様々な濃度で茶色い洋館たちは、魔法界に比べてはるかに整然と並んでおり、まるで絵でしか知らない明治時代の銀座に訪れたかのよう。レンガづくりであるように見えるのに、どの建物も一階はガラス張りだ。そういう美しい街並みのなかに、モルモットのように可愛らしい車が輝きながらひしめいている。
ガラハッドの見たロンドン・チャリングクロス通りは、そういう場所であった。
「 わあ、凄い――――!! 」
なんという車の量だろう。
見知らぬ都市って面白い。歩く人のための信号機まであるなんて、ちょっとやりすぎで可笑しくないか?
心までずぶの魔法族というわけではないガラハッドの、驚きの対象はとことん最近の技術だ。
うわあ足を出しておられるご婦人がいて、視線に困りますねということなどもあるものの、もともとはマグルの大学生として、興奮のあまり喋らずにはいられないとき、魔法使いにしてはいやに理屈っぽくて、マグルとしてもなかなかニッチな質問が続いた。これが実に歯科医であるグレンジャー氏にとっては答えやすくて、観光開始からわずか数分後、ガラハッドとハーマイオニーの父親は、歳の差を忘れてすっかり意気投合していた。すぐ後ろを歩く母娘が口を挟めないほど、二人は歩きながらずっと喋っていた。
「 電導効率が向上しているとはいえ、これだけ街中に電気があると、電力それ自体が足りなくなりそうです――――発電は?どうしてるんですか?あっそういえば電線がないな!? 」
「 再生可能エネルギーは三割止まり。やっぱり、主力は天然ガスですよ。石炭はもう使いませんね。これからは原子力だ 」
「 再生可能エネルギー???え、そんなものが、三割もあるんですか?無限に新しくなるの?ど、どういうこと? 」
「 それはですねえ 」
「 ちょっと、あなた! 」
グレンジャー夫人が止めに入った。意気揚々と喋りだすところだったグレンジャー氏は、夫人に肩を叩かれて口を噤んだ。
グレンジャー夫人は小柄な人物で、その微笑みかたは素振りはとても上品なのに、やはりこの世界の女性はなんだか強い…。
前々から気づいていたことだけど、こうして女性が男性に優越する瞬間を見ると、古い習慣の家に育ったガラハッドは何度でも驚いてしまうのだ。そういえば娘を全寮制学校にやっているわけだし、肩肘張った感じがないが、グレンジャー夫人は職業婦人なのかもしれないと思った。
寺の息子だった自分には、生前縁遠かった存在だ。
「 ねえ、アイスクリームはいかが? 」
グレンジャー夫人は近くのカフェを指さして言った。どうやって断るべきか、ガラハッドは少し躊躇った。
ストリートを見るのは面白いし、アイスクリームならばさっき食べたところだし…。
しかし夫人が次のように付け足したので、これは断ってはならないなと思った。
「 あなた、私たちが魔法界のことを聞かないと!あのう、坊や――――ガラハッド君、あなたとっても賢いわ。そこでね、ちょっとご相談があって 」
「 ああ、すみません…僕が魔法界の話をするんでしたね 」
「 素敵なところだとは聞いていますの。ただね、私たち“あちら”の―――物価とか――――法律とか、常識とか、この子に持たせてやるべきものとかが、わかりませんでしょう?とっても、それによって困っていまして。どうかしら?お茶でも… 」
「そうだった」とグレンジャー氏も、頭を掻き掻き夫人へと同意した。
「そうでしょうそうでしょうオリバンダー先輩は凄いでしょう!」とハーマイオニーは、まったく話の内容に沿っていないし、自分のことでもないのに鼻高々だ。ガラハッドは、咄嗟にマグルの貨幣を持っていないことを心配したが、自分は子供だし、ここは当然奢ってもらえるよなと思った。――――なんだかこそばゆい気分だ。
導かれるままについていった先ではタイミングよく、夫人がウェイターに声をかけるときにすかさず、ガラハッドはテラス席を望む旨を告げた。
うるさくてかなわなかったハーマイオニーは、この瞬間突然静かになった。
「 テラスは暑いですよね。すみません。でも、お付き合いください。 」
