ハリー・ポッターとオリーブの杖   作:Tohka.A

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2巻までの登場人物

■トム・リドル
反転されたアリス

■ハーマイオニー・グレンジャー
魔女になっていくアリス

■ロナルド・ウィーズリー
生粋のケルト魔法族

■ハリー・ポッター&ドラコ・マルフォイ
おおむね子供の喧嘩

■セドリック・ディゴリー
推理小説好きの二枚目

■フレッド&ジョージ・ウィーズリー
道具づくり好きの三枚目

■ペネロピー・クリアウォーター
水辺に化けて出るタイプ

■オリバー・ウッド
最も硬い棒のような男

■マーカス・フリント
そのいかつさ、火打石なみ

■ロイ・マスタング
野良馬のなかの野良馬

■マートル・ウォーレン
永遠の泣き虫制服メガネっ娘


ホグワーツは今日も賑やか。


3巻:鏡の国の囚人
獅子流離譚


 

海岸のような荒野のようなところである。

 

 

ここは、かつては幅の広い川底だったのかもしれない。くたびれはてるほどに歩いてからやっと気づいたけれども、いくら歩いても地面は砂礫ばかりで、ところどころゴミが落ちているのに、生きているものというのは僅かな草すらない。しかし遠くでは白々と、深い霧がくゆって、黒っぽい木々を霞ませている…。

 

 

―――水が枯れたんだろうな。

 

 

そう思って見てみると、なるほど時々ある岩は飛び石のように平たく、適度な間隔で並んでいる。

 

そういうことならと俺は、手近な岩にのぼってみることにした。

ただ立って見るだけよりも、岩の高さの分だけ、視界が広くなるわけだから―――見渡してみると、右手に続いていた小高くなっているほうでは、影絵のような子供たちがしゃがんでいたり走ったりしている。

遊んでいるんだと思った。進むべき方向は、あっちだ。

人影の向こうでは、ちょうど汽車が軽快に走り去っていくところだった。寂しいようなレール音が、混ざりっけなしに静かに響いていった。タタンタタンと、天に昇っていくように。汽車が去っていったあとに見えた光景は、海かと思ったらチェス盤のような丘陵畑だ。黄金の麦と牧草と―――折角の美しい千鳥格子なのに、低い雲のせいで、それらは印刷されたモノクロのように見えていた。振り返って反対側の岸を見ると、すっかり白い花に見える桜並木があった。

 

 

―――あっちは日本だろうな。

 

 

でも、知らない街だ。だから向こうはよしておこう。俺は切符を持っていないから、どのみち汽車には乗れないのだけれども。

 

 

ぴょん、と岩の上から飛び降りた。すると不意にごく近い前方を、砂利を踏み鳴らして誰かが闊歩してくるのに気がついた。枯れた川底を辿って歩く者は、自分以外にもいたのだ。顔を上げた途端、胸を衝かれたような震えがきて、「あっ」と居竦まされてしまった―――その者は、まぎれもない、トム・マールヴォロ・リドルその人だったのだ!理由なんて何もない。ただ近づいて来られるのは、怖かった。急いで逃げようとして、岩の後ろに回った。回り込まれて、危うく鉢合わせそうになって、逆回転したりして、こんなことでは鬼ごっこは終わらない。やがて俺たちは、互いに慎重に岩から離れて、ついぞ距離を縮めずに見据えあうことになった。

 

 

「 ――――ッ! 」

 

 

けれど、濃い霧がここにまで移ろってきたから。

霞んで見えるシルエットから、リドルであるということはわかるのだが、表情まではわからないのだ。

 

 

「 何故逃げるんだい? 」

 

 

ぞくり、と肌が泡立って気が遠くなった。嗚呼この川は、この河は、一体どこまで続くんだろう?どこまで逃げたっていつかは、彼に追いつかれてしまう気がして…。

 

 

…ふと、“あの名前”を思い出すのだった。

 

 

走って走ってそれでようやく、鏡の国では「立っている」ということなんだ。白の女王は、未来から過去に向かって生きている。癇癪を起こしてアリスがわめかない限り、不条理な悪夢は終わらない。けれど、あの子死んじゃった死んじゃった。あの子の絶命日は、毎回がお祭り騒ぎ。そりゃあ当然だよな。当然だけどさあ。けれど人間のものさしなんか、所詮ちっぽけであるはずだろう?

