「おやすみ」を言うわけでもなく小塔の部屋に去っていくマスタングの背を、ガラハッドはしばらく黙って見送り続けた。ただのぼっちのくせに一匹狼を気取って、同室生をもきっと対象にして、「負け犬を哭かす呪文をつくってやる」と語るあの少年の、あの才能は贋じゃないから、怖かった。
ナナカマドの樹は彼をどこへと連れていくのだろう?そう悪くないところであるといいが…。
「 あれ? 」
部屋に戻ってすぐのこと。
ガラハッドは、机のうえに一冊の本があることに気づいた。
文庫本みたいな大きさだが、多少厚みがあって縦向きに長い。
誰かの落とし物が、間違えて自分のスペースへと届けられたのだと思った。
だって名前が書いてあるし、小汚ない。
ガラハッドは、てっきり同室の二人のどちらかだと思ったので、つかみあげて名前を読み上げようとして、口ごもった。
「T,Mリドル」そのように表紙に記名してあるが、こんな名前の奴は同室どころか、レイブンクロー寮のどこにもいない。
「 ―――…? 」
( 他寮生?ああ、違うか、あの卒業生だ! )
トロフィー室で見かけたことがある。
ガラハッドは思い出した。
おっとロイ・マスタングのことで頭がいっぱいだったが、この名前は大変重要なのだ。ホグワーツの歴史に名をのこす、とてつもなく優秀な生徒なのだから。
このトム・リドルというのは、前に“秘密の部屋”が開かれたときの、ホグワーツ特別功労賞受賞生徒なのである!しかもこれは日記!このなかには、当時の彼の記録が残っている!?
「 やるなあ爺さん! 」
じわっと微笑んでガラハッドは天蓋のカーテンを閉めた。
さすがはダイアゴン横丁で商って一世紀。偏屈なように見えて、あれで人脈は凄い。
ガラハッドはニヤニヤしつつ思っていた。リドル氏は現在60代のはずで、ガラハッドは彼の存在を知ったとき――――それはもう三ヶ月くらいは前のことであるが――――彼の消息を知り助力を得たいと考えて、その旨の手紙をギャリックに送っていたのだ。
けれど、今日まで返事はなかった。
ガラハッドがホグワーツから送った手紙に、ギャリックが返してくれた試しはない。
重要な用件であるのに、さすがに酷いぞと思っていたところだった。
「 くっくっく 」
論より証拠。手紙より本人の日記。
いかにもギャリックらしい、最高のお返事じゃないか。
そんなこんなでガラハッドは、銀色の目を甘く細めながら両手で日記帳を開いた。ところがそれは白紙だった。
「 !? 」
ガラハッドは、咄嗟に「はぁ?」と叫びかけた自分に苦笑いした。
おっと、まだまだだな俺。うっかり前世の先入観が、いまだに抜けていなくて…。
こんなことではあのクソジジイに嗤われる。
とはいえあまりお舐めくださいますな魔法界14年めを!
ガラハッドは一度ぱたんと表紙を閉じて、リドル氏の日記帳を机のうえに置いた。
右手には杖をとりだして、左手で表紙を撫でさすった。
意識を集中させて考えていく。
透明インク?噛みつくタイプ?吸い込むタイプ?いいや違うねこいつは“バッテリー”みたいになかに魔力を溜め込んでいる。
正解は上映タイプだ!
本に姿を変えられた“憂いの篩”かと思いきや、ちゃんと木から出来たものの気配がする。
いや~リドル氏はわかってますね~そうそう羊皮紙より革より、強い思いを宿らせるなら樹木で出来てる紙パルプですよ。魔法界よりマグル界製なんですよ。
なるほどますますわかってきた。
この日記は、秘密の部屋への行き方その封鎖のしかたが、克明に書いてあるから、悪意のある者か馬鹿に見られると大変なものなわけだ。魔女と魔法使いのなかでも、樹に流れる血――――樹木の宿す神霊がわかる者だけに読み解くことができる、なかなか難しい本だと言えよう。
「 …うーん 」
ガラハッドは、しばらくのあいだ真剣に日記を撫でて可愛がっていたが、二三十分ほどそうしたあたりで、だんだん諦めに負けていった。
どうしよう。「読めません」という手紙をギャリックに送るのは、無茶苦茶恥ずかしいし今度こそ呆れて無視されそう…。ギャリックは師匠として、曾孫にはこれが読めると思って送ってきているわけだ。
やり方がまずいのかな?約50年前の紙なら、自分にも、いけると思ったのだが…。
昨夏グレンジャー家から送られてきた漂白再生紙には、さすがのギャリックも「お前さん何がどうなったんじゃい!?」と元の樹の正体を掴めずにいた。
けれど、他はちゃんと磨いたり撫でたりして可愛がり、元の樹木となんのかんの語りあっていた。
ガラハッドもその術を教わった。正直に言うと、復習はしてこなかった。
ガラハッドは、「自滅」という言葉をまたしても思い浮かべた。
「 うぐう、せめて手漉き和紙であれば…! 」
溜め息をついたってどうにもならなかった。
ガラハッドはベッドでしばらく不貞寝をして、腹が減ったので食事をしにいった。
