0〜4巻編までに登場した魔女と魔法使いたちの、分解再構築前の姿。
勝手に蛙チョコレート2
ファウスト博士
強欲な非実在
15世紀~16世紀に実在したとされる、ドイツの民話・伝説の登場人物。「神に関する知識よりも人間を愛した」という理由で不可逆の呪いかかる男であり、人からは「神学者」ではなく「医者」と呼ばれたがるキャラクター。詳しくは「錬金術師」「降霊術師」「学問の職人」「技術者たる魔術師」などなど。
このような彼の設定の詳細と、悪魔と契約した期間の後、救済されるか地獄に堕ちるか、悪魔から魂だけとられるのかバラバラ遺体にまでされるか否かの結末は、それぞれの物語や劇の台本によって異なる。
彼が契約する悪魔“メフィスト~”の名前にも微細な揺らぎがあり、ギリシャ語に寄せて解釈するなら“光を愛せざる者”、ヘブライ語に寄せるなら“破壊的嘘つき”のような意味合い。ヒロインの名前は、大抵の場合共通して“グレートヒェン”。
現在では19世紀のゲーテ版が有名。
カール・マルクス
プロイセン生まれの無国籍者
彼のギムナジウム入学の年は、フランスで七月革命が勃発した年。彼が15才のとき、彼が在学していたギムナジウムは、自由主義で革命的な教師・生徒が多かったので、政府からの監視・弾圧を受け始めた。
詩人志望だったが、このとき校長監視のために着任した古典担当の副校長からは、「凡庸で悪筆」だと酷評されている。なんか…彼は、その後、確実にこの15の日の体験が人格形成に影響を与えていると思われる人生を送っていく……そして決闘クラブへ…。
「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という名の妖怪が!」
やがて彼は、この一文を皮切りに、自分たち活動家を“退治”しようとしている保守主義者の同盟を笑い飛ばし、この宣言を以て、共産主義はもはや“怪物の御伽噺”などではないとしてのけた。亡命者の身で、この『共産党宣言』はロンドンで書かれた―――この呪文本の威力は言うまでもない。この本の前にも、エンゲルスと連名で『聖家族』などを書いている。
余談だが、『資本論』にて彼は商品交換社会の価値分析の点で、近代資本主義社会のことを「魔法にかかって逆立ちした世界」と呼んでいる。私たちは、魔法による反転のもとで生きているのです。
J・J・バッハオーフェン
スイス生まれのマッド人文学者
マルクスとほぼ同年齢で、マルクスと同じ時期にベルリン大学法学部に在籍し、マルクスと同じ教師たちから古代ローマ法について学んでいた人物。法学の基礎研究者であり、今でいう文化人類学者。ベルリン大学卒業後はバーゼル大学のローマ法教授になった。
しかし、「太古には、母と女神を中心に考える母権社会があった」とする論文を発表したことで、当時の関係諸学会から干されてたった二年で退官。エンゲルスは彼の『母権論』を高く評価したが、この本の内容は人口に膾炙するうちに…???
以後、原始の社会像を巡って、外野はクソほど争っていくが、本人は地元に帰って静かに判事業を務めた。
ノヴァーリス
神聖ローマ帝国の貴族
初期のロマン主義作家で、マルクス、バッハオーフェンのふたりよりも50年ほど前に生まれた男性。婚約者の死をきっかけに、非常に魔術的神秘主義的な文を書いた。
代表作は、婚約者の墓の前で霊感を受けて紡いだ『夜の讃歌』など。
本人も夭折したため、前の二名との関りはなく、残されている作品は少ない。
しかし、後世に与えた影響は秘かに絶大。
バッハオーフェンが『母権論』を発表した頃、「イシス神殿の碑文について取り上げること」は即「オカルト」だと思い込まれやすかったのは、大体この人ノヴァーリスのせい。彼の作品に人気がなければ、バッハオーフェンの苦労は少しマシだったかもしれない。
法を敷く原母イシス
古代エジプト文明の大地母神
一度はキリスト教に吸収され、その神殿は聖母マリア教会とされた
その碑柱には、「吾れはあらゆる国の王にして、ヘルメスによって育てられしイシス。わが制定せし法は、なんびとも廃止すること能わず。吾れはかつてありしもの、今あるもの、また向後あるならんすべてなり。わが纏う外衣の裾を、死すべき人間の、ただ一人もひるがえすことなし」と刻まれている。
フリードリヒ・ニーチェ
生涯厨二病を貫いた節のある天才
バッハオーフェンの退官から25年。たった24歳という若さで、同バーゼル大学の古典文献学教授として招聘されたのがこの男。
