「これは解決じゃない」とハリーは、モヤモヤして仕方ないという顔をしていた。
フリットウィック先生が彼らに状況を説明して撤収を宣言したとき、ハリーは先生にくってかかった。
「 まだ怪物がいる。そいつが生徒を襲ったのに! 」
「 襲わせた人物は確保しましたよ 」
フリットウィック先生の声は授業とは違った。短く言い放たれて、ハリーは動揺が顔に出ていた。ガラハッドは、床に三角座りしながらふたりを見上げて、フリットウィック先生の判断は完全に正しいと思った。こんなにもぞろぞろと子供たちを連れて、最も破壊的な怪物退治なんて正気の沙汰じゃない。
けれど、その後に聞こえた言葉のほうには、複雑な思いにかられた。
「 よいですか、城の地下にとてつもない怪物がいることは、我々にとっては有益でもあるのです――――だれもこの城を攻めようとはしないでしょう!君が、パーセルタングの能力を正義のために使い、みずからスリザリンの資質に打ち克っていけばよろしい 」
「 僕が、正義のために… 」
「 ゴドリック・グリフィンドールの後継者たらんという意思によって、みずからを律していくのですよ 」
「 ―――…。 」
核が抑止力になるみたいな理屈だった。
ガラハッドは服の汚れを払って立ち上がりながら、それは人間に期待しすぎというものだと思った。かの有名なゴドリック・グリフィンドールだって多分、やけくそで「くそ」「死ね」くらいは言ったことがあると思う。そういうノリでうっかりハリーが、人にバジリスクをけしかけてしまったらどうするのだろう。
しかしガラハッドは、今はどうにもとことん気疲れしていて、口を開く気力もないのだった。
リドルにかけられた言葉は、そして、売り言葉に買い言葉で、自分がつい口走ってしまったもろもろの言葉は―――――ぴたっと元に戻せる“終了呪文”のような、そういうものがない呪いのように感じられた。呪文学の教授として、彼はどう思うのだろう。フリットウィック先生は、これには何も言わなかった。
彼は、排水管のところまでロックハートを迎えに行って、連れて来ると言った。
立ちあがってそんなフリットウィック先生を見送って、そのまま溜め息をついてその場で肩を回していると、ハリーとロンからの視線が痛かった。けれど何度も言うけれどもガラハッドは、実際のところぴんぴんしているハーマイオニーが無罪を証明してくれる前に、自分から彼らに言葉を尽くす元気がなかった。
だから無視した。視線くらい平気だ。
もう疑われることには、慣れきってしまっている。
ささくれだった気分とは裏腹に、秘密の部屋の地下室には、白い光が降り注いでいた。
雄鶏の鳴き声呪文の次にフリットウィック先生の打ち上げた特大の“粉々呪文”で、秘密の部屋は上部に風穴が空き、空気が循環していた。
その大音と衝撃で意識を取り戻したジニーは、とろんとした目つきで、状況を把握すればするほどに、ぽろぽろぽろぽろと止め処なく泣き続けた。どうやら、封じられていた記憶が溢れてきて混濁しているようで、「あたしレイブンクロー寮に行った」とか「そんなつもりじゃなかった」とか、「パーシーには言えなくて」とかうんぬんかんぬん…彼女はひどくしゃくりあげて、歓喜の声をあげたロンに抱きしめられることさえ、今は受け入れられない様子だった。
ガラハッドは遠くすぎてまるで星みたいに見える出口を見上げながら、ぼーっとする頭でジニーの話を聞き流した。
聞き流していたのは、わざとだった。どうも真面目に聞くとジニーのする話は、居合わせる者全員が不幸になる内容であるような気がしたのだ。日記帳の話で、「ハリーから取り返しちゃった」とジニーが言い出したので、ガラハッドが「へえ」と相槌をうちながらハリーを見たら、ハリーは石にされたみたいに固くなって、そのまま倒れていきそうだった。
それ以降ガラハッドは知らん顔に徹した。
「 …ははは 」
ドンマイ、思春期少年たち。
リドルは、大変な引っ掻き傷をガラスのハートたちに負わせていったと思う。
