種族の言語は、はるか昔に奪われて滅んでいる。ウィンキーはこの呪文を知らなかった。それでも、彼女は直感でその古い魔法を再現してのけた。
もとより屋敷しもべ妖精という種族は、指先ひとつで充分魔法を使える血を持っている。彼女たちは、透明化・透明化破り・透視魔法に関しては、杖なしで杖持つ魔法族たちをはるかに上回る。しかも彼女という妖精は、毎日モップをかけてまわって、この城の構造を知り尽くしている。
ゆえに、此処に立つ、杖持つ団子っ鼻のウィンキーは断じて弱くない。彼女は、はじめから侮られるに値しない存在だ。ましてや今、彼女の手中には武器がある。
ウィンキーは地団駄を踏みながら喚いた。
「 いけません!いけません!どなたも、こっちにお越しになってはいけません!! 」
雷撃のような音がした。
ウィンキーの杖の構え方は、日頃火掻き棒を持つ方法そのままだった。彼女は、暖炉の炭を熾すかのようにそれを振り回した。そうやって、彼女が金切り声で“追い払い”を願うところ、杖先からは緑の火焔が放たれて、壁は割れ石は砕けた。すべては、粉々に吹き飛んでいくのだった。
間一髪!―――ガラハッドは壁越しの攻撃を避けた。
ウィンキーには、ガラハッドの居場所が影として視えていた。
ちょこまかと動き続ける彼のことを、彼女は憎らしい蝿のように思った。
「 坊ちゃま!坊ちゃま!ああっいけない子、ウィンキーはいけない子!もう坊ちゃまじゃなくてご主人様!いけない坊ちゃまはウィンキーめのご主人様!オリバンダーはご主人様に近寄ってはいけません!! 」
ウィンキーは少し頭を使った。彼女に行き先を撃たれて潰されて、ガラハッドはほとんど正面から石礫を浴びた。散弾の痛みだ。骨肉が燃えていく。痛みを感じれば、彼という人は鮮烈に思い出す―――こういうときは、足を止めた奴から先に死んでいく!
“次の一発”で影が消えたので、ウィンキーは
ホグワーツ城は崩れつつあった。外側は堅牢であるままに、この城は内部に風穴が空きすぎた。
然れども此処はロウェナ・レイブンクローの城。
石材、木材、ガラス片。
破砕された“建造物だったものたち”は、常人には予知できない軌道で乱れ飛んだ。竜巻が起きた。万物は螺旋状に動いたのだ。
終末が来たかのような惨状に、肖像画たちもまた逃げまどった。だが、石に叩かれ、ガラス片に刺されて、もと居たキャンバスがひしゃげて裂けてまた呪文を浴びると、絵の住人たちは逃げても無事でいられなかった。せっかく安全な額縁の中にまで来たというのに、“真珠の耳飾りの魔女”は壮絶な悲鳴をあげた。
超 現 実 の到来である。
再構成されていく城に在って、マクゴナガル先生は“彼女”の死を目撃した。
否、厳密にはそれは死ではないだろう。
とにかく、この
そのときウィンキーはすっくと立ちあがった。
彼女は、横たわるバーティを揺さぶることをやめて、目覚めない彼を自分に縛りつけたところだった。かつてそうしたのと同じように、大切な坊ちゃまを自分の背中に負ったのだ。重すぎるとか大きすぎるとか、そんなのは魔法があれば問題にならない。愛こそ最強の魔法である。
ウィンキーは恐怖なんて忘れていた。
ウィンキーは窓から逃げようとして、部屋の調度に目を走らせて金切り声をあげた。
「 来るなああああああッ 」
超高音。
ウィンキーは言葉ひとつで“敵鏡”を割った。
だが、それでも
ガラハッド・オリバンダーは到来した。
足場を失い、奈落に落とされていくなかで、彼は破裂した水道管の水、その飛沫と光とに没入したのだ―――
This way!
