クィリナス・クィレルが三人も現れた!そのように認識したのは生徒たちばかりで、リーマス・ルーピンにはそれは誰だかわからなかった。彼にはひょろっとした痩せ型で青白い顔をしている若い男が、お互いに怯えながら三竦みになっているように見えた。その男はインド系というわけでもなさそうだが、ターバンを巻いており頭が重たそうだ。
警戒すべき事態が起きている。
原因を述べるならば、これはのこりのボガートが四匹になって、一匹につき二十名近くが囲んで杖を向けたせいで起きた。円陣を構成する人数が多すぎて、一体、誰の恐怖心が反映されたのかわからなくなってしまったのだ。ただちに「リディクラス!」がいくつか放たれたが、どれも明確な打撃を与えるには至らなかった。鼻が伸びたりピクシーの耳が生えたり、ふわふわのドレスを纏ったり、ボガートの姿は絶えず変化し続けたが、クィリナス・クィレルであることには変わりなかった。
同じものが怖い場合も、「どうしたら乗り越えられるか」は人それぞれ違う。
変化し蠢くこと自体が怖くて、あの日“変貌”を間近に見たマリエッタは、その場から一歩も動けなくなり直立のままカタカタと震えた。本当に恐怖にとりつかれているとき、悲鳴をあげられる者はどれほどいるだろう?近い境遇のレイブンクロー生たちも凍りついているとき、「キャハハ!」とアネッサ・ベインが声をあげて笑った。
「 やだ、“ニンニク”じゃないの! 」
自分たちが囲んでいたボガートをやっつけて、彼女は今振り返ったところだった。
どっと笑いが起きた。ルーピンはそれで理解した。なるほどどうやらこの男は、昔の教師であるらしい。セブルスよりさらに厳しかったのかな――――そんなあだ名で呼ばれたのだな、と。ルーピンはしっかりと杖を握っていたが、一歩踏み出しただけで“介入”はしないことにした。
あの子がついに動き出しているのだ。
汽車で見たときと同じ鋭い横顔で、ガラハッド・オリバンダーは「来るな」と新たに合流してこようとする子供たちに声をかけていた。
「 囲みすぎなんだよ、さがれ 」
ところがその声かけはすぐには聞き入れられなかった。「懐かしい」「こいつは臭わないね」などと、口々に笑いながら寄ってきて、それから指示に気づいた者たちは――――もう遅かった。そんなお気楽なグリフィンドール生たちに、憎むような視線をレイブンクロー生たちは投げつけていた。
マリエッタ・エッジコムは、視線だけでアネッサ・ベインを蛙に変えてしまいそうだ。
生徒たちの敵意がお互いへと向きあったとき、ボガートらの姿は完全なクィレル――――否、“クィレルを乗っ取ったヴォルデモート卿”へと近づき始めた。いまに全身の関節を逆向きに折り、死霊の雄叫びを放つだろう…――――その認識と予想はルーピンにはできなかったが、ガラハッドには明瞭にできるものであった。
「 ッどいて!どけ!全員、退避して壁に背中をつけろ!三人とも僕が相手だ! 」
極力明るい声をガラハッドは張り上げた。クソこっぱずかしいヒーローごっこなのに、「助かった!」みたいな反応で動き出せた子が多いのが痛々しい。バタンとクィレルたちは全員倒れて、ヒクヒクと泡を噴き痙攣し始めた。悲鳴をあげて逃げる子たちに代って進み出たとき、ガラハッドはとことん笑いものになる覚悟だった。自分が前に来た途端にボガートたちが、音を立てて“元気爆発博士”に変身し、あの蛙チョコレートそのままの姿で説教をしたら、さぞ面白いことだろう!きっと格好つけてしゃしゃり出ていくほどに、情けなさと落差が生じて笑われるはずだ、と!
自信満々という顔で仕切り始めたガラハッドを、冷徹な目でルーピンは見据えていた。
バチン
三人のクィレルは消滅!