このニーチェが読むに、バッハオーフェンが『母権論』で示したかったのは、この世界の正義と公平の根源。ゆえに、我々読者が真に注目して論じるべきは、「なぜ、万古、原初の法は同態復讐型(目には目を、歯には歯を)であったのか。我々は、なぜ今でも“苦痛の等価交換”を自然に確信するのか。“この観念”の由来する先はどこに在るのか」
これについて、ニーチェは勿論持論を展開したが、後年真っ向から反論され、ミュンヘン宇宙論派たちの中で、この問題に関する議論は白熱していく。
それはそうと、ニーチェ個人はそのあと偉大な執筆事業の数々の果てに狂気に至り、昔好きだった(?)複雑な関係の女性に手紙を書き遺している。その内容によると、彼という人は、人間ではないが、しばしば人間の形のもとに生きていて、人間の体験し得る最低のものから最低のものまでを知っている。彼は或る時は仏陀、或る時はデュオニスであった―――…。
ヨーゼフ・コーラー
“比較法学”の分野を開拓した法学者
ニーチェより5歳若い人物。文献史学や神話学ではない畑からバッハオーフェンを評価し、自身の刑法理解へと生かした。その際に題材として取り上げたのが、復讐譚に溢れるシェイクスピア作品。『シェイクスピア論』に続く『血讐論』では、彼は血で血を洗う復讐が人倫の美であった時代の様相や、そういった社会での法理について考察した。
日本の初期法学にも影響を与えている。
フランツィスカ・ツー・レーヴェントロー
言論の狂宴空間の女王
伯爵令嬢なので、本名はとてもとても長い。子供の頃から男兄弟と同じように扱われたがり、母親との仲は最悪だった。貴族令嬢なのに乱交大好き!?と、彼女という詩人は、外部から大いに偏見を持たれつつ実際に困った不倫癖も持ちつつ、1895年~1905年当時、その美貌により「シュヴァービングのミュンヘン宇宙論派」の中で最も名前が売れていた。
後年、その頃の回顧小説も出版している。
なお「シュヴァービングのミュンヘン宇宙論派」とは、ニーチェを信奉する詩人・作家・批評家集団のことで、極右とも極左ともされたボヘミアン集団。この酒場詩人サークルに参加する者は、教義問答書としてバッハオーフェンを読むことを義務づけられていた。
このサークルメンバーにして彼女の恋人だった時期があるクラーゲスが書いた『宇宙生成的エロス』は、“宗教的恍惚”について分析する真面目な哲学書である。ただしこのタイトル、下衆にはただのドスケベBOOKに見えちゃうんだよなあ…。
三度妊娠したが、流産と死産により、生き残ったのは一人の男の子だけ。彼女はこの子を溺愛し、日記に「この子は私だけのもので、父親は無関係だ」と書き、周囲には「行きずりのつまらない男だった」と言った。実際には、その子の父親はマルクス主義に殉じた男―――台頭期ナチスと対立して市街戦を決行した、オーストリア社会党員の男だったようである。少なくとも息子本人はそう把握しており、ヒトラー没後40年経ってからそれを語った。
ハンス・グスタフ・アドルフ・グロース
オーストリアの刑法学者、“犯罪プロファイリング”の創始者
司法制度改革の鬼。犯罪を絶対に許さない男。彼は「指紋鑑定の導入」、「警察犬の採用」など、科学的手法の拡大によって確かな実績をあげ続け、存命当時から非常に高名だった。
しかし彼が世に遺したものは素晴らしいものばかりではない。
「裁判での女性差別・人種差別(恣意的な証言の不採用)」や「犯罪者を輩出した家系・人相骨格情報のプロファイリング。“将来犯罪者になる者”の発見と収監を目指す」などの件で、彼の負の遺産は、その後のナチス政権時代に最悪の発展を遂げた。
そうなる以前に、大法学者であった彼に真っ向から反対した人物は、他ならぬ彼の息子オットー・グロースだった。彼は、父として“不良”になった息子を精神異常だと決めつけ、当時としては合法で問題のない方法で、息子を精神病院へと収容させた。
そして親子ともども、ナチス時代到来の前夜に没した。
オットー・ハンス・アドルフ・グロース
ハンスの息子、精神分析医、ミュンヘン宇宙論派の一員
ジークムント・フロイトの初期の弟子のひとりで、父の性格決定論的発想を“偏見”だと断じた論客。彼はレーヴェントローらのサークルでバッハオーフェンを読むと、拗れに拗らせた父親への反抗心を「キリスト教ヨーロッパ文明の父権主義全般への批判」へと昇華させた。これにガチギレした父ハンスの要請を受け、師フロイトは、このオットーをスイスにいるユングのもとへと送った……まあそこならそれなりに自由にやれるからね…?