ガラハッドが気を遣って伏せ目がちにしていると、フリットウィック先生が戻ってきて、みんなの顔つきを見て不思議そうに咳払いした。彼はジニーよりもさらに小さい身体ではるかに高いところを指さすと、全員に手を繋ぐように指示を出した。
「 みなさん、ダンブルドア先生のお迎えですよ 」
越天楽みたいな旋律を響かせて、上空から火の鳥が舞い降りてくる。白鳥くらいの大きさで、孔雀のような尾羽で金色そして深紅で、天人みたいな優雅さで不死鳥は地底に近づいてきた。あんなにショボショボのボロボロだったのに、こんなにも美しく復活したのか。ガラハッドはまたしてもひとつ溜め息をつくと、一番手のかかりそうなジニーへと向き直った。若々しい姿のフォークスはご立派ですけれども、彼女が落ち着かねば撤収は難しいだろう。
「 やあ、初めましてジニー。僕はガラハッド・オリバンダー。あのな、フレッドとジョージ理論によると… 」
「 あの二人がどうかしたの 」
ロンが早口でまくしたてた。トネリコの樹の子供たちは、善く育てられお互いに護りあうことを知っている。ロンは妹を守るように、ガラハッドの前に立ち塞がった。冷たいような顔でガラハッドは言った。
「 …ダンブルドアは悪しき道具によって、望まず罪を犯させられた子を守るため行動してきた。つまり君たちはきっと、お咎めなしだろう。 」
「 嘘。あたし退校になるのよ! 」
「 自分の兄貴たちの言うこと、信じろよ。疑うなら会って確かめればいい。 」
ばっさりとガラハッドは斬り捨てた。ガラハッドは、早いところこの場を立ち去ることばかり考えていた。
ハリーは、ガラハッドの言うことはあまりに自分に都合が良すぎると思った。だが、もしも――――きっとこのあとまたダンブルドアに会うことができて、あの温かい、素晴らしい、うねりのような安堵感を全身に浴びたら―――――今しがたガラハッドの言ったことは正しかったんだと、もしも、もしも、確信してしまったら。その瞬間、何もかもを打ち明けてしまうだろうと思った。水を吸った角砂糖みたいに、ぐしゃりとなって形を保てない気がした。
「 あのかたは偉大ですよ 」
おもむろにフリットウィック先生が言った。
「 さあ、フォークスのお世話になる前に――――オリバンダー、三年生として、私の不在時の状況を説明しなさい。君たちは、さっきよりも却って酷い顔をしている! 」
「 日記の話をしていたんですよ。僕たち全員、ちょっとずつアホだったねって。 」
「最大のアホは僕ですが」と、自嘲してガラハッドはまた溜め息をついた。
「 信用しちゃったんですよねえあいつのこと…――――いやだって完全に、家から送られてきた本だと思ってたもん。 」
勇気を振り絞ってハリーは、ガラハッドもまた恥をさらしてくれる可能性に賭けた。
「 君は何を書いたの? 」
「 何も?――――ああアレだ、試し書きくらいは、したけどさ。どう思ったんだろうなリドルは。僕は――――意味があるとすれば、あれは魔除けだと思う。弾除けだった。陸軍の、服や帽子には大抵あれがついてて――――星の形なんだ。日本ではあれは、晴明桔梗印ともいう。 」
「陰陽師が使うんだ」とガラハッドは、昔いた国のことを話した。
「怪物であればいいのに」と言っていたセドリックだけでなく、フレッドとジョージの予想も的中していて、フリットウィック先生とロックハートを含めてみんなでホークスに掴まって戻ると、ホグワーツへと戻ってきていたダンブルドアはジニーとハリーの二人に対して、いたわったうえでお咎めなしだと言った。駆けつけた両親を安心させ、ハーマイオニーにも強く抱きしめられたあと、母親とロンに付き添われ、ジニー・ウィーズリーは医務室へと送られていった。
この数ヶ月のあいだ、なにが起こり何をどう考えたかについて、ハリーは彼なりに努力して、ダンブルドア校長に対し熱心に話をした。彼にとっては、この男は父のなかの父みたいなもののようだ。ガラハッドは、フリットウィック先生と並んでその場に臨席し、ぬるくて逆に寒いシャワーを浴びている気分で黙りこんでいた。
