ハリー・ポッターとオリーブの杖   作:Tohka.A

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秘密の部屋へ

 

数時間前のことである。

 

馬みたいな勢いでハーマイオニーは、一度自室へと駆け上がっていった。

 

彼女は、いつもの通り談話室で辞書ほども分厚い本を読んでいたが、ついさっきバネ仕掛けのように立ち上がり、「ああ、そうだわ!そういうことだったのよ!」といきなり叫んだ。そして腰に手をあてて、何様だかしれない口調で近くにいた二人のことを見下ろしてこう言った。

 

「 悪いけど、後回しにさせてもらうわ 」

 

「 …はい? 」

 

「 話が長くなるから! 」

 

「 ―――…? 」

 

「 ―――…。 」

 

ハーマイオニー様はご出発なさった。このようにして彼女は自室へと駆け上がり、グリフィンドールの談話室を後にしたのである。

爆発スナップをしていたところだったハリーは、その姿を見送って正直「なんだあいつ」と思った。

ハリーとまったく同じことを思ったらしいロンが、彼女に返事をする代わりにわざとスナップを爆発させた。

ドミノ倒しの要領で、爆発はしばらく続いた。

 

 

「 ちょっぴり、人と会ってきます。心配は要りません。必ず帰ってくるわよ。 」

 

再び談話室にやってきなすったハーマイオニー様は言った。

ハリーは、まったくもって意味がわからなかった。

いやに得意気なハーマイオニーの様子に、ジニーも女子寮で困惑させられたようだ。

ジニーは怯えたような目つきで、ハーマイオニーを追って首を竦めて談話室へと出てきた。

ロンは左右に首を振ってこう言った。

 

「 僕たちにもわからないね 」

 

一人で寮を飛び出して行きかけたハーマイオニーに、監督生としてパーシーが帯同していった。

彼女たちが出ていった途端に、大きな声でロンは悪態をついた。

 

「 必ず帰ってくるわよ、だってさ!あいつ、なにか勘違いしてないか?みんなでマグル生まれを守ろうっていうのは、悪い奴をのさばらせないためなのに!チヤホヤされてると思い込んでるんだ。 」

 

ハリーはうなずいた。それにしてもハーマイオニーの気の逸りようは、ずいぶん普通ではないような気がした。

図書室で借りた本を放り出してその場を立ち去るなんて、普段の彼女であるならば考えられない。

ディーンとシェーマスがやってきてまざりたいと言ったので、二人はそれからも爆発スナップを続けた。

三段目に挑戦するとき、ロンの積み上げたタワーは毎回爆発した。

正午を過ぎてもハーマイオニーが帰ってこないので、ディーンとシェーマスと別れたのを機に、ハリーとロンは自分たちだけで昼食に行くことにした。

ロンがカードをかき集めているあいだに、ハリーはハーマイオニーの本を代わりに仕舞ってあげようとした。

ハリーはそっちを見ないまま、ソファーのうえの本へと手を伸ばした。とても古くて分厚い本だったので、雑に閉じようとして紙を破いてしまいそうになって、ちらりと手元を見た。そのときに手を止めた。ハーマイオニーの開いていったページには、古式ゆかしい字でこんなことが書いてあったのだ。

 

 

我らが世界を徘徊する多くの怪獣、怪物の中でも、最もめずらしく、最も破壊的であるという点で、バジリスクの右に出るものはいない。「毒蛇の王」とも呼ばれる。この蛇は巨大に成長することがあり、何百年も生き長らえることがある。鶏の卵から生まれ、ヒキガエルの腹の下で孵化される。殺しの方法は非常に特殊で、毒牙による殺傷とは別に、バジリスクのひと睨みが致命的となる。その眼からの光線に捕らわれし者は即死する。蜘蛛が逃げ出すのはバジリスクがくる前触れである。なぜならバジリスクは蜘蛛の天敵だからである。バジリスクにとっての弱点は雄鶏が時をつくる声で、唯一それからは逃げ出す。

 

 

ハリーは息をのんだ。

すべてのことが、たった今繋がった気がした。まるでハリーの頭のなかで、誰かが電灯をパチンと点けたようだった。

 

