愛久一兵衛という男子学生はどこにでもいるような学生だった。しかし、あるとき彼に転機が訪れた。
 そして、彼は決意した。
 ――絶対に3Pしてやろうと。
 

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・主人公……「愛久一兵衛」(あいひさ・いちべえ) 
 →幼少の頃のより、母親の教育方針(男なら強く在れという昭和的な考え)によって武術は続けていたが、川神学園に入っても周囲のキャラが濃すぎて大して目立ちもしなかった男子学生。
 眉にかかるくらいの黒髪に身長180cmと少し。着痩せするタイプで、どっちかというと脳筋寄り。
 とある二人を見て3Pしたいと考えた馬鹿。
 


 


恋する3P

 

 

 

 愛久一兵衛(あいひさいちべえ)という男子学生は特に目立つような存在ではなかった。

 

 十人中七人は悪くないと言い、十人中二人は良いんじゃない? と言い、十人中一人は普通の顔と言い、一八〇センチメートルくらいの身長があり、学年十五位くらいの学力を持ち、「愛久って知ってる?」と言うとクラスメイトは「知っている」と答えるが、他クラスは僅かながらに「いたような」と考え、殆どが「知らない」と答える程度の知名度。クラスの中にも友人はいる。だがクラス会的なものには顔を出すが、休日に約束して二人きりで遊びに行く友人がいるのかと問われれば特にいない。

 

 どこにでもいるような、極めて一般的な男子学生だった。

 

 強いて一般人と異なる点を挙げるならば、名家でもない家の方針で武術をやっていることくらいだろう。近所のそこそこの檀家を持つ寺の住職が何とか流の継承者だとからしいが、“川神”という環境においてまったく希少でも何でもなかった。

 そもそもこの街には“川神流”という世界的に有名な武術流派があり、曰く山を砕くなり星を砕くなりとんでもびっくりの明王を顕現させるだの武術家から見ても意味の分からない一族がいるのだ。さらにさらに言えば、世界三大財閥の九鬼家という一族の本社もあり、街中では普通に眉目秀麗なメイドや従者が歩いており、たまに軍服を着た忍者好きや背の高いドイツ人が観光していたり、チャイナ服を着た美少女が歩いていたりと、もはやコンビニ強盗に入っても「あ、はいはい。それね」みたいな反応しかされないのだ。

 そんな環境にあって、没個性的な人間がどう話題になるのか。

 常に話題となっているのは「武神がブラックホールをお手玉にしてた」やら「金髪の執事が一瞬で消えた」やら「義経が河川敷で笛を吹いていた」など時の人のみである。

 川神学園に入学し、Sクラスに入ったは良いものの、特に中学と変わらず――クラスメイトはとんでもなく濃い面子だが――卒業に向かうのかと思われたが、唐突に、まさに降って涌いたように彼に転機が訪れた。

 「(何か妙に最近いつもより川神が騒がしい気がするなぁ……)」と思っているのも束の間、彼が川神院へと続く仲見世通りを歩いてると、前方から二人組の女性が歩いてきたのだ。

 一人は厳重な管理の下、無菌室で育てられた蚕から吐き出された絹糸をそのまま被せたのではないかと言うほど蠱惑的な黒髪を持った女子学生だった。珍しく川神の黒い制服を纏い、腰には刀を一本提げている。時折隣の女性と話しながら髪を掻き揚げる仕草に目が釘付けとなった。

 そんな彼女に面倒臭そうな雰囲気を隠すことなく接しているのは灰色の、ジェンヴォーダンの獣すらも腹を見せるほどの危険な香りを纏った褐色肌の女性だった。夏であるためか、簡素なパンツだが上はもう谷間が手招きして挑発しているのかと思うほど開いていた。

 この時点で愛久の口は開きっぱなしになっていた。

 しかし不思議なことで、そんな魅力的な二人が歩いているにも関わらず周囲の人間は彼女らに気付いていないのではないかという反応で素通りし、見向きもしない。「(全員紳士的だな)」と我に返った愛久もはたと開いた口を元に戻し、何とか素知らぬ顔で二人とすれ違った。

 その時点で――彼は決意した。

 それはもう、帰り道の夕陽に向かって吠える勢いで決意した。

 

 あの二人と、付き合いたい。

 いや、出来ればそれ以上……をさらに通り越して3Pしたいと。

 

 真正の馬鹿である。

 思春期の暴走とは怖いもので、一度暴走すれば暴発するまで男という生き物は愚直に進む。

 あの白い肌へ跡を残すように吸い付き、褐色肌の尻に音を立てて叩きながらぶち込んでやりたいと考えていた。

 本当に馬鹿である。

 馬鹿だが、一度決意した彼は翌日から行動を開始した。

 彼女たちは誰で、一体どこにいるのか、という情報を集めたのだ。

 一人目の女子学生は簡単に正体が分かった……というよりも、愛久も知っていたのだ。

 ほんのひと月前に行われた「源義経VS源義仲」の世紀の一戦。本名は最上旭――改め、源義仲が彼女の正体だ。その強さは誰もが認めるほど強く、剣気による突き技は武神ですら薄ら寒い感覚を覚えるほど。武術家の指標である壁越えはとうに超え、さらに山巓たるやマスタークラスの領域であるという。

 愛久は評議会から毎月出される月報や三年の試験順位も見たことがあったため、彼女についてはさほど調べなくとも知っていた。

 しかし、問題はもう一人の女性だった。

 こちらに関してはまったくと言って良いほど情報がなく、情報どころか誰に聞いても良いのか分からず手をこまねいてしまう。クラスメイトに聞こうとも、いきなりそんなことを聞いて「何だこいつ」みたいな目で見られることを忌避した。がっつり3Pしようとしている癖に無駄な羞恥心が残っていたのだ。

 一週間ほど悩みに悩み、街へ繰り出してみたが姿は無く、結局分からずじまいだった。

 彼は「仕方ない」と諦め――いや、最終判断を下す。

 直接旭から聞くのだ。

 聞いて、彼女が誰なのか教えてもらい、どうにかして床に引きずり込みたいと馬鹿みたいなことを考えた。だが、いきなり旭に聞いても簡単に答えてくれるだろうか? という疑問もあった。

 故に、彼は次の行動に移った。

 ただ、3Pをしたいという欲望に駆られ、行動したのだ。

 

「――最上先輩」

 

「あら、あなたは……」

 

 登校してすぐの、ホームルームまでの約三十分ほどの休み時間に愛久の姿は三年Sクラスにあった。

 胸ポケットから取り出した“ソレ”を旭に見せる。

 

「わお」

 

「ふむ、まさか最上君に挑む者が現れるとは」

 

