桟橋には既に俺たちが乗り込む船が停まっており、船長らしき爺さんはコーンパイプをふかせてのんびり待っていた。
「やあどうも、レゴールからお越しのパーティー“アルテミス”の皆さん。私はこの連絡船の船長を務めとります。皆様を安全に離れ小島、カクタス島へとご案内させていただきますよ。さあさ、乗り込んでください。向こうの宿で美味しいランチも用意しとりますからね」
連絡船はちょっとした帆もついていたが、左右には櫂も備わっている。本数からしてどうやら六人ほどの漕ぎ手がいるらしい。人件費やべーなと思ったが、六人というのは船の規模からしてかなり少ない方だという。
量を質でカバーしてるらしく、この船の漕ぎ手には腕の立つ借金奴隷を雇っているようだ。アーケルシアではよくあることなんだとか。
「漕ぎ手の連中は荒っぽいのでね、地下の船室には入らないようお願いします」
「船長、つれないこと言うなよぉ」
「挨拶くらいさせろよな」
「……全く、こいつらめ」
船長がやれやれといった具合に地下船倉の扉を開けると、男臭い空気がムワッと来た。やや薄暗いそこには、屈強そうな肉体を持つ、明らかにカタギではなさそうな雰囲気の男達の姿があった。
多分、身体強化も扱えるのだろう。これなら六人でも平気そうだ。
「すげぇ、綺麗な子ばっかりだ」
「気合い入るねぇ」
「船長! 女の子達と話しちゃダメなんですかい」
「ダメだって言ってんだろ。侯爵家の大切なお客様だぞ。さあ、持ち場につけ」
「なんでえ」
「ケチ臭いご主人様だぜ」
「仕事すっかー」
「俺の名前はクロンクル! お嬢さん方、今なら侯爵家から300万ジェリーで俺を買い取れるよ!」
「こらっ、自分を売り込むんじゃない!」
借金奴隷は犯罪奴隷とは違い、首の回らなくなった多重債務者がほとんどだ。
ギャンブルで借金を重ねたような悪質な奴の場合は犯罪奴隷になることもあるらしいが、相続だったり止むに止まれぬ事情だったりとかで奴隷になる者は借金奴隷として扱われる。
そういう借金奴隷のほとんどは国が管理し、仕事を割り振って労働に従事させる。犯罪奴隷と違うのは、まだそっちよりも人間性に信頼が置けるというところだろう。だからわりと扱いが緩い。ガチガチの拘束具なんかもつけないしな。
「いや、変なものを見せてしまって申し訳ない。けどあの連中の馬力だけは一級品だから、勘弁してやってください」
「なんかギルドの男達みたいな感じで逆に馴染み深かったっス」
「あ、それちょっとわかるー」
「……馴染み過ぎて深く関わるのは駄目よ。みんな扉は開けないようにしなさいね」
地下の船倉に続く扉から調子外れの愛の歌がぼんやりと響いてきた。
労働環境は多分、劣悪ってわけではないのだろう。実に和やかそうだ。
高級な連絡船の船員ってことだし、奴隷とはいえ案外給金は弾んでいるのかもしれない。
「さあ、出航だ! おーい野郎共、しっかり漕げよー!」
船長がデッキをドーンドーンと踏むと船の底から雄叫びが上がり、櫂が回り、船は力強く進みはじめたのだった。
「うぐ……」
出航し、グングンと海の上を走りはじめて15分ほど。
最初は離れていく岸や船の後ろに立つ小さな白波を楽しそうに眺めていた俺らだったが、早くも体調不良を訴える奴が現れた。
意外なことに、シーナである。
「おいおい。大丈夫かよ、シーナ」
「は、はぁ……だ、大丈夫よ、このくらい……」
「吐けば楽になるぞー。あと吐く時は後ろで吐けよ。船体にゲロがつくからな」
「さ、さいってい……っ……!」
「シーナ、私が肩を貸そう」
悪態をつきつつ、シーナはナスターシャに介助されながらフラフラと船の後方に向かって歩き出した。