「 ロン 」

 

ハリーはそのページを破りとった。

ロンが怪訝そうにこっちを向いたので、むんずとそのページを握らせてすぐに読むようにと言った。

 

「 これだ。これが答えだ。秘密の部屋の怪物はバジリスク――――巨大な毒蛇だ!だから僕はあちこちでその声を聞いたんだ。他の人にはわからなかったのは、僕は蛇語がわかるからなんだ…! 」

 

しわくちゃの紙をロンは伸ばしている。

ロンが返事をする前に、ハリーは興奮しながらあたりを見回した。

 

「 やつはいつも壁から――――ああそうか壁のなかにはさ、ロン、配管があるんだよ。石造りに見えても、あるはずだ。やつはそうやって移動していたんだ! 」

 

「 “配管”って何? 」 

 

「 水が通るところ 」

 

ロンは考え込んでいた。

ハリーはもどかしくなって、その場で小刻みに動いた。

 

「 配管がないと困るだろう!?それがなかったら僕たち、トイレに行ったあと手を洗わずに杖を使うっていうのかい?初めての呪文は、うんこよ去れ?どうかしてるね! 」

 

「 そりゃそうだ。なあ、ということはそこらの壁のなかには、全校生の垂れたクソがどろどろ流れてるわけ?知りたくなかったよそれは。 」

 

「 ハグリッドの雄鶏が殺された。“秘密の部屋”が開けられたからには、“スリザリンの継承者”は城の周辺に、雄鶏がいてほしくない!蜘蛛が逃げ出すのは―――前触れ!何もかもぴったりだ! 」

 

ハリーは立ち上がった。体中を興奮が電撃のように走り、唇が震えていた。

どうして、コリン・クリービーは石になるだけで済んだのか。ジャスティンは、あの監督生は――――などなど、次々にわかっていったけれど、わかるのと同じ速さで、ハリーはそれを説明できなかった。ミセス・ノリスのことだって、今ならばどうしてなのかわかるのに。

 

 

「 マートルだ 」

 

ハリーは、両手で髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら言った。

 

「 マートルのトイレだ! 」 

 

「 …なるほどね? 」

 

ロンの目がきらりと光った。

 

「 なるほどハリー。ところでハーマイオニーは、誰に会いに行ったんだと思う? 」

 

「 えっ? 」

 

ハリーはドキッとした。当然ハーマイオニーはこの事実に気づいたからこそ、大急ぎでグリフィンドール寮を飛び出していったはずだ。

この怪物について知らせるため、彼女は職員室に行った?

けれども職員室に向かうことを、「人と会ってくる」なんて言い方はしないだろう。

今では、校長室に行ったってアルバス・ダンブルドアには、会うことができないのだから。

 

「 当然、ガラハッドだよな 」

 

嫌そうな声でロンは言った。

 

「 あいつがこういうときに頼りにする相手は、ガラハッドの他にいないよ。―――――あのさ、これだけは言わせてほしい。パパが言ってたんだけどさ、マグル生まれはみんな、杖師に対して思い入れをしすぎる。それって危険なことなんだ。みんな生まれたときから魔法使いだったのに、まるでそいつが魔法使いにしてくれたみたいに思っちゃうわけ。あいつ、まさにそうだよ。 」

 

ハリーは愕然とした。

今ロンに言われたことは、そっくり自分にも当てはまるような気がしたのだ。

いきなり丸裸にされたみたいで、恥ずかしいやら腹が立つやらだった。

 

「 っ…君にはわからないよ 」

 

言い返したけれども、ハリーはてんで勢いを出せなかった。

 

「 もしも魔法があったならって、一度も真剣に願ったことのない君には! 」

 

ロンはなんにも言わなかった。

けれども、ちょっと肩を竦めて、「それは悪かったな」という表情をした。

 

言い争っている場合ではない。

 

ハリーもロンも、そのことは重々わかっていた。二人は頷きあうと走って寮を出た。

“太った婦人”の裏の穴から滑り降りて8階の廊下を走って行って、本校舎との接続の部分の、丁字路になっているところで左からパーシーが廊下を走っていくのが見えた。

 

