レイブンクロー塔に異変が起きたのはその頃である。近頃多くの生徒は土日でも寮から出歩かず、レイブンクローの生徒に関しては自室からも出ずにほとんど過ごすのだが、昼食の時間だったので、日記の置いてある部屋から、ロジャーとマーカスの二人が出ていった。
すると出現する影があった。
朝は三人でこの部屋を出ていったのに、二人しか帰ってこなかった。そのことを、ずっと不満に思っていたリドルだ。彼はゆっくりと辺りを見回して、紅い眼を妖しく光らせて言った。
「 置いていくなんてひどいな 」
言いながらもわかっていた。ガラハッドは、夜になったらまた此処に戻ってくるだろうと。
今宵はどんなものを書いて寄越すか、想像するだけで今からわくわくしていた。
それで待ちきれないだけだ―――ああ彼も、アナグラムで名前をつくればいいのに。
さて、どんなのができるだろうか?
僕の依り代となる者に、ぴったりの名前が欲しいところだ。
ごく当たり前のように、リドルはガラハッドの居住スペースを検分した。
わずかな躊躇いもない手つきで、まずは机の引き出しを開けた。その中身のほどは、簡素な間仕切りと新品の羊皮紙、予備の羽根ペン、備蓄されたインク瓶――――それだけだ。リドルは手当たり次第にそこらじゅうを開け、開けてはよく眺め眺めては仕舞い、生活の痕跡からガラハッド・オリバンダーの気質を見て取っていった。
どこも整然と秩序立っている。
やはりこいつには、おつむがある。
侮れぬ感じがするのだが、可愛げのあるところも見つけて、満足してリドルはふふんと笑った。
ガラハッドは、万事につけ簡素を是としまるで仕事をするように生活しているが、几帳面であっても神経質ではないらしい。読みかけだと思われる机上の本を開くと、彼は栞の代わりに植物を挟んでいたのだ。
押し花というわけだ。
リドルは、やがてガラハッドが最も美しいときになったら、彼を不老不死にして、このようにしてやろうと思った。
これは楽しい想像だった。この自分を捨てた果てに滅んでいったほうの自分とは違って、我々は、二人で“完全”となるだろう。
「 16才くらいかな――――ふふふ 」
17では自分と並び立つ。それ以上成熟されるのは、我が隣に立たせるのには少々気にくわない。
ルシウスのような下僕とは、彼は異なるのだから。
彼は、既に才覚をあらわしている杖の術の力で、いずれ世の人間の生殺与奪を握る者。
僕たちは、いつも一緒なのがいいんだよとリドルは、微笑みながら自分の本体を持ち上げた。
日記をローブのポケットに入れて、自立して歩き始めた。
相性だけは矢鱈よかったハリー・ポッターから奪った魔力が、リドルにこれを可能にさせている。
リドルは緑のネクタイを締めたまま平然と部屋から外に出たが、レイブンクロー寮の談話室はまったく人陰がなく、ひどく静まり返っており、誰にも会わなかった。
リドルは、それもまた非常に気に入った。
「 よく統治しているな 」
我がガラハッドの仕業に違いない。
リドルは機嫌よく塔の螺旋階段を降りて、彼を探しにいった。
ホグワーツの校舎は古式ゆかしく、リドルが在学していた頃から変わらないでいる。
石造りの建物は、昼間にこそ鮮やかにその陰影が迫ってくる。高層階の廊下では、どんな絵画よりも明瞭な青空が、額縁のような窓に切り取られてどこまでも色濃く澄んでいる。
十字軍に殉じた騎士だって、こんな立派な城は知らないでいただろう。
天を衝くゴシックに、優雅な曲線のロココ。格調高いホールの装飾は、バッキンガムも斯くやというほど。
ある場所は古い修道院に、ある場所は格式ある大学に似ていて――――。
古来王侯のためだけにつくられた美しいものが、千年のあいだに、このホグワーツ城には集められている。
簒奪、その粋を競っているのだ。
初めてここに来た日の胸のときめきを、幻だったことになんかしたくはない。
この世には魔法があるんだと、この城は、語らずして鮮烈に教えてくれたから。
継いでいく者の力で、この城はいつまでもいつまでも、永遠に美しくあってほしい。外の世界なんて、関係ないのが良い。現実を思わせるようなものは、醜い。醜いものは此処には、いらない。
ところがそうして機嫌よく渉猟していても、我が依り代とさだめた少年の行方は、ようとして知れないのであった。
「 ―――…? 」