「 ええ… 」
グレンジャー氏は困惑して言った。
この店は、そんなに大きなカフェではないから、パラソルを備えたテラス席は一ヵ所にしかなくて、使うべきテーブルはおのずと決まっている。だがウェイターに椅子を引かれたって連れがいるのなら、我先にとは紳士は座るもんじゃない。そういうことがわかっていて、板についており、こんなことの言える娘ぐらいの年の子供を、グレンジャー夫妻は初めて見た。ガラハッド少年は、さっきまでは子供らしく自動車などを見てはしゃいでいたから、傍目に見てその二面性は強烈だった。
「 こちらこそこのような場で申し訳ない。 」
ハンカチで汗を拭きながらグレンジャー氏は言った。
娘の言うことは、9割9分まるで御伽噺のようだったが、この少年が王子であるということだけはもしかしたら、本当かもしれないと思ったのだ。
畏まられるとガラハッドは困った。
「 そんなそんな。僕たち“ちょっと変わった人間”は、みなさんの前でむやみに“テクニック”を使えないし、“あちら”についてべらべら話せないんですよ。法律がありまして――――ですからこれから僕がする話は、“この辺りの人”には聞こえないほうがいいんです。なのでこの席がよくって 」
「 ほう、“そちらの界隈”にも法律が!? 」
「 どんなものがありますの?未成年に関する法はあります? 」
大急ぎでの着席だ。椅子取りゲームのように夫妻は座り、ガラハッドの話に前のめりでくいついた。
ハーマイオニーも席に座って、お上品にメニュー表を開いた。けれど、両親はメニューには全然目もくれないし、ここには面白いものは何も載っていない。
グレンジャー夫人は熱心にガラハッドのほうを見ながら、膝のうえにハンドバッグを置いて、中からiphoneを取り出した。手帳型ケースに包まれていたので、ガラハッドは初めそれを本かと思った。もちろん、開けば「違う」とわかったのだが。
「 なんですか、それは? 」
ガラハッドにはそれは鏡に見えた。
「 ごめんなさい。重要なことですから、メモをとりたいと思って――――これは 」
「 iphoneよ。電気で動いてるの。コンセントから直接電気を流さなくてもね、さっきパパが説明していた“バッテリー”を使って、こういうものが動くの。電話でノートで、地図よ 」
「 で…電話でノートで、地図ぅ? 」
「 そうよ。メッセージもやりとりできるわ 」
「 ???? 」
ガラハッドは意味がわからなかった。
たちまちメニュー表を畳んで押しのけて、得意げにハーマイオニーは身を乗り出した。
「 試してみる?きっと驚くわよ 」
もちろんガラハッドは首を縦に振った。すかさず喋りだしそうになった亭主をグレンジャー夫人がとりおさえるも、娘は構わずしゃべり続けるしで、座る場所を求めてカフェへと入った手前、適当に頼んだ飲み物をウェイターが持ってきたとき以外、このグループはひっきりなしに誰かが何かをしゃべり続けていた。声に声をかぶせて喋っているようなものだが、グレンジャー一家は誰もそのことを苦にしない。きっと普段からにぎやかな家族なのだろうと、老人と二人暮らしのガラハッドにはまぶしかった。美しい夏に、少女の笑顔と前歯と栗毛は、生き生きとして輝いている。
「 ふたりはね、私に口座を持ちなさいって言うの。わかるわよ、毎年一年分のお小遣いを、一度に両替して持っておくっていうのは不用心よね。でもね、グリンゴッツの口座にこっちの口座からの送金って、どうやってやるのかしら?ああ、あとで、ATMを見るといいわよ! 」
「 駄目よATMで騒いでいたら警察が来ます 」
「 そうだな――――うん、わかるぞ、でも君ってまだ未成年だからな。“あっち”の銀行だって、“こっち”の銀行とおんなじですよ。身分証明書がないといけない。 」
「 それは、どうやったら手に入るんだい? 」
「 ホグワーツの卒業証明書、かな。普通用いるのは。 」
つまりハーマイオニーは当分、グリンゴッツに口座をつくれない。ハーマイオニーの両親は当然口座をつくれないし、娘につくってやることもできない。