「 廊下を走るな! 」

 

素っ頓狂にロンが叫んだ。

 

「 あいつ、このセリフを年に千回は言ってるのに!? 」

 

「 職員室のほうだ 」

 

ハリーたちも右に曲がった。

中央棟の肖像画たちは次々に、走っていく生徒たちに大袈裟に驚いて見せた。

ハリーは、走りながらぶわっと胸に不安が広がってきていた。同じ理由で振り向いたロンは、走ってはいるけれども失速していった。

か細い声でロンは言った。

 

「 何かがあったんだ――――嘘だろ、無事だよな?ハーマイオニー 」

 

「 だとしても話を聞いた方が早い 」

 

歯をくいしばってハリーはパーシーを追いかけた。

ハーマイオニーが広大な城のどこで死体になっているかなんて、やみくもに探したってわからないのだから。

ハリーとロンが転がるようにして職員室に辿り着くと、扉を開け放ってパーシーが大声を出していた。二人が息をととのえているとき、先生がたが中からぞろぞろと出てきた。

 

 

「 ハーマイオニーが―――――初めは、ハーマイオニーを見失ったので探していました。図書室での出来事です。そのうちに、妹もいなくなったんです。二人とも図書室で消えました!本当です。僕は本校の監督生として、やってはいけないとはわかっていましたが、規則を破って、図書室で探し物呪文を使いました!でも、二人ともいないんです!! 」

 

「 グレンジャーは該当の子です 」

 

鋭くマクゴナガル先生が目配せした。するとたちまち先生たちの顔色が変わった。

唯一ロックハートだけが、おっとり職員室から出てきて、パーシーではなくハリーたちのほうに注目した。

 

「 やあハリー! 」

 

他の先生たちはもう、四方に散り散りになって残っていやしなかった。

マクゴナガル先生は、攻撃前のコブラのように背を正すと、見たこともないような怖い顔つきでロックハートを睨みつけた。

ハリーは、今のパーシーの話を聞いて「よかったまだハーマイオニーは無事かもしれない」という気持ちと、「そんな!ジニーまで…」という気持ちがまぜこぜになって、胃のあたりがしくしくと痛む心地だった。隣を見ると、ロンは絶望的な顔つきをしていた。

 

「 よく知らせてくれましたねウィーズリー 」

 

穏やかにマクゴナガル先生は言った。

続いてロックハートが何かを言いかける前に、彼女は威圧的に声を大きくして言った。

 

「 さあ出番ですよ、ロックハート先生!こちらの生徒たちを、寮まで安全に送り届けて頂戴。あなたにぴったりのお仕事です。またピクシーを放たれてしまっては困りますからね。図書室には、あなたは行かなくてよろしい!もちろん、今は職員室にも、いないで結構。 」

 

ハリーは、マクゴナガル先生がライオンに化けて噛みつく前に、ロックハートは逃げたほうがいいと思った。ところがロックハートはマクゴナガル先生に怯えず、それどころか、今この瞬間彼のなかでは過去一番に、へらへら笑うことなくまともそうな顔をしていた。

その横顔は引き締まって、真剣そのものに見えた。

彼はトントンと指で鼻の柱を叩いて、悩ましくも苦しそうに「いいでしょう」と言った。

ハリーとロンは、聖人を拝む心地でそれを見上げた。

 

「 ロックハート先生…! 」

 

彼は魔法戦士だ。それも数々の冒険をこなしてベストセラーを連発している、とびっきりの。

ロックハートの目つき眉つきには、いま、とても強い危機感が宿っている。

 

「 マダム、カリカリなさらないで。ジンジャークッキーでも召し上がってはいかがです?私はね、ええ、ええ、こういうときにあたって、これ以上ない護衛だと言えるでしょう。ハリー、君はラッキーだ…。 」

 

 

マクゴナガル先生は聞いていやしなかった。

彼女は、「詳しいことを聞きましょう」と言って職員室にパーシーだけを招き入れ、ロックハートのすぐ後ろの扉をそっけなく閉めた。

ほとんど同時にロンが口を開いていた。

 

