翌朝は薄暗いうちから起きて行動を開始。第三作業小屋に向けてポクポクと歩いていく。
ここまで奥地になると段々と人の整備してきた目印も少なくなり、道も朧げでわかりづらい。それでも先頭を歩くウルリカに迷いはない。俺だけだと迷いそうになるからほんと助かるわ。
「あれ? モングレルさんの持ってるそれなーに?」
「ん? ただの水筒だが。あぁ……これのことか」
俺が手にしているのはただの水筒ではない。飲み口が金属製のスクリューキャップになった、最新型の水筒だ。
スクリューキャップとはつまり、ペットボトルの蓋とかああいうやつな。前世だとさまざまな物に使われていたので意識する人も少ないだろうが、素晴らしい発明品だ。
「これはちょっと前にケイオス卿が発明した物らしくてな。この蓋を回すと本体にしっかりと封をしてくれるんだ。普通の水筒よりも中身が溢れなくて便利だぞ。ちょっと高いけどな」
「へー、回してしめるんだ。ちょっと面倒だね」
「結構使い勝手良いぞ? しめてる間は軽くぶつけたくらいじゃ蓋が取れないしな」
キャップはもちろんプラスチックなはずもなく、金属製だ。
溝の数も少なめで、使い勝手はペットボトルよりはジャムのような瓶の蓋に近いだろう。
ただ、このスクリューキャップのキモは溝よりもむしろパッキンにある。
蓋の内側にはドーナツ型の薄い牛革が固定されており、それが本体の飲み口に押し付けられて水漏れを防いでいるわけだ。
案外この牛革によるパッキンが優秀で、水漏れは全く起こっていない。
むしろ水筒本体の強度に不安があるぜ。
「ふーん……でもそういう、中に空洞ができるような固形の水筒、私あんまり好きじゃないんだよねー」
「なんでだよ。まぁ、俺も皮袋の水筒は便利だし持ってるけど」
「ほら、空洞があると水の音が鳴っちゃうでしょ? それが討伐の時は気になっちゃうんだよ。歩いてるだけで獲物に気付かれやすくなるからさー」
えっ、マジで? そんな音で?
って思ったけど確かに、言われてみるとチャプチャプ音は鳴るよな……。
その点皮袋なら、飲んだ分は空気を出してからしめておけば音は鳴らなくなるし……。
「……俺が魔物探すの下手なのって、そういうせいもあるのか?」
「あはは、私は知らないよそんなの。でもモングレルさんってそういうの関係なく下手そうだよねー」
「なんだぁテメェ」
「きゃーっ!」
途中で小走りなどして遊びつつ、まぁ随分と平和な道中だった。
「あ、ゴブリンだ。えいっ」
途中でゴブリンの二人組がだらしない顔でウルリカに近付いてくるなどといったトラブルはあったが、ウルリカはスキルを使うまでもなく二本の矢でサックリと討伐。
その他にはマレットラビットが太枝を抱えて雑草の穂をすり潰している姿を遠目から観察したくらいだろう。
奥地であるにも関わらず、強敵らしい強敵とも巡り合わなかった。
「よーし、やっと到着か。さすがに時間が掛かったな」
「ねー。もうヘトヘトだよぉ」
北部第三作業小屋に到着したのは、その日の夕暮れ前だった。
あと数時間で日没になるだろうか。まだ明るいうちに到着できたのは幸運だったな。道中は流石に険しかったが、厄介な魔物が出なかった分楽に来れた。
「疲れたけど……視界がはっきりしてる内に作業小屋の中を掃除しとかないとね」
「一晩か二晩はここで世話になるわけだしな。さっさと虫払いだけでもやっちまおう」
「なにモングレルさん、虫嫌いなの?」
「多分嫌い。どちらかと言えば嫌い」
「へー意外。そういうの全然平気だと思ってた」
俺も昔は昆虫採集する腕白小僧だったんだけどな……不思議だよな……まぁ川虫とかゴカイとかは触れるし、一応大丈夫なんだけどさ……好んではいないよねっていう。
「扉開けるから一応警戒しててねー」
「おう」
例によってこっちの作業小屋にも鍵はついていない。獣やゴブリンを警戒してちょっと“解除できる簡単な仕掛け”がある程度だ。人間には無力である。
しかしここまで奥地となればわざわざ小屋暮らしする奴も減るだろう。
水場も少し離れている上にショボいから、特別ここで過ごしたくなるようなもんでもない。
「……うん、中に人は無し。魔物に荒らされてもいないかな。モングレルさんいーよ、中入ろう?」
「良かった良かった、掃除も楽に終わりそうだな」
ウルリカに続いて中に入ると、確かに中は綺麗なままだった。
まぁ綺麗っていうのもこの世界基準で、俺からするとあまり手入れされてない山小屋みたいな感じではあるんだけどな。
