「一年生が四階右側の廊下に侵入した」とダンブルドア校長から手紙で知らされたのは、その日の夜の遅くのことだった。
すべてをオレンジっぽい靄で包み込むような燭台の灯のもと、「さてどうなるかな」とガラハッドは、銀色の目を細めて、ロジャーやマーカスから見咎められる前に手紙を畳んだ。
ここは、摩訶不思議な魔法の世界。一年生の姿をしたものが、本当に一年生であるとは限らない。
けれどこっちだって、いまやひとりの魔法使い見習い。
ガラハッドは思案した。Theyと表記してあったから、むこうさんは複数名だ。まあ斥候であろうが、はて、心配だ。
先生がたのお力を借りて設置したダンジョンのうち、ひとつの駒にひとりしか乗ることのできない人間チェスは、侵入者たちの仲間割れを誘う。
けれど、けれどもしも侵入者たちが、目的のためなら一部が犠牲を引き受けることもある軍隊的組織だったら、どうしようか?どういった敵を想定すればいいのかわからず、ガラハッドは思案六方であった。涅槃仏のごとくベッドで肘をついて考えたが、結局考えがまとまらずに布団をかぶった。
翌朝会いに行った先のダンブルドアは、結局本物の賢者の石はどうするのかと再び質問してきた。どこに置いているかを明かされないのに、学校長として責任を持つ必要があるなんて大変だろう。彼のほうの事情もわかるが、ガラハッドは曖昧に笑って受け流した。
「 今はどこに置いておるのかね? 」
随分とあけすけに言うもんだ。この人は錬金術師っぽくないなと、父と比較してガラハッドは思った。
「 ダンジョンづくりは続けます。ダンブルドア先生には、最奥の難所をお願いしたいです。僕のイメージでは、照魔鏡が置いてある閻魔大王の御前のような…ああ、閻魔大王というのは 」
「 知っておるよ。東洋のデーモンじゃろう? 」
デーモンといえばデーモンかもしれないな。その新鮮な響きに、ガラハッドは「あはは」と声をあげて笑った。
ダンブルドア先生は、高い鼻のうえに華奢でかわいい眼鏡をのっけて、屈託のない孫でも見るように優しく微笑んで言った。
「 鏡の魔術を使いたいのかね? 」
「 ええ。招いたり閉じ込めたり、いろいろなことが出来ると聞きますから。 」
「 ふむ――――素晴らしいアイデアじゃよ、ガラハッド。 」
青い目がキラキラッと光った。ガラハッドは、理想は高いがまだまだ不勉強である自分が、急に恥ずかしくなって元気をなくした。
鏡は、古来神秘的な力を持つとされてきている。
ガラハッドは思った。これについてはまだまだ自分なんかより、このアルバス・ダンブルドアのほうがうーんとずっと詳しいはずだ。学者らしい顔でダンブルドアは、子守歌をうたうように言った。
「 鏡の反射によってつくられた通路は、遠くからでもゴーストを呼び寄せる。されど、鏡のなかの世界自体には、その者が霊体であるばあい、入ることができない――――この現象が示す真理とは、こうなのじゃ。すべて、虚像を駆使する魔法は、初めになまの実体の意志あってこそ。侵入者が実体を持つ場合、うまくやれば内部に閉じ込めることができような?侵入者の技量にもよるが…具体的には、どのような使い方を? 」
「 それがまだ、検討中でして。 」
もしょもしょとガラハッドの声は縮んでいった。
遊びにうつつを抜かしていて、重要なことにちゃんと取り組めていなかったと感じた。
「 調べ始めると、奥が深くて決められなくて。初めは、合わせ鏡の術にしようかと思ったんです。けれど、あれで出来ることはどんな鏡かにもよるんですよね?僕はまだ本物を見たことがないんですが、あのほら、有名な鏡のなかには、問いかけにこたえるふりして、人のコンプレックスを刺激して凶行に走らせるものがあるでしょう?ああいったものは、どうやって作り出されるのか…。 」