しかしこの行為をフロイトによる裏切り・父権への寝返りだと受けとめたオットーは、送られた先のユングの精神病院を脱出!どういう手段でかはるばるベルリンにまで戻ってきて、メディアの前で「来るべき革命は母権のための革命!!!」というテーゼをぶちあげた。
これでオットーは一躍有名なアナーキストとなり、父ハンスは再度のブチギレのうちに死亡。しかしオットー本人のほうも、無理が祟って、その後まもなく路上で肺炎のために死んでいるのが見つかった。これにてグロース家は断絶した。
フランツ・カフカ
死後、
姓の
フランツは法学部出身で、一時期は“ハンス・グロース”を熱心に学んだ―――が、その経験は主に悪夢小説『判決』に活かされており、当然ハンスよりも息子オットーのほうと意気投合した。
『判決』は、遠方の友人のビジネスが上手くいっていないことを知っている“わたし”が、友人を気遣いつつ手紙を書き上げたところ、父親に「お前にそんな友人はいない」と断言され、「お前は女の色香に惑って、するべきことをしていない」と叱責され、「お前が友人からだと信じていた手紙は、実はこのわたしが送っていた」と宣言され、みずから溺死することを命じられるという小説。父母への愛を呟いて、“わたし”は橋から飛び降りて死ぬ。
この作品以降、カフカは孤独と不条理がダンスする夢のような独特の作風を確立させ、『失踪者』『変身』などを書き上げた。悪夢の時代を前に、彼自身は結核で没したが、彼と親しかった人々の多くは、ユダヤ人であるため虐殺された。
ライナー・マリア・リルケ
ボヘミア・オーストリアを代表する詩人、ミュンヘン宇宙論派の一員
この大詩人は晩年、大作『ドゥイノの悲歌』『オルフェウスに寄せるソネット』を発表するにあたり、フランツ・カフカと同じ雑誌に寄稿していた。前者は主に絶対の空虚について。後者はヴィーラ少女による死と再生体験の物語。
東洋に親しみを持ち、浮世絵を好んで鑑賞旅行をした。また、ポール=ルイ・クーシューによる文化紹介本『アジアの賢人と詩人』を読み、自身もフランス語で俳句を創作した。ちなみにPUZZLE編-1で登場したマルグリット・ユルスナールも、15歳でリルケと同じ本にドはまりしたようで、52歳の時、「あの本のハードカバー版を持っている。今でも翻訳俳句を諳んじている。一生の性癖。お会いしたことないけど、ルイ・クーシュー氏には感謝しかない」みたいなことを人への手紙で書いている。
ユルスナールは当時まだ若すぎたが、リルケはルイ・クーシューのヨーロピアン俳諧アンソロに参加して同人活動を楽しんだ。
森鴎外
陸軍軍医、翻訳家、小説家
幕末生まれの明治大正の人。本名は森林太郎であり、木が5つも含まれている。
ドイツ留学中、ミュンヘンでナウマン(ナウマンゾウのナウマン。地質学者。お雇い外国人)が「私は日本に染まらなかった。日本では女性に心がないとされている」などと講演したことに対し、立ち上がってその場で反論し、「諸君、婦人の美しき心のために乾杯!」と呼びかけた好紳士。
しかし代表作『舞姫』では、自分が女孕ませて捨てたくせに、のうのうと被害者みたいな顔をする男の苦悩(笑)を美化しており、「そういうところやぞ?」というツッコミ待ったなし。また、実際に彼と関係のあったドイツ人女性は、彼の引き揚げの後きっちりと日本までお出ましになっており、『舞姫』のエリスほど儚い人物ではなかったと思われる。
翻訳家として、前掲のリルケやゲーテ版『ファウスト』などの邦訳を成し遂げた。当初から自身の芸術的感性のままに、社会主義者・無政府主義者の作品も多く選んで翻訳したことから、大逆事件後には東京朝日新聞に名前を挙げられて批判された。