 

「 先生!先生、どうか、妹を助けて――――! 」

 

「 先生、僕たち、先生のお役に立てます! 」

 

「 何を、そんな。私はなにも…。君たちは、これからグリフィンドール寮に帰るんじゃないのかい? 」

 

「 いいえ違います。僕たち、“秘密の部屋”がどこにあるかを知っていると思います。中に何がいるのかも、知っていると思うんです!先生もいらっしゃったら百人力だ。僕、ジニーがいるとしたらそこだと思うんです! 」

 

直感のままにハリーは叫んでいた。天賦の才能が、彼にそう叫ばしめていた。

闇の魔術がおこなわれるとき、獰猛にこの子は嗅ぎつける。

「行きましょう!」とハリーは、強引にロックハートの腕をつかんで言った。

 

「 “ふたり”を助けなきゃ!!! 」

 

秘密の部屋にいる子供たちは、ふたりだ。

 

 

 

 

 

 

ハリーの錯覚とは別に、そのときハーマイオニーは職員室の窓辺に来ていた。

鷲の姿のガラハッドの脚につかまって、冒険者のように舞い降りたのだ。緊急校内放送の内容なんて、ずっと外にいた二人は知る由もない。ガラハッドが嘴でコツンと窓をつつくと、猫のような動きでマクゴナガルが駆け寄ってきた。

 

どういうわけか職員室にはパーシーがいて、他には誰もいないのをガラハッドは怪訝に思った。

 

「 これはこれはあなたたち! 」

 

マクゴナガルの黒い目は真ん丸だ。先生は窓を開けて、二人をなかに入れてくれた。

彼女は両手の手のひらに小さなハーマイオニーをのせて、ハーマイオニーが吹き飛ぶほどの溜め息をついた。四つん這いで手足を突っ張って、小さなハーマイオニーは床へと転がり落ちずに済んだ。

 

「 グレンジャー!無事だったのですね。おおウィーズリー、事は杞憂で済みました!オリバンダー、ジネブラ・ウィーズリーはどちらに? 」

 

「 ―――はい? 」

 

 

ガラハッドは鷲から人間に戻っていた。

「ピギェェ」以外も言える唇に戻らないと、重要なことを何一つ話せない。

 

「 先生!私たちわかったんです!わかったんですスリザリンの怪物と、秘密の部屋について! 」

 

ハーマイオニーはぴょんぴょん跳ねて叫んだが、声と肺の大きさは比例している。彼女も一丁前に話すなら、まずは元の姿に戻らなくてはいけない。

とはいえとんでもない顔つきでパーシーが睨んでくるので、ガラハッドがたじろいでもたついているときであった。

 

バーンというひどい音をたてて、職員室の扉が開いた。

 

真っ白な顔にスネイプが、玉のような汗を光らせて職員室に入ってきた。

 

パーシーは、続いて入ってきたスプラウト先生に突き飛ばされて、つんのめりながら「ぐふぅ」と変な声を出した。よく肥えた身体をフゥフゥ揺すって、スプラウト先生は動悸に耐えている。

 

「 大変なことが起きたようだ。オリバンダー、貴様は呪われた。 」

 

低い声でスネイプが言った。

そんなに大きな声ではなかったのに、不思議とびりびりと空気が震えた。

 

 

「 は? 」

 

 

冷めた顔つきでガラハッドは言った。スネイプのほうの目つきも、同じかそれ以上に険しいものだ。

 

 

「 そもそも、なぜ此処にいるのだ貴様は? 」

 

「 セブルス、あなた知っているでしょう?この子は違います。この子は… 」

 

庇うようにマクゴナガルはそう言うけども、彼女はちょうどハーマイオニーをのせていて両手が塞がっていて、ただそれを言うばかりだった。

ガラハッドはぽかんとしていた。

そこにスネイプはいきなり掴みかかってきた。大の男の力で、ガラハッドは制服の襟をとられて小机にぶつかった。

すぐに柔道の要領で、ガラハッドは重心を低くした。

大きく息を切らせる羽目になりながら、スネイプはなおもガラハッドのことをつかみ続け、職員室から廊下にひきずりだそうとした。

あの日の決闘のときとちがって、今度のガラハッドは全力で抵抗した。スネイプは、上背のある男にしては大して腕力がない。喧嘩慣れしていなくて、押し引きに翻弄され内側から手首を返された。