大広間の最上座は今宵も空席である。
ガラハッドはちらりとそれを確認してから、黙ってレイブンクローのテーブルで夕食をとった。本人の予言通りアルバス・ダンブルドアが解雇されたことくらい、ガラハッドは一切何とも思っていない――――思わない、ことにしている。ここしばらくガラハッドが妙味を感じているのは、いまだに誰も新校長として着任していないという、その事実のほうにであった。
あんな着任後即責任をとって辞任させられそうな席、いくら名誉だとしても誰も座りたがらないわけだ。
つまり、「これからもまだ事件は起きる」と――――「自分ではそれを防げない」と、魔法界の重鎮たちはこぞって考えている。夏が始まりつつあるのに、このところ城内にはますます絶望感が漂っているのは、上級生たちがそんな大人の思惑に気がついて不安定になっているからだ。
近頃のレイブンクロー生たちは、まさにその煽りをくらっている。
「 なんでホグワーツは閉鎖されないのかな 」
溜め息をついてマイケルが言った。その隣では、昼間過呼吸で倒れたテリーが、どうにかスープで栄養をとっていた――――この緊張感に耐えられない子はいるものだ。
ガラハッドは、そんな後輩たちに対して、いろいろと答えの候補を思い浮かべたが、今の現実を前に「あらゆる家庭の子供に教育を保障するため」というのは、能書きであるような気がした。近頃はマグル生まれがみんなやられたら、次に狙われるのは半純血だという噂が広がっていた。テリーはそれを恐れているのだ。
教職員席のほうを見やりながら、「機を逃したんだろうな」とガラハッドは言った。
「 先生がたは、休校にするならば一人目のときにすぐ休校にしておくべきだった。今、半純血がやられた途端に閉鎖になんて踏み切ったら、みすみすマグル生まれとの扱いに差をつけることになる―――――何か言いたそうだな? 」
二人は何も言わなかった。彼らは動かなくなってしまったので、自分が寮に帰るときにロジャーは、ぽんぽんと彼らの背中を叩いて歩き、引き際を知らせた。
後輩たちを引き連れて帰寮すると塔には、またしても長蛇の列ができあがっていた。
今度の問題は、ガラハッドにとっては易しかったが、さっきのことがあったので今は正解を言いたくなかった。そういうわけで黙って突っ立っていると、集まってくる視線がこれまた鬱陶しかった。「二度も同じ手は通じんぞ」という視線を、ガラハッドはロジャーに浴びせかけてやった。
ロジャーは、ばつの悪い顔つきでしばらくもじもじしていたが、やがて神妙に「頼むよ」と言った。
「 僕が18時に寮を出たことは知ってるな? 」
みんなを見回して付言しながら、ガラハッドは我ながら小さい奴だなと思った。
「 わかってるよ―――監督生が何か言ってきても、俺が保証するから。機嫌直してくれ。 」
「 ローザ・アルバ 」
ガチャリと鍵の開く音がした。次の問題を出す役をマリエッタに押し付けて、ガラハッドはそそくさと部屋に戻った。
こういう日は長く風呂に入りたいけれど、集団生活をしているとそういうわけにもいかない。
ガラハッドは、御しきれない憂鬱を抱えてごろごろして、本当の就寝の前になって、しぶしぶ再び机に向かった。
身内びいきになるけれど、ギャリックはなんやかんや凄腕の魔術師だ。
どういう手を使ったかわからないけれど、《Write the diary》などとメッセージを残されたのだから、例の日記には、困ったら最悪書けばいいことは最初からわかっていた。
小癪だが、それが“上映”のスイッチだ。
読み解けないんだから眺めるしかない。
三色ボールペンをもてあそんで、力なくガラハッドはぼやいた。
「 何書こうかな 」
ここで、ひとつ思い出してほしい―――。
――――ガラハッド・オリバンダーという少年は、私生活では滅法筆無精で、メモ魔だが実務的でない文なんて全然書かないのである。
カチリとボールペンを鳴らして、今、ガラハッドは、いい加減に日記帳を開きいきなり大きく斜め線をひいた。「こんにちは」とか「元気?」とか、「6月1日、今日はちょっとブルーな気分」なんか、この少年が書き始めるわけがなかった。
真っ白なノートに、が~っと描かれたお星さまのマーク。すなわち落書きか。いいやこれも、“ガラハッド卿伝説”のひとつである―――!
『 ッ~~~最高だ!!! 』
リドルは歓喜した。やっと、やっと相応しい者に持たれることが出来た。
ルシウスの見立ては正しかった。
インクが吸い込まれたところで、乱暴なボールペンでの筆跡は消えるものではない。
斯くして不滅の五芒星が、T,Mリドルの日記に刻まれた。
「ローザ・アルバ」は白薔薇のこと。以前に便器の上の上に腰かけていたハーマイオニーを、主人公は「白の女王」と呼んだ。『鏡の国のアリス』でアリスは、赤の女王より先に白の女王と出会う。