ホグワーツの教師用地図を眺めて過ごすうちに、夏は盛りを過ぎていった。
親のいる生活というのはむず痒いもので、アラベールはガラハッドの身長を測りたがり、居間と工房の境にある家の中で一番大きな柱に、いそいそとナイフで傷をつけた。当たり前のように一緒に買い物に出たりガラハッドのしている宿題を点検したり、自分の部屋を開いて錬金術について教えてくれた。ただし彼はガラハッドが賢者の石をどうするかについて、一切の口出しをする気はないらしかった。自宅に置いておくうちはどうするべきか尋ねたときに、彼は珍しく小言をいったのだ。
「 尋ねるな。私とお前は、それぞれ異なる
ガラハッドは、声色からアラベールが真剣であることだけはわかったが、今度からああいうのは書き留めておかないと、調べるにも困ってしまうし全然意味がわからないなとたっぷり思わされた。初めてアラベールのあの一面を見たが、とにかく錬金術師というのはどうかしている生き物で、彼らのいう“鷲”は実際の鷲ではないし、“水銀”も物質Hgではない。端的にいえばすべては象徴なのである。本質を理解してとらえねば惑わされ間違えさせられ、泥炭から金を得られたつもりになっておめでたく喜ばされてしまう。
基礎的な化学だと決めてかかっていて、ずいぶんな目に遭った。夏休みのあいだにガラハッドはいろいろ教えられたが、そのたびに前述のような語り口に苦しめられて、「難しい分野ですね」と弱々しく相槌をうつのが精一杯だった。そのたびにアラベールは言った。
「 そうでもない。ほら今も我々はこうして燃焼しているし、あらゆる信仰とは関係なく、この宇宙に錬金術の体系は絶対的に“在る”。絶対的に在る真理が、見えない者は単に修行が足りんのだ。秘術への取り組みがその修行になる。 」
「 はあ…。 」
“燃焼”というのはまた何かしらの隠語なのだろうし、意味がわからないけども…。
ようは目指すところと取り組みかたは仏教、それも密教と同じなんだなと思うと、親しみだけはかなり湧いた。普遍的な
「 樹は子を導くでな。うちでは、悪いもんは使わん。リンボクの樹はよく選ばねばならん。さもないと――――保護、されど復讐。不和は陰湿に、持ち主に死を招く。 」
夏休みの終わり、ガラハッドは他の生徒より一足先にホグワーツに至った。
「 此処を使いたいんです。 」
ダンブルドア校長先生が特別に、ホグスミード経由でガラハッドを、新学期が始まる前に招いてくれたのだ。職員室の入り口にて、やってきた宿題を見せる心地で、ガラハッドは地図のなかの一部を指さした。地図の中ではミセス・ノリスを示す点が、うろうろとそこを歩きまわっていた。
「 ほう!これはまた面妖な。普通は隠すといえばベッドの下や、クローゼットの奥ではないかね? 」
「 だって目立つでしょうここは。ここの階段はわざと人を遠回りさせたがるから、きっと誰かが迷い込みます。 」
「 何がしたいのですかオリバンダー? 」
「 噂を広めたいんですよ。 」
「 噂を?それはどんな…。 」
「 そりゃあ当然、“今年のホグワーツには、何かが保管されている”という噂をね。賢者の石は、使い方を知らない者からすればただの石です。宝石にしてはお粗末だ。問題の使い方は、それを知っている人物が世の中に何百人何千人もいるようなものじゃない――――石を使いこなせるのはおおよそ、特に優秀な魔術師か錬金術師、僕以外の
くしゃりとはにかんでガラハッドは笑った。
「 僕は、僕の取り分を狙っているのは誰なのか、誘い込んで暴いて挨拶をします。ちょうどいい自己紹介になる。子孫会の一員として、いつかは、いずれしないといけないことだ。 」
「 なんと…! 」