情けも何もない結論に、「おう」と呻いてグレンジャー氏は黙りこんだ。夫人はしばらく何か考えていたが、さらにこんなことを訊ねた。
「 学費は要りませんと、娘から聞いているんですけれど。去年いただいた書類にもそう書いてありましたし、そうなのねと思っていたんですけれど――――話を聞いていると、すごぅく、立派な学校だっていうじゃありませんか。“ナントカ省”が、助成金、補助金を? 」
「 本当に無料ですよ、本当に。娘さんが将来奨学金返済に苦しむとか、そういうことはないですよ 」
「 ああよかった 」
「 ねえママ、お金の話はもういいでしょう?全部私の言ったとおりじゃない!私のこと、全然信用してないんだから―――――ちょっとスマホ貸して!ガラハッド、ふふふ、これ試しましょう?今から凄いものを見せてあげるわ。負けていないのよ“こちら”も!これって絶対、“あなたたち”は驚くやつだわ 」
「見てて!」とハーマイオニーは、母親にねだってiphoneを借り受けると、ガラハッドにも画面が見えるようにそれと体を傾けて、人差し指で液晶をタップしてみせた。
ガラスのような板の内側に色鮮やかな図像が表示されているだけで、ガラハッドとしてはもうじゅうぶんに驚いている。
ハーマイオニーが地球儀のような絵をつつくと、その絵は最初鏡のように見えた板全面に広がった。
板の中では、宇宙から地球を見下ろして、軌道を周回しながら加速し地表に降り立つ映画が上演された。
ガラハッドはじっくりそれを見つめたのち、停止した画面の景色に見覚えを感じ、すぐそこにあるビルと板の中とを見比べた。
こちらの世界のカメラは、前の世界のカメラよりも大変高性能であることは察しがつくとして、実際に人が宇宙に行って地球を撮影するわけもなし、今のは、一体どこまでが絵をつなげたもので、どこからが実際の映像になったのか――――幻と現実がどこで切り替わったやら、あと十回見せてもらっても、わかる気がしないのが怖いもんだ。
「 実質、魔法じゃん 」
画面のなかに見えている建物は、やっぱりすぐそこにあるものと同じだ。
どういうからくり?どこから撮った写真なんだこれは?と、咄嗟に上を見上げてしまうけれど、見えているのは清い青空ばかり。
どうして現在地がつかまれるのだろう?もしかして、あの空は人工だったりしてと、ガラハッドは真剣に考えて目を凝らした。
「 わっかんないな…うーん君って、この手のものには驚かないんだな。僕ひとりが驚いていたのか、こういうのには。 」
「 あら意外。反応薄いわね 」
「 仕組みがわからないけど、要するにそれは、“君たち版おかしな本”だろ? 」
魔法界にもそういう本はある。
「本の形をしているのに開くと映画で、読み手の事情に合わせてくれるもの」という意味でガラハッドは言っていた。
なるほどそういう意味で「電話でノートで、地図」ね。OK、だいたい理解した。
こういう特殊な本で上演される映画は、誰かの記憶と幻がつながっているのである。読者が目次や索引を使えない代わりに、本に話しかけることでめあてのものを見ることができる。
それにしても、オリバンダーの家に転生して、アラベールの書斎で初めてこのような本を体験したとき、自分はとんでもなく驚いたものだが――――驚きすぎて、幼い身体は興奮に耐えられず、悲しいわけじゃないのにギャン泣きしてしまい、そのまま熱を出してしまったくらいなのだが――――こういうのにびっくりするのって、異世界人である俺だけだったんだなあ。
なんだか恥ずかしくなってきてしまって、ガラハッドはほんのりと肩身が狭かった。
その横顔にハーマイオニーは言った。
「 どうしたの? 」
「 いや、ううん…。なあハーマイオニー、それって、こういうことはできる?たとえば、この住所の場所はどこか尋ねるとか。 」
「 できるわよ。ヘイSiri! 」
名前があるとな?ちくしょう妖精まで憑いてんのかいそのノート!
電気の力で働く妖精って、どう設計されてんの?
いや、この発想、前の世界の感覚を引きずりすぎ!?