「 まことに。鏡の術は奥が深い。光を反射するもの全般が使えるが、そのまま魔術に使うならばともかく、深い魔法をかけるならばやはり鏡として作られた鏡がよい。鏡のなかでの種類は―――そうじゃな、おぬしの勉強用に、良いものがある。今宵寮を抜け出しておいで。 」
穏やかな口ぶりでダンブルドア先生は言ったので、ガラハッドは、はじめ今のは聞き間違いかと思った。壮麗なるアーチをもつ南翼棟に山高帽を巡らせて、ダンブルドア先生は遠くを見つめはじめた。ガラハッドがその視線を追って校庭のほうを見下ろすと、先生はしわくちゃの指で禁じられた森のほうを指さした。
「 あのハンノキを目印にするとよかろう。 」
どのあたりのことを言われているか、ガラハッドにはすぐにわかった。木には詳しくなる家庭の育ちだ。
「 今宵、月が牡羊座の道筋に差し掛かる頃、隻眼の魔女像のところにくるとよい。 」
「 校則違反では? 」
「 おぬしは、魔法の中でも最も高い思考力が必要となる術を選びながら、ミセス・ノリスをも欺けないというのかね? 」
「 ―――!? 」
煽られてしまった。ぽかんとしてしまったガラハッドは、悪戯っぽい笑顔のダンブルドア先生から、とびっきりのウィンクをばっちりと浴びた。
ギャリックやアラベールと並んでいると霞むが、この人も大概面白いおっさんである。
その片鱗は校長挨拶や校歌斉唱のさせかたで知っていたが、小さく笑いながらガラハッドは、改めてこの校長のことが好きになったのだった。
そして、この力ある大魔法使いに、知恵と勇気のほどを試される悦びで瞳孔を細めていた。――――こういうのは嫌いではない。
青いネクタイをしめる者として、ガラハッドはニヤッと頷いた。
夜、高いびきをかいて寝ているロジャーとマーカスを尻目に、ガラハッドは蝋燭のあかりで六分儀を使い、禁じられた森から昇ってくる月の位置を確かめた。
月は、今宵上弦の弓の姿だった。掠れたような質感で、頼りなげに白く光っていた。
天蓋のふちに差し込んでいた本物の杖と、方位磁針とダンブルドア先生から貰った地図とを持ってガラハッドは、真夜中、こっそりと足音を忍ばせてレイブンクロー寮を抜け出した。はじめに寝室を出て、談話室を横切って重厚な扉を両手で押し開けた。レイブンクロー塔の階段口から廊下へと出る瞬間が、一番警戒が必要だった。ガラハッドは、そのあたりで4、5分を費やしてしまった。
ミセス・ノリスって変わった猫だと思う。普通猫は物音を怖がるのに、あの猫は物音を調べに行く。
夜のホグワーツは透明な空気で、まるで城の外が海になって、その海のなかに夜光虫がいるみたいで存外明るかった。その一方で、あまりにどこまでも静まり返っているので、生きているものは誰もいないような気がした。
遠くでおどろおどろしく血みどろ男爵が唸っていて、それを相手にピープズが、何やら暴れて喚いているのがこだましていた。
ミセス・ノリスは、きっとその顛末を見にいくだろう。
ガラハッドは却って安心だと思って、変にこそこそせずに、ごく普通に廊下を歩いていった。そうして大理石の間に向かった。隻眼の魔女像というのは、レイブンクロー塔から見て大理石の間や地下教室へと向かう経路中にあり、ちょっとした廊下の交差点を飾っている。ところがどっこい「そうでない日もある」のがこのホグワーツ城の油断できないところで、その夜ガラハッドは、隻眼の魔女像のところに見覚えのない通路が増えているのを見つけた。
いつもは三差路だったはずの場所が、今はすっかり辻になっている。
ちょっと躊躇ったけどもガラハッドは、「なるほど」と苦笑させられつつゆっくりと進んだ――――行ったことのないほうへだ。そこは、やっぱり夜光虫のような光で不思議に外から照らされている、調度品を失った礼拝堂のような場所であった。がらんと広いけれども、無骨な形のアーチが、天井からつららのように垂れ下がって、石の壁を彩っていた。
「 ――――! 」
