城に戻るとレイブンクロー塔の入り口に程近い廊下で、うつむきがちにのろのろ歩くハリーに出会った。なんでこんなところに一人でいるんだろうか?本日二度目ということになるが、ガラハッドは彼に声をかけた。すると陰鬱そうにハリーは、ナメクジのような速度で顔をあげた。
「 やあ 」
「 ああ… 」
「 ここで何してるんだ? 」
「 ちょっと話したくて… 」
「君と…」とぼそりとハリーは言った。ガラハッドはたちまち呆れて、明るい声でぽんぽんと言った。
「 お前なあ!そういうときこそヘドウィグを使えよ。さもないと不審者だぞ 」
「 うん、ええと、まあ、偶然出会えたら話そうかなぁくらいの内容で、用事ってわけじゃないんだ… 」
「 昼間の話か?あのふたり、あのあと仲直りした? 」
「 いいや全然 」
暗い声のハリーは首を振った。その顔には「もううんざりだ」と苦々しく書いてあって、彼が今シリウス・ブラックのせいで無闇に校舎から出られないながら、グリフィンドール寮にいたくない事情は察せられる。
新学期早々お気の毒なことだ。
なんだか、とても既視感があって、「うわあ三年生だなあ」とガラハッドは思った。いずこも内輪で、喧嘩をする時分。三年生って魔の時期だよな。
「 そもそも何の話だったんだ、あの口論は? 」
「 それがさ… 」
ハリーは手短に説明をした。
新学期一時間目の授業で、トレローニーがハリーのティーカップに死神犬を見いだし、ロンがそれに怯えて、ハーマイオニーがそれを一笑に付したこと。トレローニーの発言を信じるべきか否か、死神犬そのものの力をどうとらえるべきか否か、ロンとハーマイオニーの意見が割れて、果てはあの言い合いにまで発展したこと。午後からはお互いのペットをめぐる口論がそれに上乗せされており、もはやハリーとは関係なくなっている(でも関係せざるをえない!)こと…。
ガラハッドがかける言葉に困ってただただ頷いていると、ハリーは少し話題を変えて、この夏自分が見た犬の話をした。
「 君は、どう思う?僕は今日よりもずっと前に黒い犬を見ていたし、そのことは君にも話したよね?それに、一度は君と一緒のときに見た。僕はあの占いは、当たっていると思うんだ… 」
「 たしかに大きな犬だったな。けれど、当たったのは――――既に認識しているもののなかから一致したのは、“しるし”であって、“解釈”ではないだろ?そんなに珍しい“しるし”を言われたわけでもない 」
「 どういうこと? 」
「 記憶にある範囲で黒い犬を見かけたことのある生徒なんて、僕たち以外にもたくさんいるだろうってことだ 」
「 そうかなあ。僕は、この夏休みだけであわせて三回も見かけたよ?ねえ、ロンとハーマイオニーの言い分は、どちらが正しいと思う?死神犬って、姿を見せた相手に呪いをかけるのかな?それとも、見た人が勝手に怯えているだけ? 」
「 うーん 」
ガラハッドは口をへの字にした。彼は今の話を極力神妙そうな顔つきで聞いていたが、その実ハリーの心配は馬鹿馬鹿しいものだと思っていた。
真剣に悩んでいそうな相手に、「馬鹿なの?」と言い放って嗤うほど、薄情な性格はしていないだけで。
「 ハリー、占い学なら僕も受講しているけれど、トレローニーは僕には死神犬の話なんかしなかったよ。グリンゴッツ前で見た犬――――仮にあの犬に何かの力があるならば、その呪いには僕だってかかっているはずじゃないか。彼女が僕には何も言わなかった時点で、バジリスクの目みたいに、あの犬には見た者を自動で呪う機能はないだろうよ。それに、第一… 」
ガラハッドはここでちょっと一息おいた。立ち話であるので、廊下をキョロキョロと見回して、すぐそこにあるレイブンクロー塔の入り口から、二年生のルーナ・ラグブッドが顔を出してきていないかを確認した。彼女が聞きつけてくるとこの話は、なかなか終わらないだろうから。
「 “非実体”だぞ、死神犬っていうのは?ハリー、死神犬は、繁殖したり野生化したり、魔法省がリストにして保護したりするようなものじゃないんだ。死と産褥、魔術の守護者、冥女神ヘカテーの召しつかう猟犬。つまり、概念的な存在で――――ほら、ミネルヴァのフクロウとかと一緒さ。 」
