精霊祭翌日。レゴール伯爵の婚約が正式に発表された。
というか、精霊祭の当日には既に発表されていたらしい。俺の耳に入ってなかったのは、俺たちが昨日騒いでいた場所が辺鄙すぎたのと、俺も酔っ払って早めに宿に帰って寝ていたからだ。まぁ、既に婚約の話は聞いていたから驚きはないんだけどもね。
お相手はステイシー・モント・クリストル。クリストル侯爵家の女性だ。年の頃はレゴール伯爵よりもやや年下。この世界だと行き遅れ扱いされてるけど、俺の感覚では全然若いくらいだろう。
いつごろ結婚するのかは知らないが、実にめでてぇ事である。こりゃ俺も匿名でのお祝いを早めに用意しとかなくちゃならんね。宿で工作に励むとするか……。
……というか今は街の汚れっぷりが普段の比じゃなくて出歩きたくねえんだよな。
ゴミに吐瀉物に名状しがたき色々とか……さすがの俺でもこの状態の都市清掃はちょっとしんどいわ……。
「モングレルさーん? お客が来てるみたいよー」
「おお?」
そんな気持ちで宿で金物を削っていると、女将さんから来客の報せがあった。
隣の部屋に泊まることになった旅人からお蕎麦でも貰えるのかなーと扉を開けてみると、そこには見知った顔が。
「あれ、副長。どうしたんですか、わざわざ俺の部屋まで訪ねてくるなんて」
「やあ、モングレル。悪いね、休みのとこ押しかけてしまって」
何気ない風に対応してはみたが、内心ではかなり焦っていた。
なにせ相手はギルドのレゴール支部副長のジェルトナさんだ。個人的にも仲は悪くないし話しやすい相手だとは思っているが、宿にまで押しかけてくる理由がわからなかった。
しかし心当たりは多い。俺の抱える色々な後ろ暗い部分はそう簡単には出てこないだろうが、どこでバレるかもわかったもんじゃないからだ。
ケイオス卿絡みはバレたくない。悪いことはしていないが、バレて貴族の横槍が入るとしんどいことになる。
“亡霊”の方はもっとマズい。こっちは悩む間も無くレゴールさよならコースなんだが……。
……引っ越し蕎麦だったりしない?
「実はモングレルに重要な話があってね」
「はぁ」
ひえ〜〜〜引っ越し蕎麦ではないな。
「前の……アーレント氏の件で、ほら。モングレルは当事者だっただろう。あれから進展があってね……今はもう色々と変わっているんだが……とにかく今から来てもらえないかな? 」
良かったぁあああ……なーんだ、アーレントさんの件か。
俺とライナが冬の森で見かけた筋肉モリモリマッチョマンのサングレール人のおっさん。
外交官のくせに単身でやってきた上に書簡と持ち物を奪われて凍死しかけていたという、ツッコミどころしかない状態で出会った人だ。
そういやあまりアーレントさんのその後の話は聞いてなかったな。
「ええまぁ、良いですよ。飯代が出ればなお良しですが」
「ま、多くは出せないが、そのくらいなら」
「よっしゃ、さすがジェルトナさんだぜ」
ひとまず俺関連の話じゃないだけ助かったが、アーレントさん絡みの話も正直あんま気が進まねえんだよなぁ……。
ギルドの個室に通された俺は、ジェルトナさんと向き合っている。
「アーレント氏の身元の裏どりはできた。また、紛失した書簡と、アーレント氏の一部装備品も回収できた。まぁ、これは随分と前の話になるけどな」
「おー」
「詳細は伏せるが、アーレント氏は神殿より派遣された外交官で間違いない。非常に穏当な態度で……まぁ、今でも仕事をしているそうだよ」
「良いことじゃないっすか」
出会った時は詰みの概念がコスプレして歩いてるんじゃねーかってほどだったが、随分な変わりようだ。
てか奪われた書簡が見つかったってのがでけぇ。無理だと思ってたよ。一体誰にどれだけ走らせたんだ……?