気づくなりガラハッドは立ち止った。石に溶け込んでいた少年が、いきなり三角座りを崩して振り向いてきたのだ。
知っている顔だった。有名な子供だった。或る立派な鏡の前に、どうしてだかその子は座り込んでいた。
「 ハリー・ポッター!? 」
言ってから「しまった」と思った。いきなりフルネームで呼び捨てにされて、いい気持ちのする人間は普通いないだろう。
「 ガラハッド・オリバンダー!? 」
飛び下がって少年は、カエルのように足を開いた。
「 ――――? ああ。 」
ガラハッドは、この子はどうしてこちらの名前を知っているのだろうと思った。こっちは入学式で見ていたけれど、相手はこっちを見たことがないと思う。彼が杖を買いに来たとき自分はおつかいに出ていたし、我々は寮も学年も違う。ガラハッドが黙って考えているうちに、ハリー・ポッターは手あたり次第にこちらについて知っていることを話すことにしたらしい。指をさして確かめるようにして、半分くらいは無茶苦茶なことを言った。
「 杖の店の子、鷲になって飛ぶ子、女の子に見える――――レイブンクローのボスだ! 」
「 ひどいな。違うよ。すっかり大きく言われてるんだから。僕はブルーマフィアの一員ではあるけど、どこにでもいる普通の二年生。あともう女の子には見えないよな? 」
「なあ?なあ?」とガラハッドは、いつもと同じお手並みで新入生に「うん」と言わせにかかった。ところがハリーは手強くて、「ちょっと怖い」程度のガラハッドの圧には動じず、目をぱちくりさせて平気で違うことを言った。
「 でもピープズは、レイブンクロー生にだけには手を出さないって聞いてる。君がそうさせてるんでしょ? 」
「 ああ、うん、まあ。 」
「 フレッドとジョージが言ってるよ。君は、二年生いちイカす奴だってね。 」
ハリーの声色は純粋な好意だと思う。けれど、いけすかない奴等の名前を出されてガラハッドは、困惑してしまって、すぐさま返事ができなかった。
「 ――――? 」
絶対あの双子に限って、この俺のことを、そのようには決して言わないと思うが。
散々からかわれているし、奴らがここそこに仕込むクソ爆弾を、今年に入ってからも何度も看破してやった。我々は宿敵だ。
「 ここに何しにきたの? 」
不思議そうに言うハリーは自分を棚にあげている。ガラハッドは、今通ってきた道が消え去っていないのを確かめて、ハリーに向けてちょっと微笑を浮かべると、ハリーよりはその背後にある鏡を見据えながら、静かな声色でこのように言った。
「 視察に。その鏡に用事がある。 」
「 そうなの?それじゃあ、ここ座る?――――見て見て、僕のお父さんと、お母さん! 」
ハリーは無邪気だった。尻で移動しながら床石を叩かれて、ガラハッドは、勧められる通りに隣にしゃがみこんだ。
そのようにしてみたものの、ガラハッドは内心「何を言っているんだこの子は」と正直なところ、意味が分からなくて、こっそりとポケットのなかで杖を握りこんでいた。
嫌な汗をかいていた。
「 ――――! 」
不意に、昨夜自分で考えた事どもが、脳裏へとまざまざと甦ってきたのだ。この幼くてあどけないポッターの横顔に、心ほぐされてはならない。一年生の姿をしているからといって、一年生だとは限らないのだから。ガラハッドは、穴があるかのような暗闇を映す鏡に向かってしゃがみつつも、決して床に尻をつけなかった。そのようにして、慎重にハリーと話を合わせた。
「 そうなんだ――――君って、ご両親に少しずつ似ているね。 」
「 やっぱりそう思う? 」
とびついてくるかのような勢いで、嬉しげにハリーはまたこっちを向いた。にっこりとした笑顔だ。賢そうな眉つきで、はっきりとした目鼻立ちが、彼の表情の変化を雄弁にさせている。
