オーガはゴブリンから生まれるとされている。
というのも、ゴブリンは時折突然変異種を生むことがあるのだ。
一説によれば、サイクロプスはオーガの成り損ないとかなんとか。オーガとして生まれてくるゴブリンこそが、ゴブリンの繁殖による数少ない成功例……という表現をされることもある。
しかし不思議なことにこのゴブリン、サイクロプス、オーガなどの人型魔物たちは、それぞれに仲間意識なんてものはない。お互いに出会ったら殺し合いをする程度には連携が取れていなかったりする。
魔物はよくわからん。少なくとも庶民の俺がアクセスできる程度の資料じゃマジでなんもわからんね。
そもそも書物じゃ貴族のお偉方が適当にぶっこいてる可能性すらあるわけで。
だからこの手の魔物の習性に関しては実際に現地の魔物を観察するなり同業者の所感を聞くなりするのが一番だ。
……なので今こうして観察するってのもギルドマンとしてはそう間違ってはいないんだが……。
「おい」
「……」
「おい、あんまり汚い手でな。風呂のお湯触るんじゃないよ」
「……」
「聞いてます?」
話というか音は聞いているのだろう。ずっと俺の方を見て睨んでいるからな。
けどそうしている間にも老オーガのグナクは、せっかく俺が溜めた風呂に汚い手を突っ込んでかき混ぜている。湯捏ねかい? 適温にしようとしてるのかい?
「あ、お前……やめろ一番風呂だぞ。オイまじで……汚れる。汚れるから……あー」
「ォオオ……」
手で触れたお湯の感じが良いものだと悟ったからか、オーガが俺の作った露天風呂に入りやがった。
しかもご丁寧にガチャガチャのロングソードだけは外に出した状態で。
野太い声をあげてお湯を楽しんでるくせに、しっかりこちらを迎撃する手段は残している。なんなんお前マジで。
……あーあー……マジでこいつ……お湯に汚れが浮きまくって……。
いやそりゃ何年前に奪い取った装備だよってのもあるし……当然今まで体なんてほぼ洗ってないだろうから、それがいきなり風呂に入ればこのくらいは汚れるだろうけど……一瞬で共同浴場を上回る汚さになっちまった……。
せっかく全力で作った露天風呂が一瞬で駄目になったわ。終わりだ。もう俺は入れません。完全にこれもうオーガ風呂です。
「お前本当に何かしたらぶっ殺すぞ。もう俺全然躊躇しねぇからな」
「……」
「何か言えよ」
「……ズズッ……ォオオー……」
「お湯飲んでんじゃねえよ」
初めて見たわ風呂に浸かりながらそのお湯飲む奴。まぁ普段からもっときったねぇ水飲んでるんだろうけどさ……。
生まれて初めて飲む白湯は美味いかよ……?
「ォオオ……」
そして自分の肌を擦り、落ちていく汚れを見て“これが私……?”みたいな驚き方をしている。
いちいち人間っぽいリアクションしやがる。
……けど眺めていて結構飽きないな。適当に座って昆布茶飲みながら眺めるには丁度良い奴だ。そうでも思わないと風呂作った苦労が報われねえ。
「温泉の猿みてぇだな」
「……」
オーガは俺を警戒しつつも顔を洗ったり、ロン毛の生えた頭をガシガシと洗っている。その度に泥みたいな汚れが落ちてゆく。まじで汚えな。
痛々しい火傷痕なんかは濡れると痛そうにも見えるが、痛がっている素振りはない。そういうところ見てるとやっぱオーガって強い種族なんだなと思わされる。
「グフゥー……」
足元に転がってる冷めた焼石を取り上げて眺めたり、風呂釜の外側にある木をバリッと剥がしたり。魔物らしく破壊の限りを尽くしてやがるな。
けどもうここまで汚れに汚れた風呂釜には未練も残ってない。好きなだけ壊せば良いさ……。
「……ロングソードね」
刃がガチャガチャになってるロングソードを観察してみると、相当に古いものであることがわかる。
手入れも何もされていなかったんだろう。メンテナンス状況は最悪だ。