ハリーは去年に比べると、長い話でも随分まともにこなすようになったものだが――――暇しているあいだに、初めてお見かけするアーサー・ウィーズリー氏を観察して、ガラハッドは「ペネロピーの両親は、娘の見舞われた災難について知っているのだろうか」と案じた。ひとりの女の子がいなくなったことで、理事たちが急いでダンブルドアを呼び戻したのは、ジニーが魔法省の役人の娘だからにちがいないと思う。
それもウィーズリー家の、知られた能吏の子供だからだ。
アーサーが悪いわけではないけれど、ガラハッドは非常にやるせなくて、灰色の目を不機嫌にとがらせていった。マクゴナガル先生の隣でハーマイオニーは黙っていたが、ちらりとガラハッドがうかがうと、同じことに気がついてしまったような顔をしていた。
我が身を振り返って、彼女は何を思うんだろう…。
「 よく話してくれたのう、ハリー 」
ダンブルドアが優しく言った。
「 君は儂に、まことの信頼を示してくれた。―――――おぬしはどうかな? 」
ダンブルドアが水を向けてきたので、ガラハッドはゆっくりそちらのほうを向いた。装填の終わった戦艦の主砲が、ぐるりとめぐって照準をあわせるみたいなものだった。
ウィーズリー氏はしきりに頭を撫で、今聞いたことの驚きに耐えようとしているようだった。
「 ふぅ 」
ハリーは、ここまで声をかすれさせながら、十五分ほども話し続けてどっと疲れていた。ダンブルドアは、ハリーが日記を失ってから、今日までの出来事をさらに詳しく知りたがっている。威嚇的に眉をあげてガラハッドは、少し前のめりになって指を組み、冷ややかにダンブルドアに向けて話し始めた。―――砲撃開始だ。
「 ご存知だかどうかわからないんですけど、我が寮には立派な伝統がありましてね?リドルに乗っ取られたジニーが置いていった日記に、うっかり手をつけたのは僕が馬鹿だっただけなんですが、僕はなかなか、悪い経験じゃなかったと思ってますよ。 」
マクゴナガルがコホンと咳払いをした。彼女はちょっと緊張した面持ちで、目だけで部屋中をくまなく見やった。こういう調子のときのガラハッドが、やがて場を氷漬けみたいにすることを彼女は知っている――――本当に、父親そっくりだ!
ダンブルドアもそう思っていた。
彼らの心を知らずにガラハッドは、見せつけるように指を折って、考えられるパターンを示してみせた。リドルが入学した頃のホグワーツ――――水回りをマグル風に改装した直後のホグワーツについて、ガラハッドは、このように逞しい想像力を働かせている。
「 こういうのはね、ストレートにはやらないほうが
「 う、うむ 」
「 あはは!聞き覚えがおありですか? 」
フリットウィック先生は身震いした。
いかにも子供らしい口調でいじめっ子を演じてのけたガラハッドは、意地悪に嗤って、再び大人じみた口ぶりへと戻った。
「 こういう遊びのあった頃に、マグル界からリドルは入学したわけですよね。絶対、言われたくないよなあこんなの?こういうのは、定期的にターゲットを変えていくのがミソなわけですが――――彼って、おそらく孤児でしょう?赤ん坊の頃から集団生活してきたなら、そこらへんの機微はよくわかっているはずだ。僕は、リドルがああなっていった背景が、よくわかりますよ。―――――わかるだろうって、彼は気づいたんだと思います。 」
「 つまり、どういうことじゃね? 」
「 彼は、僕のことがとても好きなようでした。彼は、僕と一緒なら自分はどこにでも行けて、あなたを超える強さを求めなかっただろうと言った。…いいや違うな、あなたの言葉に傷つかないくらい、強くなれただろうにと言った――――自分を、ふたつに引き裂かなくても! 」
今度は、ハリーが身震いする番だった。急に頭痛が始まったかのように、マクゴナガル先生はぎゅっと目をつむった。
「 彼は、彼を日記にしたほうの彼を、他者であると見なしていて、恨んでいたようでした。彼が『自分は捨てられた』と理解していたということは、まだ“一人”だった頃のリドルは、明確に自覚的に、あの思いを捨てようとしたってことですよね?彼は日記だから、肉体をのっとるために、子供たちの捌け口になってまわって――――誰も、彼のほうの内面は気にしなかった。それで、おかげさまで評判ですとおり、僕が“スリザリンの継承者っぽさ役満”の状態で彼をもてなしたら、彼は自分についてよく喋りました。そして、僕を“秘密の部屋”に招いてくれた… 」