今グレンジャー氏に尋ねたら、夫人はまた呆れるかな…――――女性の顔色を窺って、黙って感嘆の息をつくしかないガラハッドだった。そんなに驚いてもいないような顔で、平気そうにハーマイオニーは言った。
「 あら?おかしいわ。そんな住所、無いって言われちゃった。 」
「 発音が違うんじゃないかしら? 」
「 そうかも?じゃあ、キー入力してみます 」
あっそいつ、タイプライターでもあるんだ・・・とガラハッドは、また驚かされて静かに生唾を呑んだ。
どんどん小さくなっていきながら目だけを皿のようにして、言葉もなくガラハッドはグレンジャー母子の作業を見つめた。彼女たちの指使いがまた凄いのだ。催眠術師のような手つきで、何がどうなっているんだかわからないものを、なめらかに素早く操っていく。
本当の異世界から来た自分ばかりが驚いているだけで、この世界の住人は、マグルも魔法族も達者に奇天烈を使いこなしていらっしゃる。
キー入力でもその住所はヒットしなかった。
するとグレンジャー氏が、この本が上演するものはすべて真実だから、架空なのだとしたらこの住所のほうだと言いだした。そうかもしれないけれど、その言い分はなんだかドキッとするものだ。普通に考えて「その本にはたまたま載ってないだけ」じゃないのかと、ガラハッドには思えたけれども主張する自信がなかった。
ギャリックの顔つきは揶揄うようなものではなかったし、自分がかつて住んでいた場所について、ギャリックが法螺を吹くメリットは無い。
ギャリックの寄越したメモをテーブルに置いて、グレンジャー一家とガラハッドは、ひとつの輪になったまま真剣に話し合うはめになった。スペルミスゆえの“検索結果0”ではないかと、怪訝顔でそれぞれの端末を熱心にいじる両親と違い、ハーマイオニーは至極落ち着いていた。
「 オリバンダー翁が書かれたメモなのよね? 」
彼女はジンジャーエールを味わった。ちゅるちゅると氷しか残らないほどにジュースを飲み干すと、悪戯っぽい顔で両親に“あちらでの常識”を説明した。
「 “あっち”ではこういうのは、大抵なぞなぞよ。魔法使いって、何でもなぞなぞにするんだから 」
「 そうですね。僕らの界隈では、多くがそうです。曾祖父は『百年前に住んでいた』と言っていました。『迷ったらプラタナスに聞け』とも。――――この辺りがヒントでしょうね 」
「 あら、それじゃあ単に古い住所なんじゃありません? 」
「
「 え…戦前?戦争があるんですか?この世界にも 」
「 ええまあ、昔の話ですがね。――――いいや良くないなこの感覚は。ええと、どこから説明すればいいかな。その昔、世界中を巻き込む戦争があったんだ。そのときロンドンは、空から攻撃を受けた。それで、街の形が変わってしまって 」
ガラハッドがぽかんとしていると、仕切り直すようにグレンジャー夫人が言った。
「 書店に行きましょうか 」
グレンジャー氏の話は終わりだ。夫人は、店員をよんでカードでガラハッドのぶんまで会計すると、伝票を待つ間にチャーミングに笑ってこう言った。
「 百年前の場所を探すのよね?なんだか、私まで楽しくなってきたわ。冒険って素敵ね。こういうことなら、ネットより紙よ。復刻版AtoZを買いましょう! 」
「 AtoZって? 」
「 地図のことさ。一番詳しい道路地図。復刻版なら戦前のことがわかる―――――ジャック・ザ・リッパーが現れたところまでね! 」
ニヤッとグレンジャー氏は笑った。「へえ!」という声は二人ぶん揃った。
車を運転するわけではないハーマイオニーは、マグル生まれだけどもAtoZを知らなかったらしいのだ。
彼女もまた、勢いよく立ち上がって微笑んでいた。童心にかえりつつある両親に、なんだかとても嬉しそうだった。
「 宝探しの気分でしょ? 」
ひょこひょこと上を向いたまま歩き、少女は陽に笑顔を輝かせて言う。
「 魔法界の魅力がわかる?毎日がこの連続なの! 」
四人はカフェを出て、別の場所に向かった。
ショッピングモールの三階にある大型書店は、流行本以外も豊富にとりそろえている。
日頃専門書や人文書、オピニオン誌を買う硬派な書店に、夫妻は子供たちを連れていくことにした。
道中驚きで口を開けっぱなしのガラハッドは、ありとあらゆるものを見て「ほぇ~」と息をついていた。
「 そら日本は苦戦するよ… 」
空襲を受けた?本当に?
街ごと作り直すほど爆撃されたのに、この繁栄ぶりだというのか?