しかしこれをしっかり武器として愛用し、長年使い続けてきたのだ。どう考えてもこの老オーガの知能は高いし、侮れない。
「フゥー……」
「お、出るのか。……うわぁ」
風呂から這い上がるオーガ。そして無惨な汚れの浮きまくった風呂釜。
これはもう終わりですわ。土ぶっかけて埋め立てる他に無い。
一度も入らず終わったよ俺の露天風呂。
「良かったな、綺麗になれて……」
「……」
びしょ濡れオーガは未だに俺のことを“なんだこいつ”って顔しながら眺めている。……あ、また薪ストーブの定位置に戻っていった。
けどそろそろ燃料補充しなきゃならん。ちょっとどいてろ。
「……!」
ロングソードを右手に持ち、警戒している。薪を補充するだけだがその意図が伝わっているとは思えんね。
まぁ俺としてはやるならやれよって感じだ。露天風呂を台無しにされた怒りはもう既にオーガの観察という知的欲求を上回り掛けてるからな。このままバトルに突入しても俺は一向に構わん。
向こうが剣を叩きつけてくるつもりならこっちは素早く対応してやる。ロングソードよりバスタードソードの方が優れてるってことをその身に刻んでやるよ。覚悟しろ。
「オラオラ、薪だぞ薪ぃ」
「……」
「攻撃しないのか。おらここ、補充するぞオイ」
「……」
「我慢強いな」
というよりは慎重なのか。
ロングソードを手にしてはいるが、その間合いにそもそも俺を入れようとしない。近づけばジリッと距離を取る。……直情型ですぐにブチ切れるオーガにあるまじき臆病さだ。
「そのメンタルがあったからこそ今まで長生きしてこれたのかもな……」
オーガは今も俺の仕草を観察するように睨んでいる。
薪を火の中に放り込んでいるだけの作業だが、オーガからすれば初めて見るだろう。いや、野営する人間を観察したことがあれば初めてってことはないかもしれないな。
「ここに入れた木が燃えてな、この煙突を通って煙になる。この煙突のおかげで吸気が上手くいって、ストーブ本体から煙が出てこないわけだ」
「……」
と、きまぐれに指さして教えてみても通じるわけもない。
だがオーガは理知的な目で煙突をじっと眺めている。……理屈を理解したわけでもないだろうし、自分で土こねて再現するわけもないんだろうけど、物静かな感じと頑固そうな顔を見てるとなんだか、職人っぽさを感じるから不思議だな。俺の制作物を逆に値踏みされているかのような錯覚を感じる。いや、完全に錯覚だけども。
「ああ、スコップのメンテしなくちゃな……今日は酷使しすぎた。研がないと」
俺の携帯スコップは先端をとがらせるようにしている。掘りつつ、ここで木の根をサッと切断するためだ。他にも刃物にしてあると色々と便利なのだ。
しかし今回は風呂掘ったり焼石焚べたりとヘビーに使い込んでしまったので、一気にボロくなってしまった。
適当な川のザラついた石を使って刃先を整えておくことにする。
必要なものは川と石。簡単だ。スコップの曲がった刃先をうまい具合に濡れた石に押し当て、ジョリジョリと研いでいく。
「……!」
「お、なんだよ。この音が嫌なのか?」
「……」
「いや、興味があるのか。……剣持ちのオーガに刃物の研ぎ方を見せるのってヤベェかな……いや、長年人前に出てないなら平気か?」
オーガに睨まれながらスコップの刃先を研ぐ俺。何やってるんだろうな。
……しかしオーガの興味は尽きないのか、さっきからジリジリとこっちに近付いている。
やめろよ来るなよ。もしかしてスコップ持ってるから隙有りとか考えてないよな? 俺はこのスコップだけでも戦えるぞ。
なんてのも杞憂だったようで、結局スコップの刃先を研ぎ終わるまで何も起こることはなかった。ひたすらオーガにメンチは切られたが。
「……あ、この石使いたい? なら……まぁどうぞ」
「……」