 

 

いけない、水なんか流れ出したら。

 

溺れてしまう。

 

 

ぐっしょりと汗をかいて、ガラハッド・オリバンダーは昼寝から目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開けてからの光景のほうが暗かったので、しばらくは混乱して天井を見つめていた。部屋全体はほの暗いけれども、壁つきのランプには暖かい光が宿っていて、得も言えぬ多幸感を醸し出している。頭を上げて時計を見ると、時刻は20時を回っていた。 一睡もできないかと思ったのに、もうこんな時間だ―――内容までは覚えていないけれど、なんだか、とても嫌な夢を見ていた気がする。頭がずっしりと重くて、中に鉛でも溜まっているようだった。

ガラハッドがよっこいしょと身体を起こすと、隣のセドリックが不思議そうに「大丈夫?」と言った。彼はTシャツ姿でベッドにあぐらをかき、足の上に『月刊クィディッチ』を広げていた。

 

 

「 起きたね。険しい顔つきだったけど。もしかして、嫌な夢を見ていた? 」

 

「 ああまあ。馬鹿。寝顔見てたのかよ。 」

 

「 ごめんよ、僕は結局眠れなかったんだよね。 」

 

 

からからとセドリックは笑って言った。ガラハッドはベッドから抜け出し、身嗜みをととのえながら苦笑するばかりだった。

わかるぞ。自分も最初は、なかなか寝つけなかった。

 

日頃は結構決まりきった生活をするほうなのに、今日は昼間っから無理矢理寝たのと―――それとあと、ほらまた今じわじわと変わりつつある壁紙など、ディゴリー家にはドキドキするものがいっぱいあるので。

それでなくたって、友人宅でお泊まりなんて楽しい。

逸る気持ちがあったのに、結局自分一人ぐーすか寝てしまったのか!

ガラハッドが気恥ずかしさで黙っていても、セドリックは上機嫌のままだった。彼のほうは純粋に、今夜の流星群観測が楽しみなのだと思われた。

 

ロンドンではお目にかかれない夜空が待っているはずだ。手分けして記録帳や羽ペン、インクにコンパス、望遠鏡などを持って、二人は寝室を出て階段をくだった。流星観測は半分以上遊びみたいなもんだけど、天文学の宿題をやっつける狙いもあるのである。

 

オリバンダー家に比べると、ディゴリー家は広い家だった。ホールの壁には大小さまざまな額縁に囲まれて、立派な牡鹿の角が飾られていて、家族の人数ぶんの杖置きがその下にあった。ガラハッドが通りがけに額縁のひとつが空っぽであるのを見咎めると、その人物は、隣の肖像画に入り込んで楽しそうにおしゃべりをしていた。愛想よく彼らは子孫に手を振った。

 

 

「 父さんならもう仕事に行ったよ 」

 

 

先祖に手を振り返しながらセドリックが言った。

 

 

「 しまった。本当に、起こしてくれたら良かったのに! 」

 

「 まあまあ。会ったら、どうせまた“あの話”が始まると思ったんだよ。 」

 

 

「それでうっかり寝過ごしたんだよね」とセドリックは、悪戯っぽく肩を竦めた。「あらまあ」とディゴリー夫人は、そんなセドリックの振る舞いに驚いたようだ。だがそのうちに、夫人は自分よりも大きな息子を見上げてクスクスと笑いはじめた。ディゴリー家のあるじは魔法省職員で、魔法生物規制管理部で働いている。今夜は新月なので、職務の性質上夜勤なのだそうである。「あの話」というのは、「絶対に家から出てはいけない」という、朝にたっぷり与えられた忠告のことである。近頃魔法界ではシリウス・ブラックという凶悪犯が脱獄して、やれアズカバン職員の責任問題がどうだのマグル界内閣府との連携がどうだのと、連日日刊予言者新聞の紙面をにぎわせている。一人息子を溺愛するディゴリー氏は、それが高じて少々心配症がすぎる部分もあるようで、たしかに朝の話はこってりとしていた。ガラハッドは、今日初めてあれを聞いたわけではないだろうセドリックが、「わかってるよ」という一言を飲み込んでいるのはえらいと思った。何度でも神妙に彼はうなずいていたのだ。一方で夫人は、そんな息子を別の意味で心配していたようで、今宵ずいぶんいそいそと、息子と息子の友人を、屋敷のなかで夜中じゅう好きにさせてくれようとしていた。ガラハッドが誘いに応じてついていくと、彼女はキッチンと庭をつなぐコンサパトリーに魔法をかけてくれていて、立ち入ってみると、そこは内側からはまるでガラス張りのようになっていた。どっしりと降ってくるような星空のもと、テーブルのうえではキャンドルに照らされて、野菜たっぷりのキッシュや冷製ポタージュ、色とりどりのフルーツが輝いていた。その背後でちらちらと、夜の庭には草ホタルが飛び交っていて、まるで地上の流星のように見える。