もうたいがい電飾やエスカレーターは見慣れたが、とにかく、物量、物量がかなり凄い。すべてのものはぎっしりと並べられ、我らが福屋百貨店が霞んで思える。
福屋くらいでおめでたく、「駅前のんはしょぼいけん~八丁堀のんに行かな~」とか言ってた俺は田舎っぺですか!?本通り商店街に千日前、ダイアゴン横丁、日によっては牛歩でしか進めない賑わいになる場所で育って、前世も今もシティーボーイを自負していたガラハッドは、アイデンティティの危機に直面していた。
「 さっき大空襲があったって言ってましたよね? 」
言いながら、ひどく懐かしさが溢れて、自然と笑顔がこみあげていた。
つまりこの世界とあの世界は、時間差があるだけで同じところ!!?
そうだよな。そういうことになるよなと、嚙み締めれば噛み締めるほど、溢れ出る笑顔を止められない。声は上ずって、躍りだしそうだった。
「 ヒロシマって町知ってますか? 」
「 ああそうか、今日は8月6日だね 」
明るくグレンジャー氏はこたえた。
「 特集記事が出ているよ。ちょっと見ていくかい? 」
「 え? 」
彼は書棚を指さしていた。
言われるまでもなく、ガラハッドは足が動かなくなった。グレンジャー氏が指さした雑誌棚には、見せつけるようにずらりと、見覚えのある建物の残骸ときのこ雲と荒涼とした地の写真が並んでいたのだ。
「 ――――!!!! 」
ガラハッドは動けなかった。
べったり青い夏の天に、瀬戸内海から湧き上がる雲。宮殿のように聳える入道雲を眺めるため、敢えて広島城には背を向けて。銀色のドームの輝きに、やあ夏やねえなどと実感してはしゃぎつつ、相生橋で涼をとりながら、今観てきた映画の感想を連れと言い合ったりした。
そんな夏休みがあった。
楽しかった。
克明に覚えていた。
覚えていた、そのつもりだったのに…。
おかしいな、写真を見ていたら、全部幻だった気がしてきた。
だって今の自分には、鯉城通りがどこかもわからない。
手前のは、産業奨励館だと思うが、こんな形をしていたっけ?
汚らしい蝋で出来た虫みたいに、ハイカラだったはずのドームは骨が出てひしゃげている。
いいや残っているだけまだマシなほうで、広島城とか千代田ビルとか女学校とか、大きくて目立つはずの建物が、この写真では影も形もない。この距離でドームを撮っているのだから、写っているはずのものたちがあまりに写っていないもんで、一体どっちの方角から撮ったものやら、地元も地元なのに、ガラハッドはあんまりよくわからなかった。
わかりたくない気持ちが、頭を働かせなかったのかもしれない。
魂が、大きな大きなブランコに乗り始めたみたい。眩暈まで感じながら、ガラハッドは初め力なく言った。
「 え。な…ぜ…?湾にまで敵艦が侵入してきた? 」
本当に、意味がわからない。
意味がわからない。
ふざけんなよという意味で、意味がわからない。
「 戦艦大和は?――――呉の海軍は、いったい何をしていた?なんで!?俺たちは、ちゃんと足留めしたのに!!! 」
「 ん、どうしたんだい?これはね、核兵器だ。非人道的だよね。一発で6万人だ。 」
「 ろくま…6万ンン!?!? 」
広島の人口は8万人だ。つまりそれって、75%もの市民が亡くなったということではないか!
ガラハッドは、五臓六腑がすべてひっくりかえりそうになった。
「 そんな兵器あります!? 」
「 それが、あるんだよ…マグル界の恥ずべき部分だな。原爆症による死亡も含めると、死者は約11万人だと謂われていてね。 」
それじゃ生存者はゼロじゃないか。
広島市民、全滅。
…いいやわかっている。この考え方は、数学的にはおかしい。
けれどガラハッドには今何よりも何よりも、写真の中にあるはずの自分の家の位置がわからないことが、重大な関心事で、それ以外のことは何も考えられなかった。
消えている。
そんなことは、見てわかっているから探すだけ無駄なのに―――――探すことをやめられないのだ。探すほど、探すほど、思い返したものは最初からなかったかのように思える。グレンジャー氏の声は穏やかに、雨のようにガラハッドに降り注いでいた。
「 マグル界ではこうして、原爆が投下された日になると核兵器拡散禁止条約の是非について議論する風潮がある。ただ大きな爆弾とは、原子爆弾は違うんだ。そもそも、核エネルギーというのは――― 」
辞書でも読むかのようにグレンジャー氏は言った。
核兵器についての説明や考えられ方の話を、俺に語りこんでなんだというんだろう。消えていった人の子を前にして、何様のつもりだろう?
