ハリー・ポッターとオリーブの杖   作:Tohka.A

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おとずれしもの

 

 

「エクスペリアームス!」という声が背後から静寂を裂いたとき、ガラハッドは助けが来たのだと思った。自分だけでなくハリーもハーマイオニーも、足の痛そうなロンもそのように思ったことと思う。

 

“闇の魔術に対する防衛術”のルーピン先生の声は、授業で聞いているのと変わらなかった。

四人分の杖をキャッチするとき、彼は「おおっと!」と剽軽に目を丸くして、一緒に飛んできたナイフを避けた。軽やかで器用なその様子に、期待を抱かない生徒なんかいないと思われた。

 

 

「 ルーピン先生! 」

 

 

杖をとられながらも、ガラハッドは明るい声をあげた。

 

するとルーピン先生は生徒たちの杖を掴んだあと、一瞬身を固くしたように見えた。彼は、そのまま後ろ手にドアを閉めた。ガチャリという音が響くとき、彼はまっすぐにブラックのほうだけを見据えていた。

 

 

「 ―――シリウス、あいつはどこだ? 」

 

 

予想もしない第一声。

 

ルーピン先生は、何か感情を押し殺しているかのような、緊張した声色でブラックへと話しかけた。ハリー・ロン・ハーマイオニーの三人は、しばらくのあいだ現状を把握しきれないようだった。

 

ガラハッドはハッと息を呑んだ。

 

 

「 な…っ!? 」

 

 

ルーピン先生は味方じゃない!と直感したときのガラハッドの、絶望の痛みときたらない。

 

そこで―――それからガラハッドが、リーマス・ルーピンの一挙手一投足にショックを受けて、愕然とそれを眺めたまま涙をせりあがらせたのは―――ひとえに、彼がすっかり幼くなっているからだ。

 

リーマス・ルーピンは幸いである。

 

ごく一般的な注意喚起をするならば、地獄からやってきた修羅の前で、悠長に床に抜身のナイフなんか放置しておくものではない。

 

奇妙な幸運が此処に在った。もしもガラハッド・オリバンダーの精神が“この世”に来た時のままであれば、ルーピン先生はただちに酷い目に遭っていた。

例えば、背後から組みつかれて足の腱を切られ、床にすっころばされたうえに手も動かなくさせられ、自分の折れた歯で顔面が全部擦り減るまで、後頭部を掴んで床に叩きつけられ続けられたりとか…そして延々と恨み言を聞かされたりとか……。

 

怨霊としてのガラハッド・オリバンダーは、それくらいのことは簡単にやってのける。

けれども、そんなガラハッドも今は可愛いものである。

目を開けていることがつらくなって、ガラハッドは「ふぇぇ」と情けない声をあげた。

 

 

「 先生…そんな…! 」

 

 

ルーピン先生はそれに構うどころではなかった。

 

なにしろ、十二年ぶりの再会なのだから。

 

ルーピン先生は、取り上げた四人分の杖を握りしめたまま、一直線にシリウス・ブラックのもとへと歩いていって、兄弟のようにシリウスのことを抱きしめた。「こっちのほうの味方さ」と見せつけられた心地がして、ガラハッドは胃袋の底が抜けた。

 

 

「 入れ替わっていたのか…わたしに何も言わずに?それは非常に…許せないことだよ 」

 

 

ルーピン先生は呟きながら笑った。

責め句を与えるとき、彼は親友のことを一層強く抱きしめた。

 

 

「 ああ… 」

 

 

シリウスは息を吐くばかりだった。彼は上手く言葉を紡ぐことができずに、何度も頷いて親友のことを見つめた。

 

顔を横切る斜め傷が痛々しい。リーマス・ルーピンという男は、十二年の間にさらに自傷痕を増やしているし、髪には白いものが混じり始めている―――ずっと自分と同じように、悪夢じみた監獄にいたかのようだ。

 

ギラリとシリウスは憎しみで目を光らせた。

シリウスは、落ち窪んだ眼窩で真っ直ぐにベッドのほうを見据え、汚い爪の伸びた指でロンのほうを指し示した。

 