しかしこの男、前述の通り言われっぱなしではいないタイプなので、逆にその年のうちに発禁問題・社会主義・無政府主義の色濃い自作品を三作も発表した。乃木希典の殉死をネタにして小説を書いたのも、陸軍所属で崩御リアタイ勢だったんだと思えばなかなか凄い度胸だ。
晩年、死の床で虚空に放った言葉は、「馬鹿馬鹿しい」だった。
エーリッヒ・ミューザム
アナーキスト、作詞家、劇作家、ミュンヘン宇宙論派の一員
元々風刺的な劇作家だったが、レーヴェントローたちと親交を持った頃、ミュンヘンのキャバレーの歌の作り手として名を挙げた。第一次大戦前に反戦活動をし、終戦直前までバイエルン州政府から拘束を受けた。その後、ヴァイマール共和国時代には赤色バイエルン革命の中心となり、バイエルン・ソヴィエト共和国の成立を宣言した。右翼軍に負けて、このときは15年の懲役を言い渡されたが、恩赦によって5年ほどですぐに出てきたし、獄中では戯曲『ユダ』などの執筆が捗ったしで、その後もまったく勢いは衰えていない。
彼は、やがてミュンヘン宇宙論派たちのなかで、ナチスからの被強制収容者第一号となる。帝国議会議事堂火災の数時間後に、罪状不明での逮捕。それまでに、小説『猿の不名誉』でナチスの人種主義を揶揄したりしたためだと思われる。
彼は銃で歯を折られ、頭皮に卍の焼印をつけられ、自分で自分の墓穴を掘らされ、『
1934年7月9日、ボロボロの死体になって便所に吊るされているところを発見された。なお7月11日のナチスの公式報告書では、この死は「保護拘束中の首吊り自殺」。
ジョルジュ・バタイユ
フランスの“闘う司書”、哲学者、思想家、作家
1922年に国立古文書学校を卒業し、国立パリ図書館司書となった人物。最終役職はオルレアン市立図書館館長。ポスト構造主義に影響を与えた実存主義者で、ナチスによるニーチェの濫用を早くから批難し、生涯で何種類もの左翼機関紙を発行した。
そのような媒体には、『消費の概念』『ファシズムの心理構造』など、バキバキに論理的な文章を載せたのであるが、なんせ「伝統的制度的な“至高性”に対抗し得る運動とは、“共産主義”でもあるんだけど、やっぱ究極は“死とエロティシズム”だよね~~~!」という主張の持ち主なので、敢えて脳みそのネジを外して神秘主義者をやって娼婦に女神を見出しているときの“素面でガンギマリ”感はヤバい。
死ね♡所詮チンポついてるくせに“正しい知性派”を気取ってる権威主義者♡Heyタクシー!歴代王家の霊廟行ってセックスしよ~!―――…と、まあ小説家としての代表作は、そんな『マダム・エトワルダ』や、『眼球譚』などである。
「ここの館長って、あんな小説書いてるんだよな…」と知ったうえで荘厳なるオルレアン図書館を静かに利用するのは、さぞかし愉快だったことでしょう。
なお晩年は特異な脳の病気にかかり、壮絶な苦痛のうちに死んだとされている。
生田耕作
日本の文学者、評論家、翻訳家
【都市伝説:京都人は、馬鹿にはわからない意地悪を言って、東京人を無粋な田舎者扱いする】―――おそらくは、この“伝説”発生の一大原因だと思われる人物。祇園生まれの京大名誉教授で、前述のバタイユの翻訳をした。
仏文から漢詩まで、非常に多才で多作だったが、「東京の出版業界」というやつが大嫌いで、主にみずから監修した同人レーベル
また彼は、後述のベルメールやバイロスを「ただの猥褻画」と見なすボケや大学当局も大嫌いで、その件で京大を辞めてもなお、根っから地元民ゆえに鴨川を徘徊し続け、アホな工事ばっかり始めはる行政に文句言い倒した。
三条に知人が古書店を開くと、愛と残酷の「アスタルテ書房」という名前を贈った。今でもその辺りの喫茶店に行くと、アンティークなインテリアみたいな顔して、しれっと彼の自作豆本(エッセイ本)が置いてあったりする。一体、生涯に何冊本を作ったのやら…?