ガラハッドは思い出していた。
ああも蕩けそうな笑顔が可愛らしかった、どこにでもいる少年はいま裁かれる。排水管を通ったあとのぬるぬるの手で触られて、ますますみじめたらしく汚れたリドルの日記は、この集まりの中心のローテーブルの上に置かれていて、ダンブルドアのすぐ近くにあった。
「 いつ“部屋”に行こうという話までは、しなかったんですが。僕はリドルを信用してしまって、ハーマイオニーの安全を確保したあと、彼に“秘密の部屋”まで案内してもらおうと思った。僕はペネロピーが石にされたときに、ハーマイオニーに手紙を出して、『次は君だ』と教えていた。秘密にしておいて安心させるより、現実を教えて決断させるほうが、誠実だと思いませんか校長先生?これについては僕は、どうも少数派意見みたいなんですけれど――――フリットウィック先生は、どう思われます? 」
「 先に続きを知りたいのう 」
そりゃああんたはそうでしょうね。
そのようにガラハッドは思ったが、彼を拠り所にしているハリーがここにいる手前、多少は気を使って、それを言わなかった。「危機一髪」みたいな顔でマクゴナガルが、胸に手をあててスゥーッと息を吸って、落ち着こうとしていた。
ダンブルドアは見事な狸爺ぶりで、フリットウィック先生は賢者顔である。
ガラハッドは怜悧な目つきでダンブルドアを見据えたあと、おとなしく続きに戻った。
「 僕はハーマイオニーを、マグル界へと帰そうとした。けれども彼女はここにのこると言った。わかりますか、葡萄樹の子が、蔦を伸ばす地としてここを選んだ意味が! 彼女にバジリスクについて教えられて、僕はこの職員室へとやってきました。すると先に“秘密の部屋”に行っていたリドルが、彼なりには気の利いたあだなで、僕のことを名指しでよんだんですよ。フリットウィック先生がそれをみつけて、これは呪いだと看破してくださって――――先生がバジリスクを討ち取るためには、“秘密の部屋”が内側から開けられる必要があった。“スリザリンの継承者”かそれに招かれた者にしか、“秘密の部屋”には入れない筈なんですから。先生がバジリスクを探してくださっているあいだ、僕とリドルは、互いに杖なし呪いでやりあっていました―――――友達になるふりして。 」
友達…友達って何だろう。自分で言いながらもガラハッドは、今の表現ではなにかが足りないと内心思っていた。
僕たちは、お互いにどちらが強いかを審査しあい、どちらが経験豊富かを審査しあい、どこまで接触しても許容されるかを審査しあい、相手が自分に動揺していることを喜び合い、利用できるぶんは利用して、互いに互いだけを見させようとした。
「ふり」とは言ったけども実際の友達だって、考えてみたらこれと変わらない。
競争なのか暴力なのか友情なのか愛憎なのかわからない領域が、男同士の関係には、あるのだ。それを何と呼べばいいのかわからない。
ガラハッドは、だんだんこのあとのことがつらくなってきていた。
久々に直截な暴力を見る。
ダンブルドアの杖のひとふりによって、リドルの日記は破壊されるだろう。
きっと、リドルにとっては、それを持っていること自体が秘密だった、いかにもマグル出身らしい粗末な日記。捨ててしまいたいと思いながら手放せないで、思いのはけ口にしていたんだろうに。
ガラハッドは、壊される前にせめてこれを言わねばならない気がした。――――恨み言だ。自分は今、あの子の依り代になってあげる。
「 愛がなかったから苦しんだ子供に、『愛は大事だ』なんて釈迦に説法でしたね。与えもしないのに、見せつけたから恨まれたんだ。子供は、いつまでもまやかしでは喜ばない。 」
「 ―――…。 」
「 僕からは以上です 」
ガラハッドはつっけんどんに言った。今のは、リドルのための言葉だった。