狙いどおりでニヤッとしたのもつかの間、ガラハッドは本気で情けない声をあげた。ええっ、なにこれ全然、予想してなかったやつなんだけど!?風船から空気の抜けるような声をあげて、ガラハッドは三者三様のボガートを見回した。
「 ぇえ…!? 」
左にいるのは、虚ろな目をしている琉球婦人。
中央にいるのは、砂だらけ泥まみれの米兵。
右にいるのは、米兵のなかでも身ぐるみ剥いでやった奴だ。膝の裏の腱を切ってやったから、ろくに動けないのでちょうどよかったんだよな。見た目はアジア人。
「あー…」とガラハッドは構えていた杖をおろした。いくら見せかけだけのものとはいえ、彼ら三名を「
ずっと考えてきたことなので――――ドスンと胃の中に石を落とされたような感覚があったが、ガラハッドは平静な心地ですぐにこれを言えた。
「
声明の倍音が虚空を揺るがしていく。
クィレルが消えてホッとして、「どこの誰なんだか全然わからないがとりあえずグロい」みたいな顔でボガートを見ている生徒たちは、この不思議な呪文を真剣に聞いた。
しかしながら効果はまったく見られない。
真言の最中もそのあとも、ボガートたちはそれぞれの動きで、恨めしそうにガラハッドへと近づいていった。まあ、当然だよなボガートはボガートであって、死者たち本人ではないのだから。我に返って自嘲したガラハッドは、さらりと容赦なくギアチェンジした。
「
跳ねて、縮んで、歪んで、爆発☆
不動明王呪でボッコボコにされて、ボガートたちは彼岸へと旅立っていった。ぎゃあていぎゃあてい、また来世に期待!!
間近で爆発したボガートの粉末が、ぱらぱらとガラハッドのローブにくっついた。それを払い落しながらガラハッドは思った。そういえばボガートって、畜生の一種なのかなあ?まあどのみち一切衆生に仏性はあるので、何だっていいんだけどな。この粉末って何かに使えないんだろうか?好奇心に駆られて集めたくなっていたが、あまりにルーピン先生の目が真ん丸なので、ガラハッドはその場を取り繕う必要を感じた。
「 すみません呪文を間違えました 」
いや、今のは絶対わざとだっただろう…。
すべての生徒がそんな目でガラハッドを見ているので、ルーピン先生はさすがに、その可能性について指摘せざるを得なかった。するとガラハッドは「ちぇっ」というような目つきになり、ぐるりと周辺を見回して主張を変えた。
「 笑うよりぶっ飛ばすほうが早くない? 」
「 出たよゴリラ発想 」
うんざりとマクラーゲンが溜め息を吐いた。
なんやかんや授業の終わる時間が来たので、みんなで机と椅子を元の場所に戻した。全然うまくやれなかったマリエッタは暗く、この世の終わりかのような顔つきをしていた。
今回の宿題「実習まとめレポート」の内容は、反省中心になると多くの生徒は理解していた。だからこそすぐそこの廊下にて「僕のミイラ見た?」とか、「バーンシーと対決するところを見た?」とかなんとか、嬉しがって騒いでいる一部生徒たちの、存在するだけで癇に障ることといったら…。彼らは興奮に酔いしれていて、自分たちは机と椅子を動かさないのである。イライラした顔つきの友人たちに、「よかった~みんないつも通りじゃん」とガラハッドは思っていた。年から年中飽きもせずに、小競り合う気力があってこそのレイブンクロー生だ。
「 Mr,オリバンダー? 」
背後からルーピンに呼び止められた。ガラハッドはちょうど、マクラーゲンにニヤッとして先に出て行かれたので、今のは「授業の趣旨を無視する目立ちたがり!やーい怒られろ!」の意味であると推察し、身構えていたところだった。極めて無表情で振り返って、ガラハッドは「はあ」と返事をしてルーピンを見上げた。庇うように青ネクタイ組は、多くがガラハッドと一緒にその場に残った。
「 ちょっといいかい?彼一人だけでいいよ。君たちは寮にお帰り。 」
「 先生、事情があるんです! 」
マーカスが湿っぽく訴えかけた。「いいから」とガラハッドは彼の肩を叩き、「連れていって」の顔でちらりとロジャーを見た。
「 みんな先に帰れよ。僕だってさすがに公開説教はイヤだね。 」
ガラハッドはけろりと言った。ルーピンはめいっぱい苦笑してみせた。「叱るつもりはないよ」とアピールしたいの半分、本当に困っているの半分…。「叱られない」と信じてくれているのかセブルスあたりに突出して叱られ慣れているのか、まったく逃げ腰になる様子はなく手際よく級友を追い出すガラハッド・オリバンダーという子は、つくづくよくわからない。