その場から少し離れると、オーガが濡れた石の前に立った。
そしてガチャガチャのロングソードを構えて……なんと、石の上に寝かせたではないか。
「すげぇ。マジか。本当に研ごうとしてるのか」
俺の作業を見て、目的を推察したのか。頭いいぞこいつ。
……いや、長年刃物を使っているならなんとなくわかるものなのか。どうなんだろう。
しかしそれにしたって、しっかり良い感じの角度で刃物を寝かせて研いでいるのを見ると……この老オーガの異様な知能の高さには驚かされる。
見た目はマジで歳食ったオーガだし、別種族ってことはないはずなんだが……人型魔物も長く生きてるとここまで思慮深くなれるのか。それともこれはオーガだけのものなのか。
「あ、そこやり方違うぞ。こうだ」
「……」
途中、オーガの研ぎ方が駄目な感じだったので少し離れた場所でやり方を指導した。
オーガの方見つつ、研ぐモーションを見せる。するとオーガが俺を見つつ、その後学習した動きで再現して見せる。やべー。知的生物だこれ。
「ォオ……」
「どうだ切れ味」
「……」
研ぎ上がったロングソードを持ち、老オーガがずんずんと木に近付いてそこに剣を打ち込んだ。
構えも振り方もすげぇ雑。しかしオーガの怪力は、木から伸びた人の腕ほどはあろう太さの枝を一発でバスンと切断してみせた。
こえー。てかこれ切れ味そんな関係ある?
「ォオ……!」
どうやらあるらしい。オーガは生まれ変わったロングソードの切れ味に驚いているようだった。
わりと感情豊かな奴である。
「さて……まぁ確かに見事な一撃だったと褒めてやりてえけど……このまま力を持たせて生活様式をガラッと変えられても困るから、俺の剣も見てもらおうか」
「……!」
俺はバスタードソードを抜いて、木の前に立った。
武器を取り出したのを見てか、オーガが身構える。警戒はし続けている辺りはさすが野生。
「見てろよ、人間様ってのは恐ろしいんだぜ。便利な道具を持ってるだけでも、親切に技術を教えてくれるだけの生き物でも無いんだ」
強化の魔力を全身に、そして剣先にまで行き渡らせて……。全力で振り切る。
すると先程オーガが切断した枝の倍はあろう細木がスッパリと斬れ、パキパキと葉のついていない枝を折りながら向こう側へと倒れていった。
「……!」
「な? 人間様は怖いぞ? この俺でブロンズ3なんだ。俺はギルドマンの中でも最弱……あまり見くびらないことだ」
オーガにハッタリどころか言葉が通じるわけもなかったが、木を斬り倒した現実だけは重く受け止めたようだ。俺への警戒心が高くなったのがわかる。
「それともなんだ、やるかぁ? 俺の露天風呂を台無しにした報いを受けたくなったかぁ?」
「!」
剣をヒュンヒュン振りながら近づくと、オーガが慌てて後ずさる。そのバックステップもかなり距離が長い。さすがの身体能力だ。それにかまけない警戒心の強さもすげぇ。
こいつが人間を舐めきって襲い始めたらマジでやべえだろうな。脅す時はちゃんと脅さないと駄目だ。
「ワッ!」
「!」
最後に大声を出して剣を振ると、老オーガは茂みを突き破って逃げ去っていった。
……力量差がわかるだけの知恵を持っているオーガだった。多分、再び襲いかかってくることはないだろう。それだけの慎重さを持つ奴だ。
「……風呂は台無しだけど、面白い奴を見れたな」
身体的なリラックスは得られなかったが、久々に知的好奇心を刺激される一時を過ごせた気がする。
剣持ちのオーガ“グナク”。
オーガの寿命なんて全く分からないが、さて。あの老オーガはあとどれだけ生き続けるのだろうか。
来年もひょっとすると、この冬の森の中で再び出会うこともあるかもしれない。
……けどちゃんとした風呂入りたいからあんまり会いたくはねえなぁ。
次は風呂入られそうになる前にちゃんと追い払うか。