時は五月。微かに淡く春の匂いがして、夜風は闇に蕩けて澄んでいる。芽吹いたばかりの草は柔らかく、天を、星が動いていく音が耳の奥に聞こえそうなほど静かな夜。四年ぶり二回目のこととして、ガラハッド・オリバンダーは夜に禁じられた森の深部に向かった。去年移動したところとは違って、木陰から城や校庭の見えないところを歩いた。
“予言の月”に遭ったあの日、ガラハッド・オリバンダーは単独だったが、今は傍らにアラベール・ド・ノアイユがいる。記憶を有して、対比したわけではなかったが、ガラハッドはそのことを心強く思った。話すでも視線を交わすでもなく、ふたりは迷わずに同じ方向へと進んだ。
(( …とりあえず、樹が賑やかにしているほうへ行ってみるか ))
彼らは急がずに最短距離を往った。
三校長から離れて、誰にも盗み聞きされそうにないところまで来ると、ガラハッドはアラベールにマリエッタからの情報を共有した。アラベールは深刻な顔つきで聞いて、いくらか他人ならではのシビアなことを言った。
「 はて…マダム・エッジコムは、クラウチの筆跡を見分けられるのだろうか?彼と彼女は役職上、日常的に書類を交わしていないだろう?娘のほうは、ただ母の受け売りをしているにすぎない。彼女たちは、何故それを新聞読者兼魔法省内部の人間からの嫌がらせだと疑わない?事実、マダム・エッジコムのしたことは魔法省の評判を悪くしているというのに 」
「 それはそうなんだが…それは、そもそもの様子見を依頼した俺から指摘できることではないな。…で、例の手紙が贋物だったとする場合、嫌がらせよりも濃厚な線があるよな?そっちは、ハリーからどれくらい聞いた?クラウチはハリーに、『逃げてきた』『闇の帝王』と口走ったそうじゃないか!ということは奴は休職中、弱っているところを何者かによって拉致監禁されてしまい、その手紙は事件の発覚を恐れた犯人による工作!…そういうことにならないか? 」
「 うーむ。だとすれば、何故クラウチは杖を持っていたのだと思う?我々は、何故いま杖を持った狂人に備えねばならない?もう後に退けんことをした、立派な狂人殿に 」
アラベールはとても疎ましげに言った。
「 たしかに 」
ガラハッドは自説を撤回した。
こうしてヒソヒソと話しながら、ふたりは、樹から樹へと手をついて森の中を移動していった。杖のほうは灯りに使っているので、この暗い中そうすることは重要だった。
ここからは下り坂になるようだ。
アラベールは、少し立ち止まって辺りを見回しながら言った。
「 わたしは、クラウチは拉致されていたわけではないと思う 」
アラベールは樹々へと言い聞かせるようだった。
ガラハッドが間近まで追いつくと、アラベールはちゃんと人間相手かのように言った。
「 そうだろう?お前も、人間を拉致監禁するなら、そいつの杖は奪っておくだろう? 」
「 やったことあんの? 」
「 失礼な。一般論としてだ 」
「 あんたが言うとそうは聞こえなくて… 」
ガラハッドは本気で弁解した。
「 …ところで、ハリーからこれも聞いたか?どうもクラウチには、ハリーが俺に見える瞬間があったようだな。クラムの奴も、きっとクラウチから俺だと間違えられたんだ 」
「 聞いた―――だとしたら、“失神”程度で済むのか甚だ疑問だよ 」
アラベールは重々しい声で言った。
彼は振り向かなかった。
ガラハッドは、ハッとして自身の平和ボケを実感した。
そっか…たしかに、自分は、なんとく、狂ったクラウチはクラムに失神光線を浴びせたあと、「逮捕だ~ッ」と喚いて周囲の樹が従わないことにキレて、そして人体のまま虎にでもなってどこかへと走り去ったような想像をしていたが…―――これは、昔読んだ『山月記』に引っ張られて作り上げたイメージだ。端的に言えば何の根拠もない。
ガラハッドはそれきり無口になった。
アラベールは、歩きながら何度もガラハッドがどこにいるかを確認した。
「 おい、もっと近くに来い。わたしが灯しておくから、お前は、その杖をすぐに使えるようにしておけ。こうなったからには、我々は徹底的に勝つぞ。今夜で、すべてを終わらせてしまうのがいいだろう。手加減不要。ダンブルドアの都合など知るものか 」
ガラハッドは言われた通りにした。
アラベールは、ガラハッドが近くに寄ってくると、その横顔が宿す翳がひどく気にかかった。ニコニコしていろとは思わないが、そんな調子では危うくて仕方ない…。
アラベールはつい饒舌になった。
「 しっかりしろ。クラウチの奴がこのような動きをとったことは、自然現象として起きたことだと思うのがいい。熟れた林檎は落ちるものだ。落ちた林檎が砕けたとき、その原因は高さと質量、落下地点の硬さ等にある。断じて、高々と輝いていた林檎を見て、ああ憎いと思った心が原因ではない。いくら揺すってやったところで、熟れていない林檎は落ちてこないものだ 」
「 いいんだ、アラベール。やめてくれ。俺は、都度後悔して憂えているくらいでちょうどいいんだから… 」