ハンス・ベルメール
現在ではポーランドにあたる地域出身の画家、デザイナー、超現実主義者
ドイツ人だが、ナチズムに反対し、敢えて職業を放棄し、推奨される“社会貢献とやら”をやめた人。「勤労奉仕?知るかよ。するわけないね!」を実行したロックな人。
文字でアナグラムを行うように人体の要素を並べ替えて、変形した人体を描いたり異形の球体関節人形を作ったりして、「健全で優生なるアーリア民族」キャンペーンを批判し続けた。逃亡虚しく、ナチスから強制収容を受けた。南仏に移送・抑留され、戦後もフランスに留まった。やがて60年代になると、前掲のバタイユの本の挿絵を手掛けた。後述のウニカ・チュルンの配偶者でもある。
ウニカ・チュルン
アナグラム詩の天才、心的自動速記の達人
ドイツ出身。幼少期に兄からレイプされ、その後も両親離婚につき兄を含む父子家庭で育ち、いろいろと悲惨な前半生を送った女性。若くして堕胎を繰り返した。
戦中は歳の離れた男性と結婚して生きぬくも、のちに彼の女性関係が原因で離婚。三児の親権を望んだが、経済力で負けて得られなかった。
37歳になってハンス・ベルメールに出会い、シュールレアリストの彼からアナグラムを教わった。
すると凄まじい才能が開花。
彼女は、10行でも20行でもアナグラムで文を紡いでみせた。つまり、「卓越した機知の持ち主だった」といえるのだが、苦労しすぎたのか元々そうなのか、心身不安定だったようで、晩年は統合失調症になり、その精神世界をみずから『ジャスミンおとこ』に書き記した。やがて投身自殺によって死亡。
太宰治
『走れメロス』『女の決闘』『駆け込み訴え』などの人
言わずと知れた有名小説家。貴族院議員の子で、兄は元々立憲政友会の議員であり、“青森の近衛公”とまで呼ばれていた。この兄は、戦後は第一回衆議院選挙で当選している。
一方本人は大学生時代に共産党を支持し、警察にマークされ、二度も留置所に入れられた。だが、家柄パワーなのか何なのか、なんか普通に助かっている。
その後薬物に溺れたあと、精神的に安定していた時期に傑作を連発。太宰が鴎外の二次創作をしていたのは、鴎外没後約15年…ということになる。
戦後、三島由紀夫曰く、この太宰治の文学は、「嫌い」「治りたがらない病人」。この公然の侮辱に対して太宰本人は、「そんなこと言ったって、こうして来ているんだからやっぱり(僕のことが)好きなんだよな。なあ、好きだろ?」と笑った―――おそらく…毎度毎度、この魔性っぷりで人を心中に誘っていたのかと思われる。本当に、どうしようもない食いしん坊さんだったのである。享年満38歳。心中死体発見日を死亡日として扱うと、彼は誕生日と死亡日が同日である。
三島由紀夫
日本の“生き残った男の子”
彼の母親は、彼が出征する日、風邪で高熱を出しながらでも駅まで見送りに来た。そのときに抱きしめられたことで、彼は風邪をうつされて肺病と誤診された。彼の所属した部隊は玉砕。しかし彼は国内での最終検査に落ちて、学徒出陣世代なのに奇跡的に生き残った。戦後、彼は天皇の人間宣言に深く絶望した―――その経験は『サド侯爵夫人』などにあらわれている。
彼の初の書下ろしは、『仮面の告白』。最期の作品は『豊饒の海』。
前者は、ずっと昔から“血を流して死んでいく男”に惹かれる男であった“わたし”の自叙伝。後者は、平安文学の形式で、何度も転生を重ねて親友にも愛人関係にも義親子にもなる男たちの物語。
「日本は緑色の蛇の呪いにかかっている」
1970年9月、三島はそんな話を英国人ジャーナリスト・ヘンリー・スコット・ストークスにした。またこの年、ついになんやかんや太宰が好き・自分も彼と同じだと認めたが、太宰と違って三島はまめで、自身が死んだ後も家族にクリスマスプレゼントが届くように手配した。そして11月、四部からなる『豊饒の海』をついに書き上げると、自衛隊基地に突入してバルコニーから檄文を飛ばし、日本刀で自決した―――自宅書斎に、「限りある命ならば、永遠に生きたい」という書置きを遺して。
石牟礼道子
水俣病闘争の作家、日本の“イシス女神”の巫女
