弓の練習を続けていくと、それなりに真っ直ぐ矢が飛ぶようになってきた。
真っ直ぐというのは的の方向に向かって飛んでいくという意味であって、的に当たるような軌道で飛ぶわけではないことには留意していただきたい。
けどまぁ俺が300人くらい弓を持って隊列を組めば、数打ちゃ当たる方式で弓兵部隊の物真似くらいにはなるのかもしれん。300人の俺がバスタードソードを抜き放って突撃すれば全てが解決するとかそういう事を言ってはいけない。
弓について教えてくれたライナとウルリカには感謝だな。これがギルド付属の偏屈な教導官だったら普通に三日くらいでやめてたと思う。
ライナは正確な射撃について詳しかったし、ウルリカは動く相手や近づいてくる獲物に対する実践的な射撃に精通していた。そういう専門的な知識を優しく教えてもらえる環境ってのは本当に得難い物だ。
時々俺への指導をほっぽり出してウルリカがライナの指導をしてたりなんかもしてたけど、そういうの含めて居心地の良い練習時間だった。
毎回終わった後にはギルドの酒場で一杯引っかけるわけだが、こちらの奢りとはいえ、相手は若い子たちだ。
世が世なら俺が奢った上で数千円プレゼントしなきゃいけないような境遇なんだよな。
そういう意味じゃこの世界はリーズナブルだと思う。……何が? 自分で言っててよくわからん。
「おーい見ろよ野郎ども〜! チャック様がマーゴット婆さん特製の生ハムを持ってきてやったぜぇ〜!」
「おー!」
いつものように三人で飲んでいると、豚の脚を担いだチャックが入ってきた。
黄ばんだ脂。萎びて濃くなった赤身。いわゆる、生ハムの原木ってやつである。
ギルド内はにわかに活気付いた。
普段から干し肉なんて食い飽きている連中だが、今回のこれに限っては理由がある。
というのも、マーゴットという偏屈な婆さんが作るこの生ハムはとんでもない絶品であることで有名だからだ。
この世界の生ハムは大抵、塩漬けにする際にアホみたいにしょっぱくするもんだから食う時には結構なエグみがあったり、塩抜きしないとまともに食えないことが多い。ほとんど保存用の塩漬け肉のような扱いをされている。薄くスライスして美味い肉かというと全然美味しくないんだ。
しかしマーゴット婆さんの作る生ハムは全く別物で、腐るか腐らないかのギリギリまで塩分量を減らしている。そのせいでマーゴット婆さんは毎回半分近くの豚肉を腐らせているそうだが、そんな厳しい製造過程を生き抜いた選りすぐりの生ハムは、俺が前世で食ってきた生ハムにも比肩する旨さがあるのだ。
前置きが長くなったがつまり、俺はこの生ハムが大好きだ。
そしてマーゴット婆さんは気に入った若い男にしか売らない。俺は気に入られていない。ふざけた婆さんである。
まぁかと言ってチャックも婆さんから好かれて嬉しくはないんだろうが。
「マーゴット婆さんが持ってけって言うから貰ったからよ〜、今日いる連中で食べようぜ〜! あ、エレナ達受付にもちゃんと切り分けるからな〜」
「まぁ、ありがとうございますチャックさん」
この生ハムの美味さは有名だ。貰って悪い気がする奴なんて一人もいないだろう。
酒場にいるギルドマン達の視線は、自然とチャックたち「収穫の剣」のいる中央テーブルに注がれていた。
「……私あれ食べたことないっス」
「俺も一年以上食べてないな。くそ、強い酒が飲みたくなってきた」
蒸留酒のふんわりとした作り方はお貴族様に教えたはずなんだが、まだ開発されないのか。
さっさとウイスキーを発明して俺のとこまで売りに来てくれ。
「マーゴットお婆さんって、氷室持ってるとこの人だよねー? あの人のお肉美味しいんだよねぇー。私もまだ食べたことないや」
「生ハムは格別だぞ。うすーくスライスしたやつがまた絶品なんだ。かくいう俺も人からのおこぼれに何切れかもらったくらいなんだが」
ああ想像したら唾液が湧いてきた。今日はチャックの肩揉みでもしてやるか。
「けどよォ〜……タダでこいつを分けてやるわけにはいかねえなぁ!」