「 ふぅん、ちょうどいい、か。わたしには、現在の調子ではお前はオトナをやっていけんように見えるが?いいかね、巷には、良心も誇りもない奴にはせずに済む戦いが多い。お前は、これからもそれらを怯まずにやっていくために、構造の中の自身の立ち位置に、どこかで折り合いをつける技術を身に着けるべきだ。大抵の人間は、その者らしく生きているだけで誰かにとっては不快で有害だ。そう見なされる地位から降りるために、すすんでか弱く惨めたらんとすることは無駄だ。そんなのは、そいつが卑怯になる以上の何の結果も生まない。お前は、ああ今日も草を踏んでしまったとは嘆かないように、ひととき奴隷労働のこととは切り離して紅茶とチョコレートを楽しみ、それを活力として現状を変えるような… 」
「 ああ、もう、うるさい!わかった。というか、それくらいわかってるから! 」
「 わかっている態度をしていれば初めから言っていない 」
アラベールは説教をやめなかった。
ガラハッドは本気でイライラした。なんだコイツ?よりによって今その話をする必要はあるか?ガラハッドは、「クラウチは狂気を装っていただけかも!」と、「黙れよオッサン」の意味を込めて低く唸った。
「 狂気を装って、俺たちが捜索に駆り出されるように仕組んだのかも―――だとしたらあいつには
「 馬鹿め。いま気づいたのか?だから私は、最初から油断するなと言っている!我々を森に誘いこんだということは…フンッ、何人連れて来たのやら見ものだ。長く姿をくらませていたあいだ、奴は仲間を集める旅をしていたのだろう―――“持続可能な発展のための騎士団”。ハッ、おいたわしい格好のつかなさだな! 」
アラベールは吐き捨てるように言った。
ガラハッドはゾッとしてしまった。
それでは、自分が渦中にいるこの抗争は、クラウチ家が絶えても終わらないではないか。今日来たクラウチの仲間は全員潰して、一生を森の樹に縛られて終えてもらうとして…。それでも、その者たちに兄弟や妻がいて、何をしにいくか言って家を出て来ていたら、たった三人のオリバンダー家は、今度はその者たちと戦っていかなくてはならない。
…OK、OK、そんなのってもちろん回避したい未来だ!
ガラハッドは非常にオリバンダーらしい判断をした。
「 理解した。全員、『気の毒にも森で杖を落っことしていたところを保護』だな? 」
「 ああ。ご家族には感謝していただこうじゃないか。聖マンゴには少々申し訳ないがな。そのときは、ベッドぐらい寄付してやるとしよう 」
「 忘却呪文でいい? 」
「 ああ、十回も喰らわせればぶっ飛ぶ。そこからは、怖~い怪物の登場にでも期待したいところだ。『襲われたショックで』というストーリーは素敵だ…どうせこの様子の森ならば…いきの良いのが、何かいるだろう?ッッッうお!? 」
アラベールは突然奇声をあげた。樹液でも露でもない手触りのものが手に付着して、光に翳して見たらそれが赤かったのだ。アラベールは飛び上がり、サッといま触れた樹のほうへ杖明かりを向けた。
ガラハッドは立ち止まってくるりと反転した。
ガラハッドは、アラベールと背中合わせになることで、無防備になった彼の死角に鋭く目を凝らした。五月だもの、樹皮や木の芽が噎せかえっているから、間近に来て、一瞬現物を見るまでわからなかったが……血だ。土や苔の匂いのなかに、たしかにそれとわかる臭いが一定入り混じっている。
ドクンッと、全身の感覚が鋭敏になる。
銀の霧が出ているここを、不思議と亜熱帯の密林だと思う…
…―――戦争の記憶が蘇った。
「 ―――…ッ! 」
一方で、アラベールは胡乱で怪訝な顔つきをしていた。
彼は、自身が手をついた樹の幹をじっくりと見て、この血痕が自身の肩ほどの高さにしかついていないことに注目した。人間の男性の血だとすれば、これは、この樹から少し離れたところで、胸から首のどこかを薙がれて吹き出した血ということになりそうだった―――まるで、死神に大鎌を振るわれたかのように。
血飛沫のもとを辿って、アラベールの目は暗い虚空へと至った。
アラベールとガラハッドは、それぞれが遺体と敵を探して、しばらくのあいだ機敏にキョロキョロした。やがて、彼らはほとんど同時に発言して背中をぶつけあった。
「 ッ上だ!何故?吊るされたのか…!? 」
「 ッ動くな!押すな。あんたの、右斜め後ろ方向に…! 」
ガラハッドはじりじりと後退して言った。
すぐそこに、何が「ある」というべきなのか…。
…ガラハッドはちょっとうまく言えなかった。
そこには、誰も倒れてなどいないからだ。だがそこには、何かが起こった痕がくっきりとあった。
アラベールはルーモスを
アラベールは、自分側への光を手で遮りながら、目を細めてガラハッドの指さしている方向を見た―――そこでは、樹の根についた苔は抉り取られ、地面は浅く広く掘り返されていた。
アラベールは、急いでルーモスを元の規模に戻した。
「 おお、あああ、これは、不運にも熊にやられなさったな。こうやって、地面を掻いた痕があるのはそうらしい。ご愁傷様。クラウチは今頃近くで土饅頭に…。おぇッ 」
うぇっぷ!