「生まれたときから、キチガイでございました」―――というフレーズが定期的に挟まれるのが印象的な『苦海浄土』の作者。彼女が見聞して代弁する、水俣病患者たちの体験・行動録は、まるでエジプト神話のようで、多くのエピソードでバスや病院が舞台となっており、この事件が科学ありきのものであることに逆に驚かされる。
特に、亡くした赤ん坊…先天性水俣病究明のため、解剖され、膾のようにまでされた赤ん坊…苦しむためだけに生んでしまった子のことを思いながら、官庁前で抗議活動をしていたところ、気楽にすたすた歩ける立場であるサラリーマンに、“うるさい活動家”として蔑視されるくだりは必見。生きながら死者を代弁する者・恨み骨髄に徹する者による、「(霊体で?)追いかけて、昼も夜も眠らせない」宣言は超怖い。
原民喜
被爆体験の作家、死者代弁型作家
より虚無的な石牟礼…という感じで、代表作は『夏の花』。
読んでいると、「あっこの瞬間から“わたし”の立場は死者側だな」とわかるくだりがあり、そこがあっさりとしているのが逆に怖い。彼は戦後、生活が落ち着くと同時に広島での体験を整理する小説や詩を書き始め、その約3年に計画的に自殺した。
埴谷雄高
日本の思想評論家、小説家
原民喜と親交があり、彼の葬儀を挙げてやった人。日本人だが、台湾生まれで、幼少期から“支配階級であること”への罪悪感を覚えていた。女優に一目惚れされて、「惚れたんなら来ればいいだろ」の一言で妻にしたという伝説の持ち主。やがては共産党員となり、思想犯として逮捕されていた時期がある。しかしこの男も、獄中ではカント、ドフトエフスキーをじっくりと読んだらしく、形式的“転向”による出獄であるが、実質パワーアップして娑婆に帰ってきた。そして戦後、“安保闘争の神様”へ…。
代表作は、大長編形而上学的思弁小説『死靈』。三島由紀夫曰く、彼は“戦後日本の夜を完全に支配した人”。立派で高尚な人というイメージだったのに、意外とパチンコをやるうえに超強かったらしい。
世阿弥
猿楽師、謡曲作者、演出理論家
「室町時代に能楽を大成した」として、おそらくは日本の被差別層のなかで最も有名な人。日本におけるシェイクスピアのようなハグリッドのような存在。将軍義満の桟敷に侍ったことで公家から叩かれたり、将軍が交代すると弾圧されたり、本人の主張では“無実”の罪で流刑にされたりと、結構大変な人生……の、割に作品数多すぎでは!?と吃驚させられる。
彼の作品の根本思想は、“天台本覚思想”だと云われている。
「草木国土悉皆成仏」である。
呼称に“天台”が含まれているが、元は『涅槃経』を道家哲学的に解釈したものなので、空海(真言宗開祖)こそまさにそういうことを言っているし、真言・天台宗より後~世阿弥より前の時代に興った国内仏教諸宗派も全部こう言っている―――万物は成仏できるんだ、と。
紫式部
地獄に堕とされた小説家
言わずと知れた『源氏物語』の作者。いずれの御ときにも、知名度のある長編小説は往々にして、簡易化されたストーリーを又聞きした程度の者から雑に物知り顔で語られる。彼女はロリコンハーレム小説家として、存命当時から既に陰口を叩かれていたが、『今鏡』などの“鏡物”が隆盛した平安末期から鎌倉時代にかけては、「かの女は、嘘を書いて人を色気づかせた罪でいま地獄で苦しんでいるのだ」とされた。一方、ガチファンたちは彼女を地獄から救うために供養塔を建てたり納経したりしたので、現在では彼女に関係する碑や祠が矢鱈あちこちにいっぱいある。
紫式部だけでなく、小野小町も和泉式部も大体同じ目に遭っている。This is Japanese style HELL. 生憎、千年経ってもそんなに変わってない。
ガラハッド卿
非実在の騎士
『アーサー王の死』(トマス・マロリー)において、この騎士は、ヴォルデモート復活の瞬間に重なる光景を目撃する。滴る血と共に聖杯の中に入れられた赤ん坊が、キリストに似た男へと変貌する瞬間を。
彼の愛剣には名前がない。
先に在ったエクスカリバー伝説を踏襲して、彼もまた強力な剣に選ばれたことにされたが、そこに“本家”ほどの由来エピソードはない。彼が携える剣にはただ、「持ち主が最も愛する者を殺す呪い」がかかっているのみだ。
聖杯を巡る冒険を終えたとき、彼はみずから天に召されることを選ぶ。