バロアの森各所にある作業小屋は、数日泊まり込む分には快適な施設だ。
雨風が凌げるし、魔除けの素材をふんだんに使っているので魔物の襲撃をほぼ全てカットできる。すし詰めになればそこそこの人数が横になれるので緊急避難場所としても優秀だ。
唯一にして最大の欠点は、たまに盗賊とか後ろ暗いことしてる人間が居着いてることがあるということだろう。致命的すぎる。致命的すぎるが高級な鍵があってもそういう輩がどうにかなるとは思えないしな……むしろ鍵や錠を盗まれそうな気もするし……。
「とりあえず燻しながらやるか……」
作業小屋に不届き者がいないことを確認したら、後は小屋の保守作業をやる。
目地を補修したり、掃除したり……公共物だから、次の人のためにメンテナンスをやっていくわけだ。そこらへんも一応、ギルドマンの初期講習でちょっとだけ教わることになる。なるんだけども、これをしっかりやってる奴を俺はほとんど見たことがない。多分バルガーとかは全然やってないと思う。人の良心に委ねたらまぁそんなもんだろうなって感じではあるがね……それでもきったねぇ使い方されて廃屋になってないだけマシではあるんだろうけども。
小屋の中央に囲炉裏にも似た小さなかまどのようなものがあり、小規模な炭火くらいならここで熾すことができる。調理用というよりは、作業用だったり最低限の暖房用のものだろう。ボーボーに燃やすような立派なもんではない。
特に夏場は暖を取る意味も薄いので、このかまどは主にお香を焚くための火床として利用される。ここで魔除けのお香をいくつか焚いて、作業小屋をその煙で燻しておくのだ。この作業を長期間サボると森の中の小屋はゴブリンに住み着かれたり、魔物に襲撃されてぶっ壊されたりする。これだけはサボるとその日の夜にも危険が訪れるかもしれないので、サボり魔でもやっておくべき最低限の保守作業だ。
「えほっ」
煙が目に染みるぜ……。
まぁこれでよし。ひとまず小屋の保守作業はこんなもんで良いだろう。
後は適当に薪でも集めてスープの支度でもしておこうか。とりあえずスープ作っときゃなんとかなるんだよ野営飯ってのは。
「うーん、老魔女の杖か……」
枯れ木を探して小屋周辺を歩いていると、陰った場所にひょっこりと生えた野草を発見した。
先端がくるくると吹き戻しのように巻かれている、棒状の植物。見た目はほぼワラビのようなやつだ。
これは老魔女の杖と呼ばれている植物で、見た目がまんま魔女が持ってそうな杖だからとこんな名前がつけられている。
食える野草ではあるんだが、ワラビと同じく採取したら何日か灰汁抜きする必要があるので、こういう野営の時にはあまりお世話になる植物ではない。あとアク抜きして死ぬほど茹でても固くて美味しくないんだよな。サイズはデカいけど食えるようにするまでが面倒だし美味しくないので残念な奴である。
「果実系……果実系はちょっとな……葉物でなんか無いか……」
夏場はちょくちょく食用にできる果実が実ったりする。
しかしバロアの森はその名の通りバロアの木が多いので、果樹を探すのも一苦労だ。あったとしても既に何かしらの野生生物に食われているので滅多にお目にかかれるものではない。狙って探すものではないだろう。
なので夏場はよく見かける葉物の野草が狙い目になるんだが……うーむ、なかなか見つからない。
「ん、こいつは……タンポポか。ありがてぇ」
薪材になる枯れ木をバスタードソードで適度にぶっ壊しながら探していると、野良で咲いているタンポポを発見した。
主にサングレールで広く咲き誇っているいわばサングレールタンポポとでも呼ぶべきこの品種だが、あらゆる荒れ地でもたくましく根を張って成長する性質から、ここハルペリアにおいてもたまに見つかる野草だ。ケンさんが淹れてくれるタンポポコーヒーもこのサングレールタンポポを使っている。
葉っぱや根っこが食用になるので、俺が開拓村に居た頃はこのタンポポがよく食卓に並んでいた。
開拓村はとにかく頑張って飯を用意して、頑張って土地を開拓してっていう毎日なもんだから、毎日が野草狩りみたいなもんだった。おかげで俺も幼少期から師事してるわけでもないのにこの世界の動植物に詳しくなれたから今となってはありがたいんだが、野草ばかりの食卓ってのは結構キツかったなぁ……。
サングレールタンポポも食える事は食えるが、すげー美味しいってわけでもない。マジで“食える”っていうだけで、食感は固くてあんまり良いものではないし、レタス感覚で食えるかっていうと全然そんなことはない。よーく噛んだ後に飲み込めない繊維質をベッとガムみたいに吐くようなものだってある。
こいつは俺にやわらかい葉っぱを選ぶことの大切さを教えてくれた……。