「 僕、このくしゃくしゃの癖毛はどうしてなんだろうって、ここに来るまでずっと思ってた。夢みたい。これって、父さん似だったんだよ!目も、おばさんたちやダドリーとは全然似てないんだけど、母さんと同じだった! 」
「 そいつは嬉しいよな。 」
ガラハッドは適当に言った。さっきから、内心はとても忙しくて、「これは鏡なんだよな?」とガラハッドは、目を皿のようにしながらひそかに自問していた。ハリー・ポッターはどうやら、親族に関する幻覚を見ているらしい。この世界の鏡は大抵喋るけど、この立派な鏡に限っては、さっきからガラハッドが会釈しても何も言ってこないし、たぶん今後も喋らない。鏡は、せめて普通ならば光を反射するはずだが、この鏡は
「 ――――? 」
自分の姿すらガラハッドは、何かが見えるはずの部分に見つけられなかった。ガラハッドは、しかたなしに天井まで届くような金の枠のほうを見やって、見上げて・・・そして、上部に刻印をみつけた。
Erised stra ehru oyt ube cafru oyt on wohsi
何語なんだろうなと案じつつガラハッドは、読めなかったので再び鏡面のほうを見つめた。
「 ――――?? 」
何もなかった…。
いまに絶対的な無に吸い込まれ、宇宙の深淵に落ちていきそうな心地がするほど、この鏡には虚無しか映っていない。いくら観察したって無駄じゃないかな。もしもハリーからどんと背を押されて、よろけてしまったら鏡に喰われそうだ。
怖くなってきてガラハッドは、再び足元のほうから鏡の枠を見つめた。
枠の下の脚は鈎爪状で二本あるけれど、埃がたまっているから、この鏡はのそのそ動き回ったりしなさそうだ。
ガラハッドは欄間のような豪華な細工が施された枠のうち、まず右のほうを見て、それから左のほうを見たけれど、左右対称の装飾だから別段何の発見もなかった。再び一番上まで見上げて、ガラハッドは、今度は「ああなるほど」という心地で例の文字列を読み解くことができた。
I show not your face but your hearts desireというわけだ。
ホッとしたような逆に怖くなったような…ガラハッドは、また喋り出しそうなポッターの肩をぽんと叩いて、急いで腰をあげてこの場を去ることにした。
「 邪魔したね。僕はもう帰るよ。 」
「 どうして?今来たばかりじゃないか。もっと話そうよ。ねえこのマントも、父さんのものらしいんだ! 」
「 へ、へえ。何それ…。 」
絶対貴重なものじゃんそれ。ガラハッドは、杖も何も使っていないのに、身体の半分がぽっかり透けているハリーに顔を強張らせた。
そのマントは、ダイアゴン横丁やノクターン横丁など、ガラハッドが知る限りの“そこらへん”で売っているような代物ではない。何で出来ているのやら全然わからないけれど、確実に妖精の手が入っていることだけはわかる。
「 良いマントだろう?透明マント!君にも貸してあげる。ねえ、箒は好き? 」
「 いいよ。人の目を欺く方法は、透明以外にもいろいろあるから。空を飛ぶ方法もね。 」
彼は本物の子供だろう。論理的な裏付けがあるわけではないが、妙な確信があってガラハッドは微笑みかけた。来た道が開いているうちに帰りたかった。
「 おやすみポッター。今度ダイアゴン横丁に遊びにおいで。お前の好きそうな、とびきりのアイスクリームを食べさせてあげる。 」
嬉しそうに男の子は手を振った。
隻眼の魔女像の“意味”って何なんでしょうね。日本では「一つ目」は山の神の零落した姿と柳田国男が説いています。カトリックに「贖罪規定書」というのがあります。地域、時代を越えて複数作られまして、いずれも「〇〇したら△△して償え」と書いてあります。翻ってどの時代のどの地域に〇〇しちゃうような人がいたのかわかるわけですが、どうもイングランドには辻で魔術を行って、教会のお叱りを受ける人が多かったみたいです。辻、そして単眼、隠された道…異界の入り口ですね…。