ガラハッドは、なんだかその瞬間、グレンジャー氏の態度がとてつもなく憎くて許せないものに感じられて、どうしてどう許せないと思うのかにも全然気が回らなくて、堪えようと思う暇もなく、突然ぽろりと泣きだしてしまった。ぽとぽとぽとりと涙が落ちて、珠みたいに散った。ハーマイオニーは、そんな茫然として涙だけ流すガラハッドに気がつくと、飛び上がって隣に駆けつけ、ハグして首をひねり親に文句を言った。まっとうな文句だった。
「 もう、パパ!なんで今そんな話するの?ガラハッドは魔法の杖を売る子なの。難しい話、残酷な話、しないで。魔法界にはそんなものないの! 」
「 ――――ッ! 」
ああ、嗚呼、そうだったなとガラハッドは、この一言で、我に返ることができた。
たしかに、魔法界にはそんな凶悪な兵器はない。
そもそも、魔法界には戦争がない。
そうだ、そうだ、今は、赤の他人の身の上であるガラハッド・オリバンダーが、遠すぎるヒロシマを想ってこんなところでボロ泣きしたら、変じゃないか。おかしいじゃないか。
グレンジャー夫妻を困らせるし、道理に合わない。
ガラハッドは、ズッと鼻をすすってポケットからハンカチを取り出すと、上品に涙を吸いとって、たちまち少し笑った。
地獄を味わってきたのだ。
笑ったような表情を維持するため、血を味わうことになるほど頬の裏を強く嚙むことなんて、この霊魂にはいまさら平気だった。
ああ魔法使いに転生してよかった!
命をかけた祈りですらも、マグルに生まれたんじゃ叶いっこない。
意地悪な笑いがこみあげて、ガラハッドはひらひらと手を振った。
「 すみません。娘さんの仰有るとおりだ。少々刺激的だったので、取り乱しました。 」
「 こちらこそ申し訳ないわ。理解が至らなくて… 」
そう詫びて夫を睨むグレンジャー夫人は、もう近くのどこかの棚から、AtoZと書いてある黄土色のペーパーバックをとってきていた。彼女は後ろから本を開いて、索引にあたりながら言った。
「 kenot…次は、何だったかしら?せっついてごめんなさいね。でも、遠いといけないでしょう?こういうのって、絶対に見つけ出したいじゃない 」
「 aです。ケでもキでもないなんて、どう発音するんでしょうね。つづきはp-i-o-n 」
「 地名ってそうよねえ。―――まるでギリシャ語みたい。全然わからないわ 」
苦笑しながらも夫人は、索引のなかで目当ての通りを見つけたようだ。ハーマイオニーは伸びあがって母親と同じものを見て、索引記号から地図の一部分を探した。
「 あったわ! 」
とても明るい声。
霧を晴らすような笑顔に、ガラハッドはこの子のことがなんだか好きになってきた。主婦であるのに押し出しの強いグレンジャー夫人のことも、とても素敵な人だといまや感じられる。
「 よかった、近いじゃない。ここからバスか、地下鉄ですぐよ 」
「 地、下、鉄!!是非とも乗ってみたいです! 」
「 ガラハッド君は、交通手段にも興味が? 」
「 もちろんです。発展めざましい! 」
地下鉄道なんて魔法じゃん!?