 隣席だった葉桜清楚が驚き、近くにいた京極彦一も珍しく眉を上げていた。他の三年Sクラスメイトも全員が二人を見ている。

 愛久はそのまま旭に“決闘ワッペン”を叩き付け――ることは出来ないと寸で思ったので急遽動きを止めたが、それは勢いのまま彼の指をすり抜け、旭の胸の上に乗った。アメリカンサイズではないが、まぁまぁある胸元へリボンに引っかかるようにして乗ったのだ。

 

「まぁ。ふふ、大胆なのね」

 

 面白そうに笑い、彼女もポケットを弄って取り出す。

 

「義経との決闘は別口だから、学園の決闘は初めてよ。卒業までに一度くらいは経験したいと思ってたの。

 だから――」

 

 旭は愛久のワッペンに自身のワッペンを重ねる。

 

「これで決闘成立」

 

 ――教室が湧いた。

 たとえもう半年後には受験が迫っている三年Sクラスであろうと、その光景には湧き立たずにはいられなかった。まだまだ記憶に確かに残る義経との闘い。伝説の一幕を色濃く覚えているからこそ、また旭の戦いが見られると。そして名も無き学生が挑んだことに対する期待感。勉強ばかりだった時間にそんな鬱屈を吹き飛ばすイベントが差し込まれたのだ。

 

「――その決闘、ワシが見届け人となろう」

 

 そして、決闘となればどこからともなく学園長が現れる。

 

「して、お主の名前は?」

 

「二年Sクラス。愛久一兵衛です」

 

「うむ。愛久一兵衛とな。では愛久よ、お主から最上に挑んだが、何か決闘方法は考えておるかの?」

 

 決闘と言えども、いくつもの種類がある。たとえば学力勝負であり、単純にどちらが走るのが早いかだったり、はたまた街のボランティア勝負だったり、文化祭の売り上げ勝負だったりとさまざまだ。

 しかし、愛久は理解していた。

 旭とあの褐色の女性と3Pするにはそんな柔な決闘方法では駄目だと。悪手だと。彼女たちに自分を受け入れさすには古来より男が女に見せる決定的な方法があるのだから。

 

「もちろん、コレで」

 

 答えはただ、拳を突き出すだけ。それだけで、伝わるのだ。

 

「挑まれた最上は良いかの?」

 

「大歓迎だわ」

 

「あい分かった! では今日の放課後、十六時より二人の決闘を執り行う! 方法は武力による決闘、双方得物は自由! 最上の方は刃引きした愛刀で良いか?」

 

「ええ」

 

「愛久の方はどうするかの?」

 

「自分も刃引きした得物を持っているので、それを使いたいと思います」

 

「うむ、良かろう。じゃが、決闘前にこちらで確認するので余裕を持ってワシらのところに持ってくるように」

 

「はい」

 

 かくして、愛久は旭との決闘が決まった。この事実はあっという間に校内に広がり、旭の決闘に、そして一体相手は誰なのかという話題にたちまち包まれた。

 あの一戦を見てなお、英雄に挑もうとする蛮勇か、はたまた旭自身が力量を隠した武術家であったため彼もそのような人物なのか。

 多くの川神学園生は、放課後の予定を取りやめて二人の決闘に備えるのであった。

 

 

 

 

 

一、

 

 

 

 

 

 そして、当然その喧噪は愛久の所属するSクラスでも起こることになる。

 

「愛久君! 義仲さんに決闘を挑んだって本当だろうか!?」

 

 愛久が座った瞬間、教室で出せば危ないスピードで寄って来たのは源義経だ。これから愛久が戦う旭の技を真正面から破り、とんでもない技のパレードで旭に勝利した見た目からは想像もつかない実力の持ち主。

 

「ああ、まあな」

 

 グループ授業で話したことはあったが、大して話したこともない。英雄という色珍しさはあったが、愛久からすると騒ぎ立てるほどでもなかった。

 

「そうなのか! そうなのか! 義仲さんはすごく強い! まさか愛久君が義仲さんに挑むとは! ……あっ、いきなりこんなこと言われても困ってしまうだろうか。実は少し前に義経は義仲さんと決闘したことがあって――」

 

「いやいやいや、主。さすがにこの人もそれくらいは知ってるだろうから」

 

「あ、弁慶」

 

「主~。義仲さんが戦うとあって興奮するのも分かるけど、本人より興奮されると集中が切れるでしょ。あんまり邪魔しちゃダメだよ」

 

「む、それもそうだな……ごめんね。愛久君」

 

「いや、気にするな」

 

 ちなみに愛久は切に義経が自分の席に戻ってくれないかと思っていた。何故なら、3Pをしたいという徹底的に不純な動機から起こした決闘だが、これに負けると考えていた予定すべてがご破算になる。彼の中ではすでにどこで最初の3Pをするのか決め、どちらから味わうのか妄想していた。だが、負ければ泡沫と消える。あの褐色の女性の名前すらも知れずに終わってしまうのだ。

 そんなことはさせまいと全霊をかけて勝利する気だった。

 

「妙にデカい物体が後ろに立てかけられていると思えば、愛久の得物だったのか。若はどう思うよ?」

 

「私は身体を動かすことは苦手ですからね。準の方が予想出来るのでは?」

 

「前は義経に負けたとはいえ、最上先輩も俺たち一般人とは格別した力量の持ち主だから……うーん」

 

「おや、もしかして愛久君が勝つと?」

 

「挑むってことは、勝機があるかもってことだろ? 何度か話したことあるけど愛久は記念で決闘するようなタイプにも見えないし。分からん」

 

「それはそれは。もしかすると面白い戦いになるかもしれませんねぇ」

 

 そこから放課後まで、愛久は己の人生で一番集中して気を落ち着けるのであった。

 

 

 

 

 

二、

 

 

 

 

 

 (きた)る放課後、愛久は自前で用意していた紫色の布で包まれた得物を持ってグラウンドのど真ん中に立っていた。正面には微笑むような表情を浮かべる旭の姿があり、そこに割るように学園長が立っている。

 

「これより、二年Sクラス愛久一兵衛と三年Sクラス最上旭による決闘を執り行う!」

 

 観客たるや学園生はグラウンドに一人もおらず、全員校舎にいた。旭の技を直に見た学園長は万が一のことを考えて被害を出さぬよう校舎で観覧するように仕切ったのだ。その代わり、グラウンドの四方には川神院の僧侶たちが結界を張るために待機し、旭の決闘ということで九鬼の従者も駆り出されていた。

 実はどこかで愛久の求める褐色の女性も見ているのだが、目の前の存在に集中しているためまったく気付いていない。

 

