精霊祭の準備は着々と進められている。
今年は例年以上に盛大にやるそうで、催しに使われる消耗品や大道具の規模が多めに要求されているらしい。
多分、レゴール伯爵の婚約発表がその理由としてあるんじゃねーかなと俺は思っているんだが……実際のとこどうなのかは知らん。俺は裏方役ってわけでもないからな。
けどそれと並行するように、レゴール拡張区画の工事もバリバリ進んでいる。
この拡張区画は、だいたい円形っぽく広がっているレゴールの外壁にくっつくようにして拡張された街だ。形としては扇の地紙のような感じかな。新たに生まれた二つの角に物見が設置され、その部分だけ城塞感がちょっと増す感じになるそうだ。
その物見塔の部分はさすがにまだ着工もしていないが、既に外郭の城壁は全体的にあさーく積み上げられている。
長くてでっかい褐色のレンガが次々に現れ、ガンガン積まれていく様を見るのは結構面白い。
高さ二メートルくらいの作りかけの城壁は、色合いに結構なバラつきがある。多分レンガを焼いてる窯とか職人とかによって変わったりするんだろう。けどこういう色ムラもなんというか、味があって良いなと俺は思っている。……この世界の人間からすりゃ均質な色じゃないと綺麗じゃないって感じなんだろうけどな。
「あー、レンガ運びだりぃよぉー……」
木箱の上に座りながらそんなことを考えていると、眼の前をウォーレンが横切っていくのが見えた。
土に汚れて良い感じにワイルドな雰囲気が増している。こいつもちょっと背伸びたなぁ。
「おーいウォーレン、仕事か?」
「あ、モングレルさん!? マジで? モングレルさんも工事の任務やってんの?」
「いいや? 俺はただここで工事の風景見ながらリュートの練習してるだけ」
「……工事現場の直ぐ側でなにしてんだよぉ……」
「いや、こういうの宿じゃできねーしさ。外じゃなきゃ無理だけどわざわざ遠出するのは面倒じゃん?」
そう、今日の俺はただのオフ。任務をせずに遊ぶ日だ。
健康的な男女が汗を流しながら働く姿を横目に、趣味に没頭する。しかもここは街中と違って音鳴らしてもうるさく言われないしな。結構お気に入りなんだぜ。
「ウォーレンはなんで工事やってんだ? なんか不服そうだけど。さすがに自分で受けた仕事はしっかりこなせよ」
「立派な大人みてえなこと言うなぁ……」
「俺は立派な大人だが?」
「……“大地の盾”の人らに言われたんだよ。“大地の盾”はハルペリア軍と同等の訓練をしてるから、こういうレンガ積みとか、荷運びとかも技術のうちなんだってさ……」
「あー」
そういやウォーレンは“大地の盾”加入を目指しているんだったか。
あそこは真面目で厳しいところだから、ちゃらんぽらんな性格じゃ無理なんだが……そうか、まだ食らいついてたのか。
案外努力家っつーか、なかなか食い下がるじゃねえの。
「けど本当にこの仕事、必要なのかなぁって……こういうのって大工とかの仕事じゃん……? 一緒に働いてる人らも軍人っぽくは全然無いしさぁ……」
「騙されてるんじゃないかって?」
「や、そこまでは言わないけどさ……」
ジャラーンとリュートを鳴らす。
「工事とか大工も兵士には必要だぞ。なにせ兵士は敵の攻撃で崩れた城壁とか砦を素早く頑丈に直さなきゃいけないんだからな。その技能を持ってる奴は少しでも多い方が良いだろ」
「あ……そっか……」
「それにこういう重い物運ぶのだって訓練の一環だぜ。ま、腰をグキッってやらないように頑張れよ。俺はここで応援ソングを奏でてやるからさ。一曲どうだ?」
「……ああ、わかった。よし、やるか! 演奏は聞こえないと思うけど、ありがとな! モングレルさん!」
そう言って、ウォーレンは来たときよりも明るい顔つきで走り去って行った。
「ふ……若さって良いな……」
でも休憩ついでに一曲くらい聞いてくれたって良いのにな……。
こうしてわざわざリュートを持ち出して演奏しているのも、実は俺だけってわけでもない。
人が多くてその割に開放的なスペースってことで、他にも芸術に精を出している連中は結構いる。
工事の休憩に入った男たちの近くまで行って芸を披露する人もいれば、俺みたいに音楽を奏でてる人もいる。まぁアレも多分練習なんだろう。なにせここはレゴールで一番開放的で、その上そこそこ人もいる都合のいい場所だからな。