人のいなくなった自分専用の教室で、ルーピンは椅子ではなく机に尻を置いた。
「 君が素晴らしく優秀だということは知っている 」
渇いた暗い声。ガラハッドのほうもガラハッドのほうで、それまでルーピンの表情から彼の腹の内をはかりかねていたのだが、今のでただちに「なんだ、普通のお説教コースか」と判じた。ガラハッドは行儀よく“聞く姿勢”をとって、直後に耳を疑うはめになった。
「 わたしは知っている。君が、ノアイユ公アラベールの実子ではないことを。君がどこか此処でないところから、ハロウィンの夜にやってきたということも。――――君の齎すものに興味がある。異界について教えてくれないかい? 」
「 !? …それは、名簿か何かの情報から? 」
「 フフッまあね。業務上知り得たことだよ。恐れ入る心地さ。“あの世”とはなんと素晴らしいところかと、君を見ていると思う。君は、自分の持っている知識や技術を、より幼い者や弱い者、余裕のない者、嫌われ者、世に存在を隠される者のために使ってくれるね――――“この世”ではそれは希少なことだ。どんな高度な魔法を授けるよりも、そういった人物を世に増やすことのほうが難しい。教師としてわたしは、そのように思う。そのうえ君は… 」
ガラハッドは、ルーピン先生はこちらを褒めすぎだと思った。以前から思っていたことだが、彼の褒め殺しの技術ときたら凄いものだ。彼の唇にかかればスリザリンのマーカス・フリントだって、素晴らしい頭脳を持つかのように評され、授業で褒められているに違いない。
「 そのうえ君は…君たちは、精神の面で尋常でなく強い。君は、実の父親から何を継いでいるのかな?嫌がらないでくれ。なんせ君は十四にして、吸魂鬼を避けようとはしなかったじゃないか。卓越した勇敢さがある。クールで、大胆不敵だよね。 」
ニヤッとルーピンは笑った。まるで昔からの友人に、口笛を吹くかのような表情だった。
今のは、杖職人のほうの父ではなく、天下を騒がす脱獄犯のほうのことを言われた。そうと察したガラハッドは、手の汗を握って、全身を心臓にしていた。
「 ―――ッ!!? 」
「 その根源を知りたい。なぜ、君たちはそうも強く在れるのか。君のような人物が、怖れるものは何なのだろう、と。君は、君も、吸魂鬼を…“恐怖それ自体”を恐怖しなかった。その様子は、汽車で見せてもらったからね。君のような人が怖れるものは何か、ボガートを使ってたしかめてみたかった。――――ところがだ。さっきのあの者たちは、装いからして異界の存在だね?わたしには読み解けなかったよ!ただの人間たちに見えてしまった。ガラハッド、教えてくれないかい?君が怖れるものの、正体は何だい? 」
ルーピン先生はにこにことして言った。にこにこしてはいるが、絶対にしらを切ることを許さなくて、答えを引き出したがっている獰猛さを感じる。ガラハッドは喉の渇きを感じて目を逸らし、殺風景な机の列たちのほうを眺めた。
十一月の西陽に差し込まれ、机たちの表面はいずれも朱く、影は黒々と長く重なり合っている。
シリウス・ブラックの子であることは自分の責任じゃないし、「知られてるんじゃ仕方ないな」以外の感想は特になかった。よって何一つ隠し立てする意欲はないのだが、すらすらとは即答できなかった。「合っていると思いますよ」とガラハッドは、余所見をしたままで答えた。目を見て話すのは苦手だ。
「 彼らは普通の人ですので。ボガートらがあの姿をとったのは、そうですね…僕が、最も怖れているのが… 」
声が震えてしまった。
ボガートって凄いもんだなあ。自分では意識していなかったことまで、こうして突きつけてくるんだもの。
“怖いもの”として自分で連想できなかっただけで、ガラハッドはもちろん“それ”についてよく知っていた。
「 …
自嘲でガラハッドは締めくくった。
「何言ってんだコイツ」と、視線で宣言されてお開きになるんだろうなあ。
そんなふうに思ってガラハッドはちらりとルーピンを見やった。ところがルーピンは今、非常に真剣な顔で静かに考え込んでいた。彼は唇の下に指を添えて、髭剃り失敗痕だらけの顔を険しく曇らせていた。