「 だから、死なない程度の罠をいろいろ考えてきたんですよね。 」
ガラハッドがポケットから手帳を取り出してくるうちに、ダンブルドア先生とマクゴナガル先生は黙って顔を見合わせた。
めいっぱい伸びあがってフリットウィック先生が、ガラハッドの手帳の中身をその目で見たがった。弾んだ声でスプラウト先生は
「 凄いわね。まさにレイブンクローっ子だわ! 」
と叫んだ。まだ夏休み中の職員室にはもうひとり、嫌そうな顔をしているスネイプ先生もいる。
「 良い競争心ですよオリバンダー。尽きぬ勝負欲が我々を高みへと導く!私も、若いころは決闘に入れ込んだものです! 」
甲高い声でフリットウィック先生ははしゃいだ。
「 ―――え?はあ。 」
ガラハッドは瞠目した。たしかに、俺は、一年前にもこの人にずいぶん喜ばれて、そして一年間でだいぶレイブンクロー寮に、どっぷり染まったかもしれない。
高所にある部屋は気に入っているし、持ち物は自然と青系を選ぶようになった。もう他の寮での暮らしは考えられず、「嫌だ」や「向いてない」と思うこともない。
目をぱちくりさせてガラハッドは虚空を見上げた。
今となっては、あんなに思い悩んだ入学式の日のことを思うと、狐に化かされたような心地になって凄く変な感じだ。だがしかし、「なるほど組み分け帽子は正しかった!」と思うかというと、「そうでもない」とガラハッドは思うのだ。あんなものは街角の手相鑑定士の言うことと一緒で、何を言われても少しは当たったような気がするのではないか。
だがこうして穿った物の見方をするのも、ひとつのレイブンクローらしさなのだろうか?
環境が自分を変えたのでは?と、なんとなくガラハッドは思ってしまう。
( 正直、八割環境だと思うんだよな~。 )
入学式の大広間でも、ガラハッドはそんなことを思っていた。
今年も大広間の天井は、数多の燈明がはるかな天空に向かっていくようだけれど、今日はほんのり天気が悪くて、頭上ではときおり稲妻が光っていた。
おざなりな拍手で組み分けを称えながら、冷静な気分でガラハッドは新入生を眺めていた。
( だってこれ11の子らだぞ? )
才能より何より、九割がた親のしつけの影響じゃないのかと。
林檎みたいな頬を輝かせてぽてぽて歩く新入生を見ていると、どうもそういう発想が強くなってしまう。
制服の一環として着用することになっているローブの、裾を捌いての歩き方がさまになっているか否かで、魔法界生まれかどうかまでわかるというものだ。
近頃確信したのだが、どうも自分は魔法界では相当名の知れた古い家系に生まれ、当代の賢者とされる者たちから最高の教育を施されてホグワーツに送り出されている。真言宗醍醐派総本山の、醍醐寺の子が高野山に入るみたいなもんである。そりゃあ専修院での振る舞いは、箸の上げ方から襖の閉め方までピカイチということになるし、そうでないと逆に恥ずかしい。だらしない姿を見せては家名を汚すし、親の愛情に報えないだろうと今更に理解した。そして、元はといえば末寺の倅だった俺には、反対の立場のこともとてもよくわかる。このような場で、今歩いていったマグルっぽい新入生みたいな、真剣な無調法者を嗤ってやんわりと蔑むような輩はクズだと言っていい…。
「 見て! 」
くっだらない私怨を思い出していると、脇からマーカスに強めに小突かれた。
「 あの子、額に傷が――――ハリー・ポッターだ!あそこにハリー・ポッターがいる! 」
「ええっ」「どこ」などの囁きがたちまち重なって広がって、マリエッタもロジャーも、マーカスが指さすほうにむけて一斉にうんと背伸びをした。