「制限時刻は下校時間までとし、どちらかが降参もしくは戦闘不能とワシが判断すれば終了とする。執拗な急所攻撃や過度な追撃を除き、自由。己のすべてをかけて戦うと良い!」

 

 愛久は持っていた得物の包装を解く。

 それは彼の身長を越え、二メートルと少しの長さ。持ち手の棒は成人男性の腕周りより太く、重さは二十キロにも及ぶ。赤色とくすんだ金匠が入った棒の先には二つの刃が付いており、たとえ刃引きされていても当たれば一溜まりもないと想像させるのは容易だった。

 この武器の最も有名な担い手は……呂布奉先。中華最強――いや、世界の歴史を含め、最も強いと言わせしめる破魂の猛者。

 “方天画戟”こそが、愛久の得物だった。

 

「立派ね。愛久」

 

 愛久は旭にそう言われ、腰を引きそうになったが何とか耐えた。

 そう、いつかこんな武器ではなく、愛棒を見せて言わせてみせると気合を入れなおした。

 

「双方、構えい!」

 

 愛久はただ片手で持ち、旭は居合抜刀の立ち姿で腰を落とした。

 

「――始めッッッ!!!」

 

 

 

 

 

三、

 

 

 

 

 

 愛久が武術を習い始めたのは三歳の頃からだ。

 何故そんな幼い頃からと思うが、彼の母親は妙に古臭い考えを持ち、たとえば男なら空手やボクシングをやっとけだったり、女ならピアノでも習えとらしさ(・・・)に合わせた教育をしていた。各々の個性を重んじるようになってきた現代では少し外れた考えの持ち主なのかもしれないが、対してやりたいことも無かった愛久にその方針は意外とあっており、今日に至ってよく分からない寺の武術教室にしっかり通っていた。

 当人からすれば「何もしないより汗も流せて割れた腹筋も維持出来るから良いや」程度の考えだった。

 その寺は江戸後期に平山何某が起こした私塾――今でいう道場――の名残を継承し、あらゆる武芸を修めることを長所としていた。剣術や杖術に槍術に弓術ととにかく“術”と付くものに着手するのだ。寺内には馬も飼っており、馬術すらも教えるという特異ぶりだった。見事なまでの器用貧乏量産工房だが、これまた偶然にその気質は飽きっぽいのか色んな事にハマりやすいのか愛久の性格にマッチして、彼は良いところだけ搔い摘んでいった。

 

「――重っ、い、わね!」

 

 間違いなく居合抜刀術で来ると分かっていた愛久は、それを承知で上から叩き割る勢いで旭に戟を叩き付けた。

 颶風が二人の間から吹き荒び、グラウンドの砂が舞う。

 

「せいっ!」

 

「ふっ!」

 

 愛久が“方天画戟”を選んだのは単純だった。それはそれは聞けば単純で馬鹿らしいことだった。

 方天画戟には四つの用法がある。『援』『胡』『内』『搪』だ。

 『援』とは、槍のように払い、薙ぎ、回すこと。

 『胡』とは、戟を振り回して叩き付けること。

 『内』とは、持ち手側を使って脚を掛けたり、攻撃が避けられようとも引いて刃の下側で背中を突いたり、翻して間合いを取ったりすること。

 『搪』とは、貫いたり突き上げたりすること。

 そう、戟とは剣にも槍にも杖にも斧にも鎚にも盾にもなる武器なのだ。

 このことを知った幼き愛久は思った。

 

 ――この武器、最強だな。

 

 と、非常に馬鹿な理由なのだ。

 むろん、四つの用法を使いこなせるようになるまで何年、年十年も掛かるだろう。並みの才能ではそこまで辿り着けぬかもしれない。だが、偶然にも愛久はその単純さから戟の強さを見出し、手に取った。子供独特の成長力という特権を用いて、今では手足のように戟を振り回すことを可能とした。

 

「お、らぁ!」

 

「くぁっ――意外と乱暴者なの、ね!」

 

 横薙ぎに刃を返され、戟を引いて鍔競り合う。

 漫画やアニメのように額を寄せてまで鍔競り合うことなく、旭から出された蹴りが愛久の鳩尾を捉えかけたが、それを膝で防いだ。

 

「義経直伝の奇襲だったのだけれど」

 

 数合合わせただけだったが、愛久は直感していた――義経との一戦を終えて、さらに強くなっていると。

 

「はぁぁぁぁ!」

 

「軽いッ!」

 

 初撃のように互いの武器がかち合うが、旭の刀が力負けして逸れる。

 振り切った戟を引いて再び攻撃するのも良いが、今は確実なダメージを優先して愛久は蹴撃を腹に見舞った。

 

「――!?」

 

 弾力と、その奥にあるたしかな硬さ。筋肉とは違う、曰く、大陸では功夫(クンフー)。常人とは比にならない身体の強さだが、踏みしめられた右足と、弓のように反らした背筋から繰り出される三日月蹴りは隙を晒した旭の脇腹に直撃した。

 

「……かひゅっ……っく、ふぅっ……けほっけほっ」

 

 次手の隙を晒すまいと旭はその勢いに乗って後退し、詰まった息を吐き出す。

 

「――獲る!」

 

 再び見えた隙を逃すほど甘い考えをしていない愛久は肉追せんと旭に迫る。

 彼女は呼吸を整え、強く愛久を見据えた。

 

「……ぅお!?」

 

 そして、次に驚かされたのは愛久の方だった。

 未だ旭の間合いに入らず、戟の間合いですらない自身の空間に鋭い一撃が飛んできたのだ。

 一撃、二撃、三撃、と燕の如く風音を立てて迫る。

 しゃがみ、横に跳び、最後は迎撃して霧散させた。

 

「たしか、剣気」

 

「……ふぅ。ええ、そうよ。本来なら威圧程度にか使えなかったんだけど、最近ようやく切れ味を持ったまま実体化出来るようになってきたの」

 

「当たれば鉄砲より怖いですね」

 

「どうかしら。当たってみるのはどう?」

 

「そのまま事切れそうだ。遠慮しておきます」

 

「あら、残念」

 

 揃って二人は構え直す。

 

「本当は義経とのリベンジマッチのときに見せようと思ってたんだけど、これを組み合わせるとこんなことも出来るのよ――」

 

 愛久が一体何をするつもりなのか疑問に思った同時、目の前に分厚い剣気が現れる。それはそのまま愛久に向かって飛び、今にも切らんと迫る。とはいえ、先の三度で対処出来ることは理解していたため落ち着いて戟を持ち上げ――。

 

「そこ!」

 

 既に懐に入った旭の姿が見え、切り上げの体勢に入っている。

 正面からは剣気が近付き、コンマ一秒以下でどちらを優先すべきか考える。

 たとえ卓越した『内』の技術があっても、ここまで接近を許せばどちらかは当たる。

 