「なんだとてめえ!」
「殺されてえか!」
「自慢しにきただけか!」
「うっせぇ! やらねぇなんて言ってね〜だろがよ! ゲームしようぜゲーム! 美味い肉があってもお行儀よく食ってるだけじゃ盛り上がりに欠けるからなァ〜!」
テーブルの上に立てかけた生ハムの原木から脂身を削ぎ落としつつ、チャックがニヤニヤと笑っている。
気の早い奴が削ぎ落とされた脂身を拾い上げてつまみ食いしてたが、すぐに吐き出した。そこは不味いからやめておけ。
「ゲームってなんですかチャックさん」
「よ〜く聞いてくれた! これから始めるのは……スケベ雑学バトル! 向き合った二人が互いにスケベな雑学を披露し合い、審判に判定してもらう! 勝った奴に4切れプレゼント! 負けた奴にも1切れプレゼントだァ〜!」
「うおー!」
「猥談なら任せろー!」
「バリバリ!」
「酒を追加で頼む! なんせ今日俺は生ハム食べ放題になるんだからなぁ!」
いや中学生の修学旅行かよ。
気付けチャック、お前の気になってるエレナちゃんは物凄い冷めた目でお前の背中を見ているぞ。
「やっぱ男って変態っスね」
「収穫祭並みに盛り上がるねー……毎回……」
「まぁ男ってそういう生き物だからな……」
正直俺も気持ちがわからんでもない。ライナとウルリカがいなかったら立ち上がってプロレスラーみたいな入場の仕方で中央テーブルに向かっていったと思う。だって生ハム食いたいもん。
「しかし曖昧な勝負になりませんか……? 猥談の審判って……」
「安心しろアレックス! そこは我らが団長、ディックバルトさんにお任せするぜ〜!」
「──公正な審判を皆に約束しよう。心ゆくまで、闘りあうと善い」
「それなら安心だぜ!」
「ディックバルトさんならスケベ度を数値化できるからな!」
慕われてるなぁディックバルト……。
最近は仕事が無くて金欠状態だからか、良いグレードの娼館に通えなくて哀愁ある姿をよく見せていたが……チャックのおかげで少しは元気が出たようだ。
「さぁ肉削いでくぞ〜!」
「最初は俺だぁ!」
「なんだと!? なら俺が相手になってやろう!」
こうして中央テーブルでは聞くに耐えないスケベ雑学バトルが開始された。
バトルを見守る男達も周囲で熱狂する、とんでもない低IQの頭脳バトルの幕開けである。
「いいか? これはとっておきのネタだが……庇通りに居るねーちゃんに直接話を持っていけば、相場より安く抱ける……!」
「マジかよ……!」
「さすがは値切りのネイトだ! あの格安娼婦を更に安くだなんて!」
「ケチだ!」
「うるせえ!」
「くっ……こっちも負けねえ! いいかよく聞け! “女神の納屋”にいる娘たちは……“飲んでくれる”!」
「なッ……!?」
「──勝者、ルランゾ!」
「っしゃオラァ!」
「な、ま、俺が、負けた……!?」
「──値段交渉も醍醐味だ……が、質の良いサービス情報は金を支払わなければ手に入らない……基本を疎かにしたな、ネイトよ」
「はーいルランゾに4切れな〜、ネイトも1切れやるよ〜」
いやーマジで聞くに堪えんな。
話題は大体が色町とか娼館ってとこだが、一部体験談混じりの生々しい雑学があるのが地獄みを深めている。向こうが放つ熱気から確かな温度差を感じるぜ……。
しかし……生ハム良いなぁ。畜生、なんでこんなに匂ってくるもんなんだろうな。熟成されすぎだぜマーゴット婆さん……金出すから売ってくれよマジで……。
「お〜いそこで一人お上品に飲んでるモングレルさんよォ〜……お前は勝負しねぇのかよォ〜? え〜? それとも可愛い子たちに囲まれてたら娼館の話もできねぇか〜?」
「参加する」
「オイオイ随分と弱腰……ってエェー!? 参加するのかよ!?」
「するよ。生ハム食いたいから」
「マジっスかモングレル先輩……」
「えぇー……」
お前達は勘違いしているな。
俺は別に女の前だからってそういう話をしないわけじゃない。
まして生ハム! それも前世のパルマっぽい生ハムが食えるなら、いくらでもスケベ星人になってやる!
