馬車は自動車ではない。何言ってんだって思われるかもしれないが、自動車と同じような感覚で馬車をイメージしてると思わぬトラブルに遭遇した時にショックを受けることになるだろう。だから異世界トリップした人や異世界転生した人は今一度、馬車についてよく考えて欲しい。
名前の通り、馬車は馬が車を引きずっている乗り物だ。当然その動力はエンジンなどではなく、馬である。また車輪だって特徴的で、ゴムタイヤではなく普通の車輪だし、路面も原始的な轍があるだけだ。
動物が引きずっている都合上、燃料があれば素直に走るような乗り物ではない。
もちろんその速度だって決して速いもんじゃない。安定して時速60kmだせるはずもないどころか、最高速でもそこまでいくことはまずないだろう、軍馬だったらいくかもわからんが。
速度を出して走っていれば当然バテるので、馬車は一定の落ち着いた速度で動くのが基本だ。
また、夜はほぼ走れないものと思った方がいい。野生動物や盗賊が危ないからだ。轍のお陰でレーンに沿って走れはするからたまに夜間も道を急ぐ馬車もいるのだが、そういう奴らに限って賊や魔物の犠牲になったりする。
つーか道中ちゃんと日中の間にたどり着けるように宿場町が配置されているもんだから、マジで無理する必要はないんだよな。夜も進みたいっていうのはよほどのせっかちくらいだ。一般人は大人しく寝ていた方がいい。
そして積荷の積載重量にも限度がある。繰り返しになるが馬が運んでくれているわけでね。積荷をドチャクソ重い荷物ばかりにしても、馬が苦しむだけだ。場合によっては馬が体を壊してしまう。
なので重い荷物を馬車に乗せる時には、上限を設けなければならない。物でも人でもな。
さらに言えば、馬の負担を軽減するために時折乗っている人に降りてもらい、ちょっとだけ外を歩かせることで馬を休めるっていう手もあるわけだ。
だからまぁ、馬車の護衛を請け負ったギルドマンなんかは哨戒という本旨もあって、ちょくちょく馬車の外に出て歩く。馬もそこまでスピードを出しているわけではないから、置いていかれるってほどでもない。
ぼーっと座っているだけでも道を進んでいけるのは楽だが、揺れとか狭さとかもあってずっといるのはなんだかんだしんどいしな。
時々交代しながら、俺たちは外の空気を吸ったりしているわけ。
「そういや俺たち剣士組は全員ランク低めなんだよなぁ、一応」
「ああ、そうだね。モングレルさんと僕は同じだから……けど、ゴリリアーナさんはシルバー3に上がったから、低いとは言えないんじゃないかな?」
「お? マジかよそれは知らなかったぜ。おめでとう、ゴリリアーナ」
「は、はい。どうも、ありがとうございます……この夏ようやく、昇級できました……」
今の時間帯の馬車外警備は、俺とレオとゴリリアーナの三人。
得物はそれぞれ違うが、全員剣士である。
そして俺含め全員がランク以上の力を持っていると考えて良いだろう。
俺は言うまでもなく、レオはギルドマンになって日が浅いからだし、ゴリリアーナさんはこう……精神的に控えめなところがあるだけで膂力とかその辺りのステータスはA+いってそうだから、ゴールドくらいまでは順当にいけると思うんだよなぁ。
「この布陣だったら後衛なしでもそこらへんの盗賊が相手ならなんとかなるだろうな」
「と、盗賊ですか……」
「モングレルさんは盗賊の相手をした経験は多いのかな? 僕は狩猟ばかりだったから、そこまででもないんだけど……」
「そりゃまぁ、俺も長いからな。無法者を相手にした経験は多いぞー。さすがにこんな護衛のついた馬車を襲ってくるような奴はいないけどな」
俺が狙われているのはソロでやっているからだろう。パーティーで行動していれば護衛の時だってそうそう狙われるもんじゃない。数で固めて行動しているからこそ、盗賊たちに対しても牽制になるからな。
「“アルテミス”はどうなんだ、こういう護衛やってる時なんかに狙われたりするのか」