路面電車が標準で、銀河鉄道と地下鉄道は魔法。そういう感覚でガラハッドはあのころ生きていたし、今もどうしてか此処で生きている。
再び目を輝かせたガラハッドに、グレンジャー一家は頬を弛めた。
* * *
「 じゃーん! 」
おみやげの袋を掲げてギャリックに見せて、腕白坊主のガラハッドは可愛らしく笑った。
ギャリックの生家があったところは、今ではどーんと太い道路になっていた。
トラファルガー広場の南のほうで、いい感じにビッグベンが見える、凛々しい空気ながれる官庁街だった。
「 ずいぶん良いところに住んでたんだな爺さん!すごいじゃないか 」
「 お貴族様みてえだろ? 」
「わしゃ宮殿のゴミ漁っとった!」とギャリックは大笑い。ガラハッドは、あのあともグレンジャー親子とマグルの町見物を楽しみ、ホワイトホールを歩き、ウェストミンスター宮殿の工事を眺めるなどした。
その工程と重機にガラハッドは釘づけで、あまりにも熱心にガラハッドが聞き入るので、機械や医療や制度について、パパは喋りすぎだわ聞きたいのは魔法の話なのに!と、たびたび母娘は仲良く文句を言った。なんだか、それが定番の掛け合いになってきて、四人でのドタバタは本当に楽しかった。
ガラハッドは、ハーマイオニーとおこづかいを交換し、いろいろとギャリックにおみやげを買って帰ってきた。いろいろといっても、すべてホームセンターで売られていた、各種の材木のはしきれである。何故そんなものを欲しがるのかと、グレンジャー夫妻は言いたくて言いたくてたまらない顔をしていたが、親しくなったなかにも礼儀のある、立派な人たちなので、「お尻がかゆい」みたいな顔でこらえていた。きっと魔法界の子だからだろうと思われていたが、残念これはオリバンダー家の子だからである。
「 ふむ…見ねえ顔だな 」
ギャリックはこのおみやげに驚かなかった。それどころか端材を受け取ってギャリックは、灰色の目を銀に光らせてあれこれと熱心に見た。
角度を変えてみたり、ひっくり返したり手触りを確かめたり。
電動糸鋸で削られて、端材の一面は毛羽立っている。
「 腕の悪い職人だな。気の毒に、お前さんどっから来た? 」
「 マレーシア産パルダオだって。クルミの樹より硬いらしい。それフローリング材の端っこ 」
「 ふむ―――そっちも見せろ。そこに全部並べていけ 」
やっぱりな、とガラハッドは思った。このプレゼント選びは、ギャリックを相手にするには大当たりだ。
アジア木材の検分に、ギャリックは大忙しだった。
日頃接しない樹に夢中になって、その夜は晩酌を忘れていた。
ちょっと残念だったのは、名だたる神々に通じることから、必ず特別な杖となる桜・橘・榊の樹の材木は、ロンドンのホームセンターでは売られていなかったこと。けれども日本を思い起こさせるものには、しばらく触れたくないから、ちょうど良かったなと――――ガラハッドには、正直ホッとする気持ちもあるのだった。そう、そうなのだ自分は、オリバンダー家の子供。樹木と共に生きる技を磨いて、人間と神々をつないでいく。そう思うことでガラハッドは、自分なりに心を守っていた。
曾祖父の耳を喜ばせようと、いろいろと見たものを話した。
「 どの建物も綺麗だった。今はロンドン警視庁が、すぐ隣に移転してて 」
「 んほぉ!?そいつはちびっちまわぁ! 」
「 すっかり変わっちゃったみたいだけど、ばっちり護られてくだろうね、あの場所は。大丈夫だよ、爺さんのホームは… 」
…きっとそうだよ、と。口にするときの切なさをどうしよう。
■kenotapionはセノタフと読みます。ギリシャ語です。意味は「空の墓」。二つの大戦期に国威高揚に使われた、英国最大の戦没者慰霊碑です。主人公が前世に住んでいた家も今は公園の一部ですね。と、いうことは金融一家出身べらんめえニューヨーカーのアラベール生家も、ロウアーマンハッタンの公園内にあるんですね。
■イギリスが舞台の一族モノといえばジョジョ!本作オリバンダー家はジョースター家のパロディです。だから一人めが英、二人めが米、三人めが日で、三者は単純な親-子-孫関係ではない。ギャリックの性格はジョナサンとディオを足して2で割ったもの。素直じゃなくてなんでも馬鹿にして成り上がりを誇っているところがディオ、家族を愛していて探究心に優れるところと余所行きの顔がジョナサン。アラベールはジョセフとシーザーを、主人公は承太郎と花京院を足して2で割った人。なお足して2で割られている二人は、全組み合わせがジョジョ原作中で親友かつ死別している。マグルの忌み嫌う魔法使いらしく、最高に縁起が悪い人たちにしてみました。