 

 

「 ウィーズリーさんのところはエジプトに行っていらっしゃるのにねえ。 」

 

 

優しい声でディゴリー夫人は言った。「ぐなぉん」という声がしたので、ガラハッドは初めて近くに猫がいることに気づいた。

すり寄ってきた猫を抱きあげて、夫人はその首に顔をうずめた。キャンドルの灯を反射させて、猫は目ん玉を爛々と光らせていた。

 

 

「 あなたたちがそこの丘にすら登れないのは、可哀想だわ。でも、お父様のおっしゃることもわかるでしょう?」

 

「 うん。うん。ありがとう、母さん! 」

 

「 せっかくガラハッド君が来てくれたのにねえ。 」

 

「 痛み入ります。こんなに良くしていただいて。 」

 

「 楽しんで頂戴ね。ふふふ、それじゃあ私は眠らせてもらいます。 」

 

「 おやすみなさい。 」

 

「 おやすみなさい。あなたはお仕事よ、グリマルキン。 」

 

 

トン、と軽い音がした。ぱちくりと暗闇で目を光らせたあと、夫人が床に放り投げた魔女猫はどこかへとくるりと消えていった。夜警のプロであるようだ。「いいなあ使い魔がいるのって」と、ガラハッドはちょっとペットが欲しくなった。

 

それからのことだ。

 

その日は、夜じゅうずっと楽しかった。

セドリックとガラハッドはディゴリー氏のジンをほんの少しくすねて、キャンドルの明かりでフルーツパンチを密造し、窓からの風と共に降りそそぐ流星群を浴びた。拗ねたように透明の壁をつついて、「あれを捕まえてみたかった」とセドリックはぼやいた。ハッフルパフの談話室には暖炉があるから、星の子をペットにするのも不可能じゃないんだそうだ。セドリックは不満そうだったけれども、ガラハッドはこんな夏休みを大変気に入っていた。ちらちら消えていく流星と蛍と、そのせいで仄明るい宵闇には、線香花火にも似た情緒があると思った。少し寂しいような気もするけども、この夜がこんなに静かで美しいのは、ウィーズリー氏が宝くじを当ててくれたからだ。フレッドとジョージがいたらついつい馬鹿騒ぎしてしまって、こういうわけにはいかない。

 

彼らは今頃どうしているだろう?そんな話をしていると、折しも双子から「お土産の予告状」が届いて二人は大笑いした。絶対ろくなものじゃないだろう!

キングス・クロス駅で受け取っちゃうことだけは避けたいなとか、今年は叫びの屋敷を改造しようよとか、そういう話をしていると新学期への期待は膨らんでいった。恥ずかしそうにセドリックはバッジを見せてくれた。今年から彼は監督生を務めるのである。「規則の鬼」ではないセドリックが監督生だなんて、ハッフルパフの生徒たちは幸せだなとガラハッドは思った。

 

 

そういうわけでガラハッドは、この夏にはもうじゅうぶん満足していたのだった。

 

 

 

 

 

 

翌日のことである。

 

 

「 …ん? 」

 

 

夏、それにはもうじゅうぶん満足していたのに、ガラハッドの夏休みはまだまだこれからだった。翌夕お泊りから帰ってきたガラハッドは、数時間のうちに異変に気を尖らせることになった。

 

 

「 !!? 」

 

 

それは、もう遅くてふつうは来客のない時間のことだった。前日のことがあったので昼間にうたたねをしてしまい、変に目の冴えていたガラハッドは、深夜にも関わらず自室で本を読んでいた。