「今はそれどころじゃない!」と叫んで、ガラハッドは彼を振り払った。

 

「 杖を使わせるな! 」

 

ゼエゼエとスネイプは言った。

脅しをかけるように、彼は黒い杖を見せつけてきた。

 

「 また骨生え薬飲みたいんですか? 」

 

ガラハッドも負けじと杖をとりだした。

今度は最初から、真言を使ってぶっ飛ばしてやってもいい。

 

 

「 おやめなさい! 」

 

 

室内からマクゴナガル先生が叫んだ。

小さなハーマイオニーのために、両手を掬う形に固定したまま、睨み合う二人のあいだに彼女は割って入った。そして副校長として一喝した。

 

「 お行きなさい、今すぐ!――――フリットウィック先生のところまで!セブルス、ガラハッドを連れていって! 」

 

スプラウト先生から何かを聞かされたらしい。

非常時の顔をしているマクゴナガルに、ガラハッドは仕方なく杖を収めた。

同じく杖を収めながら、ちっとも嬉しくなさそうに、スネイプは深く頷いた。

 

「 来たまえ 」

 

最初から穏やかにそう言えと、ガラハッドは内心思った。

 

 

 

 

 

 

走って階段を駆け下りながら、「なんだっていうんだ」とガラハッドは独りぼやいた。

とりあえずハーマイオニーはマクゴナガルに預けたから、彼女の安全は図られるし、彼女から副校長に説明がなされるだろう。状況について訊ねても、スネイプは一切返事をせず、黒いローブを靡かせて足早に先へと進むばかり。

真昼間だというのに、ホグワーツは非常に静かだった。

陽は黄色く、均一に壁を照らしていて、今日の中央棟の廊下は永遠に続くかのよう。

丁字路を横切っていく一瞬、まるでキリコの絵のように、黒々としたアーチが続いているのが見えた。

そして日陰に入って、スネイプがいきなり立ち止まったとき、ガラハッドはうっかり声をあげた。

 

「 あっ―――! 」

 

俯いた。

そこには、じっとりと黒い水溜まりができている。

湿気の臭いがした。

そう凹凸もない床だから、流れているというより浸水という感じだ。日の当たらない石造りの足元は、かなり暗いから、どこまでが濡れているんだかわからない、忍び寄る水――――…。

 

それが沁み出しているのは、曲がり角の向こうに配水管があって、それが壊れたからだろう。

 

ガラハッドはすべてを理解して恐怖し、居竦んで二三歩後ずさった。しかしスネイプは、ばしゃりと水溜まりを踏んで角を曲がっていった。

姿が見えなくなったぶん、声は明瞭に響くようになった気がする。

 

「 貴様は見ておかねばならない 」

 

どうして。

角の向こうには、声明文があることはもうわかっている。右曲がりの角だったので、壁に書かれたものの左端のほうが、少し見えていたのだ。

それは怯えるようなものじゃないけれど、積極的に見たいものでもない。ガラハッドは意を決して、足を濡らしてその正面に回り込み、壁よりも熱心に進行方向を見た。

 

どうして。―――――これ以上、狙われる子はいないはずなのに。ついに半純血まで襲われたのか!?