アラベールは自滅していった。
彼は、無意識に杖を持たないほうの手で口と鼻を覆おうとして、べっとりと血のついた手のひらを顔面に押し当ててしまった。彼がひとりで悶絶している間に、ガラハッドはキョトンとしてしゃがみこんで足元をよく見た。
ガラハッドは、もっと光を寄越せとアラベールの杖腕をつついた。
「 おいアメリカ人。ここら辺にグリズリーはいないぞ?イギリスじゃ熊は絶滅しているはずだ 」
「 ハァ…ハァ…そうなのか?では、パディントンはどこからの疎開っ子なのだろう!? 」
「 知るかよ。ただの定番のぬいぐるみだろ? 」
「 一緒に寝ていたのに!もう興味はないというのかね 」
「 黙れ。あのさ、十五年も前の話やめてもらえます?ってかそれ絶対に言いだすと思ったよ 」
「 それはそれは…期待に沿うことができて光栄だ… 」
アラベールはふぅーっと肩で息を吐いた。
ガラハッドは頭が働かないでいた。
ああ困った、こんなときに笑っちゃうのは不道徳なんだけど…―――ガラハッドは、自分たちのエゴイストっぷりに呆れて微苦笑した。だって自分は、自分から「熊じゃないと思う」とか勢いで言い出したくせに、「これは、何の化け物が出た痕なのか」という疑問よりも、「誰という人間が襲われたか?」「そいつは、死んだか?生きて逃げ出したか?」ばかりが気になっている。
この口ぶりよ。アラベールだって明らかに熊とかどうでもいいと思っているだろう。
本当にすぐに解き明かすべきは、「これで彼我の一門の血讐は終わりなのか?」という、その一点だけなのだ。
親子は語らずして目で頷き合い、自動的に役割分担を終えた。
アラベールはまた杖明かりを大きくした。
ガラハッドはポケットからハンカチを取り出して、土の抉り起こされているところを手当たり次第にまさぐった。とても湿っている。おそらくは血であろう。いくら明るくしたところで、血と臓物の断片は土に摺りこまれて、剥がされて丸まった苔同様に黒く見えた。罪深い期待に逸らされて、ガラハッドは「白いの」か「金属光沢」を探した―――…この出血量ならばどのみち死んでいるであろう。
やがて、ガラハッドはちょうどいいものを発見した。
「 おっ、やった。釦つき!これ、魔法省のローブだ 」
ガラハッドはクラウチの服の断片を引っ張り上げた。
すると、黒い土の中から、ぐにゅっとしていて芯は硬い、生の骨付きチキンのような手触りの物も転がり出てきた。土ではなく、小麦粉にまみれていたならば、ちょうど一切れの揚げ物にされてしまいそうな小ささだった。
ガラハッドは勢いづいてその辺りをさらにまさぐった。
「 これだけかな?もし、逃げずにここで死んだっていうならば、毛とかは喰われずに残りやすいと思うんだが… 」
「 ぐえぇ 」
「 はいはいはいはい、ちょっ、やめろ! 」
ガラハッドは慌てて立ち上がった。
アラベールは盛大に身を屈めたが、絶妙に吐きそうで吐かなかった。とにかく、彼は案外神経が細いらしいのだった。
ガラハッドはアラベールを気遣って言った。
「 少し待って。あんたは、あっち向いとくといいよ 」
「 うぅぅ、悲劇だ。普通は、息子が親に『見て!』という顔をして突き出すものといえば、ツヤツヤの石とかカッコいい棒だろうが。それが何だ。お前は、何を 」
「 チッ、うっせーな。パパ、お利口にして待ってな!? 」
ガラハッドはまたしゃがんで採集物をひとつにまとめた。彼は、まるでとっておきのビスケットをピクニックに持って行くかのように、丁寧にハンカチを折って肉片のついた遺骨を包みこみ、その包みがほどけないようにローブの端切れで括った。