リドルは、バジリスクに呼びかけて壁のなかから気配を探させてみたが、あの鮮烈な火のような魔力の持ち主は、城の中のどこにも、いなかった。塔から見下ろしても校庭に姿は見えないし、中庭にも、魔法によって万全の湿気対策が施され、壁に配水管が存在しない図書室のなかにも、いなかった。
どういうことだとリドルは、書林でイライラと考えこまされる羽目になった。
ガラハッドは、この僕を置いてホグスミードにでも行ったのだろうか?それは流石に少々、躾の必要な振舞いだというものだ。
そのうえ嫌なことは続いた。
「 ええっ、リドル、どうしてここに?ずっと探していたわ! 」
或るひとりの少女が、ぴょこんと本棚と本棚の隙間から顔を出し、リドルのことを見咎めて素っ頓狂に叫んだのだ。燃えるような赤毛の子で、鼻にはそばかすがあった。
「 ジニー、どうした?いたのかい? 」
「 ううん、違うのパーシー。ちょっと、今は、来ないで! 」
ジニーはパーシーを押し返した。
けれどもパーシーは大きく腕を振ってずんずんと進んで来たので、リドルに駆け寄りながらジニーは、振り向いて「ばか、来ないでよ!」と顔を真っ赤にした。
「何がまずいんだ!」とパーシーは言い返した。
リドルは不快だった。つまりこのウィーズリー兄妹ときたら、招いてもいないのにこちらに寄ってきながら、ここは図書室なのにお互いに叫びあっているのである。
行儀の悪い奴らだ。
「 やあ、君とこうしたくてね 」
リドルは照れたように笑った。
思ってもいない言葉だったが、こういうのはリドルの得意とするところだった。
純真そうな顔つきから気遣わしげな顔色まで、ざっと14種類は笑顔を用意してあって、芝を読んでゴルフクラブを選ぶみたいに、状況によってリドルはそれらを使い分けることができる。
6番アイアンを打ちこなすときに、地に足のつかないゴルファーなんていない。
ベストコースで飛んだ球みたいな笑顔に、ジニーはぽうっと頬をあからめた。まったく本当にちょろくって、おはなしにならないガキだった。
「 君とこの形で会いたかったから、旅に出て、力をつけようと思ったんだ。だからこうして会えたね。 」
「 ああリドル――――最高よ、戻ってきてくれて有難う!今こうして出会えたこと、あたし神様に感謝しなくちゃ。友だちを探しているの! 」
僕に感謝しろよとリドルは思った。思ったけれど、顔には出さなかった。
「 ハーマイオニーっていう子がいないの!きっとスリザリンの継承者に拐われちゃったんだわ。お願い、一緒に探して! 」
リドルの服をつかんでジニーは訴えた。
リドルは、その名前を聞いた途端に目を丸くし、「ほう!」と思わず小さく声をあげた。もちろん、誤魔化しは欠かさなかったが。
「 スリザリンの継承者に?それは大変だ! 」
内心は、嬉しくて仕方がない。
ごくりと思わず生唾を呑んだ。全身の血潮が昂揚して、今日はいつになく演技が難しい。
わずかばかりに首を傾けて、そんなこちらのことをしげしげと見てくる者がいる。
パーシーは、妹の交際の広さにも驚いていたが、この少年の顔に見覚えがないのが何より不思議だった。一度見たら記憶に残るような出で立ちで、いくら相手はスリザリン生とはいえ、同じくらいの年頃の男子なのに。
「 初めまして。僕はパーシヴァル・ウィーズリー。君は―――― 」
「何年生?」と聞きかけたところで、パーシーはハッとして口を噤んだ。
てきぱきとしたこの少年の身振り口振りに、「今はそれどころではない」と猛烈に思い至ったのだ。
監督生バッジをつけているのに、こういうとき後手に回るのは恥ずかしいことだ。
「 ねえ!君は、ジニーのお兄さんだろう?三人で手分けして、いなくなった子を探そうよ。別れたほうが効率がいい。君は、監督生権限で禁書の棚のほうを見てきてくれないかい? 」
パーシーは奮然と図書室の奥に向かった。
巧みな弁舌でパーシーを追い払ったリドルは、ジニーに向き直るとその手首を掴んだ。身長差があるので、掴み上げる形だ。
「 君は僕とおいで 」
「 え、ええ 」
このときジニーは思った。
リドルの、そのかっこいい顔がぞくりとするくらい真剣なのと、腕を掴んでいく力の強いのとは、それだけハーマイオニーが危ない状況だからだ、と…。
「急がなきゃ」と思って走り出そうとして、ぐにゃりと視界が歪んだ。
膝が伸びきらなくて、へたりこみそうになった。
けれど、走れてしまった。
傍目にはどう見えたことだろう!?