 

覚悟して見たわりには、そこにはフリットウィック先生の姿しかなかった。

 

 

「 !? 」

 

 

石もなく、死体もなかった。

ただしフリットウィック先生の顔つきは、談話室にいくつかある石膏像のようだった。

彼がじっと見ているので、きょとんとしたガラハッドもつられて壁のほうを見やった。――――途端に凍りついた。

 

 

 

 

 

『 ようこそ、ダリアガヴヱン卿。この城は浄められた。秘密の部屋は我等のもの。 』

 

 

 

 

 

 

 

「 …なぜ知っているんだ? 」

 

ガラハッドはかすれた声で言った。「何をだね?」と不審そうに、フリットウィック先生は初めてこちらのほうを見やった。

 

 

 

 

LOAD DAHLIAAGAVEWEN

 

 

 

それは、人名にしてはひどく変わった文字列だから、苦手なガラハッドにもすぐにわかってしまった。自分の名前――――GALAHAD OLIVEWANDERのアナグラムだ、と。

見事に、穢れなき騎士・オリーブ杖遣いなんかよりも、よっぽど自分という人間をよく表している。

真っ先に目を奪われたのは、AGAVEの四文字。戦のさなか、狂気に陥って我が子をも殺した、禍々しいギリシャの都市女神だ。

その前後に重なり掛かるのは、血塗られし花そして、WEN(毒瘤)へと意味を転じた古い言葉のWEN(都市)

ガラハッドはあの光景を思い出していた。

正確には写真であり、実際に見たわけではないが――――広島の末路を思い出して――――まるで強い酒を飲んだみたいに、五感が狂ってしまっていた。

ドクドクと眼球に圧がかかった。

 

「 もういいでしょう 」

 

フリットウィック先生が暗い声で言った。

彼が杖を振ると、廊下はすべていつもどおり元通り―――全部夢だったみたいになって、そこには空虚な雰囲気が漂った。

ガラハッドは、変化についていけずにあちこちを見回した。

スネイプは何も言わなかった。

 

「 捕らわれるために見せたのではありません。対峙していくためには、見ておく必要があった。―――ガラハッド、気分は? 」

 

「 良いわけがないですね 」

 

げしげしとガラハッドは、声明文の消えた壁を蹴った。蹴らずにいられなかった。

 

「 では質問を変えましょう。心当たりは? 」

 

「 その質問はよくない 」

 

「 ご心配いただいたところなんですけども、それが、『ある』んですよ。嗚呼もしかしてアレかなそれともアレがそうだったのかななんて、悩んで悩んで苦しむまでもなくね、ばっちり、『ある』んですよ。うわああチクショウそうだよ俺がトロかったよ!クソッあの野郎――――ああ、ああ、やっぱりそうだ。ほら、ほらほらほら! 」

 

キレたガラハッドは忙しい。ガラハッドは勢いよく手帳を取り出すと、べちゃべちゃくっちゃべりながらアルファベットを並べ矢印を書き込んで、TOM MARVOLO RIDDLEを並べかえた。―――――I AM LORD VOLDEMORTになった。スネイプとフリットウィック先生は器用にも、それを見て震えながら鼻息を吸った。

 

「 絶対陰キャだっただろ!ぼっちめ!普通こんなのうまくなる暇ないから!! 」

 

「 オリバンダー、どこでその名前を知った? 」

 

「 ふぁっはっは!それは、そうかもしれません。こういうときは、笑いとばすのが一番よろしい。 」

 

にっかりとフリットウィック先生は笑った。

不自然に口をひくひくさせて、スネイプもなんとか笑みらしいものを浮かべた。これにはガラハッドも噴き出した。

 

ガラハッドが目を逸らしたことで、スネイプはまたいつもの仏頂面に戻った。

 

「毒を飲ますぞ」みたいな顔でスネイプは、この舐め腐った生徒を睨みおろして言った。

 

「 生徒が行方不明だ 」

 

マクゴナガル先生の遣わせた鋳掛け妖精(ティンカーベル)が、きらきらした粉をまき散らしながら蜂のようにぶんぶん飛び回っている。

スネイプはそれが不愉快そうだった。

 

「 依然として、ひとり―――――グリフィンドール一年の、ジネブラ・ウィーズリーの姿が見えない。事と次第によっては、貴様を尋問にかけねばならんな?骨生え薬を準備しておいてやろう 」

 

「 尋問官のぶんですか? 」

 

「そこまでワルじゃないですよ」とガラハッドは返した。

スネイプは、ローブの下の腕は案外ヒョロヒョロもやしのくせに、その顔はいまや仁王よりも怖い。

 