「この小屋の箒もだいぶボロじゃねえか。買い足して貰った方が良さそうだな」
「覚えてたらギルドに報告しておこっか」
「だな」
作業小屋備え付けの掃除道具でパパッと中を掃除しつつ、各種の香を焚いて作業小屋に潜む虫達を炙り出す。
小屋のどこかで何か小さな気配が蠢いているのはわかるが……決して見てはいけない。精神衛生上こういうのはスルーしとくのが賢い生き方だ……。
ある程度虫が消えたなと思ったら、大荷物の中にある目地用の松脂のようなものを破損箇所に塗り込んでいく。
目安としては煙の流れる壁とかがあればそこが破損箇所になる。こういう小さな隙間や穴から虫が入ってくるので、入念にペタペタしておくのだ。隙間風の予防にもなるしな。
まぁこの松脂モドキも大した量もらえるわけじゃないので、気になる所にって感じの使い方しかできないんだが。
もっと本格的に修理したければ専門の業者を呼んだ方がいいだろう。
「こんなとこかな? なんとか綺麗になったねー」
「後は荷物を向こうの壁際に置いとけばいいな。ウルリカは軽いやつからやってくれ」
「はーい」
後は苦労して担いできた物資を分けつつ小屋の邪魔にならないところにまとめておくだけ。
……山ほど持ってきたように思えても、小屋に並べてみるとわりと少ないもんだな。あっという間に終わってしまった。
「よーしモングレルさん! まだ日没までちょっとあるし狩りしようよ、狩り!」
「ええ今からかぁ? さすがにもう無理だろぉ」
「運良ければ頑張ればいけるって!」
そりゃお前運と努力が両方備わればなんでもいけるけどさ。
うーん。しょうがねえ、ダメ元でいってみるか。
「外で何狙うんだよウルリカ。大物は時間厳しいぞ」
「見つかり次第なんでもだよ。鳥でも良いしね! どうせならモングレルさんも夜は美味しいお肉食べたいでしょ?」
「そりゃな」
「じゃあやるしかないでしょ! 小屋から離れない範囲でね!」
そんな感じで、ウルリカは弓を。俺はバスタードソードを手に、外へと飛び出していった。
既に薄暗いな。無理だろこれ。……でも鳥が居そうな雰囲気ではある。
「“
「お、スキルか。……なるほど、それで生き物がわかるようになるのか」
「そういうこと。暗い中だとぼんやりしてるけどね」
ウルリカの目が桃色の光を宿し、暗闇の中を見渡す。
生き物の弱点がわかるようになるという補助系スキルだ。視界が悪く、生き物がどこにいるかもわからない中でも反応があるとすれば、結構優秀そうだな。
「さすがにここら辺にはいないね。もうちょっと奥に移動しよう」
「おう」
こうして考えるとウルリカのスカウト技能はなかなか優秀だな。
俺も一つくらいこういう使い勝手が良いスキルが欲しかったわ……。
「ん、何かいる。奥の茂み」
「……何かって?」
木陰でしゃがみ込んだウルリカに合わせ、声を潜めて訊ねる。
「……弱点が頭部、かな。細くて小さいから鳥だと思う」
「気付かれてるかね」
「どうだろ。……頭の場所もわかったし狙いやすいから、撃ってみるね」
これがボアとかディアなら無謀な攻撃になるが、相手が鳥なら問題あるまい。先手必勝だ。
ウルリカは矢筒から普通の矢を一本取り出して、弓に番えて構えた。
「!」
が、その殺気を読んだのか鳥が羽ばたいた。
茂みがなり、ウルリカもそれに追いつくように矢を放ったはいいが……結局鳥はピンピンした様子で風に乗り、暗い森の中へと飛んでいってしまった。
「あー失敗……さすがにバレてたかぁ」
「惜しかったな。鳥もよく気付くもんだ」
「んー……スキルで目が光ってるの、暗闇の中だと目立つんだって。だから鳥にはわかりやすかったのかもねぇ。あーあ……でも使わないと鳥が居たことに気付かなかっただろうしなぁー……」
「暗闇の中では使う方も使われた方も目立つってことだな」
まぁ確かに、暗闇の中でのスキル発動はすげーわかりやすいもんな。魔法も大概だけど、目が光ってるとすぐに気付ける。
野生動物や魔物からすればこれほどおっかない光もないわけで。撃つなら即座にやらないと駄目そうだな。
「暗くなったし戻ろっか」
「そうしよう。これ以上はさすがに危ないしな」
「ごめんねー付き合わせちゃって」
「良いよ。ライナやウルリカの狩りは見てて勉強になるからな」
「えーそう? へへ」
後はさっさと小屋に戻るだけ。本格的に真っ暗になってたので少し怖かったがどうにかなった。
「干し肉炙って食べるしかないかぁ」
「明日は何かしら仕留めたいところだな。クレイジーボア仕留めたいぜ」
「ボア肉好きだねぇモングレルさん」