「 …そうか。わたしもだ。わたしも、わたしのことが一番怖い。自分ではどうにもならないことのせいにして、“わたしではないわたし”があるということにして、わたしを愛した人を恨んで責めてしまったり、自分の醜さから目をそらす自分が憎い。そんな自分の魂は野放しであるゆえに、しでかしてしまいそうなことを数えると怖い。自分には、際限なく闇に堕ちてく素質がある…それとひとつひとつ向き合うのが怖い。 」
「 ―――…。まあ、よくあるやつですよね…。 」
「 そうだね…うん、よくある…なんだか、肩ひじ張って訊いてしまったのが恥ずかしいな。なんだ同じだったのか。ということはブラックも、我々と同じなのかな。 」
ふと風がやむように彼は黙り込んだ。
彼は不思議な目をして、まるでそこにないものを見ているかのようだった。
「 わたしは随分と、気楽な夢を見ていたようだ。“あの世”も、“こちら”と同じだというのかい? 」
よろよろと彼は立ちあがった。彼は毒気の抜けた様子でポケットに手をつっこむと、鳶色の目を細めてくすくすと笑った。
「 君は前世でも無差別殺人犯には見えないな。戦争があったかい? 」
「 ええ 」
「“あの世”も楽じゃないなあ。本当に、“こちら”と変わらない 」
気だるそうにルーピンは肩を竦めた。ガラハッドは微笑した。陰キャ拗らせた自意識が共感的に受け入れられてホッとしていたし、今のでルーピンのことを、なんと文学的な男だろうと思うに至ったのだ。
だってそうじゃないか。
先に実習をした三年生から、ガラハッドは昨日偶然耳に入れていた。「ルーピン先生の前でボガートが化けたのは、これくらいの水晶玉なんですよ」と。「あの先生、予言が怖いんだわ」と、レイブンクロー寮内部では理解されていた。「きっとトレローニーに死でも予言されたんでしょ」と。
だが、それは変だとガラハッドは思っていたのだ。与えられた予言が怖ろしいのならば、玉よりもそこに浮かぶ“しるし”を怖れるはず。パーヴァティが水晶玉だと理解して語っていたその表象は、一片の翳りもない月だったのだろう。
眠れない夜、リーマス・ルーピンという人物は、煌々と照る月を見あげて、今しがた言ったようなことを憂うらしい。彼はヨレヨレのローブを着た剃刀傷だらけの不健康な男だけど、それがまた文人墨客らしくて格好いいもんだ。
ふふふっとガラハッドは思い出して、いにしえの歌を口ずさんだ。
「 存亡、月に感じて一に潸然たり。月色、今宵往年に似たり―――ですね! 」
「 …それは?」
「 あちらの言葉ですよ。先生を見ていて、思い出しました。学校で習うんです。 」
「 へえ。異界のホグワーツか。とても興味がある。呪文だね?よければ意味を教えてくれないかい? 」
「 あちらでは、世に美しきものは雪月花といいます。人は、花を美しいと感じるとき、その花弁の数や、色や皺を論じて品評しているわけじゃないでしょう?人は咲いている花に目を奪われるとき、花の姿ではなく、花の命を感じとっているわけです。同様に、月も品評されながら見られるわけではありませんね。月が美しいのは、生死興亡を超越しているから。何があっても昔と変わらずに、そこにあるから。人は月を見るとき、過ぎていった命の影を感じている。――――今のは、その事実を表現する一節なんです。 」
懐かしさからガラハッドは笑っていた。
ルーピンは、まんじりともせずにそれを聞いていた。昔の日々を思い出して――――彼は、自分が狂わされる光に宿る霊性を、このとき憎みながらも愛したくなっていた。実際に満月と対峙するときに、そのように在れるかどうかには自信がないが。
「 そうか。そうか…。どうして、月は美しいんだろうとずっと不思議だったよ。あんなに残酷なのにね。今納得がいった。そうか。そうか…。 」
彼は思索に嵌まっていった。とても静かな声で、ルーピンは窓の外を見据えながら言った。
「 また君と話す機会を持ちたい。今夜は、頭がはっきりしていそうだ。 」
その横顔の鋭さといったら。
こそこそと後ずさって教室のドアを閉めた途端、ガラハッドは廊下で興奮の息を漏らした。
( うわ~何あれ!バンカラだ! )
格好つけじゃなくて本物のほうの…!!
弊衣破帽の粗末な衣装。漱石のように月を見て、表面の姿形に頓着せず、草を枕に真理を追究!粗野だ野蛮だと蔑むなかれ、それでこそ学徒で墨客なのだ!明治を知る世代のようなリーマス・ルーピンの男ぶりを浴びて、ガラハッドは小声で「ふわああ」と言いながら廊下を歩いた。
マジで?いたの?軟派揃いのこの世界に?