「……ちょっとくらい採っておくか。彩りのないスープよりはマシだろ」
咲き誇るサングレールタンポポの柔らかそうな葉をぶちぶちともぎ取って、慎ましい地上部からは想像できないほど深く張ったゴボウのような根っこもいくつか採集する。見た目通りゴボウ感覚で調理できるから、きんぴらタンポポとして副菜にするのもありかもしれん……。
――ビョ~~~
タンポポの根を千切らないよう慎重に引き抜こうとしていたその時、遠くから間抜けな音が聞こえてきた。
ライナに渡してやった、手製の笛の気の抜けるような音。
今しがた見つめていたサングレールタンポポの鮮やかな色合いもあってか、俺の心は即座に臨戦態勢に入った。
「ライナ」
音を聞いた瞬間、俺は即座にバスタードソードを引き抜いて、音のした方向へと走り出す。
走りながら全身に魔力を込め、邪魔する枝葉を剣で払い捨てながら最速で急行する。
音はそう遠くない。
何が出た。魔物か、人か。
「あ、先輩!?」
「ライナ、無事……だなぁ、比較的……」
「っス。……すごい勢いで来たから逆にこっちがびっくりしたっス」
どんな緊急事態かと思ってライナのいる場所へと躍り出てみたら、ゴブリンがいた。二体が健在で、一体は矢で喉を撃ち抜かれて死んでいる。
連中は弓を構えるライナと距離を空けて向き合っており、警戒するように細めの棍棒を握って、木陰から威嚇しているところだった。
「ゴブリンが三体いたっス。さっき獲ったマルッコ鳩の羽根を毟ってたら、こっち来て奪おうとしてきたんスよ。一体仕留めたら、ちょっと距離空けて様子見し始めたっス」
「おうおう、ゴブリンか……ああ、驚いたぜ。何があったのかと思った」
「……こういう時は、吹いちゃ駄目だったスか」
「いいや、ゴブリンとはいえ複数体と遭遇したら十分ピンチだ。よく呼んでくれた、ライナ」
残る二体のゴブリンも、ライナがその気になれば仕留めることは可能だろう。
だが破れかぶれになったゴブリンたちが同時に駆け寄ってくれば結果はわからない。ライナに限ってやられることはないだろうが、ちょっとしたリスクではある。
……短時間とはいえ単独行動はするもんじゃねえなあ、やっぱり。
「俺があいつらを近づけさせない。ライナはそのまま射撃で仕留めちまえ」
「っス」
弓使いは近接役の壁さえあれば攻撃に集中できる。俺はただ剣を構えて防御に徹するだけだが、それだけでも十分役に立てるはずだ。
「ギッ」
「ギャッギャッ!」
生き残った二匹のゴブリンたちは何故か木陰から顔を出して威嚇しているが……連中の行動については深く考えるだけ無駄だ。
「“
結果として、ゴブリン達はライナの射撃によって難なく仕留めることができた。
今回は俺の護衛は必要無かったが、仮に同じようなシチュエーションを百回も繰り返せば不慮の事故は十分に起こり得るだろう。
魔物が出てきたら雑魚でも仲間を呼んでおく。その習慣は是非とも続けておいて欲しいもんだ。
俺はソロだから説得力ないけど。
「マルッコ鳩を一匹だけ仕留められたっス」
「よくやったライナ。おーおー、ぷっくり太りやがってこいつめ」
「のんびり屋な鳥だから簡単っス。狩り甲斐はあんまないっスけどね」
「俺としちゃ食えりゃ十分だぜ。なんなら自分から皿の上に横たわってくれたらありがてえよ」
「そんな不気味な生き物いないっスよ」
「わかんねえぞ、心清らかな人の前には動物が自分からそうしてくれるかもしれん」
「むしろ生贄みたいで邪悪そうじゃないっスか……?」
ライナはマルッコ鳩を一羽仕留めてくれた。ありがてぇ。やっぱり肉がひとつあるだけで食卓の彩りが違うよな……。
肉はいくつかは串打ちして焼いて食うが、今日はスープの具材としても入れておこう。
森の中で見つけたムカゴみたいな小さい種芋も使って、ちょっとしたポトフを作るつもりだ。
「砂肝は串焼きにしてみるか」
「わぁい」
砂肝とは、鳥類の胃にある器官だ。
鳥類には歯がないので、食べたエサはこの器官ですり潰される。
効率よく磨り潰すため、鳥類は砂や小石を食べてこの砂肝に貯めておくわけだな。
「ライナ、こっち捌くの次はお前だ」
「ういーっス」
「俺は串打ちやっとくから」
「結構力いるんスよねそれ。助かるっス」
砂肝をナイフで割ると、鳥類の胃の内容物がよくわかる。
見た目はプディングを割った時のような感じだ。砂粒や小石に混じって、木の実なんかがたんまり詰まっているので食性がまるわかりになっている。
マルッコ鳩は大体の生き物が口にしないバロアの実を食べる悪食の鳥なので、だいたい砂肝にはバロアの種が詰まっている。
けどたまに山桃や木苺みたいな美味そうな物の残骸が見つかると、理不尽な話だがちょっとイラっとするんだよな。そういう美味そうなものは人様に譲れよ……?