 

ハリー・ロン・ガラハッドの三人は、これを受けて同時に「えっ」と声をもらして、お互いに顔を見合わせた。凶悪犯から指名されたのが‟英雄ハリー・ポッター“ではなかったことに、ハリーとロンは自分たちでもかなり驚いたのである。

失礼極まりなくもガラハッドは、「なるほど殺しやすさならロンが1位だ」という判断を下した。

 

 

「 やめて!何てことなの! 」

 

 

ハーマイオニーが叫んだ。

 

ハリーは、目を爛々とさせて怒りに震えた。この少年は、自分をめがけてやってくる試練には多少困惑するが、親友に危機が迫るとなると、一も二もなく立ち向かおうとする。

ガラハッドは冷静に戻りつつあった。現実的な打開策を見出そうとする意識が、悲しくてぐちゃぐちゃな気持ちを脇へと押しやっていく―――ガラハッドは黙って考えた。

 

落ち着け、落ち着け…こんなとき、フレッドとジョージであればどうする?

みすみすロンが殺されるのを見ているなんて、あいつらに対してこれ以上の裏切りはない!

ガラハッドは時間を稼ごうとして言った。

 

 

「 あの子から殺すのか? 」

 

「 今夜はひとりだけを殺す! 」

 

 

シリウスは黄色い歯を見せて唸った。

ガラハッドはかたく口を引き結んだ。ルーピン先生は、そんな凶悪犯の肩にずっと手を添え続けている―――何度目に入れたってショックな光景だから、もしも長男ではなく次男だったら、しつこく嘆いてしまっただろうが―――静かな声でガラハッドは続けた。

 

 

「 ふぅん。一晩にひとりずつ殺すってわけ 」

 

「 ちがう。そうじゃない。それじゃゲームじゃないか 」

 

 

ルーピン先生は軽く手を挙げた。

 

彼のほうも少し冷静になってきたところだ。ルーピン先生は、挙げた手をシリウスの肩には戻さなかった。

ルーピン先生は、一身に受けている責めの視線から、ああ自分が弁明しなくてはならない相手は、ガラハッドひとりだけではないなと直感していた。

 

 

「 違うんだ。なにもデスゲームをしようというわけじゃない。彼がいま指さしたのは… 」

 

 

ハーマイオニーは最後まで話を聞かなかった。

彼女は、かたかたと小さく震えながらルーピンのことを睨みつけ、切迫した大声をあげた。

 

 

「 酷い!わたし、誰にも言わなかったのに…先生のために、わたし隠していたのに!!先生は、その人とグルなんだわ!!何てこと。ハリーを殺すのね!? 」

 

「 ちょっち!指さされたのは僕だぜ!? 」

 

「 僕は先生を信じてた!!! 」

 

「 なぜひとりだけを殺すんだ?今夜であることの意味は? 」

 

 

四者四様の五月蠅さである。ルーピン先生は、これまでのどの授業よりも、喋りたがりの子供たちを静かにさせることに苦労した。たちこめている靄を払うように、ルーピン先生は闇雲に手を振り動かした。

 

 

「 説明を…説明をさせてくれ。誤解なんだ。わたしは…! 」

 

「 聞いちゃダメ!このひと狼人間なのよ!! 」

 

「 ヒェッ 」

 

「 え? 」

 

「 へえ… 」

 

「 ~~~ッ 」

 

 

ああ、ああ、久しぶりだなこのながれも…と、ルーピン先生はしみじみと苦笑しつつ嘆息した。

第三学年のなかでは、グレンジャー嬢の知識と観察力は一等素晴らしい。このわたしを人狼だと見破っていたこと、セブルス・スネイプ教授はお喜びであろう、と考えながら…。

 

ルーピン先生はあくまで苦笑した。

人狼を厭う者たちから話を聞いてもらえないことに慣れていて、ルーピン先生はこれくらいでは動じなかった。

 

彼が動揺したのは、「へええ!?」とガラハッドが改めて一段大きな声を出して、まるで今初めてこちらが人狼だと知ったみたいな顔つきをしたからだ。「え?」とルーピン先生は珍妙な声をあげた。

