「へぇ〜、これが新商品? 新しいペン? ただの陶器の棒に見えるけどな」
「ケイオス卿が考案した最新のペンだそうだ。先端の捻れた溝にインクを溜めて書くんだと。まぁここにあるのでも書き味は悪くないが、良くもないってとこだな。高級品にもなると引っ掛かりもなくて随分重宝されてるみたいだぞ?」
「安物しか扱ってないユースタスの店じゃあこれが限界ってことか?」
「失礼な奴だなモングレル! 庶民の味方と言ってもらおう! それに、この廉価版のガラスペンだって捨てたもんじゃないんだぞ? 今じゃギルドに何十本も卸してて、日に日に数が増えてるんだ。値段との兼ね合いで言えば世間に広まるのは間違いなくこっちになるだろうよ」
「ガラスじゃないのにガラスペンか」
今俺は街の雑貨屋に立ち寄っている。装備メンテナンス用の油を買いに立ち寄ったのだ。
そこでは店長のユースタス本人が珍しく店番をしていたので、買い物ついでに色々と新商品を冷やかしていたわけ。
そんな時に目を引いたのが、このガラス……ガラス? 陶器ペンだった。
形状はガラスペンそっくりだが、素材が陶器のようなものでできている。
ガラスペン特有の捻れた溝が沢山ある筆先はそのままなので、多分似たような感じで書けるのだろう。見たところ焼成した後に上手く削って溝を作っているようだ。よく考えるわ。ここまでくると製造過程からして全く別物じゃないか。
ガラスペンじゃなくて陶器ペンに変えた方がいいだろ。
「色ガラスなんて使ってるのはお貴族様向けの最高級だけだが、名付けたのは発明者のケイオス卿だからな。文句ならケイオス卿を探し出して言ってくれ」
「謎の発明家ケイオス卿ねぇ」
ケイオス卿とは、何年も前から活動している匿名の発明家である。
これまでに幾つもの便利な道具を生み出しており、その種類は多岐にわたる。効率の良い農具、工具、事務用品に生活用品。家具など調度品のデザインまで手掛ける幅広い発明家だ。
生活に密接したアイデア商品をいくつも世に解き放っており、その庶民的な親しみやすさから人気が高いらしい。
ケイオス卿は発明家のくせに特許のようなものは一切取らず、発明品を工房や商会に丸投げすることで有名だ。
普通なら莫大な富を築くであろう発明のアイデアを無欲にもタダで、匿名で各地にばら撒く変人発明家。それがケイオス卿なのだ。
ていうか俺です。ケイオス卿。
「前触れもなく新商品のアイデアを手紙で送りつける発明家。ケイオス卿のおかげで成り上がった商会も一つや二つじゃない。俺の店だってそうだしな。昔はもっと小さい店だったのが、今じゃ何人もの人を雇えるまでになった。ケイオス卿様々だよ」
「今は自分で店番してんのにな」
「今は使いにいかせてるとこだ、ほっとけ。……五年も前はこの街の商会といえば、ハギアリ商会の一強だったんだがね。まさかあの商会が落ちぶれるだなんて、当時は誰も想像してなかっただろう」
ハギアリ商会は数年前までこの街の流通に深く食い込んでいた大きな組織だった。
が、一強だったせいもありなかなかエグい独占が多く、アホみたいに吊り上がった値段の商品も少なくなかった。
そんな時にケイオス卿が現れ、ほかの店に新商品の種をばら撒いたものだからさあ大変。
ハギアリ商会の主力商品にバッティングするようなものが次々に生み出され、連中は瞬く間に凋落していきましたとさ。
……と、かるーく御伽噺のように語ってはいるが、当時を知る者としてはかなり血生臭い事件も絶えなかったのが真相である。
儲かる者と落ちぶれる者。大金が絡むとなれば、この世界ではものすごく簡単に人が血を流すし、ポンポン死んでいく。
ハギアリ商会が凋落するまではヤクザの抗争じみた血で血を洗う殺し合いも珍しくなかったくらいだ。
今こうして俺とのほほんと話してるユースタスも、そんな血生臭い抗争を生き抜いてきた逞しい商人の一人である。
商売の世界ってのはこえーな。
……まぁ、俺は便利な道具が世に出回れば良いと思ってるだけだから争いに巻き込まれなくて楽なんですけどね!
匿名で手紙を送りつけて後は放置。ロイヤリティはないけど、リスクなしで便利な道具が勝手に開発されて出回ればあとは買うだけだ。
異世界ものの小説で主人公が開発から量産まで頑張ってる奴は多いけど、個人的にはそういう面倒な立場とかごめんだね。
商人と駆け引きとか、職人と擦り合わせしたりだとか、儲かったら儲かったでトラブルに対処したりだとか……ああ、考えるだけで嫌になる。
だから最初から丸投げ。これが正義だ。
俺が儲けを手放す分開発も早いしね。世に出回ればこっちは買うだけで良い。
唯一の難点は経済が回り過ぎて街に人が増え過ぎてるってことくらいだな。路上のゴミが増えて不衛生だ。俺の仕事が増えちまう。やれやれ。
「ま、記念に一本買っておくかな。ユースタス、これひとつくれ」
「あいよ。なんだかんだ最後には買うからお前は良い客だよモングレル」
「ちょうど金も入ったとこだったしな。あ、そうだ。あとは刀剣用の整備油もつけてくれよ。俺はそっちを買いに来たんだ」
「あー良いけど、油が少し値上がりしたぞ」
「はぁ? なんで」
「ガラスペンのおかげでインクの需要が増したからだな。ま、恨むならケイオス卿でも恨んでくれ」
「……やり場のない恨みだ。いいよ、割高でも買う」
「ははは、まいど」
発明家ケイオス卿。
その正体は誰もが追い求めているが、未だ謎に包まれている。
多くの人は彼を道楽好きな貴族かなんかだと考えているらしい。
こんな平凡なギルドマンだとは思ってもいないだろうな。