「 どういうこと?あのさ、言っておくけどこれはたぶん、僕が特別馬鹿だからわからないわけじゃないよ。ガラハッド、君の説明はまどろっこしい。 」
「 つまり、死神犬っていうのは、魔法使いのなかでも特に気合いの入った奴が精神世界で練り上げたものに神々が与える記号で、あの犬は違うってことだよ。 」
きっぱりとガラハッドは言った。
しかしハリーは、その言葉だけでは納得できなかった。汽車のなかに吸魂鬼たちが乗り込んできたことで、強烈に母親の死を思い起こさせられた瞬間から、まだ24時間ほどしか経っていないのだもの。彼は忍び寄ってくる死の影が、今もホグワーツ城の陰翳に潜むような気がしていた。そわそわとしてあちこちを見回すハリーを、険しい顔つきでガラハッドはじっと見据えた。
「 大丈夫か、お前? 」
「 うるさいな。ねえそう言う割に君は、僕とグリンゴッツ前であの犬を見かけたとき、随分びっくりしていなかったかい?本当は君だって、怖いと思ったんだろう! 」
「 そりゃあ向かって来られたからな。ハリー、僕があのとき怖れたのは、狂犬病だ。野良犬はどれでも、狂犬病にかかっているかもしれない。狂犬病の犬には、普通じゃない攻撃性がある。それに噛まれたり引っ掻かれたりすると人間も、脊髄がやられて、反射系が暴走して錯乱して、暴れて狂い死ぬからな。おそろしい病気だよ。大雨や震災があると、
苦々しくも今では笑い話か。ガラハッドは、「ふふっ」と思い出し笑いをして、いびつに唇を歪めた。
“憑き物筋”という民間信仰がある。
生憎我が地元周辺は、その意味では未開の地で、科学の時代になお古い習俗が息づいており、東京では考えられないようなことが時々起きた。広島城の背中に聳えている山々の狭間や、瀬戸内海の向こうの村の閉鎖性ときたら凄いのである。あの地方一帯はあまり雨が降らないので、かなしいかな水場争いの絶えることはなくて…。
水場争いというのは、どちらがどれだけの水を田畑に使うかを巡る、百姓同士の争いのことだ。集落内部にもある争いで、たとえば掟を破った家は貯水池から水を流してもらえず、文字通り物理的に
そんな家でも葬式だけは近隣の協力により出してもらえるから、寺の者はどこでも、村
強いほうの村には決まって、“イヌガミ憑き”がいるものらしいのだ。
ややこしいがこれは「敵にイヌガミを
彼らはイヌガミを使役する。
つまり、何を飼っているんでしょうねえ?彼らに呪われると、きっと水が怖くて仕方なくなっちゃうんでしょう。そしてイヌガミ憑きの敵は、川や貯水池には近づけなくなる。斯くして、呪いの目的は達成される。
麓でも患者が出るたびに噂された。
きっと山中でイヌガミに
可哀想なのは犬だよな。どのみちイヌガミにされた犬たちは、病が進んだら主人の手にも負えない。生きたまま首まで埋められて、動けないまま凄絶に狂うという。いっそ一思いにと首をはねたとき、イヌガミは頭だけになっても恨みで吼えるとな。血生臭くて禍々しい、生き抜くための呪術の道。それを歩む者は同じ地に二度と戻らない、遍路の僧にしかすがれない。「そんな人とこそ向き合え」と、和尚の怪談は決まって訓話と化したものだ。
あの世に魔法なんてないから、そういうオチになったわけだな。一方この辺りのどこかでは、本物の闇の魔女か魔法使いが首尾よくイヌガミ・ゴーストをつくりあげ、おぞましき非実体のそれを使役している可能性もあるだろう。それを思うとガラハッドは、ハーマイオニーのように死神犬の存在そのものを否定する気にはなれない。
ガラハッドは独りで考えに耽りすぎて、ハリーから怪訝そうに顔色を窺われた。
「 ねえ聞いてる?マクゴナガル先生は、トレローニー先生は着任以来毎年生徒の死を予言してるって言うんだよ。去年は、誰が予言されたか知ってるかい? 」
「 …ああ。ああ、それなら僕だ。多分、毎年各学年に一人ずついるんじゃないか? 」
「 ええっ!? 」
「 探して集まってみると面白いかもしれない。いっそ、死を告げられたことのある人しか入れない『死なないもんクラブ』をつくってみるのはどうだ?ハリー、あれはトレローニーなりの『みなさん、静かにしなさい』だと思うよ。ほらあの授業って、きゃぴきゃぴ喋る女子が多いだろ?僕の考えだと、毎年受講生のうちちょっと有名でメンタルの強い奴が選ばれてる。――――うん、我ながら良いアイデアだ。作ろうか、『死なないもんクラブ』 」