「仕方ないか!」

 

 愛久は勝つために、先の一秒を得るために旭の一撃に迎撃に向かった。

 

「――っが!?」

 

 旭の一撃は弾くことに成功するが、先に来ていた剣気が目を覆うようにぶつかる。愛久も気で防いだため切れることはないが、押されるようにバランスを崩した。

 視界不良になった視覚に頼らず、自身の気をソナーのように張り巡らせて旭の位置を探る。

 前方約三十メートルほど。

 旭はそこまで下がったようだった。

 やがて痺れが取れるように視界が晴れ、二人は視線を交わす。

 

 

 

 ――……。

 

 

 

 ――――…………。

 

 

 

 ――――――………………。 

 

 

 

 ……………………――――――――悪寒がした。

 

 

 

 予測や想定ではない。

 愛久の背筋に走ったのは、確定した未来からの知らせ。

 考えるよりも早く、肉体はその結果を受け入れて動こうとしている。

 

「“伝承技”――」

 

 彼女は円を描くように右足を滑らせ、肉体を固定する。

 右手に持った刀を引き、刃を左掌に乗せて愛久に狙い定めた。

 

「……っ!」

 

 愛久の脳裏には、いつか見た英雄の決闘が浮かび上がる。

 あの源義経すら苦しめた、源義仲の奥義。学園長やヒューム・ヘルシングを動員して張った結界を貫いた、ただ人では見るも能わぬ至高の技。

 

 距離を取る――あの技の前では意味がない。

 

 逃避――あの技の前では意味がない。

 

 受けて立つ――あの技の前では意味がない。

 

「……」

 

 ただ早く、鋭く、長く。剣の理を極めて者だけが繰り出せる究極の一撃。その名を、

 

 

 

「――“雲落とし”!!!」

 

 

 

 旭の剣先から放たれた気が刃を形成する。

 北陸の剣聖は阿頼耶の超速度を可能にした剣を持っていると言われるが、彼女のそれも十分匹敵するだろう。

 

「ォ――ォォォおおおお゛お゛!!!!!」

 

 それに対し、愛久が取った行動は――ぶん回し。

 戟を野球バットのように見立て、膂力頼りの技術無きままごとのような行動。

 

「ふっ――ん゛ん゛ん゛ゥゥゥ!!!」

 

 とてつもない気と、圧と、絶対に倒すという矜持の乗った気刃を押し返す。

 

「ぁぁぁああああ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 吐けるだけ息を吐き、肺の中が空っぽとなる。

 ここからが大一番だと、自身を鼓舞した。

 血液が沸騰し、腕に血管が浮かび上がる。

 何も考えず、この一撃を真正面から叩き割ることだけに集中する。

 

「はぁぁあああああ!!」

 

「ぐゥ……おおおおお!」

 

 地に足を付け――いや、もはや埋もれる勢いで深く構える。足から足首へ、足首から膝へ、膝から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へ、腕から手首へ、手首から手のひらへ、手のひらから方天画戟へ力を伝える。

 根性などとは縁遠い愛久ではあるが、一度決意すると血を吐いてもやりとげようとするタイプだ。

 四肢が軋もうが、馬鹿正直に振り切った。

 

「――なっ!?」

 

 旭の眼が開かれ、驚愕に肩が跳ねる。

 霧が晴れるように気刃が散った。

 

「……!」

 

 愛久の目的は雲落としを破ることではなく、旭という人間に勝つことである。そして、さらにその先にある目標を完遂すること。

 一足跳びで彼我の差を詰める。

 沸騰した両脚はいつもより力を発揮し、旭が瞬きを終える頃には既に戟を振りかぶった愛久の姿があった。

 

「――“月砕(がっさい)”!」

 

 名前に意味などない。

 だが、寺の住職が言っていた。

 得物を振るうとき、何でも良いから叫びながら振るうと黙ってるときよりも力が出ると。

 

「ぁっ――」

 

 愛久は方天画戟の側面を旭に叩き付ける。

 地面が迫って来たのではないかという衝撃と共に、見た目だけ華奢な彼女の身体が放り出される。

 油断なく、隙無く構えていた愛久だが、やがて学園長が手を上げた。

 

「最上旭――戦闘不能! この決闘、愛久一兵衛の勝ちとする!!!」

 

 校舎から歓声が上がる。

 常人ならそれに合わせて小躍りでも披露していただろうが、愛久はまったく別のことを考えていた。

 

「……次はあの褐色の人か」

 

 女性の川神院門弟によって運ばれていく旭には聞かなければならないことがある。今は意識を失っているが、衝撃だけなのですぐに目を覚ますだろう。

 一先ず愛久は戟を降ろし、落ちていた包みを拾う。

 素早く慣れた手つきで仕舞うと、保健室へ向かうのであった。

 

 

 

 

 

四、

 

 

 

 

 

 “戦うか逃げるか反応”という言葉を聞いたことがあるだろうか。英訳すれば『fight or flight response』――危機的状況において、生物が戦うか逃げるか選択する際に発生する極度の緊張と過度なストレスが与えられた身体の反応のことである。

 十全なパフォーマンスを発揮するためには適度な緊張やストレスが必要とされることは有名だが、この“戦うか逃げるか反応”下においては十全どころか生き残るために異常な力を発揮することが出来る。しかし、その代償は身体に悪影響を与え、心拍数の上昇・瞳孔拡大・アドレナリンの過剰分泌といった細胞分裂回数を減らす行動でもある。しかし、壁を越えた武術家というものは非常に不思議な生物で、その多くが世界でも長い日本の平均寿命を越して生き、大大往生くらいで亡くなっていく。つまり、一定の武術家において“戦うか逃げるか反応”は自身の力を底上げするくらいのものでしかなく、俗物的な言い方をすればパワーアップ時間なのである。

 愛久が旭の“伝承技・雲落とし”を正面からぶん回せたのもそういった人体の秘密があったためだろう。

 だが、代償的なものももちろん存在する。

 緊張やストレスに晒された身体がその状態から解ければどうなるのか――圧倒的リラックスである。

 リラックス状態は一見良いものに思えるが、過度なリラックスは怠さは眠気を催し、中長期的な影響で言えば痩せにくい身体に変質させたりもする。戦争から帰って来た兵士が後日急激に太るのは生死の差からこういった体質が影響していることもある。とは言え、先ほども言った通り武術家の身体においてそんなものは大した影響と言えず、戦いをおえた後でも体力的怠さはあるが神経的な怠さはなく、食べ過ぎて太りやすいといったこともない。では、一体何が一番に影響するか?