 

 

「 なるほど、ムーニーって、そういう…? 」

 

「 逆に何だと思っていたんだい!? 」

 

「 ―――フン、そんなの、いくらでも想像が及ぶでしょう?古今の月を見て物を思う文人は、いずれも狼人間だったわけがないじゃないですか! 」

 

 

ガラハッドは言い訳がましく吼えた。

彼は自分から一歩ルーピン先生のほうへと進み出て、先生とロンとを結ぶ直線上の壁になった。ロンは「来るな、狼男!」などと叫んで立ち上がろうとして、ベッドの上でただ蠢くだけに終わった。

 

ルーピン先生はすぐさまロンを支えに行こうとした。だが立ち止まって、彼はグッとこらえてガラハッドのことを見据えた―――立ちはだかられていると―――やはりこの子と話をするのが先だと、感じて腰を据えた。

 

ルーピン先生とガラハッドが見据えあっている隙に、ハリーは床にあるナイフへと飛びつきたくなった。しかしハリーとて馬鹿ではない。汗をかきながらハリーは考えていた。

 

ナイフを拾ったところで、どうなるんだ?

ブラックを殺してやりたい!だが、ナイフを掴んだだけでは殺せない…。

反抗する気だと見なされて、ナイフに手が触れた途端にルーピンから攻撃されるだろう!

 

ハリーは歯を食いしばって直立を続けた―――彼は狼人間となることを夢見ていた。もしも自分に、いま飛びかかって爪と牙でブラックを殺せる力があれば、そのときはどれほど疎まれ汚らわしいとされたっていい…。

低い声でガラハッドは言った。

 

 

「 で?珍しい体質をお持ちのルーピンさん。ご病気や衝動を持っているなら、何をしたって許されるとでもお思いで?たまさかご苦労なさったら、苦労知らずのガキを殺す権利を得るとお思いだとはね!―――“あの世”から来た者として教えてあげます。あんたは、地獄に堕ちるぞルーピン!腐った精神を持っていることのほうが、病んだ肉体を持っているよりも千倍悪い 」

 

「 …そうかい。そうだね 」

 

 

抑制的な声でルーピン先生は応えた。

 

リーマス・ルーピンという男が照れるときに頬を触るのは、紅く浮き上がってくる傷跡が痒いからだ。

事情がわからないので黙っていたシリウスは、リーマスの変わっていない部分を見つけて不思議な気分になった。

思わずシリウスは少し笑った。客観的にはそれは恐ろしい笑みであり、「地獄など怖れない」という意味に見えた。

これまでに見た誰よりも野卑で怖ろしい男に、ハーマイオニーは立ったまま引きつけを起こした。

 

 

「 ―――ハッ 」

 

 

ガラハッドには、シリウス・ブラックの笑みは“()()()十三人殺しの男”の強がりに見えた。それを鼻で嗤って、ガラハッドは一段と凄んだ。ガラハッドはルーピン先生を睨みつけた。

 

 

「 何か言うことは? 」

 

「 えっと…君には話していたつもりだったんだ 」

 

 

「彼には言っていたつもりだったんだ」と、ルーピン先生はシリウスのために言い直した。その際ルーピン先生(彼は唯一杖を持っている)がシリウスの顔を見るために斜めに身を引いたので、ガラハッドは攻撃に備えて露骨に身構えてしまった。

 

穏やかにルーピン先生は苦笑した。

 

 

「 失礼。妥当な反応だね。本当に君は立派だ―――初めて会った日から、ずっとその美徳がまぶしいよ 」

 

 

ガラハッドは咄嗟にロンを庇おうとしていた。

ルーピン先生は、本当に眩しそうにゆっくりと目を細めて言った。

 

 

「 改めて、わたしはムーニー…いかにも、ひとりの狼人間さ。まぁそういったことは、ちっぽけでふわふわな問題なんだけどね―――そうさ肉体の如何よりも、“裏切り”のほうが千倍悪いとも!ロン、ハーマイオニー、ハリー、少し待っていてくれるかな?ガラハッド、君に特別に問題だ!見事正解したら、杖を返してあげる―――繰り返すが、わたしはムーニー。では彼のニックネームは、何でしょうか? 」