ガラハッドは思った――――岩のように静かなダンブルドアは、その表情からして、それを正確に理解したことだろう。彼は何かを言い始める前に、皺だらけの手でニワトコの杖を取り出して、トンと先端をリドルの日記の表紙にあてがった。それからガラハッドのほうを見た。その在りようにガラハッドは驚愕した。キラキラした青い瞳が、半月形の眼鏡の奥で細められていたのだ。
「 彼はヴォルデモート卿 」
柔らかい声でダンブルドアは笑った。
ガラハッドは唇を噛んだ。
目尻に熱もつほどの怒りが、身体の芯から込み上がってきていた。
いまの怨詛を受けてもダンブルドアは、半月形の眼鏡にちらちらと暖炉の火を映して、かすかに微笑んでいるのだ。絵に描いた神様みたいな男。素敵な夢の城を、楽しくしてくれているおじいちゃま。そんなふうにこの者を見ていた過去の自分を、今ガラハッドは刺し殺してやりたい。
「 闇の魔術にどっぷりと沈み込み、魔法界で最も好ましからざる者たちと交わり、危険な変身を何度も重ねた者。だがそうである前に、ひとりの生徒だった。わしの教え子じゃった――――君は、そう言いたいわけじゃな? 」
「 ええ。ええ―――そうです! 」
「 たしかに儂はトムを教えた。彼はホグワーツ始まって以来、最高の秀才だったと言えるほどじゃ―――――ロンドン、ウールの孤児院まで、彼を迎えにいったのも儂じゃ。 」
目を逸らさずにダンブルドアは言った。
負けるまいとガラハッドは、決闘のように彼を見返していた。
「 儂が、トムを孤児院に迎えにいった。儂があの子に、この世には魔法のあることを教えた。儂が、オリバンダーの店であの子に杖を贈った。――――そしてそれを後悔してきた。 」
「 ――――!? 」
ハリーが頭を振った。ハーマイオニーは伸びあがって口元を押さえ、ウィーズリー氏は何度もダンブルドアとガラハッドを交互に見た。
マクゴナガル先生とフリットウィック先生は、祈るように俯いているばかりだ。
ガラハッドは、いまや開いた膝のうえでこぶしを握り、射殺す勢いでダンブルドアのことを睨みつけていた。
瞳輝くアーテナーが、地に来臨するならばこの国は護られるだろう。
その予感の嬉しさの前に、アルバス・ダンブルドアは笑むことを決してやめない。おのれの身の地獄行きならば、とうに覚悟などし終えている――――ダンブルドアは、彼もまた身を乗り出して、静かな声色だがガラハッドへと言い聞かせるようにした。
「 幾多の魔女と魔法使いを傷つけたヴォルデモート卿が、許されることがあってはならぬ。この日記帳は、儂が壊そう、この杖で。このアルバス・ダンブルドアが、ニワトコの杖で。―――おぬしは、そこで見ておくがよい。 」
「 ――――ッッッ 」
日記は破壊された。
刹那目を焼いた閃光のあとには、みすぼらしい帳面があり、中央には孔が空いて、インクがこぽこぽと噴き出していた。シュワシュワという音がして、噴き出したインクはローテーブルを焼き爛れさせ、毒であることがわかった。
オーク材の悲鳴に、憤怒の形相でガラハッドはじっと耳を傾けていた――――…。
ホグワーツ理事のルシウス・マルフォイ氏が怪気炎をあげてやってきたのは、そのわずかに後のことであった。
彼はこの場には生徒も他の職員もいるというのに、みっともなくダンブルドアに喧嘩を売って蹴散らされ、紳士としての体面を潰した。心をととのえられなくて――――ガラハッドは、その場に居合わせたことがひたすらに心地悪かった。威厳も何もない顔でルシウスは、貴族的な肌色をいっそう蒼白にしていた。
そこでこっそりとガラハッドは、フリットウィック先生が腰をあげるのと同時に、自分もこそこそと退室しようと思ったのだが、空気を読まずにハリーが「あっ」と声をあげて乱暴にガラハッドの袖をひっぱったので、見事に失敗した。
ハリーの示すほうには、なんらかの妖精であろうちんちくりんな生き物がいて、ルシウス氏の従者であるようだった。
ハリーが驚くのもわかる見た目をしているけれど、ガラハッドは、そんな魔法生物よりも今はこのことで頭がいっぱいだった―――――ああ、ああそうか自分の“格別のご学友”とは、今まさにダンブルドアによって逝った、トム・マールヴォロ・リドルその人のことだったんだ!