だからすぐに気がついた。通販を求めるフクロウにしては奇妙な物音が、店舗部のほうからはっきりと聞こえてきたのだ。

聞き間違いであってほしかったけど、そうではなさそうだ。杖を持ってガラハッドは自室を出て、居間で飲んでいたギャリックに囁きかけた。

 

 

「 爺さん。爺さん、起きてる? 」

 

 

これは非常事態だ。シリウス・ブラックはいまだ逃走中であるそうだし、この家にはたんまりと杖がある。

 

ギャリックは酔って高いびきをかいていた。そっとギャリックの肩をつついてやりながら、ガラハッドは家守たちの気配に集中した。「素通りしていくな」という感じで、階段の手摺飾りがちらちらと光っていた。家の中心である居間をぐるりと囲んでいる、サーキュラー階段を飾る紫水晶だ。引き返してガラハッドは水晶玉を覗きにいった。

 

 

「 むにゃむにゃ 」

 

 

ギャリックはまだ夢見心地である。ガラハッドが鋭い目を向けると、水晶玉はすぐに像を宿した。“彼女”は、夏場のあいだ非常に元気な石なのである。真上にある採光窓の恩恵を受けて、陽気精気をたくわえているから。ガラハッドが見下ろしてまもないうちに、“彼女”は可愛らしく渦巻いてまるでスノードームのように、不審な物音の正体を映し出していった。見るなりガラハッドは、「えっ」という声を漏らしてもう一度ギャリックを起こしに行った。「まさか、そんなわけない」などと思いながら。――――玉のなかでぴこぴこと腕を振っているのは、コーネリウス・ファッジ魔法省大臣、その人だった。

 

 

「 爺さん!爺さん、大臣!大臣が来てるよ。 」

 

 

腕をぴこぴこしているのは、入り口の扉を叩く仕草だろう。最初に聞きつけた物音は続いていて、なんだか気持ちが逸ってきてしまう。

 

 

「 爺さん! 」

 

 

ガラハッドは、強引にギャリックを揺さぶり起こした。

 

 

「 ぐぬぬ、折角人が気持ち良く飲んどるのに 」

 

「 本当に大臣なのかな?無視させないために、姿を似せているとか? 」

 

「 会ったらわかるこった。どれどれさがっとれ! 」

 

 

癇癪を起こしてギャリックは吼えた。

ギャリックはひどく不機嫌だった。「どっこいしょ」とか言って彼はソファから尻を離すと、ゆっくりとした足運びで曾孫の脇を抜けて、赤くて厳めしい顔で深緑のカーテンを跳ねのけた。

その向こう側からは店舗だ。

ガラハッドは、一度キッチンに行ってグラスに水を汲んでくることにした。ギャリックの足取りは、傍目に見て露骨におぼつかない。店に入ってみると、案の定、カウンターのこちら側でギャリックは悠長に一服つけ、客を迎える前に気合を入れているところだった。安楽椅子にて、面倒臭そうに欠伸をしてゆっくりとパイプをくゆらせ、気だるく紫煙を吐き出していた。

 

 

「 ふあ~ぁ 」

 

 

オリーブの扉は、ひらかない。

 

 

「 ――――ッ 」

 

 

ガラハッドが無言でどんとグラスを置くと、実にうまそうにギャリックは水を飲んだ。フレンチウィンドウといってもこの店の扉は重厚な一枚板で、嵌め込まれている硝子はビザンツかそこらの代物だ。非常にホウ素含有量が多いらしく、分厚くてあまり光を通さない。杖明かりを持った人影が店の前にいることはわかるけれども、はっきりとした姿までは、内側からはわからない。警戒心を顔に出しているガラハッドに、「ありゃ本物だ」とギャリックは言った。つまり、やってきたのは本物の魔法省大臣であると。だからといって「急いで開ける」という発想はギャリックにはないらしく、あんまり長く待たせているので、ガラハッドは見ていて気が気じゃなかった。

 

どうしようもできずに、ガラハッドは会計台の内側でうろうろした。この店の扉は、ひとりでにしか開かないしひとりでにしか閉まらない。心ある樹木だし、人間相手には代々の店主にしか従わないのだ。紀元前から生きる木に、薄命な人間を待たせる罪はわからないだろう。