 

「 は??? 」

 

 

ガラハッドは度肝を抜かれた。

いきなりクイズを始めたルーピン先生は、友人に友人を紹介するかのように、再びシリウス・ブラックの肩へと手をかけた。そうしながら彼はガラハッドにニヤッと笑った。

ガラハッドは裏返った声で答えた。

 

 

「 え…?え、そりゃあ…妖精犬(パッドフッド)。三択の中なら、パッドフッド 」

 

「 正解! 」

 

「 彼に名前を教えているのか? 」

 

「 いいじゃないか。この子もまたアニメーガスなんだ。パッドフッド、わたしは、いつか公然と君たちを呼びたかった!それがたまたま今日になったまでのことさ。なんせ、ここにいる面々は――― 」

 

 

ルーピン先生はポイっと杖を投げた。

投げる直前に、「受け取れよ?」と次々に念を押すように微笑む目尻には力が光るようだ。

 

 

「 ―――ここにいる面々は、程度の差こそあれ、全員が“忍びの地図”を使ったことがあるはずだ 」

 

「 ―――… 」

 

 

宣言通り杖を返してもらえたのに、ガラハッドは歓喜も安堵もできなかった。

 

決して侮れぬひとりの教師として、リーマス・ルーピンは立ちはだかっていた。「君たちの悪さはすべてお見通しだ」という顔で、彼は改めて四人の生徒たちを見回してニヤッとした。自分たちまで杖を投げて返してもらえたことで、ハリー・ロン・ハーマイオニーは鵜のように目を丸くしてしゃくるだけで、何も言わなかった。

 

 

「 つまり君たちは全員、わたしたちのニックネームを知っているはずだ。そう、‟我々”は、いつでも四人だった!ふたりが去ったと思っていたが―――どうやら、去ったのはプロングスだけだったらしい。ハリー、君のお父さんだよ。今夜、君のお父さんのかたきを、どうかわたしたちにとらせてほしい 」

 

 

ハリーは、見えない鞭で打たれたかのようにビクンとした。「かたきなら自分が討ちたい」という気持ちが半分、「かたきってブラックのことなんじゃないの?」という疑問が半分、「プロングスって父さんのことだったんだ!?」という驚きがもうひとつの容量(そんなものがあれば)の半分、「じゃあ、自分は父さんと同じものを持っていたんだ」という興奮がそれをも飽和させる半分、そのうえに「杖を返してくれたのなら、先生は悪い奴じゃないのかも?」という心情が追加されて、「結論:キャパシティオーバー」といったところか。ガラハッドから見て、真剣に目をぎょろぎょろさせているハリーは、耳から湯気を出し始めそうだった。

 

ルーピン先生はいきいきとしていた。随分薹が立っているが、その目つきは悪戯小僧のままだ。

自分の真似をされていると感じて、ガラハッドはつんと不機嫌に鼻をつきあげた。

 

 

「 結構なお点前で。肝心なことを何一つ説明せず、勢いで圧して煙に巻こうってわけですね 」

 

「 君ほどそれが達者ではないさ 」

 

「 ほだされんなよハリー。気の利いた道具の製作者だからって、人品の保証にはならない。なんでも物は使いようだ。あんたは“忍びの地図”で―――見張っていたってわけだ。おおかたバッグビークの処刑を止めに、今夜ハリーが城の外に出ると踏んで―――今夜が機だと―――見込んで動き出した! 」

 

「 ハリーを見張っていたところまでは、正解だ。そして、君はこのことも知っているだろう?―――わたしは、説明よりも実践によって教えることが好きだ。君のほうの“忍びの地図”を開いて、見てごらんよ。君たちの複製地図には、この場所も載っているだろう?―――光栄だよ。この場所もまた、わたしの愛するホグワーツだ!真の裏切り者の名前を、君も知ってくれたまえ。今夜わたしは、ハリーについて知るために“地図”を開いて、その名前を見つけて追ってきた! 」