ニヤッとガラハッドは笑った。
ハリーは、きょとんとした後にじんわりと弱った微苦笑を見せた。
「 うん。――――うん、いいね。クール。やっぱり君、天才だな。あはははは 」
「 絶対面白い奴と出会えると思うんだよ。情報交換会をして、トレローニーの御言葉レパートリーを探ってやろう。それで、いずれは掲示板に『トレローニーの予言の予言』を出す。明日、彼女はこう言うだろう…ってな! 」
ハリーは頷いた。
彼は「相変わらずガラハッドってば、痛快だなあ」としみじみ思わされていた。おどろおどろしい口調でおどけるガラハッドに、ハリーはお腹を抱えて笑うことができた。さっきまでの重苦しい不安は、嘘のようになくなっていた。
「 ありがとう。君と話せて良かったよ 」
で、好奇心のままに後日ガラハッドが貼り出した、『求む、死の予言をされたことがある者!お互いの死相について語り合いましょう。おやつ持参、ただし死んだ人は免除。by H,ポッター』のポスターに、ひかれてやってきたのはこの人物だったのである。
「 やあ、ハリー・ポッターだな? 」
黒髪に黒い目。アリシアやケイティをきゃあきゃあ言わせて、フレッドとジョージを静かにさせ、オリバー・ウッドを震え上がらせる男。今日も両手をポケットに手を突っ込み、ぞんざいに監督生バッヂをひっかけている。
多分、ローブの内ポケットには手帳を入れているはずだ。ネクタイの色は青。
ハリーは、この六年生のことなら名乗られずとも知っていた。「何しに来たぁぁあ!?」と叫ぶウッドを無視して、彼はにこやかに自分の顎を撫でた。
「 レイブンクロー六年。監督生のロイ・マスタングだ。よく言われる言葉は、“お前は刺されて死ぬ” 」
「 …それはそうでしょうね 」
「 ほうほう、どうしたんだねその顔つきは? 」
その次にハリーの前に現れたのは、これまた名乗られずとも知っている存在だった。変身術のレポートのために図書室に行こうとしたとき、ハリーは彼女とはちあわせてしまった。
ハリーは、彼女が持ち場(?)のトイレから出てくるのを初めて見た。
「 あたし、ずぅっと『死ね』って言われてたわ… 」
ぐすぐすとマートルは啜り泣いた。銀色のスライムみたいな涙を避けながら、「それは予言じゃないよね」と、げんなりとハリーは返事をした。
「 でも、死んだもの。あたし、ホーンピーに『死ね』って言われて、実際に死んだの。―――薬草学の授業のとき、先生がペアをつくりなさいって言って…グリフィンドールの男の子に、『こいつと一緒は無理、死ぬぅ~!』とも言われたわ。ねえ、これって予言じゃない?あなた…あなた、ハロウィンはお暇? 」
「 あー!あー!あー!絶命日パーティーなら僕は、もうこりごりなんだ!!! 」
ハリーは走って逃げ出した。そして、グリフィンドール寮の自室に駆け込み「頼むからあの貼り紙を外してくれ」とガラハッドに手紙を書いた。
夕食の席でその手紙を受け取ったガラハッドは、「え~」と気だるい声をもらした。折角フリットウィック先生の許可印を得て貼ったポスターなのに、もう募集をやめるというのか?スプーンでシチューをかき混ぜながら、ガラハッドは行儀悪く文句を言った。
「 今のところ知り合いばっかりじゃん。もっと他にもいるだろ~?殺しても死なないような奴が! 」
「 そんなにいてたまるかよ 」
フォークでポテトを潰しつつロジャーは言った。「なんでそういう人と出会いたいの?」とチキンパイをとりながら、マリエッタが言った。
ガラハッドは、これにはなんだかドキリとしてしまった。
「 え…その、刺激を求めて? 」
「 そう。――――ううん、止めたいわけじゃないのよ。 」
彼女は納得していない顔だった。「ただあなたらしくないなと思って」と、不思議そうにマリエッタは、食事しながらもガラハッドをまじまじと見て言った。異常にドキリしてガラハッドは、咄嗟に目を落として、今しがたハリーが寄越してきた手紙を見つめた。
「 ――――! 」
そうだ自分は、どうして急に新しい友達が欲しくなったりしたんだっけ?
