バスタード・ソードマン   作:ジェームズ・リッチマン

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アーケルシア城への書簡

 

 アーケルシア城。

 それは湾岸都市アーケルシアで最も巨大な建築物であり、アーケルシア侯爵の住まう城である。

 石材に乏しいハルペリアにおいては珍しいほど豊富に石レンガが用いられているのは、物流と海運に秀でたこの立地ならではの特色と言えるだろう。

 

 ハルペリアの水運の大半を担うアーケルシアは、国内でも有数の大貴族である。

 その当主との面会ともなれば、並大抵の人間では決して許されるものではない。

 

 しかし今日、昼食時を過ぎた今現在。レゴールにおいては一介のギルドマンでしかないシーナとナスターシャの二人が当主との面会を許されていた。

 

「レゴール伯爵。近頃ではその名を聞く度、どうしても口元が緩んでならん。ウィレム・ブラン・レゴール……あの小僧が当主となってからというもの、随分と芳しい匂いを振り撒き続けておるわ」

 

 応接室の革張りのソファーに腰かけているのは、どこか厭らしい笑みを浮かべた中年の男である。

 大柄な身体に相応以上の脂肪を蓄えた巨漢。上等な誂えの服は、窓の外から差し込む光を受けて眩く輝く無数の金銀細工によって彩られている。

 

「素晴らしいほどの、金の匂いだ」

 

 マルテン・モント・アーケルシア侯爵。

 銭にうるさい男として名を馳せている、やり手の大貴族である。

 

「そのレゴール伯爵がこの俺に密書を。しかも口の固そうな、やり手のギルドマンに託した。グフフ……なんとも、涎の止まらん話が書いてありそうじゃないか。なあ?」

 

 シーナとナスターシャはマルテンの言葉に特に答えず、慎ましく頭を下げるに留めた。

 この場は非公式な場であり適当な返しでも許されるが、貴族の言葉に安易な相槌をうつものではないと知っているからだ。

 

「今レゴール伯爵領は好景気に沸いているそうじゃないか、ええ? そんな中でこの俺に内緒話だと? 良いぞ良いぞ、儲け話の匂いだ! さあ話はなんだ? グフフフ」

 

 書簡の封蝋を削り、中に収められた羊皮紙の封を剥ぎ取り、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら文書に目を通す。

 すると、マルテンはすぐに真顔になった。

 

「……」

 

 機嫌を損ねるような文言があったわけではない。マルテンは今、頭の中で高速で計算しているようだった。

 

「面白い奴だな。ウィレム・ブラン・レゴール。俺は奴との面識なんぞ、数えるほどしかないのだが。だというのに、俺の、アーケルシアの動きを見透かしているかのようなこの密書は……グフフフ、レゴールの革命児と称されるだけのことはある」

「……簡潔な返答を持ち帰るようにと、レゴール伯爵より賜っております」

「ああ、そうすべきだな。急ぐ用でもないが、こいつの返答は早い方がいいだろう。グフフ……クレイサント家とテティアエフ家の放蕩娘どもよ、帰り道は重々気をつけることだぞ。この書簡は失っても、何者かに奪われても悲惨なことになるからな。ま、俺としてはどちらでも構わないのだが……」

 

 クレイサント。テティアエフ。

 その二つの家名を耳にして、シーナとナスターシャの表情がわずかに動いた。

 

「ん? 別に隠していたわけでもあるまい? リィラシーナ・ラ・クレイサント。そしてナスターシャ・ラ・テティアエフ。……目端の利く貴族であれば、ゴールドランクのギルドマンには常に気を配っているものだ」

「……御見逸れしました、アーケルシア侯爵」

「なに、今のお前たちはギルドマンなのだろう。堅苦しいことは言うまい。その方が俺も都合が良い」

 

 マルテンは机にまっさらな羊皮紙を出し、返書を認め始めた。

 サラサラと慣れた調子で文字を綴りながら、マルテンはニヤニヤと笑う。

 

「“アルテミス”の武勇はアーケルシアにも届いているぞ。女ばかりの華のあるパーティーは話題になるからな。もうギルドには顔を出したか?」

「ええ、護衛依頼の報告のために。少しだけですが」

「そうか。帰りもまた護衛を受けていくと良い。内陸に向けた仕事はいくらでもあるからな。ああ、別に急ぐ必要は無いぞ。そういう書物でもない。出立まではゆっくりとアーケルシアで弓を休めていけ。お前たちがいればそれだけでアーケルシアが華やぎ、金の巡りが良くなりそうだ」