 

 

凛然とルーピン先生は言い放った。

爪と爪の隙間を舐めているクルックシャンクスだけが、この空間では呑気に見えた。

シリウスが訝しげに復唱したことに関して、ハリー・ロン・ハーマイオニーも当然気になっていた。

 

 

「 複製地図だと…? 」

 

「 そういうものがあるのさシリウス。君はじゅうぶん痛い目に遭っただろ? 」

 

「 な…ぜ、杖を返した…―――そいつはヤバいぞ! 」

 

「 大丈夫だよ。彼は仲間だ。ヒトたるための倫理について考えているし、敵を見誤るほど馬鹿じゃない。何より、月の美しさについて知っている。第一印象の悪さは、まあ仕方ないね。追々お互いを知っていこうじゃないか。わたしは、是非君たちの橋渡しをさせてもらいたいよ。シリウス、君と… 」

 

「 言っておくが息子じゃない 」

 

「 え? 」

 

「 お前までそう思っていたのかリーマス…!まったく似ていないのに! 」

 

 

シリウスは喉を引きつらせて唸った。

「え?」とルーピン先生は繰り返した。

 

 

「 え…? 」

 

 

ルーピン先生が目を丸くして固まっているあいだに、ガラハッドは憮然として指示に従った。ただ習慣ゆえに従順なのではなく、ガラハッドにだって考えがある。

 

ガラハッドは、「これは古典的な目線逸らしかもしれない」と考えながら、イカサマ師を相手どるときのように注意深く振舞っていた。しっかりとルーピン先生の挙動を追いながら、尖端をルーピン先生に向けた角度で杖を扱いつつ、言われた通り自分の‟忍びの地図”で現在地を確かめた―――そしてとてもとても地味に驚いて黙り込んだ。

 

ルーピン先生は、じっとりと睨んでくるシリウスへと手のひらを見せながら、ここは感情を抑えて話題を変えることにした。チャンスの有限性を思えば、いま優先順位が高いのはこちらだ。

 

 

「 ロン、ネズミを見せてくれないか? 」

 

 

ルーピン先生は静かに言った。

穏やかな視線を順に注ぐことで、ルーピン先生はハリーとハーマイオニーの理解も得ようとした。

 

 

「 頼む、ネズミを見せてくれないか? 」

 

「 僕のネズミが、一体何の関係があるっていうんだ? 」

 

「 そいつはネズミじゃない! 」

 

 

皺嗄れた声でシリウスが言った。

シリウスはリーマスに加勢したつもりだったが、ハリーとハーマイオニーは却って身構えてシリウスに杖を向けた。「どういうことだよ…」とロンは、精一杯スキャバーズを抱き締めて怯えた。クルックシャンクスがベッドの上にのぼってきて、ロンの手の中のスキャバーズは、必死にもがいて逃げようとしていた。

 

 

「 嘘…まさか、ガラハッド! 」

 

 

突然、蒼白な顔でハーマイオニーが叫んだ。彼女は、ブラックが犬に変身して飛びかかってくる想像をして恐怖して、そしてある可能性に気づいた。

 

眉を上げて応じるガラハッドは、鷲のアニメーガスだ。

そして目の前の男は、犬のアニメーガス。

 

弾かれたように振り返って、ハーマイオニーは怖々とスキャバーズを見つめた。

 

 

「 まさか、そんな…そんなはずないわ!そのネズミも、動物もどきだっていうこと!? 」

 

「 そのネズミだって? 」

 

 

ロンは唇を裏返らせた。

 

 

「 とうとう名前まで忘れたのか?こいつはスキャバーズだよ!可哀想に、ずっと怯えっぱなしだ! 」

 

「 入れ換わったのかもしれないじゃない。見つけたのはさっきだし、あなたがスキャバーズだと思っているだけで、それは別のネズミかもしれないわ。だってそうじゃないと有り得ないもの! 」

 

「 こいつはスキャバーズだ!指が欠けてる!僕が、スキャバーズを他のネズミと間違えるわけないだろ!! 」

 