あの日のコンパートメントでの出来事が、鮮烈に思い出されていた。
ドラコ・マルフォイの笑顔も、一緒になって思い出されていた。
人物としての格が違うダンブルドアだけでなく、マルフォイ氏には政敵もいた。
「ズタズタにしてやる」という勢いでウィーズリー氏が、口角泡を飛ばして「この男はうちの娘を犯罪者に仕立てあげて、『マグル保護法』をおじゃんにしようとした」と言い出した。空気を読まないハリーが書店での出来事を告発し、ウィーズリー氏の勢いに拍車をかけた。
先生たちは必死で彼がマルフォイ氏に襲いかかるのを、身体をはって止めるはめになった。
予告礼状なき決闘はご法度だ。ここで杖を取り出してしまったら、悪いのはウィーズリー氏のほうということになる。
フリットウィック先生は呆気なく蹴り飛ばされたが、マクゴナガル先生はシニヨンをぼさぼさにしてウィーズリー氏を押しとどめた。どうしていいやらわからないガラハッドは、半端に口を開けてその周りをうろうろした。
闘牛のような様子のウィーズリー氏を睨みつけて、歯を食いしばってマルフォイ氏は言った。
「 ―――何を証拠に! 」
「 ああ、誰も証明はできんじゃろう 」
ダンブルドアはにこにこして言った。
「 リドルが日記から消え去った今となってはのう。しかしルシウス、忠告しておこう。ヴォルデモート卿の昔の学用品をバラまくのはもうやめにすることじゃな。もし、またその類いの物が、罪もない人の手に渡るようなことがあるとすれば、誰よりもまずアーサー・ウィーズリーが、その入手先をあなただと突き止めるじゃろうよ… 」
「 ――――ッ 」
マルフォイ氏は一瞬立ち竦んだ。
杖に手を伸ばしたくてたまらないというふうに、その右手はぴくぴくと動いていた。
彼は猛然と部屋から出ようとして、初めてその視界にガラハッドをとらえた。
途端に彼は狼狽しはじめた。
見られることが怖いとでもいうように、マルフォイ氏は灰色の目を揺らした。
「 ――――!? 」
その瞬間、ガラハッドは、自分のなかのマルフォイ氏のイメージが、元々さっきからギリギリであったところが破裂するように粉々になってしまって、ぽかんとして彼を見上げた。
どこ吹く風のようすで、ダンブルドアは日記帳を持って微笑むばかり。
ガラハッドは、どうしてそれを直接自分にくれなかったんだという思いで、すべてを見ていられなくなって、手で顔を覆った。
「 ――――ッ 」
わかっている。彼と自分とは、決しておもてにはできない関係だから。
けれど父として、ルシウスはこちらに期待をしてくれていたんだろう。その期待はこっぴどく歪んでいるけれど、直接注いでくれたら、その思惑はずっと無害だったのに。
もしもあの日、駅のホームでマルフォイ氏が、この自分に直接日記帳をくれていたら!