前に倒れても後ろに反っても目当ての子を見られなかったチョウは、抗いきれずに腰を浮かせて、「座りなさい」とペネロピーから叱られた。
「 どこ?――――どこ?どこ?“生き残った男の子”よね!? 」
彼女は悔しそうだ。そんな顔をしなくても、呼ばれずにのこっている新入生はもうわずかなんだから、そのうち“例の子”は壇上にあがるだろう。おごそかな身振りでマクゴナガル副校長が、いやにたっぷりと間隔をあけて、みんなの待ちきれない顔を楽しむみたいな声色で言った。
「 ポッター・ハリー! 」
どよめきが、はやくも天井までたちのぼった。
ガラハッドは、こんなに注目されながら帽子に近づいていく男の子を、自分のときのことを思い出して、少し気の毒に思った。
ハリー・ポッター。
“例のあの人”を倒した男の子。
名前ばかりはとても有名なのに、これまでは、一体どこでどう過ごしていたのやら。
足の滑らせ方が不慣れで、不器用でもどかしくて見ていられなかった。
緊張しているのか…。ガラハッドは、ついつい伸びあがってはらはらと目でハリーを追い、息をつめて彼の組み分けの様子を見守った。
随分と悩まれている。
こちらには雑な対応だった組み分け帽子も、あの子にはうにゃうにゃと何やら考え込み、何か話をしているようだ。
「 ―――…。 」
待ち時間が長かった。長い暇があると、ついつい要らぬことを考えてしまうものだ。
ずっと前からだが、ガラハッドには、あのハリー・ポッターこそ、この魔法の世界の象徴のように思えていた。
命ひとつ投げ打つという、たったそれだけのどこにでもよくある振る舞いで、母親に護られた子供だなんて――――それが特別視されるなんて、ちょっとご都合がよすぎて、魔法のない世界では考えられないから。
嗚呼もとの世界にも魔法があったら、あの子だってまた別のあの子だって、絶対に生き延びただろう。
あの母親が、代わりに死んで生きさせただろう。
そんな最期を、僧侶として兵士として、ガラハッドは何度も見てきたし、ことは母と子に限らないよなと、以前からずっと冷ややかに思っていた。
自分だって、前の世界に魔法があったら、誰かのひとりくらいは必ず護れたはずだ。
誰しも自分ひとりのために戦ったりなんかしないのだから、みんなみんな、その筈だ。
そういうわけで、端的に言えば僻みでしかない思いをガラハッドは、かねてから、かの有名なハリー・ポッターのエピソードに対して抱いている。
やがて組み分け帽子は、ハリー・ポッターの頭上で「グリフィンドール」という雄叫びをあげた。
割れんばかりの大歓声が赤組を揺るがせ、こちらでは落胆の息が漏れているが、ガラハッドにとっては結果は予想通りだった。
“英雄”なんだからグリフィンドールだろう。
冷ややかにガラハッドは紅茶を飲んだ。
だいたいなんで“あの子”が英雄扱いなんだか。
英雄視するというなら、たまたま護られたあの子ではなく、死んでいったリリー・ポッターをみなみな讃えるべきではないか。
いやいや、その程度の女どこにでもいるのだが。
うーん、いけない。この僻み根性はよくない…。
「 話しかけてみたいな。 」
頬を上気させてロジャーが言った。
「 あー…うん。 」
お目めキラキラさせちゃってさ。
そうね~、やっぱり君たちは、天使ね~~~。俺の汚れた魂を洗い流してくれよな。そんな思いで苦笑いのガラハッドは、黙って同級生を眺めた。
あたりの囁きは、止まらなった。席に着いたままチョウとマリエッタは、今しがたの組み分けの結果について、ぐるぐると辺りを見回しつつ火のついたようにお喋りをしていた。落ち着きのないロジャーとマーカスは、今日は食事よりも自寮の新入生たちに顔を売りにいくのに忙しいようだ。ゆっくりと茶のカップを傾けて、ガラハッドは目当ての宣言がいつ出るかと職員席を睨んでいた。実際睨んでいたわけではないが、元の目つきが怖いので、高貴にして峻厳な先輩だと、可愛い新入生たちからは見えたのであった。