「 いかにもそれが証拠だ 」

 

 

ニタァリと、脱獄囚シリウス・ブラックは邪悪な笑みを浮かべた。

客観的にそう見えるというだけでなく、彼はいま暗い悦びに震えていた。

 

 

「 そちらのお嬢さんの言う通り、そいつは動物もどきだ―――新聞に写真が載っていたんで、生きているとわかった… 」

 

「 新聞に?彼が?そんな記事はあったかな 」

 

 

ルーピン先生は首を傾げた。

ハリーは「あっ」と声をあげた。彼はばっちりと覚えていたのだ―――ロンが新聞に載ったことなんて、これまで一度しかない。

皮肉げにブラックは言った。

 

 

「 おかげさまで、時間だけは唸るほどあったものでね。たった一部の日刊予言者新聞を、隅から隅まで何度も読んだのさ。ファッジがくれたんだ 」

 

「 参ったな。わたしだって、彼を見間違えたりなんかしないさ。目を開けて新聞を見ていた筈なのに、気づかなかったなんて不覚だよ―――ああずっと、会いたかったとも。こんな形ではなくね 」

 

 

ルーピン先生はしんみりと言った。

ハーマイオニーに腕を掴まれたことで、ガラハッドはようやく“地図”から顔をあげた。

彼女は明らかに同意を求めていた。

 

 

「 おかしいわ!ずっとロンと暮らしていたスキャバーズが動物もどきだなんて!そんなの、そんなの有り得ないわよね?アニメーガスの人って、ずっと動物の姿でいられるものなの!?でもそんな…そんなことをしたら…! 」

 

「 …あ、ああ。でも、別に変身しているあいだじゅう頑張っているわけじゃないから、その気になれば好きなだけ長く動物でいられるよ。魔法省は本人による登録によってしかアニメーガスを管理していないから、有り得ないなんてことは有り得ないねハーマイオニー。たった一ヶ月と七日間継続して取り組んで雷雨を待てばいいだけで、人はアニメーガスになれるんだぞ?自分がどんな動物になるか、気になってやってみる人は多いはずじゃないか。20世紀にアニメーガスになった者は7人しかいないだなんて、そんなことあるわけがない。な~んだ律儀に登録するのって少数派なのかって、一年生のときに僕は思った。さしずめ、蚯蚓尾(ワームテール)はスキャバーズを示す名前。スキャバーズの本名は… 」

 

 

ガラハッドは不意に口ごもった。

思いっきりビンタをくらったみたいな顔で、ハーマイオニーは相槌が打てないでいた。

 

ガラハッドは、決して彼女に遠慮したわけではなく、たまたまそのタイミングで以前に読んだものを思い出して、ここに来て少し話題を変えた。

ガラハッドが思うに、魔法界には動物に変身できる技能を生かして、「もう数十年は離島でリクガメとして暮らしています」みたいな人物などもいると考えるのが自然である。だってそれくらい人間社会って、面倒くさい。

 

で、そういう人物の法的権利って、どうなっているのだろうか?そもそも「リクガメ生活三十年」の人物は、「ヒトとして今も存命」という扱いなのか…?

 

ガラハッドは真剣にロンの知識を頼った。

 

 

「 …ロン、この国って、死んだら届けを出すんだっけ? 」

 

「 なんで急にこっち見てそれぇ!? 」

 

「 戸籍がないのに出すんだっけ?根っからの魔法族も?―――誰が出すんだ?その気になれば、自分で届けを出しに行くこともできるじゃん…ゴーストなら…なあ、それならもう霊体である必要ってある?ああ、違うか!そうじゃないな、そうじゃない―――今はそうじゃなくて…まあ、大体こんなのマグル界でもよくあることだよな?絶対戦死してるはずのに書類上まだ生きてることになってる人間とか…! 」

 

「 そんなの知るかよ!! 」

 

「 うん、ごめん逆だ…。すまん、少々混乱してる。驚いて… 」

 

 

ガラハッドは「うーん」と口ごもった。

 

