「ウハハハハハ! 我こそは混沌の帝王テラ・カオスなり! トルマン村の勇者達よ! 我が邪悪なる力にひれ伏すが良い!」
「きゃー!」
「うわーっ!」
ダートハイドスネークの大きな頭を帽子の上にくっつけた不審者が、村の子供達を恐怖のどん底に陥れている。
そう、何を隠そうこの俺モングレル……いや! 我こそは混沌の帝王テラ・カオスなり!
「キシャァアアア!」
「きゃー! こえーっ!」
「こ、このぉー!」
「ウハハハハ! 混沌の帝王にその程度の武器など効かぬ!」
「このっ、このっ! こいつめぇ!」
「ウハハハ痛っ、肌出てるところを叩くとはなかなか素質が痛っ! ……ぬぅん! 害悪ボスの特権、武器破壊!」
はい木の枝ボキーッ!
「あーっ! 壊したーっ!」
「ウハハハハ! テラ・カオスに効くのは小麦に詰まった大地のエネルギーのみよ……! 貴様らが協力して落穂を拾い集めなければ、決してこの武器の封印は解かれぬのだぁ!」
そんなことを嘯きながら、俺は懐に入れておいた小さな弓矢を取り出してみせた。
「弓だ!」
「それなに!?」
「ウハハハハ、落穂がこの袋いっぱいに貯まったならこいつをくれてやろう! それでこのテラ・カオスを倒せればの話だがなぁ!」
「……集めてくる!」
「俺も!」
「私向こうの畑行ってくる!」
子供用の弓に釣られ、幼い子供達はそれぞれの畑へと散っていった。
さんざん木の枝を振り回した後でこの元気。やっぱ子供ってモンスターだわ。
「お疲れ様です、モングレルさん……お上手ですねぇ、子供達の扱い」
「あ、カスパルさん。午前の診療は終わりですか」
帝王変装キットを脱ぎ捨てると、村の広場で診療にあたっていたカスパルさんが戻っていた。
また何度も治癒魔法を使ったのだろう。朝見た時よりも不養生ゲージが溜まっているようだった。
「収穫もほぼ予定通り終わり、あとは今夜収穫祭やって、明日帰りってとこですかね」
「そうなるかと。大きな怪我もなく無事に終わって良かったです。モングレルさんも、色々とお疲れ様でした……」
「いやいや、カスパルさんほどじゃないですって。マジでお疲れ様です。てかちゃんと寝てます?」
「いやぁ、虫と蛙の声が……慣れないですねぇ、こればかりは……」
「あー、王都も街も夜は静かなもんですからね。ま、休み休みやっていきましょ」
警備らしい警備は今日でおしまいだ。
数日の任務だったが、盗賊が来るなんてこともなく無事に終わって何より。
畑近くに出てきた虫とか蛇とかゴブリンを仕留めるだけで平和なもんだ。
炙り出されて街道や別地域に逃げていった奴らがいたとしても、今の時期なら誰かしらの巡回に引っ掛かって処理されるだろう。そこらへんになるともう俺たちの仕事ではない。
「村の人らはどうですか。なんか重い病気とか、怪我とか」
「いましたね。ほとんど足腰でした。お辛かったでしょうに……」
「あー、まあ、この辺だと治療院もないでしょうしね。農作業なのに腰はキツい」
だからこそ腰の負担が少ない大鎌ってことでもあるのかもしれない。
しかし歳を食えば積み重なる負担を誤魔化すのも難しくなっていくだろう。
「……距離の問題もあります。お金の問題もあります。しかし何より、そんな現状でも構わないと諦め……適応できてしまう。そんな彼らを見るのは、正直なところ辛いです」
落穂を集めて次々にずた袋に放り込む子供達を遠い目で眺めながら、カスパルは呟いた。
「都会の人間が70年生きるところを、こうした村の方だと50年ほどしか生きられないと言われています。治癒を受けず、悪い病状が溜まり、やがて耐えかねて亡くなってゆく……しかし、村にとってはそんな生き方こそが常識で、疑問に思うものでもない」
「……教育の問題ですか?」
「はい。つまりはそういうことなのだと、私は考えてます。……なんて。他所で迂闊に喋ってはいけませんよ、モングレルさん。あまり農民への教育に気が進まない人々も、多いですから」
「うへ〜」
知らんかった。そんなこともあるんだな。
予想してなかったわけじゃないけど、はっきりとは見えてない地雷だったわ。
「……ヒーラーの数は常に逼迫しています。王都も街も、それは変わりません。……王都は少々、治療の順番を“横入り”する方も多いですが、それを踏まえても圧倒的に数が少ないのが事実です」
「緊急じゃないと下手したら何日も待たされますもんね」
「ええ。……私はそれをどうにかしたい。しかし、自分の体力と精神力を注ぎ込んでいるだけでは、救える命には限界があります。だからこそ、後進の育成をしなければなりません。ですが……」
落穂を拾い上げる子供達の姿を見て、カスパルさんはため息をついた。
ヒーラーは専門職だ。その治療魔法の難易度は攻撃魔法よりもずっと高いと言われている。
だからヒーラー人口を増やすためには、子供達への手厚い教育が必要なのだが……。
農民に生まれ、農民として土地を継ぐことを望まれている子供達には、なかなかその機会が与えられていない。
税を搾取されまくっていないだけマシなのかもしれないが、どん詰まり感はまぁ、ある。