コマセ撒いてこいコマセ。
「うーん……私は特になんともないっスねぇ」
「私もー。……あっ! すごいすごい、鳥が船に並んで飛んでるよ! あれ撃ったら簡単に獲れそうじゃない!?」
「でもこの海鳥はあまり美味しくないって聞いたよ?」
「なーんだ」
「マジっスか」
カモメっぽい鳥を見て真っ先に出てくる感想が可愛いとかじゃなくて撃ち落とす事なあたり、さすがは“アルテミス”って感じがする。
「オールは漕げなくても……こ、これはこれで、楽しいですね……!」
そしてゴリリアーナさんは船員の人に頼み込んで、自ら帆の調整作業を買って出ていた。
まるで神話に出てくる船に乗った英雄の姿を見ているかのような神々しさだぜ……。
「モングレル先輩、船釣りってこういう所からやるもんなんスかね」
「ん? まぁそうだな。動いてる船の上でルアーに動きをつけて……とか。まぁそんな感じだな。ただこういうのは当てずっぽうにやるもんでもないからなぁ」
船での釣りは正直、地元の漁師に船を出してもらって釣れるポイントまで連れて行ってもらうのが一番だ。個人で小舟やら何やらで向かって地道に竿を振っても成果は微妙だろう。魚探も無いんじゃ狙いようがない。
「ただ、ここらへんを飛んでる海鳥がいるだろ? こういう連中が集まっている海面なんかにはわりと魚がいるだろうな」
「あー、鳥も魚を狙うんスね」
「そういうことだ。昨日食ったブルーダガーみたいな小さい連中が沢山一箇所で泳いでいれば、それを狙って海鳥がやってくる。あるいは魚が大勢いるだけでも、海面がちょっと目立ってるかもしれないな」
「なるほど……海にも狩りみたいな痕跡があるってことなんスねぇ」
ま、それでも魚を狙うんだったら釣り竿よりも網が一番だろうけどな。
そこらへんは地上の魔物狩りとは大きく違う所だ。
離れ小島、カクタス島。その桟橋は白い砂浜の近くにぽつんと取り残されている岩場から延長するように建設されており、結構な長さがあった。浜辺近くは遠浅なせいで自然と長くなるらしい。
しかしこの小島は観光客向けの高級な島として整えられているおかげなのか、桟橋の出来の良さは、明らかにアーケルシアの港よりも上だった。
俺たちはグロッキーなシーナを介助しつつ、桟橋へと降り立った。
おお、なんかちょっと揺れてる感じがする。陸酔いってやつか。
「到着しました。こちらが“アルテミス”の皆様にお過ごしいただくカクタス島です。ここは良いですよぉ、浜辺は波も穏やかだし白い砂も美しい。海は奥の方まで行かない限りには浅い場所が続いているので、魔物が好んで寄ってくることもありません。……まぁ、全く無いということはないのですが……来ればすぐにわかるので、見つけたらすぐ陸に逃げてください」
すげー安全な海水浴場だよ! って言いたいのかもしれないけど、言ってることが多分俺のいた日本の海水浴場のサメがいる時期よりも危険そうなんだよなぁ。
けどそんなこと言ってたら海水浴なんざできない世界だろうし、仕方ないか。
「はぁ、はぁ……うっ……陸、ようやく陸についたのね……帰りも乗るのね、あの船に……」
「ははは。まぁ、すぐに慣れるものではありませんが、泳いで帰るわけにも参りませんでな。迎えに来る数日後はどうかお覚悟を」
「ぐぅぅ……ええ、わかっているわ、大丈夫よ。耐えてみせる……」
「大丈夫っスか? シーナ先輩……」
「ええ平気よ。楽になってきた……」
すげーな。シーナがここまでキツそうにしてる所初めて見るわ。馬車で酔わないのに船では酔うんだな。
「おーいお前たち、出てきて良いぞ。船倉の積み荷を運び出せー」
「ういーっす」
「いつものとこで良いかい、船長ー」
