バスタード・ソードマン   作:ジェームズ・リッチマン

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ウィレム・ブラン・レゴール伯爵視点


平凡なるウィレム・ブラン・レゴール

 

 精霊祭が終わった。

 今年も大事なく催しが消化され、肩の荷がおりる。

 しかし私は広大なレゴールを治める伯爵だ。一つの祭典が終わったからといって、そう長く休めるわけでもない。

 ああ、執務室に向かってくる足音が聞こえてきた。几帳面な早歩き。アーマルコよ、もう少し主人を労ってはくれないものか。

 

「ウィレム様。精霊祭における報告がいくつか衛兵よりあがっております」

 

 やれやれ。うるさい執事がやってきた。

 伯爵を継いでからというもの、アーマルコは満足に私を休ませてくれない。

 

「なんだね、報告とは」

「レゴール市街にて、特定の商店や家屋への侵入を試みた犯罪者が確認されております」

「祭りに乗じての犯罪は珍しくもないだろう。共通点は?」

「は。いずれもケイオス卿の手紙を受け取った者たちと関わりのある場所でした」

「……またケイオス卿の残り香を狙ってきたのか。彼は滅多に同じ場所に手紙を送らないというのに」

「犯罪者たちは全て捕縛されましたが、背後関係は洗い出せませんでした。適当に雇った連中かと」

「犯罪者奴隷の仲間入りだな。匿名の贈り物と思っておこう」

「左様でございますか」

「これから公共事業も忙しくなるからなぁ」

 

 ケイオス卿。彼がこの街に来てから、8年前後になる。

 それからの私の人生には、激動という言葉が相応しいだろう。

 

 

 

 私、ウィレム・ブラン・レゴールは厳しい父の三男として生まれた。

 平凡な……いや、容姿は醜く、性格も内向的で、決して伯爵家に相応しい男ではなかったと断言できる。それは幼少より二人の兄からの虐めのせいもあったのだろうが、生来からの性質であるように、私自身も思っている。

 歴史に埋没するだけの男になるはずだったのだが……人生とはわからないものだ。

 

 強く猛々しい長男は戦争の折、落馬によって死に。

 それによって継承権一位となった陰謀好きの次男は急な病によって倒れて死んだ。

 

 結局、レゴール伯を継ぐことになったのはデブでチビでハゲな三男の私であった。父も苦笑いすらできなかったな。

 当時22歳。民からの人気などかけらもない私を担ごうという者は誰もいなかったので、急に態度を変えた周囲が白々しかったのを良く覚えている。

 

 私は二人の兄とは違い、ギフトも強い体も人と巧みに話す度胸もなかったので、専ら本を読んで過ごしてきた。

 誰とも話さず図書庫に籠り知識を蓄える日々。

 だがその生活を愛していた。将来は学者になるのが夢だったのだ。

 

 それが伯爵を継ぐことになって、全てが狂ってしまった。

 やりたくもない無駄な戦争、おべっかばかりの貴族との会話、文句しか言われることのない政治。嫌なことばかりだ。心の底から、伯爵になどなりたくなかったのだ、私は。

 まあ、駄々をこねる歳でも地位でも無いことは重々承知していたので、逃げることもできなかったのだが……。

 

 実際、私の政治に至らぬところは多かった。

 何をやっても思うようにいかない。

 何をすれば良いかはわかるのに、周囲を取り巻く悪意の力が、私の活動を押し留めようとする。

 それが兄嫁達の勢力によるものだとは分かっていても、どうにかするだけの力が私には無かったのだ。

 

 ……ケイオス卿と名乗る人物から、手紙が届くその時までは。

 

 

 

 その手紙は複数の鮮やかな色から成る異様な模様が描かれ、見たこともない封蝋が捺されていた。製法は当時も、今でさえも判然としない。

 当時のアーマルコは異質な手紙を警戒し焼き捨てるように進言していたが、そうしなかったのはただ私の興味からだった。

 