一連の奇行を受けてルーピン先生は「大正解!」という笑顔だったが、ハリーは「今そういうの要らないから!」と怒鳴る一歩手前だった。ガラハッドの変人ぶりを面白がっていられるのは、心に余裕があるときだけだ。

 

ハーマイオニーはガラハッドから離れていた。

彼女は、胡散臭そうにガラハッドのことを見つめて、「信じられない」とブツブツ小声で言った。

 

アニメーガスになって、律儀に魔法省に登録するのは少数派ですって?―――世の中にそんなにうじゃうじゃと脱法的な人間がいるだなんて、彼女は身の毛もよだつ思いなのだ。

スキャバーズがアニメーガスである可能性に思い至っても、ハーマイオニーはブラックが凶悪犯であることを疑っていなかった。

 

 

シリウスが口を開きかけた。

 

 

ルーピン先生はそれを遮って、呻吟するガラハッドに緊迫した声で尋ねかけた。

 

 

「 わたしを信じてくれるかい? 」

 

「 …あなたが立てている仮説はわかりました 」

 

「 立証してみせるよ。ロン、ネズミを出しなさい。シリウス、手を出すなよ。荒っぽいことはしてはいけない―――本当に、それだけはいけない 」

 

 

ルーピン先生はロンに近づいていった。

ガラハッドは、もうそれを止めなかった。

ハーマイオニーは迷うそぶりを見せた。

ハリーは、がむしゃらにルーピン先生へと飛びついて彼に足を止めさせた。

 

 

「 やめて! 」

 

 

杖をふるうほどには、疑いきることができない。

けれどもロンを委ねるほどには、信じることができない。

 

悲痛の声をあげてルーピン先生にすがるハリーは、そんな瞬間もジェームズそっくりだった。

「止めるな!」とシリウスはゼエゼエと呻いた。

よりによってハリーに庇い立てされるなど、“裏切り者”に許された地位ではないとシリウスには思えてならなかったのだ。

 

リーマスが言葉を選んで選びきれないうちに、踏ん切りのついたガラハッドが三者に割って入った。

 

 

「 まあまあ、製作者さんがた。ひとつ質問良いですか?――― “忍びの地図”って、各種妖精を情報提供者としていたりしますか?それというのも、これはさっき僕が自分から言い出したことですけど、ルーピン先生は認めなさった。先生、少なくとも‟そっちの地図”では、透明であっても人物の移動がわかるんですよね?僕の知る限り、そういった魔法というのは… 」

 

「 ガラハッド、悪いが後にしてほしい 」

 

「 これでも正気のつもりです 」

 

 

ガラハッドは憮然として言った。彼は地図を持っているほうの手で、ルーピン先生の肩を押した―――ハリーと引きはがすためだ。

 

 

「 本気で言ってるぶんだけ、ヤバいのかもしれないけど!マトモな人間ほどヤバく見えるときだってあるでしょう!? 」

 

 

ガラハッドの熱くなりどころは、傍目から見てよくわからない。

ハリーは、興奮で口が利けなかった。怒りすぎているのか驚きすぎているのか、あと少し引き離されるのが遅かったら、自分は名前のつけようがない衝動で、先生の胸を殴りまくった…とハリーは思った。

 

挑みゆく時ほどクールであれ。

すぐに淡々としたトーンに戻ったガラハッドの声は、ハリーにとって、火照った身体に浴びせられる冷水みたいだった。

ガラハッドは、自分の“忍びの地図”をひらひらとやってみせた。

 

 

「 いいかハリー?スキャバーズの本名は、ピーター・ペティグリューというんだそうだ 」

 

「 ええっ!? 」

 

「 少なくとも“これ”によると 」

 

 

胡乱な顔つきで、ハリー・ロン・ハーマイオニーは、深く頷いているルーピン先生とシリウス・ブラックを見やった。

切り札のように“忍びの地図”を掲げたまま、ガラハッドは語り続けた。

口八丁な彼が自分の不信感を代弁してくれることを、ハリーは頼もしく思う―――筈だった。

 

 