「小屋の周りを回ってみたんだろ、ライナ。何か気づいたことはあったか?」
「んー、微妙っスね。ゴブリンの痕跡がいくつかと、古いチャージディアの足跡、マレットラビットの痕跡くらいっスね」
「そうか……明日の調査で何か掴めりゃ良いんだが、明日何もなければ望み薄そうだな」
「そうっスねぇ。もしくは更に奥まで足を伸ばすかしないと……」
「ゴブリンの胃の中身も変わったもんはなかったしなぁ……」
調理をしつつ、今日の調査内容を互いに交換する。
といっても俺の方は大したことは言えない。ライナの方が狩人らしく、細かい情報まで拾ってきてくれるからだ。
いやぁ、調査任務って難しいな。何年やってもこういう、斥候じみた能力が育まれている感じがしねえわ……。
「ほい、マルッコ鳩のポトフと串焼きだ」
「おおーっ、いい香りっスね!」
料理が完成する頃には、外はすっかりと暗くなっていた。
野外に置いてある石組みのかまどで調理をしていたが、そろそろ鍋と串も小屋に持ち込んで中で食うべきだろう。
「うん、うん……やっぱりこの、鳥の骨で作るスープって美味しいっスよね」
「だろ。獲ってきてくれて助かったぜ。危うく干し肉を突っ込んだ質素なスープになるところだった」
「まあ、はい……モングレル先輩も色々野菜とか採ってきてくれたじゃないスか」
砂肝が美味い。若干バロアの青臭い感じがしないでもないが……まぁまぁ美味い。
酒が欲しくなるぜ……今日が任務中じゃなかったらグビグビ飲んでいたんだが……。
「……笛を吹いたらすぐにモングレル先輩が来てくれたから、驚いたスけど……嬉しかったっス」
「ああ……そりゃ、何かあったときのためにって渡した笛だからな。そりゃ音が聞こえれば駆けつけるさ」
人様のパーティーの期待の新人を預かってるんだ。万が一にも前衛が居ないなんて理由で怪我をさせるわけにはいかん。
シルバーに上がったとはいえ、ライナは身体強化が使えるわけではないんだ。弓スキルを使って戦うことができるとしても、不意打ちを喰らえばそこは非力な少女と変わらない。
「……んふ。便利な笛をもらっちゃったっス」
「だろ、結構そいつの空洞部分を作るの苦労したからな。……まぁ、仕上がってみたら音が間抜けでびっくりしたけども。多分中に入ってる金属が悪いせいもあると思うんだが……ちょっと手直ししてやろうか? そうすりゃもっといい音になって、より遠くまで音が聞こえるようになるかもしれないぞ」
鯱の牙を削って作った手製の笛だったが、とにかく硬いのなんの。作ってる途中で面倒くさくなって簡略化したのが悪かったのか、音がブサイクになったのが唯一の心残りだ。
多分直そうと思えば直せるから、数日貸してもらえれば手直しぐらいはやるんだが……。
「ん、大丈夫っス。音がちょっと変でも、小さくても。……モングレル先輩と、そんなに離れなければ良いだけっスから」
「そうか」
「そうっス」
暗い部屋の中、微かな火の灯りに照らされたライナの表情はとても穏やかで、優しげだった。
「……ライナ、お前みたいな良い子のもとにこそ、動物が自分から身体を捧げにくるのかもしれないな……」
「え……それはなんか怖いから嫌っス……」
こうして調査任務の一日目は特に何事もなく過ぎていったのだった。