俺個人としては、この工事の様子を眺めているのが好きだ。いや、もちろん手慰みでリュートの練習をするのも好きだけど、こうして新たに街が出来上がっていく姿を眺めているのが結構好きなんだよな。
別に俺は建築フェチってわけでもないんだが、なんだろうな。やっぱ多分、このレゴールって街に少なからず愛着があるからなんだと思う。
その成長を眺めていられる喜びみたいなのかね。……そう表現すると一気に老け込んだような気分になるな。
まぁいいや。今日は一日ここらでリュートの練習するって決めてんだ。
もうちょい場所移しながら色々見て回ろう。
でかい材木を立てる男。
大鍋でメシを作る女たち。
ロープを張りながら入念に道幅を確認する役人。
色々な職業の人が色々な役割を担って、レゴールの新たな街並みを作ろうとしている。
……やっぱフィクションでも、ゲームでもねぇんだよなぁ。この世界は。
「……ん?」
そんなことを思いながらふらふら歩いていると、城壁の際の方にあまり見ないタイプの人を見かけた。
別に知り合いというわけではない。ただ、その男が土の上に立てたデカいコンパスのような器具には見覚えがある。
あれはイーゼル、だったかな? キャンバスを立てておくための道具。
珍しいこった。あの人は画家じゃないか。
「!」
壁沿いにそろそろ歩いて近づくと、絵筆を走らせていた男がびっくりしたようで俺を見た。
古臭い地味なローブを着た、小柄な中年の男性だ。艶のないくしゃっとした黒髪に、寝不足そうなくまのある両目。なんとなく芸術家らしい顔立ちだなと思った。
「ああ、すいません。なんか描いてるみたいだったんで、気になっちゃって」
「あ、いや……大丈夫。壁沿いに人が来るとは思ってなかったから、少し驚いてね」
なるほど。確かに城壁を背にして描いてるこの人からすると、壁沿いに来られるとちょっと不気味だったか。悪いことをしたな。
「絵、見ても大丈夫ですか」
「んー……ああ、大丈夫。まぁ、私は素人なのでね、大したものではないけど……」
「またまたぁ」
よくある絵の上手い人特有の謙遜かと思いながら覗き込むと……意外と言葉通り、プロって感じの絵ではないなと思った。
上手い素人とかそこらへんの感じだろうか。工事中のレゴールの街並みと人を、そのまま頑張って模写しようとしてるような絵だ。
正直、謙遜からのドチャクソ上手い絵が飛んでくると思っていただけにリアクションに困った。いや、俺が勝手にハードル上げてただけなんだけどね。
「……私は仕事が忙しくてね。あまりこうした趣味の時間が取れないんだ。絵なんて小さい頃からやっていたわけでもないし……始めたのも三十くらいからなんだよ。はは……期待させてしまったかな」
「いや、いやいやいや。ていうか独学でそれは上手いと思いますよ。俺だってこのリュート独学ですしね。本業はほら、ギルドマンだし」
「ああ、本当だ。……なんだ。我々、似たもの同士だったのかもしれないね」
「ですねぇ」
ブロンズ3の認識票を示すと、男は薄く笑って再び絵筆を走らせた。
「まあ、私は絵が趣味というよりは……こういう、ハルペリア各地の“途中”の風景を描くのが好きなんだ」
「途中」
「そう。出来上がる前の姿だったり……新しく大掛かりな建物が造られている最中だったりだとか……そんな、作業中の景色を描くのが好きでね。そういう意味ではこれは、絵というよりはただの記録にすぎないんだが……」
記録。そう言われてちょっと納得した。
この人は綺麗に芸術的に描こうというよりは、風景の情報をなるべく沢山キャンバスに詰め込もうとしているように感じてはいたから。
「ハルペリアが成長していく様を見るのは……私は独り身だが、たぶん我が子を見守るような気持ちでいられるから、好きなんだよ」
「あー……なんとなくわかります」
「ふふ、わかってくれるか。それは嬉しいな……」
彼が絵に使う色はかなり少ないようだ。ざっと建物がどんな色なのかだけを配置しているだけに過ぎない。多分、それよりも書き込みを細かくする方を優先しているのだろう。