「うむ。乱暴に置かないように頼んだぞ」
「うぃー」
連絡船にはカクタス島で使うらしい多くの物資が積まれており、俺たちを運ぶついでにこういった物も運び込まれているらしい。まぁそりゃそうか。大きそうな島では全くないし、定期的に本土からの補給が必要にもなるだろう。
屈強な男たちは大きな木箱を抱えながら船から出てきて、“アルテミス”とすれ違いざまにウインクしたり軽いナンパをしてきたが、こういうことにも慣れているのだろう。しつこいような真似はせず、比較的粛々と目的の場所に向かって歩いて行く。
彼らの目指す場所こそ、俺たちの宿泊する予定の場所なのだろう。船に乗って来る時からやたら目立っていた。
「えー、あちらのちょっと高い岸壁の上に建っている建物。甲板から見えていたのでお気付きでしたでしょうが、あれがこのカクタス島唯一にして最高の宿、“孤島のオアシス亭”です。中には腕の良い料理人、警備役兼メイドたちが皆様をお待ちしておりますよ。部屋は複数ありますが、全部屋皆様の貸し切りなのでご自由に過ごされてください。お食事も用意させていただきますが、必要になる時間をあらかじめお伝えくださいね。手の込んだものばかりなので、急に言われても用意したくともできないのです。ははは」
それは宿というより、ちょっとした貴族のお屋敷というか別荘のようだった。
基礎部分は石積みで頑丈に作られ、白く塗られた壁と尖塔のような屋根はまるでお城のようだ。
海岸沿いに建てられているし、部屋の窓からはキリタティス海が一望できるのだろう。
「うむ。なかなか美しい宿だな」
「ねー! 王都でもこんなに良い所に泊まらなかったのに!」
「お城みたいっス!」
「……本当にこんな高そうな宿に泊まって良いのかな。僕たちまで……」
「それを言ったら俺なんか“アルテミス”ですらねえのにな」
「ははは、構いませんよ。今回は侯爵家が“アルテミス”御一行様を招待しているわけですから。……しかし、ただひとつだけご注意していただきたい点がありましてねぇ……」
船長はそれまでの得意げな語りを潜め、どこか申し訳無さそうな表情を作ってみせた。
「……何かしら。何か訳ありなの?」
「ええ。実はこのカクタス島……内海に面しているこちら側は安全なのですが、どうも近頃、キリタティスの外海に面している島の裏側に強力な魔物が住み着いてしまったようでして……いえ、その魔物はほとんど表のこちら側にくることはないのですがね?」
おいおい、訳アリどころか問題大アリじゃねえの。
「カクタス島の中央にそびえている岩山……この裏側に、大きなムーンカイトオウルが棲み着いているのですよ。こいつがまた、とんでもなく厄介でしてねぇ……我々地上や船上での警護はできても、空を飛ぶ連中の対処は少々苦手なこともあり……恥ずかしながら、未だそいつを始末できずにいるのです」
ムーンカイトオウル。そいつは知ってるぞ。巨大なフクロウ型の魔物だ。
翼をバッと広げた姿が満月のように丸くなる上、その状態でふわふわと凧のように滞空できることからその名がついている。
気配察知能力がやたらと高く、大柄なわりに自由自在に空を飛び回ることから非常に討伐難度の高い魔物として恐れられている。
魔物の中でも気性はさほど激しくないが、無防備で無力な人間がいれば襲いかかってくることもあるかもしれない。
正直、俺もバスタードソードで相手をするのは面倒くさい相手だ。剣士との相性が悪すぎる。
「カクタス島の裏側は未だ開拓中。まだこれといって目ぼしい場所もないんですがねぇ、ムーンカイトオウルが居座っている間は工事に着手できないもんですから、困っておりまして。……もし“アルテミス”の皆さんが奴を討伐してくださるのであれば、実にありがたいことです。ああもちろん、ムーンカイトオウルを討ち取った暁には報酬をご用意しますよ!」