「うーん、僕はまだ新参者だから経験も浅いけど……一度だけ、盗賊団って呼んでも良い相手から襲われたことはあったね」
「あ、ありましたね……馬車の護衛中に、倒木で道を塞がれて……後ろから八人くらい……」
おお、そりゃまた本格的な襲撃だ。しかも八人となると、なかなか気合の入った盗賊グループだな。
「手前の斥候に馬車の護衛の厚さを品定めさせて、狙えそうな相手だったら合図を送って、倒木を用意して封鎖……って感じだったみたいだね。半分くらいはシーナさんがやっつけてたよ」
「おっかねぇ。弓使いが近距離の人間相手に出せるスコアじゃねえな」
距離の近い集団戦で活躍する弓ってなんだよって話だな……まぁ、シーナの奴は一度に三本の矢を放つ変態だから不思議ではないんだが。
「あ、そうだ。その時に真っ先に馬車の車輪を打ち壊しに来た大男が一人いたんだけどね……ゴリリアーナさんはその男を一太刀で仕留めたんだよ。あの一撃は鮮やかだったなぁ……僕にはとても真似できそうもないや」
「い、いえいえ。そんな……レオさんはよく動いて、相手を撹乱していました……私はそういう器用な動きが、できないので……目の前の敵を相手取ることしか……」
馬車の動きを封じて逃さず仕留める。なかなか殺意の高い盗賊のやり口だな。
しかし“アルテミス”の護衛する馬車を襲うとは不幸な連中もいたもんだ。今じゃライナでさえ優秀な弓スキルを手に入れて戦力になってるというのに……。
「人を斬るのはやっぱりまだまだ慣れる気はしないけど……パーティーの皆を守ろうって思うと、不思議と体が動いたよ。僕の場合はだけど」
「あ、私も、はい……そうです……守る時は、悩まないですよね……」
「確かに。自分から不意打ちしたりだとか、トドメを刺したりって時は結構心にくるもんだけど、何かを守ってる時は夢中になるよな。倫理観のタガがひとつゆるくなるっていうか」
少なくとも呆気にとられたままってことは、不思議と無い。
……かといって馬車そのものが狙われてるとあれなんだよな。そこまででもないかもしれん。知り合いとか友人とか、やっぱ人間相手の方が守り甲斐があるってことなのかね。
「お、レオあそこ見てみろ。あの茂み」
「んっ? 何か獲物でも……あ、野草だね? ストローオニオンかな」
「多分そうだな。こいつは運がいい。ちょっくら採集してくるから、先行っててくれよ」
「て、手伝いましょうか……?」
「あー大丈夫大丈夫、複数人でサボってるのも外聞が悪いからよ。かわりに護衛に専念しててくれ。ありがとうな」
道中ではこういう野草採集が結構捗る。
地元民でも足を運ばないような街道のちょっと辺鄙なところなんかが狙い目だ。
時々そこらの畑から野生化した作物なんかもあったりして、これだけでも結構な食材が採集できる。
なかなか新鮮な野菜を安値で食うことのできない世界だからありがたいぜ。
宿場町についたらその都度馬を休め、宿泊ついでに御者は交易品のやりとりなんかもする。
今回俺たちが護衛している、というか乗っている馬車にも重量の嵩む金物が積まれていて、馬車の主はそれを各地で売りさばいているようだった。
レゴール製の商品はよそに持っていくと良い金になるらしい。のだが……。
「積み荷を増やすですって? ……ただでさえ幌の中は窮屈なのに、これ以上増やされてもね……」
「そこをなんとか、頼むよ“アルテミス”さん……ここで商品を買い付けた方が儲かるんだ。少々手狭になるだろうが、な! この通り!」
夕暮れ時の宿場町で、シーナと馬車の主が話している。
内容は翌日馬車に積み込む交易品の量についてだ。シーナとしてはこれ以上狭い馬車をさらに窮屈にされたくないし、しかし依頼主である男からすると商機は逃したくないのだろう。
「契約では護衛に十分な場所を確保するようにってあったのに……」
「どうにかして依頼料を割増するから、お願いできんかねぇ……?」