「レゴールで一番うめぇよ」
薪置き場からよく燃えそうな針葉樹のをいくつか拝借し、暖炉に突っ込んで燃やす。
たいして大きな暖炉ではないが、バロアの森の奥地ではこうして屋根あり暖炉ありの環境があるだけ非常に恵まれている。軽いバンガローやコテージみたいなもんだな。
「あー疲れたー……んー、肉の良い匂い……」
「干し肉も炙ればまぁまぁイけるからな」
「私の分もちょっと欲しいなぁそれ」
「おういいぞ。どんどん食え」
二人して暖炉の近くに集まって、だらりと夕食。
小鍋に入ったスープも遠火で温めているが、出来上がるのはもう少ししてからだな。
「モングレルさんって身体強いよね? ほら、今回も荷物たくさん担いでたし」
「まぁ強いけど……」
「砦にいた時に働いてる兵士さんを色々見てたんだけどさー。モングレルさんほどの力持ちはいなかったんだよねぇ」
「そりゃお前、俺はハルペリア一の力持ちだからな」
「本当にそうだったりしてね? あはは」
「いやー強い奴は多いからな。でも俺はそいつら相手でも絶対に負けないね」
力持ちね。身体強化は結構モロに差が出てくるからな……。
方便は考えてあるにしても、やっぱりやりすぎてるのかなぁ俺は。
でも強化を隠して生活なんてやってられんぞ。さすがに不便だ。
「それよりウルリカは今日大丈夫だったのか? そっちだって体力無いのに大荷物だったし、結構キツかったろう」
「あーまぁ……結構脚にきてます、はい……」
「あんまり無理すんなよ。ちょっと見せてみ、軽くマッサージしてやるから」
「え、えっ!?」
「こう見えて俺は整体の達人だぞ。昔はよくマッサージで小金をもらったもんだ」
整体に勤めてる友達から二時間で習った聞き齧りマッサージ術はすげーぞ。
結構色々な人に試して評判良かったからな。
「えええ、い、いやぁでも私今日ちょっとさすがに汗臭いし、不潔だから……」
「そりゃ運動すれば汗くらいかくだろ。別に気にしないって。ほれ、そこにうつ伏せになれ。金は取らないし、明日楽になるぞ」
「……はい」
ウルリカは少し考えたり焦ったりしていたが、やがて諦めたように床の上で腹這いになった。
「痛かったら言うんだぞー」
「んっ……!」
腿、ふくらはぎ、足首、足ツボを重点的にやっていく。
とは言っても俺も専門的に勉強したわけでもなければ資格もないのでほぼ勘みたいなもんである。それでもだいたいマッサージされた経験を活かし、それと似たような感じでやれば問題ないだろう。
「ふぁ……あ、良いね、これ、結構……上手なんじゃない……?」
「だろ?」
今世でもよく父さんにやってたしな。
あの頃は体重もなかったからあまり効果的じゃ無いマッサージもあったかもしれんが、今の俺なら指圧にパワーが乗るぜ。
「う、んぁ……も、モングレルさん、ちょ、圧迫感が……すご……」
「お客さん、凝ってますねぇ。仕事なにされてるんです?」
「い、いやさっきまで一緒に仕事してたしっ……っていだだだ! 痛い!?」
「よし、痛いくらいが効くんだ! ここが良いんだなウルリカ!」
「ちょま、痛い痛い! 絶対これ折れ、折れるって!?」
「乳酸溜まってますねぇ! あとなんかこうリンパがアレですねぇ!」
「なにそれあだだだだだ!?」
とまぁよく効くマッサージなんてのはこんなもんでね。痛いわけよ。
でもこの痛みを超えた先に翌日の快適さが待っているわけでな。
整体の友達もよく言ってたぜ。
“痛い”と叫び始めてからが本番だってな……!
「あッ!? も、モングレルさんだめっ、そこ、そこ押すのは駄目だからぁっ……!」
「大丈夫大丈夫、骨は折れない!」
「骨じゃ、なくてッ、あっ、……ッ!」
それから一分ほど続け、施術は完了した。
ふぅ……久々に良いツボ押したぜ……。
「はぁ、はぁっ……脚だけだと思ったのに……」
最後の方はウルリカは顔を荷物の枕に埋めて声を押し殺していた。なんかちょっとエッチだったけど、うちはそういうサービスやってないからね。
「……あ」
「どうだウルリカ、身体結構楽になっただろ? なんとかの泉が湧いてるような」
「ちょ、ちょっとトイレ行ってくる……!」
「おう?」
ウルリカは慌ただしく小屋の外へと飛び出していった。
早くもデトックス効果が出てきたのかもしれんな……マッサージ店でも開けばひょっとして儲かるんじゃないか……?
「うーん……俺ってこういう才能もあったのかもな……」
グニっと掌の合谷とかいうツボを押しながら、俺は自分の才能を畏れた。
ちなみに俺の知ってるツボの名前、この合谷しかない。