明るい内に今日の風景をしっかりキャンバスに焼き付けておこうと、強く集中しているのがこちらにまで伝わってくるかのようだ。
「飯、食ってます?」
「いや……この作業をしていると忘れがちでね……ああ、後で食べるつもりではあるが」
「頭使う時は飯食わないとキツいっすよ。あ、俺これパン多めに持ってきたんですけど食います? 一個」
「ああ申し訳ない。私は人から与えられる食事を口にできない性格なんだ……性分でね、気を悪くしないでほしい」
「あ、そうすか。いやいや気にしてないです。まぁ、おせっかいかもしれないけど倒れる前になんか食った方が良いとは思いますけどね」
なるほどこういう気難しさも芸術家っぽいな。潔癖というか頑固というか。
逆にこういう感じの芸術家っぽい人が珍しいからちょっと感動したわ。
「……貴方の描いた絵って今までどんくらいあるんです?」
「私の? いやぁ……四十、くらいだったろうか。小さいものを含めれば……」
「すげぇ、めっちゃ描いてるじゃないですか」
「いや、本当に雑に描いたものも含めてなのでね、人に見せられたものじゃないんだよ。どれも……だから本当に、趣味なのさ」
男は特に卑屈さを感じさせないように、ともすれば不敵に笑ってみせた。
「ただ……こういう絵っていうのは、ほら。建設中だし、珍しいだろう? 今しか描けない絵だ。私は自分の絵が上手くない事を知っているが……もしかしたら何十年、何百年も経った後、歴史の資料として認められるかもしれない」
「おー、確かに。そう言われると確かにこれは貴重な絵だ……」
「ふふ……そういう形で残ることを、ちょっと期待してるのさ……本当に何年も先のことになるだろうがね」
「いや頭いいですねぇそれは。きっと有名になれますよ。ははは」
「ふふふ……」
「で、ちなみにそんな未来の先生のお名前は?」
「名前? ああ私の名前か。……先生ねぇ、ふふ……まぁ、そうだな」
男はキャンバスの片隅に俺の後ろ姿らしきものを付け加えながら言った。
「ギュスターヴ。……生きているうちは無名だろうが、私の死後数十年数百年に、有名になってみたいものだね。この時代を生きた、一人の人間として……」
なるほど、ギュスターヴさんっていうのか。逆に大成しそうな名前してるけどなぁ。
……まぁ実際そんな絵上手くねぇからな! 言っちゃ悪いが確かに生きてる内に真っ当な評価を受けるのは無理だろうな!
でも、うん。なんだかんだ後々自分の存在を……生きてた証が残ってて欲しいなっていう気持ちは、俺にもわかるぜ。
「ギュスターヴさん、ここ」
「ん?」
「ここらへん、今描いてもらった俺の隣。ここギュスターヴさんいるとこじゃないですか。描けますよ」
「……いやぁ、私は作品に自分の姿は……」
「いやいや、実際俺はここにいる構図なんすから。自分もいないと」
「……そういうものかねぇ」
「そういうもんですよ」
ギュスターヴさんは暫し悩んで、しかしすぐに筆を走らせた。
ぼんやりした俺の隣に、更にぼんやりとした地味なローブ姿の画家が現れる。
「ほら、これで名前と自画像が残りましたよ」
「……ははは。自分を描いたのは初めてだ」
「まじっすか? 自画像なんてよくあるモチーフだと思うんだけどなぁ……ああ、すげぇ綺麗な鏡がないと無理か……」
「いや、自分で自分の描いている姿を描くというのもなかなか……奇妙だが、面白いものだな……」
まぁ、ギュスターヴさんが思いの外楽しそうで何よりだ。
「あ、それとここの俺、どうせなら髪の白いのもつけといてくださいよ」
「む……後ろ姿から見えるかね……?」
「じゃあちょっとそっち側向いてることにしましょ。そうすりゃギリ見えますよ多分」
「なるほど……こうか」
「そうそう! よっしゃ、俺も歴史に刻まれた!」
「ははは」
それから暫くおっさん二人で絵を描いたり話したりして、薄暗くなる頃に解散したのだった。
「じゃあ、ギュスターヴさん。またどこかでな」
「ああ。また」
次にいつどこかで会えるかさっぱりわからないが、まぁ生きてりゃどこかでバッタリ会うこともあるだろう。
会えないとしても、数十年後、数百年後の歴史資料を見た誰かが見つけるはずだ。キャンバスの片隅に描かれた、俺とギュスターヴさんが横並びになった後ろ姿を。