さっきまでの真夜中のホグワーツ城が妖しく魅力的だったのは、きっとひとりで冒険していたからなんだと思う。
「 いったい、何を考えておられるのですか? 」
中央階段のところで、必要最小限の声の大きさでダンブルドア先生へと尋ねたとき、ガラハッドは別段楽しくも何ともなかった。
妙に長くなっている廊下に、すっぽりと人の消えている絵、ひとりでに動いている模型、どこかから聞こえてくる啜り泣き…。
いくつもの階段がうようよしている、この吹き抜けの場所へとやってくるまでにはそういうものがあったけれど、どんな怪奇現象よりもガラハッドは、自分の抱えている課題と前を行く人物のほうが気になった。声をかけると彼は振り向いた。にっこりとした笑みを浮かべる姿は、まるで飾り物のサンタクロースのようだ。ダンブルドア先生は、まるで金や赤で縁取られたポストカードから抜け出してきたみたいだが、そういった姿を素晴らしいと感じるほどガラハッドの嗜好や欲求の方向は子供ではない。
“そんなことよりも重要な話がしたい。”
ガラハッドがそういう顔つきをしているのを見ると、ダンブルドア先生は歩調をゆるめて、面白がるようなまなざしを月光のように注いだ。
「 フム――――何をとは? 」
「 ハリーの好奇心を刺激した件です。あやうくこちらについてくるところだった。 」
「 はて?君と彼とは友人じゃから、秘密はないのではなかったのかね? 」
「 ええお陰さまで。互いの親のことについてまで踏み込んで、彼とは深い話が出来ました。 」
前半についてのみガラハッドは返事をした。
友人なら秘密はない?そんなことあるわけがない。
賢者の石を持つ者として、たとえ錬金術に関してまだひよっこもひよっこでも、秘密だけは守っていかねばならない。
ガラハッドはこう思っていた。――――校長先生だって蛙チョコレートに載るくらいの著名な錬金術師だ。錬金術師は秘密厳守であることを、わかったうえでわざとこちらを試しているにちがいない。
「 おぬしは利口じゃのう。 」
その決意のほどを褒めるように、くつくつとダンブルドアは笑った。
ところがアルバス・ダンブルドアという人は、次の瞬間突然、眉根を寄せて疲れ目を自覚するかのようにしたのだ。花弁が落ちたような一瞬のことを、ガラハッドは目撃して立ったまま虚を突かれた。
動く階段がこちらへとかかってきて、それに目をとられてから再びガラハッドが見上げたとき、月明かりに照らされているダンブルドアは、いつもどおり幻想的なまでに立派な姿へと戻っていた。今は深夜なのだから、この年齢の人物が疲れていないはずはない。おっと悪いなとガラハッドは、極力早いこと用事を済ませねばと思った。
ダンブルドア先生は言った。
「 ガラハッドよ、おぬしには、『愛が欲しい』と思うような夜はないのかね?先ほどは、ハリーを諭しておったが。 」
「 はあ。愛が欲しい夜というと、その…? 」
よもや性的な話ではあるまい。
12歳という身分に似合わず、不埒な想像をした自分をガラハッドは恥じた。
「 おぬしは、両親に会いたいと思うことはないのかねガラハッド?寂しさ悲しさに胸を占められて、眠れない夜にこそ人は魔法使いへと育っていく。グレイスは気高く、慈しみ深い魔女じゃった。生きていればさぞおぬしを…。 」
「 そういう仮定って、益のあるものではないと僕は思います。母恋しいと子が思うのは、母親から自分に何かしてほしいことがあるからでしょう?僕は僕を産んだ人に、それ以上何かを求める思いを持ちません。だから、そんなふうには考えないですね。 」
「 ほう。 」
何もおかしなことを言っているつもりはない。ダンブルドア先生が振り向いて立ち止まったので、渡りかけていた橋階段の半ばでガラハッドは、なんとなく進むことをやめた。
「 なにかおかしいでしょうか? 」
思うに自分は、「グレイスを親に」と選んで生まれていないし、グレイスのほうだって、選んでこちらを子として産んだわけではない。
母親というのは勘が良すぎるから、転生者である自分は、彼女が生きていればさぞ苦悩させただろう。そう思ってガラハッドは、ずっと彼女の死のことは肯定的にとらえているのだ。
戸惑うばかりのガラハッドのことを、ダンブルドアはじっくりと見据えた。
とても静かな声で彼はこう話した。
「 愛は、すべての魔法を超える力を持つ。おぬしは、特別な生まれじゃ。――――人に愛を抱かないのかね? 」
「 愛?今のながれだと、話題は“執着”ですよね?捨てていくべきものです。 」
「 愛は―――執着?捨てるべきだとな?捨てた先には、何がある? 」
「 何も。何もありません。ダンブルドア先生、あなたが想定しておられる愛は、“すべての魔法を超える愛”とは、たとえばリリー・ポッターの愛のことですよね?僕の私淑する思想においては、あれも、執着なんです。 」
「 ―――…。 」
「 先生は、閻魔大王についてご存知でしたね。 」
ダンブルドアは何も言わなかった。初めて自分一人のときに見せてもらえた彼の“大人向け”の表情に、ガラハッドはひっそりと嬉しくなっていた。サンタクロースのような彼しか知らない子供たちとちがって、一段と真剣に、人として真摯に相手をされているということだと思ったのだ。
アルバス・ダンブルドアの学問は深い。西洋の魔法使いでありながら、彼は仏典を読んだことがあるのだと思う。
預修十王生七経?それとも地蔵菩薩発心因縁十王経?