「……はあ。わかったわ、良いでしょう。ただし、契約内容の変更についてはここの駐在ギルド員立ち会いのもと調整してもらうわよ」
「おお、ありがとう! いやぁ助かる! 恩に着る! これで更に儲けが増えるぞ!」
……とまぁ、馬車の持ち主だってただの長距離トラックの運転手ってわけじゃない。商品を乗せて運ぶ都合上、各地で仕入れたり吐き出したりすることもあれば、こんなトラブルも発生する。
どうやら明日の馬車の居住性は更に悪くなるみたいだな。
「……聞いてたかしら? 皆。明日は外歩きの人数を増やしたり……そういう調整が必要かもしれないわ。あとは馬車が重くなるせいで宿場に到着する予定も少しずれ込むかもしれないから、覚悟しておいて。私はこれから依頼の書き換えに行ってくるわ」
「うっス。了解っス。お疲れっス」
「ありゃー、馬車窮屈になるのはちょっとやだなぁー……」
「仕方あるまい。私達の報酬が増えるのであれば甘受する意味もあるだろう」
「……モングレルさん、明日も僕らは長めに外の警護についていようか」
「そうなりそうだなぁ。ま、俺は問題ないぜ。なんならちょっとした荷物くらいは背負ったまま外歩きしたって良い」
宿場町の飯場でそこそこな味の晩飯を食いつつ、明日の旅程についても話し合う。
宿場町、宿場町、デカい町。基本的に馬車での旅はその連続みたいなところがある。全自動で時間通りに動いてくれる乗り物に乗るわけじゃないから、旅程の詳しい部分について話し合う必要も出てくるのがこの世界における旅の大変なところでもあり……結構楽しい部分でもあるな。
「天候は安定しているな。逆に馬が日差しや外気でバテるか……私がある程度、馬の面倒を見るべきだろうな」
「ええ、お願い。馬用の飲水でもやれば喜んで走ってくれるはずよ。もちろん、あの御者からお金は取るけどね」
「私も時々降りて外歩くっス」
「相乗りしてるあのエルフの……カテレイネさんはずっと中にいさせたほうが良いよねー?」
「でしょうね。彼女は護衛任務を受けているわけではないから。実力がどうあれ、彼女の居心地を悪化させたくはないわね。その点、留意しましょうか」
なるほど、集団行動してると色々と気を回すことが多いんだな。
今までなんでも雑にやってきたから新鮮だわ。シーナも苦労人だわこりゃ。
それに新鮮なのは馬車だけではない。
普段の俺がやるような一人旅なら宿屋に泊まらず野営で済ませることも多いが、今日はパーティーを中心とした集団任務。夜はどうしても宿屋を利用することになる。
“アルテミス”には他にも男連中がいるので、俺はウルリカとレオと同じ部屋での宿泊だ。
これから旅をしていく間は、泊まる度にこのメンツで眠ることになるだろう。
「いやー、“アルテミス”も男メンバーが増えてきて嬉しいなぁー。寝る時に寂しくないもん!」
「本当に嬉しそうだね、ウルリカは……けど嬉しいからって夜更かしはいけないよ? 明日も出発は早いんだから、しっかり休息を取らないと」
ウルリカのこの修学旅行の夜みてーなテンションに対して、レオの大人っぷりよ。ギルドマンに関しちゃお前の方が先輩なんだから少しは見習え。
「えー良いじゃんちょっとくらい……蝋燭一本分くらいは何か話そうよー」
「はいはい、話は暗くして横になりながらでもできるだろ。ほれ、さっさと寝ろ」
「つまんないなぁーもー」
夜は闇だ。ランプなんて高価なものはない。なので大人しくぐっすり眠るのが一番である。
部屋の中、闇を見上げてじっと退屈に身を任せているだけで……段々と眠気が……。
「……ねえねえモングレルさん。カテレイネさんと昔何かあった? こう、なんか恋とかそういうやつ!」
……。
「お前……次寝なかったらロープでガチガチに縛って宿の外に吊るしてやるからな」
「……むぅー」
「……もう。大人しくさっさと寝ちゃいなよ、ウルリカ……」
やれやれ。さっさと港に……そうでなくても海沿いの漁村くらいは見たいもんだぜ……。
スヤァ……。