クソ格好よすぎて、法で規制されるべきレベルでは!?
そうか“あの年代”って、こっちの世界でもそうなのかなと、ふわふわと考えながら歩いていたときだった。隻眼の魔女像のところで、ガラハッドは“あの男”とはちあわせてしまった。ちょうど存在を思い浮かべたところだったけど、別に会いたいとは思っていなかった。
いつも黒づくめで、黒髪の、何日も洗わないでべっとりしたような無精髪に、フケを浮かせて黄色い歯を見せているセブルス・スネイプ。髭剃りに関してだけは、リーマス・ルーピンよりも余程上手いらしい男。ガラハッドは「ああバンカラ学生が人並みに老いて、行き着く先の姿って、これだよな」と思った。
「 はぁ… 」
「 ほう、ご挨拶だなオリバンダー?こんなところで、ひとりで何をしている? 」
俺は、何はなくても清潔感だけは大切にしよう…。
七つ
聞いていやしないガラハッドに、スネイプはヒクヒクと口角をひきつらせた。こいつは、せめて姿だけは母親の生き写しであったのに、近頃は彼女の面影をぶちこわしてすくすくとデカくなってきており、ますます太々しさに磨きがかかっている!スネイプはずずいと上体をせりだして、まだ自分のほうが背が高いと態度で示してみせた。
「 このような時間に、なぜこんなところにいるのかね?悪しきたくらみを持つ者以外は、寮にいる時間だと思わんかね? 」
「 寮に帰るところなんですよ。そこの、踊り場にある鏡から。 」
「ハッ」とガラハッドは鼻で嗤って三叉路の最奥を指差した。「たちどころにいなくなってみせて、このおっさんビビらせてやろうか」の顔だ。才気走った愚か者に、唇をめくれあがらせてスネイプは苦く唸った。
「 みだりにその術を使うな。先日城の内部にブラックを手引きしたのは貴様だと、魔法省に突きだしてやろうか! 」
ガラハッドは指差し腕をおろした。スネイプの物知らずぶりは嗤ってやりたいが、その勘違いをされるのはこちらの進退に関わる。ガラハッドは憮然としてスネイプ同様仁王立ちし、彼に怯むことなく低い声で言った。
「 僕が移動できるのは校内だけですよ 」
「 そのようなことはわからん。鏡は、どこにでもある。貴様は、どこにでも行ける。 」
「 ―――…。 」
決してそんなことはない。だがそれは、自分個人の力量の問題であって、スネイプにもわかるようは到底ご説明できないけど、もろもろの困難を解決した場合の、“鏡の術”の限界を示すものではないとは思う。暗い顔つきで黙りこむガラハッドに、勝ち誇ったようにスネイプは言った。
「 震えて待つことだ。シリウス・ブラックの侵入を助けたのは貴様だと、我輩が必ずや証拠を見つけ出してやろう…。 」
「 僕がブラックの協力者なら、ハロウィンの夜なんて使いません。無駄に騒ぎになるようなことをして、ハリーを仕留め損ねることだってなかった。 」
「 はて?ご立派な予言をいただきましたからな。そういったことは当然、ご計画の通りでしょうな。 」
「 ―――チッ 」
スネイプの暗い瞳は、「ペテン師め」とガラハッドを蔑むかのようなものだった。ニッタリと嗤って、スネイプはその場に残った。
苦々しくもガラハッドは彼に背を向けて、鏡を使わずに歩いて寮に帰った。
奴も、当然知っていたか――――自分が、脱獄犯シリウス・ブラックの子であることを。純血名家ブラックの男と、杖つくりオリバンダーの女の婚姻は、魔法界の権威を盤石にするものとして、“その時代”にはよく知られたことだろう。おとなはみんな知っているけれど、みんな忘れたように過ごしているだけなんだ。彼らは尖ったバンカラだから、おとななのに真実から目を逸らさないでいる…。
みじめな思いで、ガラハッドは螺旋階段をのぼった。
■「存亡感月一潸然…」は白居易の『感月悲逝者』の前半です。月に感じ逝者を悲しむ漢詩です。太平記同様、これも主人公世代ならば常識かと思われます。
■「人は、花を美しいと…」は禅語の「百花至春為誰開」です。花は禅語、月は白居易、雪は2巻でも紹介した太平記「落花の雪に踏み惑ふ」です。
■「広高生」は旧制広島高等学校の略。バンカラ気風はあまりなく、“概して紳士”な校風だったようです。