バスタード・ソードマン   作:ジェームズ・リッチマン

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幻のフランスパン

 

「どっせい」

 

 雪を角型スコップでガッと掬い上げ、邪魔にならない路肩に投げ落とす。

 今はちょっとした雪かき中だ。

 

 ここレゴールでは日本の雪国ほど積もるわけではないし、正直そこまで神経質にならずとも良いのだが、俺の暮らす宿屋の周囲くらいはやっておきたい。

 宿屋に男手が足りてないから大変そうだしな。まあ単純に好感度を稼いでると言っても良いんだが。

 

「ああ、いつも悪いねえモングレルさん。そんなもんで大丈夫だよぉ」

「いやいや気にしないでくださいよ。俺はギルドマンだし、力は有り余ってますから。じゃあひとまず、こんくらいにしときましょうかね。また降ったらキリがない」

 

 俺の宿泊する宿屋を切り盛りしている女将さんは、6年前に病気で旦那さんを亡くして以来、ほとんど全ての仕事を一人でこなしている。

 子供は15歳くらいの娘さんと、10歳くらいの次女、そしてこの前カニを茹でられてギャン泣きしてた6歳の息子がいる。長女の方はなかなか真面目に母の手伝いをやっているが、ほとんどの時間を妹や弟の世話に取られている感じだ。

 

 旦那さんが亡くなってからは、仕事の幅も狭くなったらしい。

 オールマイティーに働いていた旦那さんがいなくなって、料理のレシピの幾つかが失伝し、力仕事も難しくなったので宿本来のサービスも落ちてしまった。

 そのせいで評判もちょっと落ちていたのだが、その閑散とした雰囲気が当時レゴールで宿を探していた俺にとっては都合が良かった。

 一室を6年借り続けて今に至る。……この宿に来る前にも宿暮らしをしてたんだが、それまでは長期間借りられなくて大変だったんだよな。

 

 長期間宿で暮らしたい俺と、サービスはあまりできないけどとにかく客が欲しい女将さん。双方の利害が一致して今の関係に至っている。

 

 ……つーか俺もレゴールに来て結構経つな。

 この「スコルの宿」で6年だろ、その前にレゴールの宿を二、三転々としてたのが2年くらい……レゴールに来てもう8年かよ。はえーなオイ。

 半分くらい忘れかけてたけど21歳の時にここを拠点に決めたわけだ。……俺も29歳か。やべーな、そろそろ胃袋が脂物を受け付けなくなってくるかもしれん。赤身肉と魚料理が好きになる化け物に変身しちまうよ……。

 

「モングレルさんも早いとこ良い女を見つけなさいよぉ。あなた歳の割に若々しいんだから」

「ははは……」

 

 おばさんはどんな世界でも未婚に厳しい。

 

「うちのジュリアなんかどう? ちょっとうるさいとこあるけど……」

「おかーさん! そういう勝手な話やめてくれる!?」

 

 おばさんパワーを際限なく上昇させようとしてたところ、宿の中から長女のジュリアの声が響き渡った。

 そう。こういう話はほとんどの場合当人たちにとってはありがた迷惑なのだ。

 

 ちなみにこのジュリアの反応、ツンデレでもなんでもない。

 彼女は近頃同じくらいの歳の男の子と仲良くしているので、普通に迷惑だから怒鳴っただけである。

 おじさんは決して勘違いしてはいけない。特に若い子相手には。

 

「じゃあ俺は部屋に戻るんで……」

「ああそうだ、モングレルさんあれ持っていって! どこだったかしら……ええとね」

 

 女将さんはドタドタと宿の厨房に入っていった。

 長女とギャーギャーなにか言ってる声がする。仲が悪いわけではないんだが、騒がしい。まぁいつものことだ。

 しばらくすると、女将さんが一つの陶器の壺を持ってきてくれた。

 

「はい、前に言ってたでしょ? 白い小麦粉! この前親戚から特別にってもらっちゃったのよー。でもうちそんなパン作ったりなんてしないから持て余しちゃってー」

「え、まじっすか」

 

 白い小麦だと。それはシンプルに滅茶苦茶嬉しいぞ。

 なんかどうでもいい野菜の塩漬けだったら心を無にしてお礼を言ってたところだったぜ。

 

「少しだけど使ってちょうだい! モングレルさんまた変な発明? とかやってるんでしょ! そういうのに使っていいからね!」

「ははは……あ、ありがとうございます」

「前みたいな固いやつじゃなくて、もうちょっと美味しいのお願いね!」

 

 女将さんは俺の背中をバンバン叩き、宿の奥へと戻っていった。

 

 ……よし。まあいいや。

 何はともあれ、真っ白な小麦粉ゲットだぜ。

 

 

 

「さて。ついにこの時が来てしまったか」

 