ジニーの主観では、凍るような冷たいものが内側から湧いて、それを握られてリドルに図書室からひきずりだされた。
なんだか、自分ではもうどうしようもできなかった。大変恐ろしい記憶に思い至って、目の前が真っ暗になった―――――そうだ、あたし、二度とパーシーの前には現れちゃいけないようなこと、しちゃったんだったわ。それなのに、こんな――――…。
「 お安くって助かるよ、おチビちゃん 」
ちょうどいい魔力の供給源をつかまえて、すっかりリドルは上機嫌に戻っていた。秘密の部屋につながる、例のトイレは図書室からすぐそこなのだ。何のためらいもなくリドルは、女子トイレのなかへと入っていった。
突然の
マートルは縮こまってボール大になったが、アメーバのようにすぐに姿を戻した。「なんだあんたも幽霊になったの!」と、かつての同級生に向けてとても高い声を出した。そして、今度の犠牲者はあの赤毛の子だと気づいて、破裂せんばかりにケタケタと大笑いした。その声はトイレにわんわん響いた。
「 いい気味~!“あたしの”とろうとするからよ!!死んじゃえブス、ノロマ 」
かつて自分が言われた言葉を、マートルはジニーにぶつけた。いくら騒いでもとことんシカトされ続けたことは、マートルにとって幸いであった。
今はこの場にいないガラハッド――――彼という人への独占欲であるならば、このトム・マールヴォロ・リドルのほうが、マートルよりももっともっと、強い。
気絶寸前のジニーを頭から排水管にぶちこみながら、リドルは、ちらりと顔を上げて咄嗟に正面の鏡を見た。けれど、自分はもうそこには映らなかった。
いったい、自分は今どんな顔をしているんだろう?
確かめることができないから、自信を持つなんてことができるはずがない。
城の地下に至ってからもずっと、リドルは動悸を感じ続けていた。
ああどうしよう――――頬っぺたまでドキドキする!
素晴らしいよガラハッド、僕と共に歩む者に相応しくなるために、みずからリストアップしていた最後の穢れた血を拐い、殺しにいくなんて。
しかも完璧な隠匿魔法で!
帰ってきた彼には何をしてあげよう?
もちろん、彼が来たがっている我が秘密の部屋に招いてあげる。
アズカバンになんか、絶対行かせない。
殺人という秘密は魅力的だ。僕らは秘密の共有者になって、僕は彼のことを匿ってあげるんだ。
そうしたら、彼は感謝してくれるかな?
僕のことを、好きになってくれるだろうか?
ただの賛同者じゃ嫌だ。それでは下僕と同じだから。
とてつもない不安が湧きおこってきて、リドルは独りうろたえていた。
自分で言うのも何だけれど、自分は、大抵の人間を魅了できる者なのだ―――――それができたはずなんだ。けれど、ガラハッドは何しろガラハッドであるから、“大抵の人間”なんかと同じであるわけがない。
彼の心をつかみたい。
ふつうではない方法でふつうではない強さで。
そんなとき人は、決まって贈り物をするんだと思う。
知識としてリドルはそれを知っているけれど、実際に自分が誰かに、心からの贈り物をしようと思ったことはなかった。
どうしよう?此処には何もないし、彼は僕に椅子をくれたし――――…。
秘密の部屋に至ったリドルは、引きずっていたジニーの腕をパッと離した。
ジニーは、前のめりに床にすっ転んで、サラザール・スリザリン像の足元に倒れこみ、そのまま失神してしまった。そんなジニーを蹴っとばして仰向けにし、杖を奪ったリドルは、ギラギラと紅い眼を輝かせ、至極真剣に秘密の部屋全体を見回した。
緑の霧がかかるような闇。透き通っているけれど近くしか見えなくて、幽冥な広い空間に、何本もある石柱が奥に向かうにつれて消えていく。
ここは“
「 どこにソファを置こうかな 」
真面目な悩みだった。
生身だったころは、長く姿を消していると同室の生徒などからとやかく言われたので、此処にはそれほど長居できなかった。けれどこれからは、僕と彼だけの部屋がこの城には必要で、そして、それは此処であるべきだ。人死にが出たということで、たとえホグワーツが閉鎖されたって、今の立場のリドルには全然構わない。
ああそのときにはガラハッドとここで暮らして、無人になった城を二人のものにしよう。
いよいよ彼が来たときに、「ダサいソファーだ」と思われたら、嫌だな。気の利いたことをするという点では、僕には家具選びよりも自信のある特技がある。
「幸せだ」とリドルは、自分で自分の頬に触れ、ひとりで目を瞑ってはにかんでいた。
生意気だが、可愛い。駆け引き上手で思うようにならないのに、やることは献身的なガラハッド・オリバンダー。最高の者が僕のために現れた。
親友?同志?相棒?僕たちの関係をなんと呼ぼう?