 

ギャリックは忙しない客に対して嫌味なほどゆっくりと紫煙を吐き出すうちに、多少は酔いが醒めたらしく、やがていつもの仕事の顔つきになっていった。彼のほうの準備はととのった。もうじきあの扉は、自然に開くことだろうが…

 

 

( ―――…(おきな)だよなあ )

 

 

ガラハッドは、待ちながら不意にいつもの感慨に耽ることになった。

何度見ても店主としてのギャリック・オリバンダーの面差しは、冷え枯れてすさびの境地にある能面を思わせる。

 

 

( ここは日本じゃないのにな。 )

 

 

身に幽玄を宿して。最近、ろくに足の上がっていない老いた歩き方が、これまたシテの舞であるように見えて不思議な感じがする。

彼は銀色に光るその瞳ひとつで、木魂(こだま)たちを使役し共に遊ぶことができる。

重厚な扉が、いま、左右へと優雅に音をたてずに、真夜中のダイアゴン横丁に向けて開かれていく。

風が湧きたった。

家の内側から大地の息吹のように吹き出した風が、オリバンダーたちの毛先裾先を遊ばせていった。

 

 

「 やあこんばんは! 」

 

 

元々が小柄ででっぷりしているのだが、縦縞マントのファッジは少々その場で縦に伸びた。不思議な風を浴びたファッジは、それをすべて吸い込もうとしたか、ぞっと寒気をもよおしたように見えた。

その後ろには、なんと、びろびろに伸びたシャツを着たハリー・ポッターが、縮こまってぽかんとしてつっ立っていた。

 

 

「 ハリー!? 」

 

 

ガラハッドは変な声が出た。

「今すぐこの場から消えたい」といったような顔で、ハリーはシャツの裾を握りしめている。ギャリックがゆっくりその姿を認めると、ハリーはぎゅっと目をつむり首を竦めた。夜警の兵士から、哨戒の明かりを照射されたみたいだった。手枷はないが、事実上大臣に従えられていた。

 

 

「 ごきげんよう、オリバンダーさん。えーこのたびは、ハリー、ハリーです。ハリー・ポッター少年を匿っていただきたくてね。えー魔法省としてはもちろん、ブラックの確保のために手を尽くしておるのですが、少なくとも当面のあいだ、シリウス・ブラックを相手に、此処は最も安全な場所です。この国で最も。 」

 

 

ファッジがまくしたてた。

黙っていたがガラハッドは、内心「そんなわけないだろ」と思っていた。大体どうしてハリーは、魔法省大臣と行動を共にしているんだろう?

 

 

「 くっくっく、そう見えるかい 」

 

 

ギャリックが笑い始めた。

驚いてガラハッドは曾祖父を振り返った。

立ち込める紫煙が彼を霞ませ、彼の胡散臭さを際立たせていた。ハリーはそれに圧倒されているようだ。ガラハッドも、こんなに生き生きしたギャリックの姿は久しぶりに見る。

 

 

「 おかしな世の中になったもんだ。まあそうとも、此処には来れまいよ、儂の目の黒い限り、ブラックの坊主はな―――面白い!おぬしの頭一つに免じて、この夏その子はうちへ置こうじゃないか。たかがアズカバン行きの小僧、毛の一本もこの家には入れんよ。くぁっは!くぁっはっはっは! 」

 

 

積み上げられた紙箱がガタガタと動いた。ギャリックの高笑いに共鳴して、店中の杖という杖は小刻みに震えた。杖の箱はうずたかく所狭しと並べられているから、杖たちのざわめきは大樹の葉擦れのようである。高いところを見上げて、ガラハッドはその場でくるくると首を巡らせた。さざ波のように揺らいで、しばらくその葉擦れは消えなかった。

 

 

「 すまんちょっと酔ってるんだ 」

 

 

ガラハッドは、会計台の外へと出ていって、死蠟のような顔色のハリーにそっと耳打ちした。冷や汗で額を光らせているハリーは、もにゃもにゃと何かを不安げに言った。

 

 

「 決まりですな 」

 

 

ファッジが手を擦りながら言った。

 

 

「 かたじけない、オリバンダー翁。ノアイユ公にも、よろしくお伝えください。このたびは、こういうことでありますから、欧州議会の定めるところの、条項2に該当しましてですね。私としては、こんなこともあろうかと、あの一文を盛り込んでおいたわけですよ。今後とも、何卒何卒! 」

