“アルテミス”のクランハウス内には、風呂の他にも有用な施設がある。
寝食など共同生活を送るための場だけでなく、弓使いにとって欠かせない工作部屋も用意されていた。
任務で使う備品の多くは専門の店や職人を頼っているが、手隙の時間にはちょっとした加工や工作ができるようになっている。
今現在、ウルリカが薬研で碾いている薬品もまた、狩りで用いる道具のひとつだ。
「うーん、匂いが全然しないけど……ナスターシャさーん、これ本当に効能あるのー……?」
「無味かどうかは私も知らんが、無臭の薬品ではあるからな。匂いがしないのは当然だ。今まで皆が使ってきた毒よりは使い勝手も良いはずだぞ。……水が薄まってきた。継ぎ足せ。乾燥したものを吸い込めば危険だぞ」
「わわわ」
「固定液を混ぜるまでは慎重に作業しろ」
弓にはスキルがある。ものによっては矢の威力を大幅に上げるものもあり、特にウルリカの所持している“
しかしあまりに高威力なスキルだと得物を損壊させるおそれがあるし、何より魔力の消耗も馬鹿にはならない。それを補うために必要なのが、今ウルリカが制作している弓矢用の毒だ。
基本的に狩猟用の毒矢は、食肉を無駄にさせないタイプの毒が選ばれる。毒は強ければ良いというわけでもないからだ。
命中させた獲物の行動力を削ぎ、かつ最低限の肉の切除で毒に対処できるものが望ましい。そして“アルテミス”にとっては、獲物に悟られ得る無駄な匂いを消すことも目標の一つだ。
この毒の調合作業において、魔法使いのナスターシャは博識だった。
「腐敗毒や煮詰めた毒も便利だが、やはり動物や植物の自然毒をそのままの形で利用するのであれば魔水調合が最も適している。加熱せず安全に調合するにはこれしかない」
「ううーん……ナスターシャさん、このマスク息苦しいよぉー」
「我慢しろ」
ウルリカもナスターシャも長布を用いたマスクを付けていた。
毒物を扱う以上はこうした防護措置は欠かせないのだ。万が一にも飛沫が口に入れば大問題だ。
「しかし毒は大雑把で楽だな。薬ほど気を遣わなくとも良い」
「えぇー……そうー……? 作ってる私からすると細々としてるけどなぁー……」
「薬やポーション製作はもっと分量にうるさいぞ。だがそれだけ奥が深く面白い。ウルリカも機会があればやってみると良い。私も触りの部分であれば教えよう」
「うーん……」
調合に用いるのは原始的な薬研と、魔水調合用の密閉アランビック。
水魔法によって生成された水が長い時間をかけて(ほぼ)自然消滅する性質を利用した器具であり、これによって毒の成分を壊すことなく上手く調合させることができるのだった。
だが、ウルリカはこういった作業にあまり魅力は感じないタイプらしい。
それよりは料理などわかりやすいものが好きだった。実際の所、料理も調合も似たようなものでもあるのだが、気の持ちようが億劫にさせているようだ。
「ただいまっス」
「おお、ライナ。おかえり」
「おかえりー、遅かったねーライナ」
クランハウスに帰宅したのはライナだった。
彼女は今日、モングレルと弓の専門店へと出かける予定があって留守にしていた。
最近はこうしてたまにモングレルと一緒に予定を組むことも増えたので、ウルリカとしては少しだけホッとしている。
「何を買ってきた、ライナ」
「ナスターシャさん。これっス。なんか露店で変な野菜が安く……安く? いやわかんないスけどなんか売ってたんで、モングレル先輩が買ってたんスよね。なんかそこから一本だけ分けてくれて……名前は……あれぇ、なんだったかなぁ……」
「えーなにそれー。美味しくなさそー」
「っスよねぇ。モングレル先輩の知り合いっぽい人が青果市で売ってたやつなんスけど」
ライナは奇妙な根っこを持っていた。
全体的に細く、枝分かれした痩せた人参のように見える。
ライナとウルリカにとっては食いでのなさそうな根菜でしかなかったが、ナスターシャはそれを興味深そうに見つめていた。
「……ほう、この香りはマクレニアの根じゃないか」
「あ、それっス。そんな感じの名前だったっス」
「んー、聞いたこと無いなぁー」
「日陰と砂礫の中で育つ根菜の一種だ。薬に用いられる植物だな。良いものを分けてもらったな、ライナ」
「マジっスか」
「あー、ほんとだ。なんかすごい香りするー」
形容しがたいが、マクレニアからは爽やかで俗にいう薬臭い香りが漂っている。モングレルがライナに分け与える際に一部を折ったので、そこから立ち込めているのもあるだろう。