「ついては、アーレント氏をしばらくここレゴールで預かる予定でね。それもまた色々な思惑が絡んでのことなのだが……まぁ、アーレント氏本人は少なくともレゴール滞在に前向きだ。特に、我々ギルドマンの暮らしぶりに興味があるらしい」
「……えー」
「言いたいことはわかる。だがまぁ、向こうが興味を持っている以上はこちらも断り辛くてね。ハルペリアのギルドマンの暮らし、また活動の精神性を学びたいと言うんだ。……断れんだろ?」
「随分と……こう、ギルドに好意的なんすね……」
「よほどレゴールで最初に出会ったギルドマンが親切に感じられたのかもしれん」
いや俺とライナが原因みたいに言われても困るぜさすがに。
「はぁ、それで……この流れで俺に何をしろって言うんです?」
「うむ。実はアーレント氏を臨時の格闘教導官として短期間雇おうと思っていてね」
「はあ? いやそんな外交官がやることじゃ……」
「そうなる気持ちもわかるが、アーレント氏の希望でもある。我々には一切怪我をさせないし、自分も怪我をしないから問題ないとのことだ。……アーレント氏が本物の“白頭鷲”であるならば、それも大言壮語ではないと私も考えている。まぁ、向こうも身体を動かしたいんだろうな。考えて話すよりもそちらの方が得意なのは、モングレルにもなんとなくわかるだろう」
まぁあの人のマッチョぶりを見ると、肉体言語って言葉が出てくるけどさ。
「現場の空気を肌で感じ、役立ちたいのだろうよ。……彼の仕事のほとんどは、書簡の運搬だけで済んだようなものだしな」
書簡の内容匂わせるのやめてもらっていいすか?
俺は一ミリもそれは知りたくないんで……。
「私のモングレルへの頼みは、アーレント氏を色々と気にかけてやって欲しいということだ。既にアーレント氏を知っているし、何よりもギルドマンに広く顔がきく。彼が問題なく馴染めるよう、ひとつ頑張ってはもらえないかな? ついでに、彼にギルドマンとしての基礎的な活動を少し教えてあげてもらいたい」
いやー……思ってたより結構頑張らなきゃいけない仕事だな。
けど言い分もわかる……俺に頼む理由もわかる……。
「……俺にできることはする。けど、俺だって全ての仲立ちができるわけじゃないぜ? アーレントさんって戦場でブイブイ言わせてた人なんだろ? そこらで悪感情持ってるギルドマンを宥めるのはさすがに俺でも無理だ」
「ああ、だから表向きはただのアーレントさんとして通しておくつもりだ。悪感情を持たれるよりも先に、馴染ませてやってくれ」
「簡単そうに言うけどなぁジェルトナさん。俺にだってわかることなんだから、ジェルトナさんだってわからないわけじゃ……」
俺がそこまで言ったあたりで、ジェルトナさんは真面目な顔で顔をこちらに近づけてきた。
「……これはレゴール貴族からの指示でもある」
「……」
「少々無茶なのは私も承知だが……こちらも色々あるんだ。ここはひとつ、頼むよ。モングレル」
貴族の頼み。そのワードは俺にとっちゃ労働意欲半減の言葉だぜ。
まあ、ジェルトナさんも板挟みっぽいのはなんとなくわかったけどさ。
「……食事代だけじゃちょっと安い頼みだぜ、ジェルトナさん」
「何日分かは、考慮するつもりさ」
「そいつはありがてぇなぁ……」
断れない任務ができてしまった。
しかもどう転ぶかわからない任務だ。案外すんなりといく楽なものかもしれないが、コケたら擦り傷じゃ済まないあたりが怖すぎる。
けどまぁアーレントさんなぁ……仕方ねぇ。身分を隠すつもりがあるならまだマシだろう。手伝ってやるとするか。
「けどいざアーレントさんが危ない人に狙われるようなことになれば、その時はギルドでなんとかしてくださいよ」
「もちろんだ。その辺りはアーレント氏を守るため、逆にアーレント氏から守るための専属の護衛もいる。突発的な事態は防げるさ」
すげーな、話すたびに穏やかじゃない要素が増えていくぜ。
けど腹を括るしかないか……。
頑張ってただのマッチョなインストラクターに徹してもらうとしよう……。
「……そうだ、モングレルはよく資料室に出入りしていたね。何か資料室に置いて欲しい本はあるか?」
「え?」
「希望があれば一冊か二冊くらいなら、こちらで融通をきかせてやれるが……」
「植物! あと魚の図鑑! 今置いてるのよりも詳しい奴くれ!」
「お、おお……すごい、勢いだな……」
おいおいジェルトナさんなんだよそれは、最高じゃねぇか!
「水臭ぇな副長。こんな任務俺に任せてくれよ。アーレントさんをギルドの人気者にしてやれば良いんだろ? 余裕だってのそんくらい」
「……いや、前向きで助かるがねぇ」
「図鑑は早めに揃えてくれると嬉しいな!」
「はいはい……わかったよ。任せてくれ。どうせそろそろ更新しようと思っていたところだしな」
俺からすればその辺りの図鑑は最高の娯楽だよ。
いやー面倒な任務だと思ったけどそうでもないかもしれんな。逆に遠出しない分、かなり気楽かもしれん。
「よーし、まずは都市清掃の体験でもやってもらうかな?」
「いや……まぁそれもギルドマンの仕事の一つではあるが、できれば任務の体験をさせるにしても、もう少し仕事は選んでもらえると助かるよ」
やっぱダメか。うちの宿の前だけでもと思ったんだが。