その夜にも自分はリドルと出会って、すぐに親しくなって、そのうち思想の違いによって、大喧嘩したことだろう。
そのようにしてきっと、誰も石にならずに済んだ。
だってリドルはこちら以外を選ばないだろうし、自分は、もしも身体を乗っ取られそうになったら菩薩さまにすがって誰でもぶっ飛ばしてやるから。
「しょせん僕に魔力を与えられないといけないくせに、調子に乗るな」とかそういうキレかたを、狭量な自分はたぶん間違いなくする。すると絶対にリドルは怒って、是が非でもこちらを屈服させようとする。我々の喧嘩は熾烈を極めるだろうから、レイブンクローどころかホグワーツじゅうを巻き込んで、お互いを煽りあっただろうと思う。
でも、そのほうがよかったじゃないか。
今年のホグワーツよりも、ずっと、ずっとずっと、そのほうがよかった。
この一年、誰もが息をひそめたホグワーツでは、あれこれと膨らんでいった闇が多すぎる。
ガラハッドがひとりで呻いているあいだに、マルフォイ氏はそそくさと帰っていった。
みずから壁に頭をぶつけて、ウィーズリー氏は、怒りを発散しようとしていた。
直前までひそひそやっていたが、ぱっとハーマイオニーのもとを離れてマルフォイ氏を追いかけていったハリーは、今度はどんなことをしでかそうというのか――――。
開け放たれたドアからガラハッドが怖々廊下の様子を見てみると、マルフォイ氏は汚い包みをかなぐり捨てて、なかから例の日記を取り出したところだった。途端に従者の妖精がキーキーと騒いだ。ドロドロの汚い靴下を握りしめて、妖精は喜びでとびあがった。
「 自由だ!ご主人様が、ドビーめに靴下を片方くださった!! 」
ルシウス氏は硬直していた。
してやったりのハリーを、咄嗟にガラハッドは追いかけて追い抜かした。
去り行こうとするマルフォイ氏は、いまや怒りで日記をも打ち捨てようとしている。
「 あの―――! 」
ガラハッドは走り寄った。
はじかれたようにマルフォイ氏は振り向き、平静を装おうとした。
永遠のような一瞬があった。
「 その日記帳、ください 」
ガラハッドは声をしぼりだした。みっともなく掠れていて、格好がつかなかった。
「 …これはこれは 」
マルフォイ氏は微笑みそうになった。
嗚呼その微笑みが最後まで形作られてしまったら、自分はきっとまた、捨てるべき執着を増やすことだろう。たちまち勢いづいてガラハッドは声をあらげた。
「 ゆめゆめ勘違いなさらぬよう!僕は、将来杖職人になる者として、あなたのしたことを忘れないためにそれをとっておこうというんです! 」
「 ――――ッ 」
左手をつきだして、ガラハッド・オリバンダーは決然と言った。
ルシウス・マルフォイは、浮かべかけた笑みを封じてしばらくのあいだ重苦しく黙っていた。だがやがて、丁寧に日記を持ちかえて、ガラハッドから見て正しい向きになるようにして、左手を使ってそれを手渡した。こういうことをしてくれる英国人を、ガラハッドはマルフォイ氏以外に知らないのだ―――――こんなことを思うのも今のうちだけにしよう。
礼を口にして受け取りながら、ガラハッドはこう思っていた。
決別だ。
マナーは人がつくるものだから、彼と自分にとってはこの所作は、永久に他人であることの証。
泥だらけの制服ローブだったけれども、ガラハッドは、古い血の魔法族として、丁重な会釈で彼を見送った。
彼もそのようにした。
美しい仕草で、ルシウス・マルフォイはその場を去っていった。
ダンブルドアのはからいで、その夜は世紀の大宴会であった。ガラハッドは彼から200点つけられたけども、グリフィンドールはハリーとロンのぶんで400点もとった。
紙吹雪の舞う大広間で、主役なのにぼんやりしている英雄ガラハッド卿を、レイブンクローのみんなは頓珍漢な言葉でなぐさめてくれた。
「 大丈夫。テストの点のほうが大事だからさ! 」
無事に元気そうに戻ってきたペネロピーは、今日の日付を聞いて、試験まであと一ヶ月しかないと知って悲鳴をあげた。石にされていたのは自分だっていうのに、黄金のようなごちそうを前にしてでも真っ青になったのだから、彼女のガリ勉ぶりは国宝級だ。