 ――“性的興奮”である。

 生きるか死ぬかという状況下において、“生きる”という選択をして心拍数や血流が活発になる。それは戦いという生存競争への参加であり、今を生きるための行動へと身体の働きが変化し、それ以外の一切を遮断する。しかし、終えた後によって迎えるリラックス状態はすぐに身体が元に戻ろうと頑張って血液を身体に行き巡らす。それはもう息子がパンパンに張って大変である。

 勝利したという精神的な高揚感と、肉体の強制的な解放――雄がこの後何をするかということは古来より決まっていた。

 

「失礼します」

 

 運び込まれた旭に続くように愛久も保健室に入った。常勤の保健医はもうおらず、旭を運んでいた女性の門弟が旭の様子を見ている。頭部や上半身の様子を見て、正常な呼吸を確認すると問題ないと判断した。

 

「すぐに目を覚ますでしょう。私は戻りますので、後は任せてもよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい」

 

 男女二人きりにするのは不安ではないのだろうかと思うが、この門弟はあの旭に勝った男が不埒な真似はしないと思っている。

 むろん、愛久もする気は無いのだが。

 門弟が扉を閉めたのを確認して愛久も近くの椅子を取った。旭の寝ているベッドに横に移動させ、座る。

 辛かった。

 深く腰が引けるほど辛かった。

 動き回ってシャツが出ているため誤魔化せているが、具体的に言うとズボンから飛び出すほど興奮していた。

 あの雲落としを正面から叩き伏せたのだ。

 死ぬや生きるよりなどと生易しい緊張とストレスではない。

 

「……」

 

 思わず、白い肌に目が行く。

 凄まじいほど興奮しているが、厭らしい気分ではない。どこか美術品を見るような感覚だ。シーツの上に乗った黒髪が染めるように広がっている。愛久は束になってベッドから出ていた髪を恐る恐る手に取った。そのままそっと旭に寄せる。

 しかし――と、思案する。

 こんな細い身体にも関わらず、一体どこからあんな力と技が出てくるのか。今も腕が痺れているような気がした。いや、痺れていた。

 ようやく腕の痺れが取れる頃、旭の瞼が揺れた。

 

「おっ」

 

 寝顔を眺めていた愛久もそれに気付く。

 

「ん……ここは?」

 

「学園の保健室です」

 

「保健室……そう、負けたのね。愛久」

 

 噛みしめるように旭はそう呟くと、愛久の名前を呼ぶ。

 

「ちょっと顔を寄せてくれるかしら」

 

「……?」

 

 もう隣にいるのに、という考えがあったが、旭の言う通り愛久は顔を近付けた。

 

「――むぐぐっ!?」

 

「んっ、ぢゅ、ちゅる――」

 

 早技だった。

 わんこそばの如くテンポと速さ。

 愛久の首に腕が回されると、すぐに唇が迫って来てそのまま奪われた。

 

「んむ、ちゅぱ、ぢゅ、ぇろ――」

 

 やられっ放しはダメだ! と無駄な負けず嫌いを発揮した愛久も応戦し、互いに五分ほど舌を絡み合わせて二人の顔は離れた。

 

「……はぁ、はぁ……キスってこんな感じなのね。身体が熱くなってくるわ」

 

「は、はい。そうですね」

 

 愛久はキスでこれなのだから、3Pは一体どうなるんだという馬鹿な不安感に駆られていた。

 

「ふふ、私を真正面から倒した男だもの。ついつい逸ってキスしてしまったわ。ごめんさない。嫌だったかしら?」

 

「いえいえ! とんでもない。むしろ嬉しいというか何というかこれからもお願いしたいというか!」

 

「あら、そう? じゃあ――」

 

 旭は再び愛久に顔を寄せるとキスをした。

 そして五分後……。

 

「ん……――ふぅ」

 

 梯子のように伸びた唾液が垂れ、シーツを汚した。

 

「すごい……獲物を見るような目をしている。でもだーめ。ここじゃあ邪魔が入るかもしれないわ」

 

 愛久は犬のように頷いた。

 

「このまま私の会長室に行っても良いのだけれど、そこは汚すと面倒だし……」

 

 すっかり即日初体験コースへとトリップしている旭と愛久だが、流される前に本来の目的を思い出す。

 思い出せ――自分はこの目の前にいる最上旭という女子生徒と、その隣で歩いていた褐色の女性と3Pするために戦ったのだと。

 この様子だと、旭は愛久と交わることに嫌悪感が無いのは間違いない。押せばヤれるほどに先ほどから太ももをもじもじとさせてアピールしている。だが、ここで愛久が「3Pしたいので褐色の女性のことについて教えてください」と言えばどうだろうか。引かれ、すべてが台無しになってしまうかもしれない。それどころか好感度マイナス値……それが普通である。

 

「ねぇ、愛久。どこか良い場所はあるかしら?」

 

「最上先輩……」

 

「旭で良いわ。私も、一兵衛と呼ぶわ」

 

 愛久は悩みに悩んだ。

 それはもう悩みに悩んだ。

 突如、俯きだした愛久に旭が心配して頭を撫でるほどに悩んだ。

 今までの旭の発言を振り返り、愛久は一つの希望的観測……結論に至る。

 

 ――最上旭はエロいのではないかと。

 

 変態などという言葉は使わず、ただそう思った。

 先ほどからの言動、間違いなく旭は期待している。愛久一兵衛という男を求めているのだ。だが、今日喋ったばかりの人間にそんなことを思うだろうか? ――思うわけがない。男ならともかく、こんな頭も良くて良家の一人娘みたいな女子生徒が即ハメ思考なわけがないと。

 多心の類かと思ったが、最初にキスをした反応は間違いなく初心。これで騙されていれば、愛久は女性不信不可避である。

 

「旭先輩」

 

 武術家として、正面から最上旭という女と向き合ったのだ。ここでも正面から上手くいくはずだという馬鹿な考えに帰結した。

 

「どうしたの?」

 

 語るも3P、聞くも3P――愛久は正直に話したのであった。

 

 

 

 

 

五、

 

 

 

 

 

 さて、そこからの一週間は愛久にとって激動だった。

 あの源義仲……最上旭を決闘で、それも真正面から打ち勝ったのだ。凡百な男子学生が一気に時の人となったのだから、それはそれは浮かれ放題――とはならず、いつものように登校して、いつものように授業を受け、いつものように下校する。むろん、休み時間などには義経を始め数々の人に話しかけられたが、とある事情から週末のことにしか頭が行ってなかった愛久にとってただ過ぎ去っていく時間だった。