ガラハッドは待っていた。四階廊下についての告知が、ダンブルドアによって、この場で出されるのを。
それは組み分けが終わって、新しい先生の紹介があって、金のゴブレットと皿から湧き出す素晴らしいごちそうを、腹いっぱいに詰め込んだ子供たちが校歌を歌ったあとに、「音楽に感動した」というダンブルドアによって、ようやくぴしゃりと語られた。
長い話ではなかったが、偉大な校長先生がキラキラッとした目で言うことであるので、さしものあの赤毛ボウズたちも、「そいつは仕方ねえな」みたいな顔で聞いていた。
「 最後にじゃが、とても痛い死に方をしたくない者は、今年から四階の右側の廊下には入らぬことじゃの。 」
愉快な口ぶりだが、これに笑ったのはのんきな新入生だけだった。
こういう言いつけは本気で守らないと、マジでヤバい目に遭うのがホグワーツという学校である。
ガラハッドは、仕込みを思い出してクスリと笑った。
事は手筈通りだ。
ガラハッドは、背筋を伸ばして極力視野を広くし、誰がどんな顔をしているか見ながら「諸君!就寝時間!駆け足!」の号令を聞いた。走り出しながらも近くでは早速マーカスたちが、「ねえねえ、何が出来たんだろう?」とぺちゃくちゃ噂を始めてくれた。
「 呪いの部屋が現れたんじゃない?ほら、古代の呪文がのこってるっていう… 」
「 ドラゴンが飼われ始めたとか? 」
「 それはないわ。何のためによ? 」
そんな会話がすぐそこから聞こえるし、きっとここそこで交わされている。
さあみんなさっさと寮に戻って、なんでもかんでも書き留めたようなお手紙を、せかせかとママのもとへと送るんだ。
はてさて本当の置場所は、どうしようかな。
ガラハッドはこれについてはまだ決めかねて、ダンブルドアたちに対しても、「まだ考え中です」と言ってあった。今のところ変身術で杖の形に変えて、ガラハッドは普通に賢者の石を堂々と持ち歩いている。賢者の石も杖も魔力が高いから、その二つならば置き換えても、敏い者が見てもわからないはずだ。
大広間からは列の中腹について、真っすぐにレイブンクロー塔へ向かった。螺旋階段ではこちらを杖店の子と知る新入生たちが、ちらちらと振り返ってどうしてか嬉しそうにしていた。
自室に至るとロジャーとマーカスが、荷解きもそこそこに案の定「手紙を書かなきゃ」とわいわい言い始めた。腕まくりで机に向かって、彼らにとってはこれが大仕事なのだ。その背中を眺めながら、ガラハッドは俺も手紙を書こうかなと、ほんの一瞬だけ、そう思った。ギャリックとアラベールは、ああ見えてこちらを重々心配していると思うし、彼らにそれぞれ手紙を書いて、賢者の石をどうしたか伝えようかと――――…いいやあのべらんめえで鯔背を粋とするおやじたちに、秘密ひとつ抱えられない甘ちゃんと思われるのは嫌だ。
ガラハッドは手紙を書かなかった。
自分の本物のほうの杖には古い方法にのっとり、おのれの根城の守護と破魔を頼むことにした。
イワシの頭・ヒイラギの枝の如く、ベッドの天蓋の内側に差し込んでおいたのだ。
ヒイラギの樹の枝だって、この世界では立派な杖である。
「もしもお前も~」から始まる賢者の石の製造法のくだりは、種村季弘の本を読むと意味が掴みやすいかと思います。真の錬金術師とは精神変容の術であり、即身成仏を目指す密教に似ています。実際チベットあたりでは習合しています。樹関連はすべてケルトでやっていますが、主人公は日本の樹木信仰も踏まえています。