「 ペニー! 」
レイブンクローのテーブルには、胸をつまらせたような声のパーシーが駆け寄ってきた。パーシーが彼女を抱き締めたことで、彼らは付き合っていたことが全校生にバレた。
「 ヒュー! 」
お堅い監督生様をいじれるネタなんてそうそうない。
大喜びの双子やロジャーたちによって、ホグワーツには明るい雰囲気が戻っていった。
それから約一ヶ月半のあいだ、めいっぱい笑いながら、ガラハッドは第三学年を終えることができた。
終業式にて学年代表として、修了証を受けとるのは学年一位の仕事だった。そのあとの表彰でもガラハッドは登壇したので、クリービーにカメラを向けられたときは、いっそ「イェーイ」とVサインしておいた。――――下手に謙遜すると嫌われるから。
陽気な奇才ぶるガラハッドを、隣から心配そうな顔でセドリックは見ていた。彼もまた学年一位だった。
ホグワーツ急行を待つ駅のホームで、ふたりは言葉なく雲を見上げていた。夏なのに鰯雲ばかりの青空は、やっぱりガラハッドには少し物足りない。夏休みの楽しみを語るセドリックの、提案はどれも魅力的だが憂鬱は晴れていかない。
「時の感覚が狂っている」と、ガラハッドはいきなり正直に話した。あんなにいろいろあった一年なのに、過ぎ去ればとても短かったと感じる、と。
それを聞いてセドリックは笑った。
「 僕もだよ 」
その笑顔の清らかさといったら。
自分は、そんなふうには笑えない。
そんなセドリックを見ているうちにガラハッドは、だんだん不思議な感覚にとらわれていった―――自分は今、何歳なのだっけ?前世と足し算すれば、とっくに30を超えるのだけども…きっと、「30代の大人」って、こんな気分にはならないだろう。30まで生きたことがないから、確証はないんだけれど。
たかが一年を十年みたいに感じて、次の一年を途方もなく感じて。
すべてうまくいったはずなのに物足りなくて、不安が募って遮二無二ぐずりたくなる。なのに、はしゃいじゃって――――家に帰りたいんだ。この“家”って、一体どこのことなんだろう。
嗚呼自覚したことがなかったけれど、自分もまた、ひとりの「大人になれなかった子供」なんだろう。あの日死んでから僕は変われていない。「変わらなきゃな」と思うときがあるからこそ、この実感が苦しくて痛みになる。痛みと結びつけることでしか、愛に向き合うことができないんだ。
そんなどこにでもいる子供のもとに、今日も汽車はやってくる。
【fin】
■「決別だ。マナーは人がつくるものだから…」のくだりは、映画『キングスマン』のハリー(コードネーム:ガラハッド)の台詞「Manner Makes Man」を反転させたものです。キングスマンは紳士の集まりで、下層出身の主人公はハリー(ガラハッド)のようなマナーをおさめることで人間的に成長していきます。生まれついての紳士に見えた人物が、いろいろあって敵に回ったあと死ぬ直前に下町訛りを口走り、「あっ、あなたも…!?」みたいな退場をキメたりします。
■Man Makes Maneer.主人公は「しきたりは人がつくるものなので、差別は人間によってなくせる」と言いたいわけです。そうはいってもマナー通り振舞うことで、この場ではルシウスと同格になろうとしている。まだまだだね。
■原作者がばっちり元ネタにしているエドガー・アラン・ポー。その作品『The Raven』では、Raven(大鴉)が降り立つ女神像は「パラス・アテナ」と表現されています。これに纏わる神話は二つあって、ひとつは「アテナ女神はギガントマキアで巨人パラスの首を討ち取り、強大な者への勝利を誇って戦場でパラス・アテナと名乗ることにした」というもの、もうひとつは「特殊な出生で母がなく、父ゼウスから離れて育っていたアテナにはパラスという親友がおり、競いあい共に武芸を磨いていたが、あるときみずから行ったことと不運が重なり、親友を殺してしまった。よって忘れないためにパラス・アテナと名乗って戦う」というもの。この女神に降り立ったRavenは、「Navermore, Navermore…」とばかり鳴いて独り過去を想う学生を苦しめます。