「 馬鹿みたいだよルーピン先生―――ピーター・ペティグリューは十二年前に死んだ。そこにいる、シリウス・ブラックに殺されて十二年も前に死んだ。誰だってこの事件のことは知っている。それを、そのペティグリューこそが、実は真の裏切り者だったっていうんですか?文脈からすると、ここでいう裏切り者というのはつまり、『ヴォルデモートにポッター夫妻を売った人物だ』という意味ですよね?そのうえペティグリューは生きていて、スキャバーズとして生活していたんだと?あなたは、ここでそれを証明してみせようとしているわけだ――――荒唐無稽にも程がある!ピーター・ペティグリューの名が、“忍びの地図”に現れていたから来たって?…ルーピン先生、あなたは、権威ある新聞記事と妖精たちのしらせのあいだで、姿のない妖精のほうを信じたんですね?ちょっと正気の沙汰じゃない。イカレてます。マトモじゃない。ヤバいな―――アハハ、()()()()()()()()って見なされたわけだ! 」

 

 

シリウスは怒りで歯を剥いたところだった。

しかしガラハッドに眼力で抑えつけられて、シリウスは珍妙な声を出した。

そうだ、たしかに当初から真実を叫び続けてきた自分は、嘆くほどに『狂っている』と呼ばれた―――…。

 

ルーピン先生は弱々しく微笑んで頷いた。

クスクスとガラハッドは笑い始めていた。

 

 

「 参ったな。僕、前世じゃ毎日熱心に新聞を読んでいたんですよ… 」

 

 

奇妙に歪んだ笑いだ。シリウスは、少し目を伏せたリーマスとは違って、ガラハッドの自嘲をまともに見てしまって、捌け口のない圧迫感に襲われた。

彼は狂っているのか?

否、嘆いているように、シリウスからは見えた―――自分にも覚えがあったからだ。

 

 

 

 

いま、成就せんとする誓願がある。

 

 

天上に荒れすさぶ神々よ!義に背く者どもを暴き出すがいい

震え慄け、貴様ら

人知れず残虐の罪を犯しながら、正義の鞭を逃れている非道の者

身を隠すがいい、その手を血で汚した者

偽りの誓いを立てやがった奴

従順を装いながら、邪な情欲に耽る者ども

 

 

 

 

自分ひとりが役者ではない悲劇を与えられて、湿っぽく泣いて酔い過ごすなんぞ厚かましい。十二年間に渡って、シリウスはこの呪文を念じ続けてきた。苦しみと衰えを感じるほど、リア王の嘆きと怒りがわかり、己がリアに成っていくようだった。―――そんな経験が彼にもあるというのか?

 

シリウスは注意深くガラハッドのことを観察した。

突き抜けた冷笑家として、ガラハッドは今日までの自分を嗤い飛ばした。

 

 

「 それなのに、馬鹿みたい!僕ってば、何度騙されるつもりだったのかな?僕がどれくらい真面目に新聞を読んでいたってさあ―――コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ一億国民ハ模範トスべシ――――最後に読む暇があった日の記事に、馬鹿正直に従ったくらいだ!あはは!新聞だってただの紙切れなのに!―――いいよ、僕も妖精の報せのほうに賭けよう! 」

 

 

大人ふたりのほうを見据えたまま、ガラハッドは親指でロンのほうを指さした。

フレッドとジョージならば、新聞より妖精のほうを信用する。その確信がガラハッドを気丈にさせていた。

 

それに、本当にスキャバーズの正体がピーター・ペティグリューであるか、確かめてみる行為は何ら自分たちの不利益にならない。そのようにガラハッドは考えていたのである。

 

一方でロンは、見えざる矢を受けたかのように強く痙攣し、ますます強くスキャバーズを握って涙ぐんだ。

ハリーとハーマイオニーは逡巡した。

スキャバーズの命とロンの命を、ふたりはこの時天秤にかけた。

 

ガラハッドは改めて自分の“忍びの地図”に目を落とした。

そしてうっすらと微笑むと、丁寧に元通り騙し船の形へと畳んだ。

 

 

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