「私のようなヒーラーの手が届かないのであれば、せめて……今より少しでも怪我がなく、病気がなく、健やかに暮らしてほしい。……この老体では、そう祈ることしかできません」
収穫祭は慎ましくも田舎っぽい飯のスケール感で盛り上がり、夜は更けていった。
俺としてはこういう民族的なお祭りは眺めてる側にいたいんだが、若い奴はじいさんばあさんのもてなしに引き摺り込まれなければならない義務がある。
一緒によくわからんダンスを踊り、よくわからん歌を歌い、イマイチなごちそうを食い、おかわりが運ばれ、さらにおかわりが運ばれ、そんなことしているうちに祭りは終わった。
腹一杯でなんも食えねえ。
ご機嫌で振る舞われた料理もごめんなさい絶妙に美味しくない。本当に申し訳ないとは思ってるけど苦手なもんは苦手だ。
「おじさんありがとー!」
「弓矢ありがとー! おじさん! またきてね!」
「お兄さんと呼んで良いんだぞ? またな! 弓で人を狙うんじゃないぞ!」
償いというわけでもないが、長年荷物の邪魔になっていた子供用の練習弓矢をくれてやり、俺たちは帰路についた。
帰り道は班長のトマソンさんが収穫の手伝いで腰を悪くして馬車のお荷物になっていたというトラブルこそあったが、それ以外は平穏なもの。
結局行きも帰りも大きな問題の無い、実に平和な任務に終始してくれたのである。
収穫期は毎年気乗りしないけど、大鎌の扱いを少し体験させてもらったし、レゴール警備隊三班の爺さんたちと仲良くなれたのは良かったな。
また今度何かで一緒になることがあれば、お世話になるとしよう。
……年齢的にその“また今度”で何人か死んでてもおかしくはないが。
「人間、誰しも生きてるうちが華だわな」
レゴールに戻ってきた俺は、拠点にしている宿の部屋で久々の工作作業を進めていた。
水を入れた平皿の上に数種類の顔料と油を慎重に垂らし、水面に浮かび上がった色とりどりの油膜を、針を使って混ぜ、模様を作っていく。
ラテアートのようなサイケデリックアートのような、ちょっと変わった色合いのマーブル模様。
その油膜に、ついさっき書き上げた小さな手紙を慎重に潜らせてゆく。
「よし」
すると、手紙が油膜を被ってマーブル模様がつく。
模様は薄い色をしているので描いた文字は難なく見える。
あとはこの上からスタンプを押して……手紙を畳んで、俺オリジナルの刻印で封をする。
「……ま、死ぬ前に恩返しくらいしておきたいからな」
それはモングレルではなく、ケイオス卿としての手紙。
最近は出してなかったから、ちょうど良いタイミングだ。
俺は普段は身につけないローブを手に取って、夜の街へと繰り出していった。
「大変です、カスパル先生! これ、これ見てください!」
「ん? どうしたんですか。何か失敗でもしましたか」
翌朝。カスパルの務める警備隊診療所内は、騒然とした雰囲気であった。
「これですよ! 投函箱にケイオス卿からの手紙が届けられていたんです! それも警備隊だけでなく、同じ内容のものが別の場所にも何通もあるらしくて……!」
「ふむ? ケイオス卿といえば発明家だったと記憶していますが」
「ええ、なぜうちに来たのかはわからないんですが! ですが噂に聞く手紙の紋様、間違いありません! きっと本物です! とにかく急いで作りましょう! 他の治療院に真似される前に、儲けないと!」
カスパルはマーブル模様の手紙を広げ、中を改めた。
「……経口補水液? のレシピですか」
そこに書かれていたのは、水と塩と砂糖、あるいは蜂蜜などで作る飲料水のレシピであった。
材料そのものも甘味さえあればどうということはない平凡なものだ。
だというのに、手紙に書かれている効能は下痢、嘔吐、脱水などへの特効薬であるという。俄には信じ難いことだったが、巷に聞くケイオス卿の発明の数々を聞けば捨ておくには惜しい。
何より。
これが真実だとすれば、信じられないほど多くの命を救える。
「……ユークス君。レシピは実践して効能と安全性を確かめる必要はありますが……もし真実なのであるとすれば、このレシピは他の医療機関にも広めるべきです」
「えっ!? わざわざ儲けを手放すんですか!」
「手紙にもありますよ。“我はこの智慧が広く普及することを望む”と」
「あっ……そういう……」
「既に複数の機関に送られているようですし、材料自体も平凡です。独占しようと思ってできるものではないでしょう」
「……うーん、大金持ちになれるかとおもったのに」
新米ヒーラーのユークスは、まだまだ俗っぽい青年であった。
カスパルはそんな彼に微笑み、調合棚に手を伸ばした。さて、まずは何にせよ、試して見るところから始めなければ。
「このレシピが本物だとすれば、今まで手こずっていた患者の治療が楽になるでしょう。我々の仕事が、段違いに捗ります。……ユークス君は、それが不本意なのですか?」
「……! いえ!」
「ならば良いではありませんか。さあ、仕事の支度を……」
「はいっ!」
こうしてまた今日も、慌しい仕事が始まる。
しかし今日からは、救える患者の命がいくつか増えるかもしれない。
カスパルは仕事への活力が強く湧いてくるのを感じていた。