。
「 きっっっつ!腕だけで競泳!匍匐前進で登山!!! 」
飛ぶってクソしんどい。いやいや落ち着け転生後の俺は、ぬくぬくのうのうとしてろくに鍛練をしていないじゃないか。単純に!体力が!!なさすぎる!!!今後は身体を鍛えよう―――――以上が俺ガラハッド・オリバンダーの、初めての飛行体験記である。
大広間の食卓にて。
「えっ、嘘でしょ」と 小さな声で言ったきり、フォークを持ったままチョウは固まってしまった。
ジャムドーナツを手に持ったまま、口を開けた姿でマーカスも固まっていた。
マリエッタは手で口許を抑えていたが、ロジャーに至ってはぼとぼととソーセージを落とした。
食後の紅茶で一息つきながら、悠長な身振りでガラハッドは言った。
「 嘘じゃない。嘘吐く必要ある? 」
「 ないけど――――嘘でしょ?一年生で鷲のアニメーガスって、嘘でしょ?私最近、ガラハッドのこと、全然理解が追いつかない… 」
「 まあとにかく、定期試験が終わったら僕は、アニメーガスとして魔法省の認定を受けに行くんだよ。マクゴナカル先生が付き添ってくださるらしい。それまでは、無闇な変身は禁じられているから、一緒に飛ぶのは二年生までお預けな 」
不敵な笑みでガラハッドは言った。ロジャー、チョウ、マーカス、マリエッタの四人は、それを受けて怖々と目を見合わせた。
引いて寄せる波のように、四人は再び一斉にガラハッドのほうを向いた。
「 大天才ガラハッド様 」
青ざめていてもロジャーは軽口を言う。
「 君の羽根の羽根ペン、売れるんじゃないか?あやかりたい。使わせてくれ 」
「 いいけどそれ多分、俺の爪先やら産毛やらを持つ羽目になるぞ。気持ち悪くないか? 」
「 リアル“爪の垢”かぁ… 」
「 煎じて飲めばいいの? 」
「 うーん爪の垢でいいから、欲しくなりそう。試験前日になったら… 」
「 それじゃあ金に困ったら、作って売ることにするよ 」
買えよ?とガラハッドは冗談を言って笑った。
そのあと手早く濃くだした紅茶を飲み干すと、懐中時計を見やりながら腰を浮かせた。
「 もういいの? 」
マーカスが怪訝顔で言った。
「 ああ。マクゴナカル先生に、このあとよばれてるんだ。一度寮に帰って、荷物を置きたいし 」
「 俺が持ち帰ってやろうか? 」
「 助かる。ベッドの上にでも、放り投げておいて 」
ガラハッドはロジャーに布鞄を渡した。怪訝そうにマーカスが、アップルパイを食べながらもう一度言った。
「 どのみちもう行くの? 」
「 ああ。校長室には、これまで行ったことがないし。階段は信用ならないだろ? 」
「 破格だなあ… 」
しみじみとマーカスは言った。彼はもうガラハッドのことはもう、一種の希少生物か何かだと信じている。
「 どうかしてるよ、その優等生ぶり。あれでしょ、“五分前行動”、でしょ? 」
「 良し悪しだと思うけどな 」
「 アジアでは普通ですから 」
珍しくロジャーとチョウの意見が割れた。
またあとでと言い残して、ガラハッドは一味を抜けた。
後になって思うと何にも考えず、気楽でおめでたい行動だった。
142あるというホグワーツの階段を、ガラハッドはまだ三分の一も通ったことがなかった。「不真面目だと思われないようにしなくては」という時期を超えると、ガラハッドは、この城では敢えて迷ってみたいと思うようになった。
「校長室はどこ?」と、ちんちくりんな肖像画の騎士に訊ねて、おかしな行進のすえに嘘を教えられたって別にいい。
そうやって、見たこともないところに行きついたときは、ひとりでふらふらと調度品を見て回るのが楽しい。
方位磁針ひとつを頼りに、今どこにいるのかを考えるのも楽しい。
木で出来た扉たちはみんな悪戯者だけど、決まって優しいから、散々寄り道をしながらでもガラハッドは、時間通りには校長室に着いた。
当たり前のように教師用の扉から出てきたガラハッドに、目を丸くしたあとマクゴナガル先生は、張りのある声で威厳たっぷりに言った。
「 オリバンダー・ガラハッド! 」
組み分けみたいな口調だ。
なんだなんだと思ってガラハッドは、きょとんとして彼女を見上げた。
「 今宵、予言の月が出ます 」
「 予言の月? 」
「 左様。千の満月の夜に一度ごと顕れる、精霊ジンです。本校では、予言の月の夜に一人だけ、禁じられた森の泉で予言をしることができます――――それが今夜です。今夜は寮に戻らず、時刻までに身体を清めなさい。 」
ガラハッドは、何を言われているやらイマイチわからなかった。
てっきりアニメーガスへの登録の件でよばれたのだと思っていたので、とぼけた反応をしてしまった。
けれど「はあ」とか「というと?」などの聞き返しが、許されない空気であることは肌でわかった。
島嶼の岩壁のような皺をたたえたダンブルドア校長が、マクゴナガル先生の背後から、ずっとこちらを見ていたからだ。
そんな校長先生の顔を見た途端、半鐘のような速度で胸が脈打ち、ガラハッドは全身が心臓になった。
いつも大広間の最上座で見かけている、優しそうな姿はそこにはなかった。
真珠のような銀のあごひげを光らせて微笑む、大魔法使いはそこにはいなかった。
「 支度をなさい、
逆らえぬ響きを宿して、マクゴナガル先生は静かにそう唱えた。
■ここまでずっと戦前作品をオマージュしてきましたが、主人公が鷲となっていくくだりの元になった『われに五月を』は、戦後の作品です。のちに「言葉の錬金術師」と呼ばれるまでになった寺山修司少年が、日常のなかに戦死した父の影を探し、なんにも遺ってはいないから、夕焼けを「父の遺産」ということにしたり、我を統御するかのごとく天を舞う鳥に“父”を感じたりする歌集です。もしも主人公が本当に人並みで、旧制中学を出たあとしばらくして結婚し、終戦前に子供をもうけていたら、その子は寺山修司世代です。
■「このビヂグソがぁぁぁ」はジョジョ3部マライアの台詞。