 厄介なのはクラスメイトの義経や猟犬ことマルギッテ、さらには武神といった面々だ。同じく旭を倒した義経は当然やる気を持って愛久に決闘を持ち掛け、マルギッテに至っては翌日の朝イチにワッペンを投げつけた。武神は昼休みに瞬間移動で現れるという大道芸真っ青の登場シーンである。ただ単に「すごい戦いだった」とか「愛久君強かったんだね」といった声掛けなら適当に返事をしていたが、決闘の申し込みとなれば断ることにそれなりの理由がいる。ましてや旭に勝ったのだから、他を生半可な理由で断ってしまえば彼女の顔にも泥を塗ることとなる。

 そのため、愛久は虚と実を混ぜて言った。

 

『もう一人。学園外の人ですが、戦いたい人がいるので今は無理です』

 

 と。

 彼女たちも一角の武術家。その言葉に嘘は無いと感じ取り、そういった事情なら今は仕方ないと引いた。それぞれ『勝ちたい相手がいる』という気持ちを知っていたからだ。そして、そんな他者の想いを尊重出来る高潔な精神もある。

 

『そうか! まだまだ邁進中なのだな!』

 

『ふむ、それなら仕方ないですね』

 

『そういう事情があるなら、無理強いは出来ないな。でも私の卒業までにはやってもらうにゃん』

 

 武神に至っては強者たちの台頭で精神的にも成長していたことが功を成した。

 週の半分までは入れ替わりに愛久に話しかけて来る者がおり、ようやく落ち着いた週後半では義経と話していた。昼休みには旭がお弁当を持って遊びに来ていたからだ。

 そして、ようやく週末へと差し掛かる。

 運命の週末である。

 愛久は旭と出掛ける約束をしていた。

 

『おはよう。今日はよろしくね、一兵衛』

 

『よろしくお願いします! 可愛い服だと思います!』

 

 童貞なため、女性の格好に対する誉め言葉も子供である。

 川崎駅で待ち合わせをして、二人は駅前や金柳街をぶらぶらとする。時たま面白そうな物を見つければ立ち寄って、小物インテリアなどを購入する。見た目堅物そうな印象を受けるが、旭の趣味は意外と可愛いモノ好きで、ハートマークの中に『YES/NO』と書かれたマグカップなどを購入して愛久は「(こういうのが好きなのか……)」と思っていた。

 お昼頃になると決まった店に入ることはせず、金柳街の屋台に寄って肉まんや小籠包を嗜んだ。金柳街は九鬼のメイドの中国人もよく見られる場所であるため、本家本元が食べても美味しい食べ物がたくさんあるのだろう。

 舌鼓を打ったあとは再び歩き始め、今度は多摩川の方へ足を伸ばす。秋に差し掛かった時期だが、十分暑いからだ。

 駅前に比べると人影もかなりまばらになった川沿いを二人で歩く。

 愛久と旭の距離は近く、肩が触れ合いそうな――というか触れている。むしろ腕を組んでいる。甘えるように旭が愛久の肩に頭を乗せている。傍から見れば間違いなく恋人だと分かる雰囲気だった。

 丸子橋が見えてくると、愛久は旭の腰に手を伸ばした。旭も嫌がることなくより密着して身を寄せる。

 やがて丸子橋の高架下に入り、それを過ぎる頃――――二人の姿は消えていた。

 

「――っち、厄介なことをしてくれる。まったく」

 

 暫くして、丸子橋に一人の女性がやってくる。彼女は心底面倒臭そうな顔をすると、周辺の様子を確認し、ある方向へと走って行く。高架下から出る頃には既にラフな服装から獣の毛皮染みた上着と金棒を持っており、その瞳は不言(いわぬ)色に妖しく光っていた。

 

 

 

 

 

六、

 

 

 

 

 

 太古より、歴史の影に隠れて暗躍する者たちがいた。

 時に傭兵として、時に暗殺者として、時に密偵や諜報の役割を担い、その者たちがいれば勝利は確実なものとされた。百八の魔星とも呼称される彼女たちはただの技術や気による現象ではなく、異能という天の配剤を持って生まれた存在だった。

 そして、そんな彼女たち……“梁山泊”と発足当時から睨み合う好敵手たちもいた。

 

 ――曹一族。

 

 卓越した技術と、洗練された連携を武器に梁山泊と並ぶ傭兵集団だった。

 

「最上旭。どういうつもりだ。私の護衛から意図的に逃れるなどという真似、説明してもらうぞ」

 

 曹一族、武術師範。それが、彼女の正体だった。

 

「ふふ、ごめんなさいね――史文恭。どうしても彼があなたと会いたいといったから、ちょっと強引な手を取らせてもらったわ」

 

「ふぅん……お前が以前、負けた相手だな」

 

「ええ。私が以前勝てなかった相手よ」

 

 鬱蒼した大木が並び、近くには滝でもあるのか水しぶきの音がしている。一呼吸すれば濃度の高い酸素が肉体を活性化し、いつもより調子の良い感覚が身を包む。ここは“川神山”。学園の川神大戦などに使用される川神院の私有地である。むろん、事前に学園長に連絡して使用許可は得ている。

 

「たしか愛久一兵衛、と言ったな」

 

「はい。愛久と言います。史文恭さん」

 

「わざわざ旭を巻き込んで会おうとするとは、よほど私に用があったとみえる。一体何の用だ? ……いや、そこにある物を見ればこの問いは無粋か」

 

 史文恭が見た先、そこには大樹の根に愛久の得物である方天画戟が立てかけられており、この先の展開を想像するには容易過ぎた光景だ。

 そっと、旭が耳打ちする。

 

「一兵衛。彼女には小細工無しの方が良いわ。あなたが思い描いた未来を掴み取りたいなら、全力じゃなきゃ。頑張るのよ」

 

 旭は愛久の頬にキスをすると二人から距離を取る。

 旋毛風が彼らを撫で、どこかに消えて行った。

 それが合図かのように、愛久は戟を手に取り、史文恭に刃先を向ける。そして――。

 

「――史文恭。あなたに決闘を挑む。敗北すれば、俺の雌になれ」

 

 目を覆いたくなるほどの宣言だった。セクハラで訴えられてもおかしくないレベルである。文化伝統慣習、あらゆるものにおいて先進的な国でおよそ人に対して使うとは思えない単語をピンポイントで愛久は使う。

 

「……」

 

 常に冷ややかな空気を醸し出す史文恭が珍しく面食らったようにその瞳を開いた。

 

「くっ――くは、くははははは! くははっ! くはははははっ!」

 

 それも数瞬、武術家とは偏屈な人間が多く、不遜な物言いに激しく嗤う。

 