彼は、宙に舞う粉々の鏡から現れて杖を振った。
光線と光線が激突した。
はなから傷だらけのガラハッドは、血を撒き散らしながら廊下に弾き飛ばされた。またしてもマクゴナガル先生は目撃者となった。連続で杖を振り回して、ウィンキーはとうとう自分たちのいる部屋まで破壊した。床は聳え天井は沈み、礫岩はただちにガラハッドを圧殺しにかかった。
マクゴナガル先生は叫びながら杖を振るった。
「 わたしの生徒に何をする! 」
バチン!―――光線は発射されなかった。
ミネルバ・マクゴナガルという魔女は、ただちに目に映るすべての石たちを羽毛に変身させた。ぐはっとガラハッドは自由になり、血を吐いて大きく息を吸った…ヒューヒューと息が漏れていく…ガラハッドはギロッと目を動かした。
それは、天使が舞い降りたような光景だった。校庭から異変を見上げていた者たちは、まさしくそう見なして大きなどよめき声をあげた。突然城の一郭が消えて……いいや正しくは、壁も床もすべて羽根になって、シャボン玉のように弾けて、雪のようにひらひらと舞い落ちてきたのであるから。
四階の高さから落ちることなんて、元クィディッチ選手には怖くなどない。彼は鷲になって飛んでいく筈だと、マクゴナガル先生は信じていた。力なく落下していくガラハッドに、マクゴナガル先生は空中で悲鳴をあげた。
「 オリバンダー! 」
悲鳴は悲鳴に掻き消された。
ウィンキーはそのとき思い出した。彼女は、高いところが怖い性分だった。だが、愛ゆえに彼女は目を瞑らない。
至急!地面への激突回避!―――マクゴナガル先生はガラハッドのために浮遊術を使ったが、ウィンキーはホグワーツでも姿くらまし・あらわしができた。バチン!という音がしたとき、ウィンキーは大地を踏みしめていた。ウィンキーは杖を振り上げて叫んだ。
「 来…ッ!! 」
「 アバダケタブラ 」
ガラハッドは低く呻いた。
重かった石にガツンと挟まれたのだ、クソほど骨を砕かれて、ガラハッドはぐにゃぐにゃに成り果てていた。くらくら、くらりの失血感。自身も羽根のようになりながら、彼は緑の閃光で、小さなちんちくりんの的を射ぬいた。
マクゴナガル先生は驚いたが、とりもあえずガラハッドを地上におろした。こんな呪文でなかったら、わたしは、この技術をたまらず褒めちぎったでしょうにと思った。どんな酩酊のときにだって、彼は優雅に踊ってみせるのだろう―――マクゴナガル先生はそれ以上考えないようにした。
「 ターナー!医務室に走りなさい 」
マクゴナガル先生は居合わせた監督生に命令した。
コロン…と杖を取り落としたウィンキーは、あやした子に逆に背負われる立場になった。背中に強烈な衝撃を浴びて、クラウチ・ジュニアは意識を取り戻していた。だが彼は、目も口も半開きで、芝生に足を投げ出して、背を丸めてぼーっとしているばかりだった。
最期まで、彼は訳がわかっていなかっただろうか?それとも、強烈な尋問を受けたあとの身体で、指の一本も動かせないままに、起きたことのすべてを理解して、静かに深く絶望していたのだろうか?
霧のように寄って来た吸魂鬼によって、この者はただちに接吻を受けた。
バーテミウス・クラウチ・ジュニアは死んだ。
魔法省の役人たちは泡をくった。あっという間の出来事に、マクゴナガル先生は大激怒した。ガラハッドはすっかり死にかけだったが、特に吸魂鬼に寄ってこられるわけでもなく、存外意識のほうはハッキリしていた。彼は、捻じ曲がったズタズタの肉塊となって、うつ伏せで地面へと滾々と血を吸わせていた。錯綜する声たちのなかで、甲高い声は耳についた。
ガラハッドは目を伏せてそれを聞いていた。
ひとつ、引き続きガチギレのマクゴナガル先生の御声。
ふたつ、ベアトリーチェ・メディシスからの声かけ。彼女は、必死になってこちらの意識レベルを確認してくれている。
それから、ガラハッドは医務室に運ばれる前に、キンキン声のドビーの悲嘆を聞いた。
「 ああっウィンキー!ウィンキーは良い子!ウィンキーは、立派な屋敷しもべ妖精でございました!恥ずかしくなんかございませんでした!ウィンキー! 」
彼だけが彼女のために泣いているな…。
―――ガラハッドはそのように思った。
嗚呼ここに、ひとつの
『五族協和』なんて絵空事だ。魔法族、小鬼、水中人、巨人族に屋敷しもべ妖精。それぞれの利と道義を貫くならば、諸族らは時に殺し合いを避けられない。
かつて、これの反対を唱えたから、このほど罰を受けたのかな。
グレイス・オリバンダーと同一の血を、ガラハッドは刻々と失っていった。
■癖つよ戦闘といえばエヴァかなと
■有神論的実存主義者リルケの作中の天使概念。これはカトリックの天使とは無関係。
■אברא כדבראはアラム語。アラム語にしろヘブライ語にしろ、ネタ設定に借りてるだけで、実際には滅んでいません。ただ有名呪文の語源説の一になったりキリストが喋ってたりしたような時代の言葉と、現代のそれとは違う。そんなの何語だってそうですけど。
■『五族協和』は満州国のスローガン。和、朝、満、蒙、漢