「は、はあ……」

 

 マルテンは常に金のことを考えている。そして金への執着は度々言葉に乗って漏れてしまうらしい。

 しかし彼のどこか厭らしい態度は全て金に向けられたもので、目の前の美女二人とは少々ピントがずれている。

 シーナはこちらを見ているようで見ていないマルテンの虚ろな目に、少々気圧された。

 

「アーケルシア侯爵。書簡の内容についてお話を聞かせてもらうことは」

「こら、ナスターシャ」

「それはできんな。と言いたいところだが、少しばかり教えてやろう。俺はレゴール伯爵にこう返してやるのだ。アーケルシアはレゴールの企てに賛同する。邪魔はしない、とな」

「ほう、企て……」

「グフフフ……レゴール伯爵は釘の刺し方をよくわきまえている。槌の振り方も、振り時も良い。さすが、クリストルが姫を差し出しただけのことはある。良い商売相手として末永くやっていけそうだ」

 

 時折口元から垂れる涎を啜りながら、マルテンは不気味に笑う。

 

「おっと、秋の婚儀の際には良い品を用立ててやらねばな。……“アルテミス”は秋には戻るな?」

「はい、もちろんです。そう長居はしません。レゴールは我々の拠点ですから」

「そうかそうか。ならば祝いの品はまた後で送ることにしよう。……ああ、それと」

 

 丸めた羊皮紙に封蝋が垂らされ、刻印が捺される。

 

「わざわざアーケルシアまで来たのだ。今は慎ましいギルドマンに身をやつしているとはいえ、クレイサント家とテティアエフ家の娘に何のもてなしもしなかったのでは侯爵家の名が廃る。ケチな金持ちほど邪悪な生き物はいない。ささやかながら、俺から“アルテミス”に褒美を取らせよう」

「いえ、そんな、」

「なぁに……構わず受け取ってくれ。別に悪いもんじゃない……アーケルシアで優雅なひと時を過ごしてもらいたい、それだけだからな……グフフ……」

 

 親切心というよりは、明らかに邪な打算や企てがありそうな笑みを浮かべているものだから、シーナとしては素直に喜べないのであった。

 

 

 

「……はぁ、疲れたわね」

「ああ。貴族の相手は肩が凝る」

「ほとんど私だけに喋らせておいて……」

「私が代わりに喋ったほうが良かったのか?」

「……いいえ。やっぱりそれは良くないわ」

「フッ」

 

 アーケルシア城より出た二人は、港町に向かって歩いている。

 書簡の手渡しは今回の旅行での最後の仕事らしい仕事であったので、それが解消されたことでようやく気分が楽になった。特にシーナは晴れ晴れとした表情を浮かべている。

 

「しかし、私達の名前も広まったものね。アーケルシアまで知れ渡っているなんて」

「ゴールドランクとしての活動も長くなったからな。大都市の貴族であれば皆知っているのかもしれん」

「……そう」

「貴族社会が恋しくなったか」

「まさか」

 

 苦笑いを浮かべ、シーナは隣を歩くナスターシャの手を握る。

 するとナスターシャも手を握り返してくる。二人は人通りの少ない道である間は、そのままで歩くことにした。

 

「ナスターシャ。もしも。本当にもしもの話よ。私が貴族に戻りたいと言ったら、貴女は私と同じように戻ってくれるのかしら」

「シーナは戻りたいのか」

「もしもの話よ」

「私はお前のいる場所であれば、どこへでもついていくさ」

 

 ナスターシャの答えは即答に近いものだった。

 シーナは隣を歩く彼女の、少しも恥ずかしげもない表情を見て……やがてため息を付いた。

 

「しつこい女ね、貴女も」

「シーナが諦めてくれるのなら、いくらでもしつこくなろう」

「はいはい……別に、貴族には戻らないわ。ただ、今まで通りよ。今まで通り……私達の力は本物だったということを、世の中に証明し続けていくだけよ」

 

 市場に面する人の多い通りに出ると、シーナは手を振りほどいた。

 

「手伝ってくれるでしょ、ナスターシャ」

「もちろん。私はシーナの方針に従うさ。いつでも、どこでも」

「……ふふん」

 

 少しも変わることのない相棒の強い感情に、シーナは受け流すように微笑んで返した。

 真正面から受け止める気には、未だなれない。だがナスターシャは、長々と続くそんな現状維持を苦にしない女であった。

 


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