「帰りてえよ……」
扉の向こう側から聞こえてきたモングレルさんの呟きに、私は固まってしまった。
私はただ、体を拭く布を置きにきただけなのに……彼の想いを、聞き取ってしまったのだ。
「……」
すぐに脱衣所から出て、扉を閉める。
罪悪感が湧き上がってくる。
……モングレルさん、前に狩人酒場で話してくれた時は過去の出来事を気にしてないって、言ってたのに……。
あれは強がってたんだ。弱ってる姿を私に見せたくなくて、嘘をついて……本当は故郷に帰りたいって思ってるんだ。
それは、そうだよね。誰だってそうだよ。でもモングレルさんの故郷は、もう……。
「はぁ……私、またあの人の事情に踏み込んじゃったな」
盗み聞きするつもりなんてなかったのに、知ってしまった。……誰かに言いふらしたりなんてもちろんしないけど、でも私自身は……見て見ぬフリなんてできないよ。
「私がモングレルさんのこと、元気付けてあげないと……」
モングレルさんにとっては私なんてまだまだ他人だろうけど……この街にも親しくできる相手がいるんだって、彼に思ってもらえるようになりたいな。
もっと仲良くなって、色々話したり遊んだりしよう。
少しでもモングレルさんの寂しさを取り除けるように……。
「遅かったわねウルリカ。……モングレルに変なことされたりしてない? 大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。ていうか変なことって……もう、団長ったら」
暖炉の前に戻ると、シーナさんはランプの前でアルテミスの帳簿と睨めっこしていた。真面目だなぁ。
既にみんなローテーブルについて談笑している。
フリーダさんが作ってくれた晩御飯、私も食べなくちゃ。
「ブリジットさん、どうなるんスかね」
「ん、ライナはやっぱり気になるんだ?」
「そりゃ、なるっス。あの人、王都での仕事大丈夫なんスかねぇ……」
「女性騎士としては花形の仕事よ。それを早々に蹴るようなら、同情する余地は無いと思うけどね」
「まーそうなんスけど。……実際に会って少し話してみると、貴族なのになんか、普通に良い人だったじゃないスか。だから私、ちょっと今回の任務は気が重かったっスよ……」
「わかる。私も途中何度も声かけちゃいそうになったもん。……たまに依頼で来る貴族とは雲泥の差だよねぇー」
実のところ、ブリジットさんのようにギルドマンを志す貴族は他にいないこともない。
ただほとんどの場合、ブリジットさんとは比べ物にならないほど横柄で、問題のある人が多いのだ。
「あれだけ実直な性格なら、王都でも充分やっていけるわよ」
「ほんとっスか、シーナ先輩」
「私がライナに嘘をついたことある?」
「……えー、なんかたまにある気がするんスけど」
「あははは」
しばらくそんな話をしていると、脱衣所の方の扉が開く音がした。
モングレルさんが出てきたんだ。
「あがったみたいね」
「なんか、うちらのクランハウスに他の男の人がいるのって不思議な感じスね」
「わかるわぁ。私の旦那を上げることだってほとんどないのにねぇ」
「……でもシーナ団長は、これから……男の人も、入れていくつもりなんですよね」
「ええ、まあ。少しずつね」
私以外の男の人か。……結構心配になるけど、これからもアルテミスが活躍していくためにはそういう改革も避けては通れないよね。
男の人、話す分には良いけど同じ屋根の下っていうのは……うーん、怖いなぁ。みんなもそう思ってるだろうけど。
でもそういう時、モングレルさんほど優しくて面白い人だったら全然いいかな……なーんて。
「よーっす。湯加減良かったぜ。ありがとうな」
廊下からモングレルさんが顔を出した。
普段から汚い印象なんて無い人だったけど、お風呂に入ってさらに清潔そうな姿になった……ように思う。たぶん。
「楽しんでもらえたならば何よりだ。約束は後一回だが、いつ入るかは……まだ決めなくても良いか」
「ああ、ここぞという時のために取っておいてくれ。そっちの都合の悪い日は避けるようにはするからな」
「律儀だな。ああ、わかった」
「モングレル先輩、良かったらご飯どうっスか。フリーダさんの作ってくれたパンがあるんスけど」
「いや、そこまで貰っちゃうのは悪いよ。そんなに腹減ってないしな」
「そっスか……」
ライナがご飯のお誘いをしたけど、すげなく断られてしまった。
うーん。やっぱりまだ壁を感じる。警戒……してるんだろうな、私達のこと。ナスターシャさんの勧誘の時もそうだったし。
「じゃあまたな」
「ええ、次もまた何かあれば誘わせてちょうだい」
「面倒な任務以外で頼むぞ。お前たちの受ける仕事は心臓に悪い」
そう言ってクランハウスを出て行ってしまった。
「……心臓に悪いって何よ」
「あはは。モングレルさんは本当に貴族が苦手なんだね」
「怯えすぎだと思うがね」
「そういう人スから」
貴族が苦手、かぁ。……過去に色々あったせいで、大変なんだろうな。
ハルペリア軍に徴発されて、サングレール人に村を滅ぼされて……苦手にもなるよ、そんなの。
でも、だとしたらシーナさんやナスターシャさんのことも苦手なのかな。……二人の事を知ったら、アルテミスとも距離を取っちゃうのかな。
そうなったら嫌だな。私だってちょっと寂しいし、何よりライナが可哀想だ。
どうにかもう少し、親密な関係を築けたら良いんだけど。
「そういえばシーナ先輩、冬の昇格試験で新人の人を拾うかもって言ってたやつ、あれどうするんスか」
「ああ、昇格試験ね。一応見るだけ見るわよ。今年はアイアンクラスが多かったから、把握できてない子もいるだろうしね」
あ、そうだ。昇格試験か、それもあったね。
ここしばらくはライナの訓練とかで忙しかったけど、もうそろそろライナにも後輩と呼べる相手がいてもいいかもしれない。
アルテミスは近接役が少ないから、できればその方面の新人を雇えたら良いんだけど。こればかりは実際に見てみないとわからないんだよね。
「ライナは後輩ができるの楽しみなんだー?」
「いやー、私なんてまだまだっス……弓のスキルだって一つしかないし。ウルリカ先輩みたいな強いスキルを身につけたいっス」
「ふふ。ウルリカのは難しいかもしれないけど、
「っス」
「ライナよりスキル持ってる子が来たりしてねー?」
「いやー……それは厳しいっスね、面目無いっス……」
「あはは」
冬。肌寒く、やり過ごすばかりの季節だけど。
新しい出会いがあるかもって思うと、結構楽しみだよね。