「……なるほどね。そういうことね。依頼ということかしら?」
「いえいえ、そんな。ははは。まだギルドに通していない、依頼でもなんでもない“お願い”ですよ、こんなのは。……しかしこの島の滞在中にやっていただけるのでしたら、報酬はきっと、相場よりもずっと弾むかと」
はいはい、なるほどね。ギルドを通さないから中抜きもされない。その分報酬は上乗せしますよってことか。
ケチだねぇ貴族も。豪勢な高級宿に泊めてくれると思ったらそんな話かよ。
そしてこの老人船長、もしかしなくてもただの船長じゃねえな? アーケルシア侯爵家にかなり近い人間だろ。
「……海で水遊びをするだけじゃ退屈するかもと思っていたところよ。良いじゃない。侯爵様の思惑に乗ってあげましょうか」
「ムーンカイトオウル……矢避けで有名な魔物っスね! 燃えてきたっス!」
「良いじゃん良いじゃん、面白そう! まさかこんなところで撃ったことのない獲物を狙えるなんてねー!」
弓使い連中はテンション上がってるなぁ。
……まぁ、そのフクロウを仕留めて金になるってんなら、俺ら剣士組もやる気は出るけどな。
「二日間はこのカクタス島にご自由に過ごされて結構。それとは別にムーンカイトオウルの討伐を考えてくださるのであれば、更に追加で二日間分は泊まって頂いて構いませんよ。ただし獲れなかった場合や追加日数を過ぎた場合などは、規定の宿泊費をお支払いいただくことになりますが」
「四日以内にオウルを狩れば宿泊は無料と。……ふ、無駄な約束事よね。私達ならもっと早く仕留めてみせるわよ。ねえ?」
シーナは不敵に笑い、背中の矢筒を指でコンコンと弾いた。
さっきまで海にゲロぶちまけていた女とは思えないぜ……。
「この狭い島で一匹の目立つ魔物を狩る……このくらいのこと、二日以内にできなきゃ恥ずかしいっスよね」
「ほんとだよ。そんな任務はすぐに終わらせて、私たちは海を楽しませてもらうんだから。ね? レオ」
「うん。ムーンカイトオウルと戦ったことはないけど……聞いた情報通りなら、僕でも力にはなれるはずだよ」
「わ、私も。オウルから皆さんを守ってみせます……!」
「俺もだぜ。この島に来たからにはちゃんと腹に溜まるようなサイズのうめぇ魚を釣り上げてやるよ」
「……あれっ!? モングレル先輩も一緒に狩りしないんスか!」
「いやするけどさ。俺の出番なんか無さそうじゃん。お前らだけで出来るだろ」
俺のバスタードソードの範囲内に寄って来てくれるなら話は早いけどさ。そんなことになる前に“アルテミス”だったら決着してるだろ?
そんな風に肩を竦めると、シーナは鼻で笑った。
「……そういうことよ。任せておきなさい。私達が必ず、近いうちにムーンカイトオウルを討伐してあげるわ」
「おお、それは心強い! いやぁ“アルテミス”の方々が居てくださって何より……」
「ねえ、それよりも……」
「ああはい、なんでしょう?」
「……少し早めの昼食と、それと飲み物。いただけないかしら。……今のままだと、私は何の仕事もできないわ……」
そういやシーナは空きっ腹だったな。そりゃ辛いわ。
「おっと、これは申し訳ない。すぐに用意させましょう。それと、いい加減宿の案内をしなければ。さあさみなさん、こちらへどうぞ! 遊ぶにせよ狩りに出るにせよ、一度休まれてからが良いでしょう!」
ここに来るまでの間は海水浴と釣りしか頭になかったが、どうやら俺たちのバカンスはもうちょい刺激的なものになりそうだった。