「くくっ……くはは! くっ、はーっははは! ……くく、すまないな。この私にそのような言葉を吐いたのはお前が初めてだ。ふふ、なるほどな、そういうことか。お前――私を抱きたいか?」

 

 愛久は激しく同意しそうになったが、ここでそんな姿は見せられまいと不動の構えを見せた。

 

「今まで私を手籠めにしようとした男は何人もいた。愚かにも己を弱者と理解しないままな……その一人一人が私に触れることも敵わず、どうなったと思う?」

 

 誰の答えも聞かず、史文恭は続ける。

 

「この狼牙棒の赤錆となった――否。錆となることも無く、私の過去となることも無く全員が誇りと威をぶちまけた。

 旭に勝って驕ったのか知らないが、傭兵である私との決闘は命のやり取りの寸前だぞ」

 

「かまわない」

 

「動じんか。くははっ! ……そうか、お前はそういう人間か」

 

「では」

 

「ああ。その決闘。受けて立つ」

 

 そう言いながら史文恭は狼牙棒を素振りする。風圧が可視化され、地面が抉れた。

 

「一つ、お前に教えてやろう」

 

「……?」

 

「私の好みは、私より強い雄だ」

 

「……!?」

 

 負けじと愛久も戟を振るい、その風圧が地面を抉った。

 

 

 

 

 

七、

 

 

 

 

 

 暴力的な気が奔流し、互いの武器がぶつかり合って大きく音を出す。それは何も知らぬ人が聞けば大型トラック同士の正面衝突のようで、激しく恐れを抱かせるものだった。

 

「おおおおお!!!」

 

「くはは! まだまだァ!」

 

 火花が散り、視界が光る。それをものともせず愛久は旭を仕留める切っ掛けとなった三日月蹴りを放つが、史文恭は示し合わせたかのように膝を出して防ぐ。それはまるで、旭の蹴りを防いだ愛久と同じだった。

 

「(――さっきから、まったく攻撃が掠りもしない)」

 

 声は高らかに、しかし内心はクレバーに史文恭の攻略を見出そうとするが先ほどから千日手が続いている。

 戟を振るい、頭突きをしようにも避けられ――。

 戟を引き、視覚から膝蹴りをお見舞いしようにも避けられ――。

 戟を薙ぎ、今のように蹴りを入れようにも防がれた――。

 

「そこ!」

 

「温い! 旭を倒した武勇はその程度か!」

 

 合わせた刃は百を超え、既に五百に到る。

 

「そら! そらっ! そらァ!」

 

 頭部、胸、足――的確に当たれば戦闘不能となる攻撃が史文恭より放たれる。大振りであったため余裕を持って愛久はカウンターを狙うが、反撃に移るほんの僅かな時間を縫うように狼牙棒の突きが穿たれる。

 

「――っぐ」

 

 柄で弾き、後退する。

 種は分かっている。

 種は恐らくあの“眼”だ。

 初対面のときからずっと愛久を惹きつけた瞳。白いはずの結膜は黒く染まり、角膜は妖気に鈍く光っている。あの眼で捉えられた攻撃はたとえどれだけの疾さを誇ろうともすべて後手となり、対応される。

 

「(絶対にあの瞳に泣きべそかかせてやる)」

 

 密かにそんな決意をし、決め手を探る乱打を放つ。

 フェイントを入れようがすべて的確に、それでいて最低限の動きで返してくる。このままいけばジリ貧は一目瞭然。どころか史文恭は体力を温存した戦い方をしているため愛久が削られる。

 

「――“月砕”!」

 

「視えている!」

 

 気の纏った狼牙棒によって戟が流される。勢いの強すぎた得物は地面に突き刺さり、簡単には抜けない。

 

「シィッ!」

 

 小回りの利く掌打へ切り替え、五歩の距離史文恭を引かせることに成功する。その合間に愛久は戟を抜き、再び振り下ろすように迫った。

 

「はァっっっ!」

 

「来い!!!」

 

 愛久は具体的に知らないが、種は簡単だ。

 ありとあらゆる動きを捉え、圧倒的反射神経を所有者に持たらす瞳――名を“龍眼”。世界最強の看板を背負うヒューム・ヘルシングですら単純が故に強力と認めた異能。その眼の前では全てが遅れ、全てが遅い。何度攻撃しようが、何度迎撃しせめる能力。それに合わさった度重なる実践と常日頃の鍛錬によって醸す史文恭の技術――ある種の頂点にすら匹敵する強さを持っていた。

 これと正面から対峙し、勝利を掴み取るならば……それこそ――未来予知のような異能が無ければ勝つことは不可能である。

 

「私を欲した雄の力はそんなものか! 愛久一兵衛ッ!」

 

「はッ! まだまだァ!」

 

 だが、愛久一兵衛という人間は無駄に頭の回転が良かった。

 何も知らされていないにも関わらず、その瞳が全てを捉えるものだと理解した。十秒の思考時間を得るために、五十の戟を振るった。

 すべて反応されるのならば、すべてを凌駕する勢いと数の攻撃を放てば良い。

 ここで愛久は意識を切り替える。

 その眼は常に自身を捉えていると考え――史文恭という器が壊れるまで戦い続けると。

 

「ぉぉぉおおお!」

 

「くはははは!!!」 

 

 要するに――脳筋戦法。

 根性と体力だけに頼り、眼が存在していようが史文恭自身が狼牙棒を振るえなくなるまで戦えば良いという単純にして明快にして純粋なる馬鹿の所業。

 龍眼を破る術が無いならば、史文恭を破れば良いという考え。

 

「ぜっ、ぁあ゛!」

 

「ぐっ、らぁ゛!」

 

 相手が倒れるまで戦う――どこまでも純粋な闘争が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曰く、赤兎馬は赤い汗を流したためそう呼ばれたとされるが、こと愛久に至ってそれは当てはまらない。限界を越えながら戟を振るい、血液が沸騰し、体表に浮かび上がっている。それでいて闘志を秘めた目は未だ陰りを見せず、史文恭に矛を振るう。

 

「――狂化……ではないな。九紋龍のように我を失ってはいないな。さしずめ赤熱化……天傷星に近い肉体活性か! ――うっ、ぐぅ!?」

 

 時間にして五時間。夕陽が地平線へと消えようとしている。その時間全て、余すことなく二人は方天画戟と狼牙棒を振るっていた。

 

「お゛お゛ォ!」

 

「舐めッ、るな!!!」

 

 互いに呼吸は乱れ、史文恭も反応速度が悪くなってきている。

 捉えているが、身体が鈍くなってきているのだ。

 

「ふん……!」

 

「が――ッ!?」

 

 ようやくまともに入ったのは最初は防がれた三日月蹴り。ただ抉るように、響くように、全てを吐き出させるように体重を乗せた。

 