「 ふふふふふ 」
あの子にふさわしいプレゼントをあげる。
リドルは、ひとりで声をあげて笑い始めてしまった。とある柱に巻きついてとぐろを巻き、客を迎えたバジリスクはそんなリドルに何を思うやら…。城中を探索するように言ったくせにもう用済みというばかりの態度で、こちらにはひとこともくれないリドルにじっと背を向けていた。蛇にまぶたはないから、黄色の目はいつでも光っていた。――――サラザール・スリザリンの顔すらバジリスクは知らない。
「 捨てられてよかったなあ 」
初めてリドルはそう思った。
「生まれてよかった」などという言葉は、頭のゆるい奴らのお行儀定型句だと思っていた。
そんな感情、抱いたことはなかったけれど、なるほどこういうのは非常に気分がよくなる。
孤児院のベッドで、「死ねと思われたぶんだけ生きてやる」と夜な夜な誓いなおすときに負った荷を、どすんとひとつ放った心地だ。
リドルはむずがるように笑って、こちらを気にしているバジリスクに向けて言った。
『 いけないよ、これから僕のよぶ人に君の眼を向けたら。ふふっ可哀想だな君は!僕たちは、永遠に生きるからね。君は僕の特別な人を、永遠に見てはいけないんだ。 』
バジリスクは、何の変化も起こさなかった。ただこのきつく巻いたとぐろを、当分緩めないだろう。
バジリスクは、パーセルマウスの言うことなら誰にでも従ってやるわけではない。従うかどうかは、自分で決める能があった。
リドルは、ゆっくりと弧を描いて歩き回りながら、喜びを噛み締めひきつづき感傷に浸っていた。
16の日までのトム・マールヴォロ・リドルJrの記憶を、彼は、すべて持っている。孤児院にいた頃から自分という存在をつくる日まで、全部、全部、全部を持っている。
そして自分で自分をつくった日の心から、トム・マールヴォロ・リドルは、変わっていなかった。
蛇の抜け殻のように。
魂を二つに裂いて、脱ぎ捨てられたほうの心は生きてはいないから、変われないのだ。リドルは、涙なんかとうに渇れ果てた紅い眼で、ギロリと秘密の部屋の宙を睨み、薄笑いで冷え冷えと呻いた。
「 どうして、もっと早く出会えなかったのかな? 」
腹立たしいことだ。そいつは、神の采配が悪いのだ。
神が星の位置をつくり間違え、万物を廻し損ねた。
だから僕と君は、共に生きては出会えなかった。
同じときに学生生活を過ごし、一緒に世に出られなかった。
その復讐を果たさねばならない。
「 神に償いをさせねばな。僕たちの力で――――くくく、ふふふ、あはは! 」
もしも、この世に魔法があるのなら。
それは、なんのためのものだというのか。
ただ幻覚を見たいだけの馬鹿は、身を滅ぼしながら阿片でもキメておけ。死を除かれず孤独が癒えないならば、魔法なんて
そのように、リドルは感じ続けてきた。
たとえ魔法がなかったとしても、自分は人の上に立つ人間になれるからこそ。
低能どもの怠惰な願望なんかと、僕の「もしも、魔法があったなら」は違うのに。
ひとつの願いさえ叶わないんだ。
わかったような顔のダンブルドアめ。
「愛」の名のもとに、奴は人を惨めにさせる。
「カネ」の名のもとであれば、「ゲスめ」と看破して戦えるところを。
彼は優秀な魔術師だから、義ある不可侵のものを盾にとる。
それに敵わないのだ。
ああ、殺してやりたい。
永劫にこれの繰り返しである。
循環する蛇のように、日記帳の内容は堂々巡りする。
自分でも、どうかと思うくらいに。
幼い日の字や写真や鏡って、困るくらい自分を客観視させてくる。
約50年前、前に進むと決めた少年は、みずからこの心を捨てていった。
よくある学園ホラーって、決まって秘密の伝統があって、事件は必ず複数回起きて、犠牲になる子の選ばれ方はオカルトでも、死因自体はフツーに現実的。原作2巻は「選ばれ方」と「死因」の質が逆になっている、局所反転の王道学園ホラーです。
不思議の国のアリス・リデルが局所反転により、男の子にされたものがトム・リドルなのでは?リドル誕生&成長の在り方は、『アーサー王伝説』のうちの「ガラハッド卿の物語」の局所反転です。
この理由から鏡を何度も登場させてきました。鏡のスタンド遣いに割り振られたタロット「吊られた男」は、逆さにされた男の姿をしています。