そう訊ねるとき、ガラハッドの瞳は輝き始めていた。それには答えずにダンブルドアは、「ずっと昔にもこんな生徒がいた」と、思い出をまさに見ているかのように目を細めた。
「 君は優秀じゃのう――――その者も、優秀じゃった。誰からも一目置かれ好まれる、ホグワーツ始まって以来の秀才じゃった。近頃はその再来を見ておるようじゃ。 」
「 それは…どうも、有難うございます。 」
オリバンダー家から出されているひとりの生徒として、自分はちゃんと“役柄”を果たせている。
そう言ってもらえた気がして、ガラハッドはむずがゆく頬を綻ばせた。照れから少し早口になった。
校長の時間を浪費してはならない。
「 ところで先生、あのうこれは僕の、あくまで僕の考えなんですけれど、ハリー・ポッターに在処を教えたがるということは、先生は、“賢者の石を奪いたがる者の正体”におおよそあたりをつけておられますよね?先生は、“備えるべき敵”はアメリカに移ったノアイユを蔑む者――――すなわち僕ら父子以外のフラメルの末裔、では、ない、というお考えでしょう?だんだん、わかってきました。あなたが想定しているのは、何か。僕が怖れるべきは、何か。 」
正解だと言ってもらいたい。
ニヤッと笑って、ガラハッドは四階右側のエリアを目前に言った。この階段橋を渡りきれば、目当ての場所はすぐそこである。
「 闇の魔法使いでしょう? 」
「違いますか?」と、問う目つきでうずうずとして見ても、ダンブルドアは決して動きはしなかった。返事もしないので、それが答えだった。ニヤッとしてガラハッドは、階段のうえで引き続き話した。
「 さっきのでわかりました。僕が備えるべき怪盗志望者は、“例のあの人”の流れを汲む魔法使いなんですね?そうでなくては先生は、ハリー・ポッターをわざわざ呼び込もうとなさいません!あの子の眉間の印には、リリー・ポッターの恨みが詰まっていますよね。あれはいい魔除けだ。女の祟りは怖い。 」
「 …左様。 」
前半についてのみダンブルドアは返事をした。ガラハッドは続けてこのように言った。
「 何故でしょうか?賢者の石は、人を生かしこそすれ、殺すことはないと僕は聞いております。先生はご存知のはずです。闇の魔法使いにとっては、無用の長物ではありませんか? 」
「 復活を望む者がいるのじゃ。十年前にリリーに滅ぼされた者…闇の帝王ことヴォルデモート卿、その人じゃ。おぬしは… 」
『 …――――ヴォルデモートについてどう思う? 』
不思議な反響性となめらかさをもって、ダンブルドアの声は、ガラハッドの耳を犯した。
『 ―――!? 』
耳鳴りが始まったかのように、彼はふらついてしまった。灰色の目を煌々と梟のように輝かせて、ガラハッド・オリバンダーは返事をした――――ひとりでに。まるで、うわ言のように。
『 …はあ 』
最初の一言はまだ心の”外側”だ。
熟練の開心術師として、ダンブルドアは冷たくガラハッドを見下ろしていた。
ゆるゆると少年は語り始めた。
前後に揺れて――――糸の切れた操り人形みたいに、彼は、いずれ次の帝王になると予言されたこの子は、酔っぱらいのように、言葉を紡いだ。その瞳孔は開き切っていて、術の効果を示していた。
『 ―――大量殺人鬼ですよね? 』
まだ、“浅い”のだろうか?