どちらかというと人嫌いで、自分からぐいぐい行けるほうじゃないのに。
思いあたる節はひとつしかない。
ガラハッドはとうとう、今年のホグワーツに覚える欠落感の正体が、わかったような気がした。
( リドルが、ここにはいないんだ。 )
ガラハッドは、夏休みのはじめに、あの壊れた日記帳を家の机の引き出しに仕舞いこんだままである。どんなふうに彼を弔うべきかというと、御焚き上げするべきだと一も二もなく思ったのだが、ダイアゴン横丁のど真ん中で護摩なんか焚けないし、暖炉に放り込んでいたら家族に見咎められるし…。「いずれ」とだけ考えて取り敢えず仕舞いこみ、今日まではすっかり忘れていた――――つもりだった。
ひとときしただけの想像が、あまりにも鮮やかすぎて。
そう年の離れていない関係として、あの利発な彼と学生生活を送ること、あのときこちらを逃すことを優先して自分は捕らえられた、情深い彼と友人になること――――そんな一度として体験した筈のない状況が、夢の舞台であるホグワーツに来ても実現されていないのに違和感があって、それで近頃は落ち着かなかったのだろう。
明瞭化した寂しさは、解体して飼い慣らすことができる。
憑き物の落ちた顔つきで、ガラハッドは自嘲に唇を歪めた。
その晩ガラハッドは夢を見た。またしても、目覚めたら忘れる夢であったが。
海岸のような荒野のようなところで、汽車に乗れないふたりはずっと岩に凭れている。風が、立ち込めていた霧を流していく。日が暮れてきたので、「行かなきゃ」と自分が呟くと、「いいよ」と穏やかな声色で、行くあてのない“その子”は言った。
あまりにあっさり言われたので、驚いてそっちのほうを振り向くと、にんまりとリドルはこちらに笑いかけて 、ごつごつとした自然岩に凭れかかったまま言った。
「 もっと大きくなっておいでよね、おチビさん 」
そりゃあ君に比べたらチビだろうけどさ。おつむでは負けているつもりはない。
「 へえ、そう、そういうふうに思ってたわけ 」
「 ふふふ僕と釣り合うようになったら、迎えにいくから 」
「絶対に」とリドルは悪戯っぽく言った。こちらが遠慮のない目つきでじとりと見てやると、彼は陽気そうに見える仮面を外した。
ヘカテーが彼に月光を浴びせている。
“救世主”というのは、太古には死と産褥の女神の称号であった。
世界が、はじめは夜であったように、はじめに、それは蛇であった。
卑しき者によって、その地位は簒奪された。
その復讐を果たさねばならない。
紅蓮に輝く目。渇いた悲しみを徹するその瞳は、口を開かずして語る力を持つ。血濡れの五芒星に護られて、この魂は朽ちず餓狼のままなのだ。
「 僕のために生まれてきてくれたんだろう、ガラハッド?幸せに暮らしていないと、僕は嫌だよ。こんなところにいないで、楽しんでおいで。でもね必ず――――君の、一番美しいときは僕がもらうんだ。 」
“そのとき”は、千夜数えるまでもなく来るであろう。
■憑き物筋について長々と語るのは京極夏彦の『姑獲鳥の夏』オマージュです。ラストの「海岸のような荒野のような…」も再び京極夏彦・関戸克己両名のオマージュです。京極夏彦がよく引用している三島由紀夫はエドガー・アラン・ポーが好きで、「ポー以外は文学ではない」と言ったり、柳田国男の『遠野物語』から“炭桶の回る話”が小説だと言ったりしました。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』で事件(らしきもの)が起こる久遠寺家は、『遠野物語』で炭桶の回った佐々木家をパロディしてあるように思います。
■初対面のとき主人公を「月のような」と見なしたうえで「自分とは対のよう」としたリドルですが、Man In The Mirrorの世界でありキャロルの鏡の国であり宮澤賢治の世界である場所で、【属性:月】にクラスチェンジしました。反転ですね。