自分だったら、せめてこれで墓を建てて後世を弔ってほしいと思ったのだ。クラウチとは、望んで不俱戴天の立場に生まれ合わせたのではないのだから、自分は、“一ノ谷”のあとの熊谷次郎直実のようにするのが良いに違いない―――ガラハッドはそう強く思い入れた。
ざわざわと樹々が梢を揺らした。
風が、森の中を強く吹き抜けて、ヒュゥウッと笛のような音を立てた。
天籟である。
ガラハッドはすっと立ち上がりながら、まるでこの森には敦盛―――“草刈”という名の笛を吹く、熊谷次郎に殺された側の霊がいるようだと空想した。
…はて、いま現実を修羅界と重ねてまた
ガラハッドは、アラベールにクラウチを供養しようと話した。
ガラハッド・オリバンダーは混乱していった。彼は、ゆっくりと歩いて帰路につきながら、彼独特の迷走を開始してポカーンとした。
詳細をあれこれ言わなくたって、アラベールは非常に話が早かった。なんせこの男は、実はこうもグロに耐性がなかったくせに、かつて女神アーテナーに肖って“一人目”の心臓を拾いあげた魔法使いであり錬金術師である。だから、「
あんまり物分かり良く彼に賛成されて、ガラハッドはアラベールもまた役者であるように感じた。自分は、話せば話すほど透明になり、“自分”という役柄でしかないように感じた。
何だこれ?変な感じ。これじゃ、まるで、あれみたいだな。
うわあっ、これもまた、“森で起こること”を冷やかす役が言う台詞なんだった!?
ガラハッドはびっくりした顔つきのままで歩いた。なんだか、狐にでも化かされているみたいだった。な、なにこれ…別に、実は、とっても大がかりな悪戯を仕掛けられていて、いまに顔面にパイを叩きつけられるのだとしてもだ…―――本当に、本当にこの世界で、今度は修羅能が始まってくれるというのなら…!?
ガラハッドはくしゃっと幽かに笑った。
なんて嬉しい。すごい。記憶アリ転生者やっててよかった!
夢幻能のシテは、決まって神か亡霊だ。
まあ稀に、天狗とか鬼というパターンもあるらしいんだけど。
要するに、異界からの来訪者であるならば、その詳細は何だっていいのだ!―――ガラハッドはその役を務めてみたくなった。
アラベールは、呆気ないクラウチ家の滅亡が信じられずに、「夢でも見ているかのよう」という言い回しをした。途端に、ガラハッドは「来た!」と手を叩きたくなった。
そうそう、業深いオッサンよ、困惑もまた作劇のとおりだから、どうぞどうぞ変な顔つきをしていて!多分、伝わりやしないんだけど、この台詞ばかりは七五調でキメなくてはなあと思うんだ。
ガラハッド・オリバンダーはニヤッとして言った。
「 何しに夢にてあるべきぞ?現の因果を晴らさんために、これまで現はれ来たりたり! 」
ガラハッドは恥らわずに勢いで
ついに“二人目”の貌を覗かせたガラハッドに、アラベールは後に退けぬ覚悟で笑った。
■塚本邦雄『天變の書』。神を選らばば/覺むる王のための喇叭華吹etc…内容も良いんですが、ご興味ある方はぜひ書肆季節社版の表紙も見ていただきたい。
■荘子、斉物論篇、天籟問答
■世阿弥、修羅能『敦盛』…前シテとは正体を(異界の者だと)明らかにする前のシテのこと。夢幻能のうち修羅能のシテは決まって地獄から来ている。だって修羅だからね。
【呪文現代語訳】何しに夢にてあるべきぞ⇒どうして夢であろうか、夢のはずがないだろう/現の因果を晴らさんために、これまで現はれ来たりたり⇒(かつて熊谷次郎直実だった者よ、望まず殺し合った我々が囚われている)この世の因果を晴らすために、私はここまで(地獄から)やってきたのだ
■シェイクスピア『お気に召すまま』。そして「世界劇場」へ…。
■アラベールの宗旨はオルフェウス教