「 彼女は拐われたんでしょうね、魔力の供給源として――――最もこの土地に根付いた、純血の娘だから。きっと秘密の部屋にいますよ。連れていったのは少年です。あれは、もしかしたらただの幻じゃないのかもしれない。自我があるんだ。――――彼は、自分はヴォルデモート卿に捨てられたと言っていました。 」

 

「 何だと? 」

 

「 あいつ、何なんだろう?15、6かそこらの子が、強くなるために捨てていくものって、つまりは… 」

 

 

ガラハッドはフリットウィック先生を見た。彼は溜め息をついて片眼鏡を外し、往時の決闘チャンピオンとしての面構えを見せていた。ガラハッドは、フリットウィック先生ならばバジリスクをくだすだろうと思って、非常に心強かった。

 

 

「 …甘ったれた根性。不合理な躊躇い。里心。さみしさ。泣きべその塊、だったりしませんかね? 」

 

「 だとしたらひどく厄介ですね。“勝負”するわけにいかない。 」

 

険しい顔でフリットウィック先生は言った。「勝負」とオウム返しにつぶやいて、ガラハッドには後からそれの意味するところがわかった。

 

論破するなということだ。

 

いかに自分が間違っているかをあげつらわれて、おとなしく矛をおさめる子供なんていない。

 

だってもう引き返せないのに。

 

感じ入っている暇はなくて、ガラハッドはスリザリンの怪物と秘密の部屋について、先ほどハーマイオニーとおこなった話をフリットウィック先生に手短に説明した。結論だけ聞かされても、彼はスネイプとちがって、「何故、どこでそれを聞いた?」とも言わなかったし、恐れもしなかった。

ただ思案顔で話を聞いており、ずっと片眼鏡をいじっていた。

 

「 ギルデロイでは心許ない 」

 

フリットウィック先生は唸った。

ガラハッドは、その呼び方を新鮮に思った。そういえばあの変態はそんな名前だ。

 

 

「 彼も変わろうとしている。もしかしたら―――挑むことにしたかもしれない。あるいは、罪の償いに。私が行きましょう!“秘密”の割に大変有名な、人を惑わせる“秘密の部屋”へね。セブルス、君はミネルバと共に生徒たちを頼む。ポモーナはマダム・ポンフリーと共に。私にとっては、あの子も生徒だった。実に困ったものだが、間違いは生きて正させてやりたい。 」

 

「 僕も行きます 」

 

「 君は生徒だよ 」

 

「 けれど、奴が招いているのは僕でしょう!? 」

 

ガラハッドは腕を広げて叫んだ。言いながら、自分でも心臓がドキドキしてきているのを感じた。

 

フリットウィック先生は、思慮深い顔でじっとガラハッドのことを見つめて、しばらくは黙っていて―――スネイプがなにやら口を挟もうとすると、それにかぶせて短く「よいでしょう」と言った。レイブンクロー流のやり方について、スネイプがつべこべと言う権利はないのだ。

 

 

「 本来は、戦うのはおとなの仕事ですが―――――人質をとられていますからね。どんな人間であっても、ついている目玉は二つ。我々の目玉は四つ。君は、蛇語を話せるかね? 」

 

「 生憎と 」

 

「 私も生憎たしなまない 」

 

くいっとフリットウィック先生は片眉をあげた。つまり、そういうことだ。

“継承者の部屋”と定めるところの入り口を、ロウェナ・レイブンクローは知恵ある者しか通れなくした。それならば、サラザール・スリザリンは…。

 

仲間のふりして取り入って、裏をかくのも知恵のうち。

寮監からの期待に、ガラハッドは緊張して深く息を吸った

 




■キリコの絵の中を駆けていくシーンの元ネタは映画『ルパン三世 ルパン対複製人間』。ルパンが賢者の石を入手したところから始まる話です。不朽の名作ながら、TV放送ではカットされるシーンが多いのが残念。
■談話室のドアノッカーに託されたものと違って、このアナグラムにはどこか一つおかしいところがありますが、気づいた方は是非内緒にしておいてください。気づきたい人は2話「ぼくの夏休み」を再読するとヒントを見つけられるかもしれません。
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