 

 

深緑色の背広って、着ている人全員を芸人に見せると思う。彼の恰好はマグルとして見ると、“大臣”というより“サーカスの座長”だ。後ずさりしながら恭しく通りへ出ていき、パチンッとファッジは街頭から消えた。

 

はてさて奇妙な夏休みの始まりだ。魔法省大臣に頼られて、酔っ払いのギャリックは有頂天であるように見えるし、彼が吐き散らす紫煙のなかハリーは借りてきた猫のよう。

「お前はこれでいいの!?」とガラハッドが訊ねても、やれバスがなんだ運転手がなんだおばさんがおばさんがうわあああなんだのと、ハリーの話はいつも通り飛び飛びで、聞いてやってもさっぱり要領を得られない。取り敢えず彼のなかで、この結論だけは確からしかった。

 

 

「 もうダーズリーのところは嫌だ!!! 」

 

「 お、おう。じゃあアレか、お前マジでうちの子になるのか? 」

 

「 邪魔でしょ?出ていくよ!出ていくってば―――離せよ!! 」

 

「 そんなこと言ってないだろ!?この頃治安が悪いんだから、夜中に飛び出すな―――あっ、ばか! 」

 

 

そんなこんなで、この夏はとても賑やかなものになった。ガラハッドが止めるのも構わずハリーは走って出ようとしたが、オリーブの扉が勢いよく閉じたので、大きくごつんと音が鳴るほど激しく頭をぶつけた。

オリーブの材木は格別硬い。

ハリーは床にしゃがみこんで、ぼたぼたと鼻血を垂らすはめになった。「あ~ぁやると思った」とガラハッドは、蹲ったハリーの肩にぽんと手を置いた。

 

 

「 あがれよ。手当してやるから 」

 

「 ~~~ッ 」

 

 

ここで、ハリーのほうの心境も示しておきたい。

 

蹲って見上げると余計に迫ってくるのだが、オリバンダー杖店のなかでは、埃のひとひらに至るまで魔力が宿るかのようなのだ。

静謐に宿る歴史。

何もかもが古びていて、途方もない時間を思わせる。

一体何人の魔女と魔法使いが、ここに立って緊張したことだろう?

何を考えているかわからない瞳をした、そっくりの老人と少年の妖しさよ。

きっと耳に膏薬を塗らなくても、彼らには杖たちの声が聞こえている。

 

真夜中のオリバンダー杖店が、ハリーにはとても怖かった。

 

 

 




■タイトルの元ネタは塚本邦雄の『獅子流離譚 わが心のレオナルド』。幻想的な作風の塚本邦雄は1945年8月6日、勤労動員で呉の海軍工廠にいました。2巻編ラスト付近まで「原爆で知り合い全員死んだ」と思い込んでいた主人公ですが、高校同期のうち呉就職組は生きていた…「だから便所は水洗」というオチ…からの「生き残り組代表」で塚本邦雄を選びました。
■冒頭「海岸のような…」は京極夏彦の小説『姑獲鳥の夏』の原文ママ。小説『姑獲鳥の夏』では、夢の中で“わたし”こと関口巽は、女に手を引かれている。関口巽が夢で見る世界は、「ここは、かつては…霞ませている…。」のような場所。描写からこの場所は、関戸克己の『小説・読書生活』に出てくる場所であると思われます。
関戸克己氏は、小説『姑獲鳥の夏』から始まる京極夏彦の百鬼夜行シリーズの主人公・関口巽のモデルになった人物で、『小説・読書生活』が刊行されたときにはお亡くなりであり、出版は京極夏彦氏の尽力によるものだったと把握しています。最高の不条理幻想小説です。
■京極夏彦先生は他にも「榎木津礼二郎」という名前で三島由紀夫を作品に登場させたり、『魍魎の匣』では小説家関口巽の作品タイトルをすべて三島由紀夫作品からとったりなさっています。
■三島由紀夫は折口信夫を登場人物にした小説を書いています。
■折口信夫の分類でいえば、ハリー・ポッターシリーズは「貴種流離譚」です。塚本邦雄の命名はこれを受けてのものです。
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