より“こじ開けて”ナカを見ていくと、滔々と彼は話し始めた。外面をはいでも、中身までまるで、大人のような口ぶりで――――ガラハッド・オリバンダーは手で顔を覆い、疲れからぼやくように言った。
『 肉体を失って…それなのに、また人を殺すためなんかにわざわざ復活したいって、どういうこと?わからない。さっぱりわからん…この世に、さぞや恨みがおありになるんだろうなァ―――?
ああ、ああ、
嗚呼だって、だって怨霊になった人物のうちに、実際に殺しをした野郎は少ないじゃん…。
ちがうんです先生、僕は、僕は事実を言っています。
古来高貴のかたの悲憤のみが、世を震撼させる怨霊たりえるでしょ?
だから僕は、僕は、ヴォルデモート卿という人物は、生まれつき高貴か、さも高貴そうに自分を印象付けていた人なのかなと思っています。
――――ハハッアハハもしも後者だったら、好きだなあ?
「 ――――ッ!! 」
いよいよ顕れた。ダンブルドアは、自身の杖を握る手にわずかに力がこもるのを感じた。
ハロウィンの夜にやってきた魂よ。
時巡らせるマレビトの、齎すものは、予祝か、災厄か。
もしも災厄なのだとしたら、今のうちに、今のうちにこの者がまだ幼いうちに、悪なる闇の芽は潰さねばならない。ケタケタと嗤いながら、ガラハッド少年はなおも手で顔を覆っていた。せむしのように身をかがめて、狂ったように上体を揺らしていた。強すぎる“統御”が、12才の身体をそうさせていた。
『 祟れやしないんだ、一兵卒や百姓身分てェのは。
祟れやしねえ。何をどうされたって、祟れやしないんだよ。お公家様とは違ってな。 』
ガラハッドは唸り叫びだした。もう声が違っていて、低く太かった。悪魔が彼にのりうつっている?いいや、今そんなことが起こるはずはない――――冷徹なアルバス・ダンブルドアの理性が、この少年の正体を暴きたてていく。彼は遮二無二叫んだ。こちらを見ているわけではなく、天に向けて叫び呪った。
『 偉い人の特権だ、化けて出るのさえも――――――虚仮にしてやりたい!
あいつらは、腕腐ってウジ食うことないから
歯で取っ組んで、首転がしてやりたいよな
ヴォルデモートとやらだってそうだろ?
ろくにモノ知らないから、復活とかわざわざ目指せるんだよ
俺のいるところまで、引き摺りおろしてやる
来てみやがれ、海底地下八千由旬の底
本当に外道をしたもんの魂は
阿修羅に成って
焼かれるんだよ
ふざけた名前なのりやがって
殺シ殺サレテおっちんだ者が、
世に復活なんか
望むわけない 』
それ以上は肺に空気がなかった。
声が、それ以上出なかった。けれどガラハッドの思いは止まらなかった。
嗚咽した。
膝から崩れ落ちて何段か滑ってしまうことになり、俯せにばたりと倒れ伏したときに、「ああ」とガラハッドは気がついてしまった。そうだ自分なら、復活なんか望まない。消えたい。消えたいのだ自分は―――――父のように、母のように、じきに幸せになるはずだった妹のように、ふるさとの一切と同様に、消えてしまいたい。みんな恨めもせず祈れもせず、塵にすらなれずに消えた。どうしても、声が出ないのは、まだ魔法に支配されているから。強い魔力が立ち退いて、ガラハッドは、今願っていたことを忘れた。元が忘却させられたことだから、元通りに心を戻してもらえると、自力では自然に思い出せないのだ。
「 ガラハッド…! 」
跪いて助け起こしながら、ダンブルドアの声は震えていた。ぐったりとしなだれる少年の身体は、蒼白く力なく、冷えきっていた。
「 すまないことをした。おぬしは――――…おぬしのその闘争の火、いずれヴォルデモートを倒すことじゃろう。おぬしを信じよう。 」
■「隠された火」こと激しめの恨み、「偉い人の~望むわけない」の台詞の改行は、原書版『不思議の国のアリス』のTail'sTaleオマージュです。不思議の国で嘆くならこれ。
■殺生の罪を犯した者が修羅と成って怨霊となるながれは、『屋島』など修羅物の能からです。
■「マレビト」は折口信夫が提唱した概念で、訪れてくる者、民話等のなかの来訪神のことと理解しています。