半分以上乾燥した根菜ではあるが、新鮮な断面は暫くこの匂いを放つのだった。
「そうだ、ナスターシャさん! この変な根っこも混ぜてみない? 矢毒にしたら獲物に効きそうじゃん!」
「馬鹿者。マクレニアにそのような成分は無い。……いや、組み合わせればいけるか……?」
「えっ……モングレル先輩はこれ料理とかで使うとか言ってたんスけど……毒なんスか……」
「いや毒ではない」
ナスターシャはライナからマクレニアを受け取り、断面を小指で撫でてから指を舐めると……珍しく眉を潜めた。それほど強烈な味がするのだろう。
「この強い味は臭みの強い食材を打ち消すのに使われることがある。大鍋でほんの一欠片程度ではあるがな。真実かどうかは知らないが、食材の鮮度を少しだけ保つ効果もあるらしい」
「へー、薬っぽいっスね。毒じゃないじゃないスか」
「ああ。だが、マクレニアを少量ではなく分量を多くすればするほど、より効果は強くなる。多量に用いれば辛味が増し、人の血の巡りを助け発汗を促進させる効果も現れるという。その効果を利用すれば、毒の巡りを早くさせることも可能だろう?」
「おーなるほど、そういうことっスか」
毒と血の巡りに関係があることは、この世界の人々もなんとなく理解している。
ライナも長年弓矢の威力に悩まされていたので、矢毒を用いる機会も多かった。その点でいえばウルリカよりも毒への理解は高いかもしれない。
「他には、そうだな。貴族の中では興奮剤として扱っている連中もいたな」
「興奮剤? っスか?」
「血の巡りを良くする作用をより高めることで、年老いた男でもより興奮できるようにする薬だ。子を残すために励まねばならん男たちにとっては、こういった薬品も必要なのだろう。俗に言う“惚れ薬”に近いものと言えるな。そういった用法もあるから、マクレニアは高値で取引されることも多いのだ」
「はえー、すっごい」
ライナはそこまで関心がないようだ。
ウルリカは薬研を動かす手を止めていた。
「……ねーライナ、それってどれくらいで売ってたの?」
「えー、なんかモングレル先輩の知り合いだからとかで銀貨1枚だったっスよ。こんくらいの根っこなんスけど」
「ほう、それは随分と安い」
「へー……」
「褐色肌でローブを着込んだエルフの店主さんだったんスけど、なんか雰囲気のすごい人だったっス」
「エルフか。エルフもそういったものを栽培しているのだな」
「あれ、ウルリカ先輩どこか出かけるんスか」
「うん、ちょっとそのお店見てみようかなーって。高値で売れるし料理にも使えるっていうなら、すっごく便利そうじゃない?」
ウルリカは調合作業を中断し、買い物の支度を整えていた。
「製作途中で席を外すとは……」
「ごめーんナスターシャさん! 代わりに続きやっといて!」
「続きって……こら、おい、……全く」
結局、ウルリカは風のようにさっさと出かけていってしまった。
ウルリカは時たま気ままに行動するところがあり、そういう面では最年少のライナ以上に末っ子のような気質と言えた。
大抵はその後、シーナによって叱られるのがセットとなっている。
「相変わらず落ち着きのない男だ」
「ウルリカ先輩は自由っスからねぇ……あ、調合の続き私がやってみたいっス。この水を入れる毒の作り方はあまりよくわかんないスけど」
「……おお、ライナも興味があるか。ウルリカの続きからになるが、良いだろう。私が教えてやる」
「おっス、お願いしまっス」
その後、ウルリカの残した矢毒の調合をライナが済ませ、どうにか矢毒の原材料が完成した。
こうして作った矢毒が実際に使えるようになるのは数カ月後のことである。気長な調合方法ではあったが、秋の狩猟最盛期には間に合うだろう。
「今年の秋も大物が仕留められると良いっスねぇ……」
「うむ。だが、その前にステイシー嬢の護衛や指導もあるがな」
「あー……」
「今はまだシーナが忙しいだけに留まっているが、これからは“アルテミス”全体が忙しくなるぞ」
ステイシー。王都からやってきた、レゴール伯爵の婚約相手。
その身分は侯爵家という非常に高いものであったが、ギルドマン相手でも見下すことのない明るく豪快な性格もあって、ライナとしては接しやすい貴族である。
しかしそれはそれとして、やはり気疲れはしてしまうのだが。
「……夏頃にはまた去年みたいに遠出したいっスね。気分転換に」
「ふむ。遠出か。まぁ、貴族の護衛だけというのも息が詰まるか。考えておこう」