 宿の自室にて材料を並べ、腕を組む。

 

 パン。それはこの国でもメジャーな食品だ。

 しかしこの国のパンというのは真っ白な小麦は使わないし、どことなく変な臭いがするし、固いし、喉が渇くし……と現代人からすると色々と合わない部分の多いパンなのだ。

 まあ正直、個人的には良いんだ。味が合わなくても栄養価は良いしな。真っ白なやつよりも体に良い成分も多い。健康食と思いながら食えば、普通に……。

 

 というやせ我慢を見て見ぬふりし続けるのが辛いので、今日は俺がパンを作ることにしました。

 

 今日作るものはフランスパン。

 小麦粉、水、塩、イースト菌で作れる超お手軽(お手軽とは言ってない)パンだ。

 何が良いって、卵や砂糖を使わないのがとにかく良い。この世界でのお高い素材がなくても作れるのは結構なプラスポイントだ。

 

 暖炉の側で加熱する都合上、フランスパンらしい細長さを持つバゲットは難しい。なので今回は長さ40~50cmのバタールでいってみようと思う。

 

 材料こそシンプルな今回のフランスパンではあるが、その製造過程は結構待ちが多い。

 粉をよく水に馴染ませたりだとか、発酵させたりの手間が長いのだ。しかしそうした手間をかけた分、仕上がるフランスパンはかなり美味しくなってくれる。まぁほとんど趣味のパンだな。個人でやるもんじゃない。

 

 今の時期、発酵は暖炉のある室内で。生地を保管するときも雪で冷蔵できるので色々と融通がきくのがありがたい。料理でチャレンジ精神を発揮するならベストな時期と言えるだろう。

 だがパン作りには色々と難点もあり、異世界では立ちはだかる壁が幾つかある。

 

 それが密封。パンを発酵させる時に生地をボウルに入れてラップをかけるのだが、当然ながらこの世界にラップはない。皮を被せて板を乗せて重石追加してってやっても良いのだが、今回はもっとスマートなやり方がある。

 

「ふふふ……この蜜蝋ラップがあれば完璧よ……」

 

 蜜蝋ラップ。それは簡単に言えば、布切れに蜂の巣から採れる蜜蝋を染み込ませた代物だ。

 通常時だと固まっているが、手の温度で蜜蝋が柔らかくなりじんわり曲がってくれるようになる。

 こうして柔らかい状態の蜜蝋ラップをボウルに被せ、端を容器に沿って折り曲げていけばあら不思議。容器を綺麗にラッピングできるわけですよ。

 ケイオス卿として発明品にしても良いのだが、蜂蜜の産出量が上がっても蜜蝋の値段があまり落ちてくれないので現状は出し渋っている状態のアイデア商品だ。

 蜜蝋はまだまだ色々使うからもっと出回ってくれ……金持ちはすぐロウソクにしたがるから困る。夜はさっさと寝てくれよ。

 

「あとは、ようやくこいつの出番か」

 

 で、蜜蝋ラップの仕事は他にもある。

 それがこのラップされた陶器の容れ物だ。

 

 果物を砂糖や小麦粉などと一緒につけ込んで作る、パンを膨らませるために必須のアイテムの一つ……酵母だ。

 当たり前の話だがこの世界にドライイーストなんてものはない。果物を使って一から天然酵母を作るのが普通だ。

 そして天然酵母は他人に売り渡すような代物じゃないのでどこにいっても売っていない。だから、自分で作る必要があったんですね。

 いやー定期的に小麦を追加して振ったりしなきゃいけないから結構面倒なんだけどな。蜜蝋ラップのおかげでわりと楽に作業できた気がするわ。容器がガラスじゃないせいで混ぜた後にちょくちょく開けて中の様子を見なきゃいけないからね。そういう時にラップあると便利。

 

 うむ。用意するものはそんな感じだ。

 後はじっくりパンを作っていくばかり。

 

 ……フランスパンにバターを乗せて食うのも良し。アヒージョに浸して食うも良し。

 夢が広がるぜ……。

 

「さて、天然酵母の発酵具合は……」

 

 俺はウキウキで天然酵母の入った容器のラップを剥がした。

 

「……うん」

 

 そこにはカビだらけの天然酵母だったものがあった。

 

 天然酵母作り、大失敗である。

 

「……よーし、フランスパンは中止! フォカッチャ作るぞフォカッチャ! 切り替えてこう!」

 

 その日、俺は特に好きなわけでもない無発酵パンのフォカッチャを作り、もさもさと食べて不貞寝した。

 

 翌日女将さんにフォカッチャをおすそ分けしたら、“ふーん、まあ美味しいわね”くらいの反応を頂いた。

 気持ちは、わからないでもない。俺も別にフォカッチャ嫌いではないんだけどね……。

 


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