ごめんな、ライナ。ウルリカ。できれば今は……俺の姿を、見ないでいてほしい。
「──覚悟を決めたか、モングレル」
「ああ、できてるぜ」
俺とディックバルトは頷き合った。なにこれ。
「……だったら対戦相手は俺だなァ〜!?」
「いやチャックお前生ハムの胴元だろ」
「てめぇふざけんなよ〜生ハム4枚もらってあのテーブルに戻って女の子達と一緒にワイワイ楽しむ腹積りだろうがよォ〜! 俺がそんなこと許すと思ってんのかえぇ〜!?」
「お前は本当に寂しい人間だな……」
「うるせぇ〜!」
まぁ別に誰が対戦相手でも良いんだけどさ。
「あれ? そもそもモングレルさんって娼館に通ったりしてましたっけ?」
アレックスの疑問に、俺は首を横に振った。
「一番高そうなとこには二回くらい行った。風呂付きのな」
「え……マジっスか……」
「──“金杯の蜂蜜酒”、か」
「即特定してくるの怖いからやめないか?」
「金持ちかよ〜! ますます許せねぇなぁ〜! え、ちなみに女の子はどんな感じだった?」
「いや、風呂入って身体洗ってもらって終わったから女の子に関しては良くわからん」
「なんだよそれ〜!?」
「やっぱり変人じゃないですか!」
「……お風呂目当てだったんスね」
いや本当は一発気持ちよくしてもらうかーって思ったんだけど、女の子がなんか体毛濃くて萎えたんだわ。
なんでだろうな……俺の個人的な性癖みたいなもんだけど……なんかダメだった……。
「モングレルよォ……そんなんで俺に勝とうだなんて随分舐めてくれるじゃあねえかよォ〜……」
「安心しろよチャック。俺はな……スケベ知識だけはいくらでもある!」
「娼館の風呂入っただけですげぇ自信だなオイ! 素人童貞以下の野郎にこの俺が負けるかよ! 先手はもらったぜェ!」
「チャックさんの先制攻撃だ!」
「これは決まったな……」
なにこれ先攻ゲーなの?
「とっておきを使ってやるぜ……いいか、よく聞け。“極楽の相部屋”にはなァ……スゲェ手技を持った女が割安で相手してくれる!」
「──ミリアちゃん、か」
「知ってるんですかディックバルトさん!」
「ああ……──これは、モングレルにとって厳しい展開になってきたな?」
いやわかんねーよ! スケベ雑学なのに娼館のローカルお得情報ばっかじゃねーかよ!
誰だよミリアちゃんって! ちなみにその子可愛い?
「さぁどう来る? モングレルさんよォ……!」
ミリアちゃんを攻撃表示にしてターンエンドしただけでなんだその余裕は。ミリアちゃんそんなグッドスタッフなのか。ちょっと気になってきた……。
いや。しかし。
……甘いな。
こいつらは所詮、伝聞とわずかな体験でしかスケベ雑学を溜めてこなかったいわば素人……。
そんな奴らがお前……なぁ?
情報社会日本のスケベ文化に揉まれてきたこの俺に勝てるとでも思ってんのか?
「俺のターン。よく聞け……“男でも”……“乳首でイける”!」
「はっ、一体何を……」
その時、ディックバルトがカッと目を見開いた!
「──勝者、モングレル!」
「なッ……!? なんだってぇ!?」
「嘘だろディックバルトさん!?」
「どうして……!?」
「モングレルの言葉に偽りは無い──……男の乳首は乳を出せず、いわば快楽を得るためだけに存在する最もいやらしい部位……それはこの俺が保証する!」
「マジかよすげえ!」
「聞きたくない体験談まで聞けちまった……!」
「そ、そうなんだぁー……へー……」
「まさかモングレルも……?」
「いや俺は人から聞いただけ。通りすがりのスケベ伝道師から聞いた」
「とんでもないスケベ伝道師がいたもんだぜ……」
「──モングレル……どうやらお前のことは、戦友と認めなければならんようだな……?」
「ごめん、それはお断りさせてもらっても良いか?」
「──フッ……」
というわけで、俺は無事に4枚の生ハムをゲットしたのだった。
気前良くながーく切ってくれたもんだから、薄いエールのアテとするならこれだけでも十分いけるだろう。何より食い過ぎは体に悪い。
「よう、勝ってきたぞ二人とも」
「……モングレル先輩、スケベっスね」
「へー……そういうこと、詳しいんだー……」
勝って美味い肉を勝ち取った。
しかしテーブルに戻ると、どことなく冷めた目で俺を見るライナと、顔を赤くするウルリカが待っていた。
……俺は……生ハムを得る代わりに、何か大切なものを失ってしまったのだろうか?
「……一緒に食う?」
「それは欲しいっス」
「あ、私も……」
だが今日食べた生ハムは間違いなく絶品で、二人もその味に満足してくれた。
俺は、それだけで充分よ……。