「はっ……はぁっ……はァっ」

 

 史文恭はすぐに呼吸を戻そうとするが、その一抹の隙を逃すことなく愛久は追撃を仕掛ける。

 疲労した肉体。酸素が必要な部分は数多にある。

 太陽の光を直接見上げたように、視界が光に包まれる。

 

「……!」

 

 すぐに気による探知に切り替え、愛久の場所を把握したのは実践慣れが故の行動だ。しかし、それと同時――既に取り返しのつかない場所まで入り込まれていることも把握した。

 

「――“()突き”!」

 

 強烈な方天画戟の刃先が史文恭を襲う。

 これが最後と言わんばかりに大振りの、ただ威力だけを考えた馬鹿正直な一撃――それは史文恭の中心を貫き、意識を簒奪する……が――。

 

「――!?」

 

 強い力で愛久の肩が掴まれる。

 

「(……まだ立つのか!?)」

 

 考えていなかった次の一撃に戟が揺れる。

 

「はァ……はァ……なるほど……私の……――負けか……くはは、よもや、こんなことになるとはな……覚えておけ、愛久一兵衛。お前は、私の、雄だ……っ」

 

 そう告げると史文恭が糸の切れた人形のように弛緩する。凭れかかってきた彼女を、彼自身も満身創痍であるがたしかに抱えた。

 

「……勝ったのか」

 

 そして愛久も同じように後ろへ倒れ――抱えられる。

 

「まったくもう、無茶な方法をするんだから」

 

 唯一この場で観ていた旭が二人の身体を支えた。

 

「馬鹿な子だわ。でも、格好良かったかしら」

 

 誰にも聞かれることなく、そんな声が秋風と共に消えて行った。

 

 

 

 

 

八、

 

 

 

 

 

 愛久と史文恭が意識を失った後、どこからともなく学園長と百代が現れた。

 学園長は事前に愛久より入山許可とある程度の事情――決闘に使わせてもらいたいという旨――を伝えていたが、百代は何も知らなかったため、気のぶつかり合いが起きた時点で二人の下へ向かおうとした。だが、学園長に止められ、彼女自身も真剣な様相が伝わってくる雰囲気に自分が姿を見せると余計な気を散らせると思って探り見だけで我慢していたようだ。

 二人は彼らに運ばれ、川神院で治療と安置された。

 結局起きたのは次の日の早朝五時頃で、真面目な川神院門弟が自主練を始めている時間だった。

 その門弟に聞くと、史文恭は一度起きたが、また普通に寝ているようで、体力回復に努めていると言っていたので愛久は早い時間だが先に帰らせてもらうことにした。既に起きていた学園長に感謝の言葉を伝え、彼は帰途に着く。

 

『……ふふっ』

 

 思わず笑みが零れた。

 すれ違ったタンクトップ姿のお爺ちゃんが怪訝そうな目を向けてきたが、全く気にすることなかった。

 史文恭が倒れる際、彼はたしかに聞いている。

 

『愛久一兵衛。私はお前の雌だ』

 

 という言葉を。

 旭にも馬鹿正直に説明し、同意は貰っていた。

 彼女は彼が思う以上にエロく……変態で、官能小説を購読するほどそういったものへの興味を抱いていた。そして愛久が旭を倒した時点で「絶対に彼とセッ〇スしよう」と決意するほどのものだったらしい。それに加え、「史文恭ともヤりたい」という最低の一言は彼女のエロスを掻き立てすぐに了承された。

 ある意味変態二人組に巻き込まれた史文恭だが、彼女も愛久を雄だと認めた時点でもう手遅れである。

 

「へぇ。画像や小説では見たことあるけれど、本当にバスルームの壁が透けているわ」

 

「もう少しまともな本を読んだらどうだ」

 

 そして、愛久一兵衛と最上旭と史文恭の三人は川神で最も雰囲気が良く、設備に富んだラブホテル(・・・・・)にいた。

 ベッドは当然三人寝転がっても余裕があり、部屋は広い。娯楽用の最新式のテレビゲームが丁寧に並べられており、ルームフレグランスでも置かれているのか不愉快でない程度の甘い香りがする。

 邪魔もされず、時間も気にさず、どれだけ汚しても良い場所だと愛久がここに決めたのだ。

 

「どうする、一兵衛? 先にお風呂に入るか、そのままベッドインするのかしら?」

 

「ふん。私はどちらでも良い」

 

 旭は川神学園の制服を着ており、史文恭はいつかの私服を着ている。

 ぶっちゃけ、愛久の理性は振り切っていた。

 最上旭という英雄を倒した時点で興奮が有頂天に走っていたのだ。あの日、あのとき、そして彼女との会話が終わった時点でリビドーのカタルシスを行いたいと思った――だが耐えた。

 史文恭という強敵。

 彼女に勝つためには意志の強さが必要になる。目標が目標、暴走しそうになる性欲を抑え込んだ。そして、来るべき史文恭との戦いは互いの死力を尽くしたもので、生存競争に近いものを感じた。生存競争とは種の繁栄であり、性的興奮に直結する。その日の晩に夢精しなかったことが奇跡に近い。いや、奇跡だろう。

 故に、今日という日を迎えるに至ってカタルシスを封印し、今日に備えたのである。

 食事と排泄以外はヤり続ける気満々だった。

 

「――史文恭」

 

「何だ――ん……む、んちゅる……ぢゅ、る……」

 

 ただ貪欲に己が降した相手の唇を貪る。旭もいるため長時間できなかったが、十分堪能して舌を離した。

 

「悪くないな。むしろ、キスというものは癖になりそうだ」

 

 どこか恥じらいながら、しかしその様子を見せまいと強気な姿勢を保つ史文恭に愛久の理性は限界の限界を迎えた。

 ただ腕力に任せ、最上旭と史文恭の尻を掴んで抱え上げ――そのまま皺一つないシーツの上に投げる。

 

「わぁ――」

 

「む――」

 

 ただ今は、獣のように交わってやろう――この三人だけの時間を満喫してやろうと愛久はベッドへ向かった。

 

 

 

 

 

 結局三人がラブホテルから出たのは明後日の夕方の頃だった。

 

 

 

 

 

 ~完~

 

 

 

 




 
 
 
 
 
 次回、第二話「恋する109P」で会いましょう(大嘘)



 手慰み文を草稿から読める程度に致しました。
 お読みいただいた方、そしてこれから読んでくださるすべての読者に感謝を。

 神の筍





 以下、純粋なる後書き


 
 史文恭ルートはよ。 
 あとえっちぃ規約に引っかかったらR18ドバドバで投稿してやるからな!!!

 


 


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