 手紙には、知識が記されていた。

 特に難しいこともない、農作業の方法である。まるで農家の親が子に教えるかのような、詳細な手法がそこにはあった。

 私たちは専門家ではないのでそれを見ただけでは何もわからなかったが、最後に記された一文を見て戦慄した。

 

 この方法を採用することで、麦の収量を二割増にする。そう書かれていたのだ。

 

 信じられるだろうか? 私は当然、それを信じなかった。手紙には信じるに値するものが何も無かったからだ。

 だから私はその手紙を棚に放り入れ、保留と言う名の死蔵を決めた。その後に送られてきた蒸留機の設計図もまた、同様に。

 

 ……巷でケイオス卿なる人物の手紙による発明品が大流行を巻き起こしていると耳にした時、私は慌ててこの棚をひっくり返すことになったがね。

 捨てなかったのは本当に、英断だったと思う。

 

 

 

 レゴールは平凡な街だったが、ケイオス卿の出現によって瞬く間に活気付いていった。

 なにせ彼が手紙を出すたびに経済活動が活発化する。様々なものが飛ぶように売れ、交易が盛んになる。そこには私の手が加わっていないのだから、奇妙な夢でも見ている気分だった。

 

 だが何より奇妙だったのは、このケイオス卿の影響によって、街に蔓延る不正や独占を行っていた商社が潰れていったことだろう。

 気付かない者も多いが、ケイオス卿は間違いなく悪しき既得権益を狙って潰しているようだった。そうなるように手紙をばら撒き、勢力をコントロールしていたのだ。

 

 一体何のために。何者がこんなことをしているのか。

 疑問は尽きないが、なんとなく彼が悪でないことだけはわかる。

 そして彼の目的が善によるものであるならば、私はそれに乗ろうと考えたのだ。

 

 裏では謎のケイオス卿が悪徳商社を駆逐し。

 表では私が、ケイオス卿が動きやすいように場を整える。

 

 私もケイオス卿も面識はなかったが、そうしている時は不思議と彼と心が繋がっていたように思う。

 実際、そうしてレゴールを掃除しているうちに、兄嫁たちの家による悪しき影響力は瞬く間に消え去っていった。

 私やレゴールを取り巻く鬱陶しい靄は晴れ、そこでようやく私は自分の政治をまともに行えるようになったのだった。

 私が名君などと呼ばれ始めたのも、その頃になってのことである。

 

 

 

「ケイオス卿を名乗る発明家達による詐欺被害が増えています。ケイオス卿を装い、開発資金を得ようとする者が後を絶ちません」

「間の抜けた奴らだなぁ。ケイオス卿が自ら名乗るわけがないというのに」

「抱え込む側も、ある程度承知の上かと。真贋はどうあれ、ケイオス卿のパトロンであることは一種の主張になりますので」

「本物のケイオス卿に対する、か? 彼は個人の旗色を気にするタイプではないよ。多分だがね」

 

 ケイオス卿の出現により、レゴールの経済は発展した。

 出現以来定期的に有用な商品案をばら撒き続ける彼は、一切の権利料を取ることがない。無償で金のなる木を庭に植えてくれる妖精のようなものだろう。

 商人にとっては喉から手が出るほど欲しい存在だが、その人物像は全く明らかになっていない。

 男か女か。若者か老人か。貴族か平民かすら謎のままだ。

 

 しかし、世間は自分に都合のいいように彼の姿をイメージする。

 

「それと、ウィレム様。議会より苦情が」

「……なんだよ、もう。私が何か失敗したか?」

「いえ。貴族街だけでなく、レゴール都市全域にウイスキーを配布したことについて、無駄な費用をかけていると。一部からではありますが、批判の声が上がっています」

「ああそれか。結局私が押し通したからなぁ……」

 

 私は今回の精霊祭にて、レゴールの街全域に新開発のウイスキーを振舞った。

 新開発故に量はない。価値としても非常に高い酒だ。それを平民たちに無償で大盤振る舞いしたことに対して、議会は怒っているのだろう。まぁ、それも極々一部なのだろうが。

 

 貴族たちは何故か、ケイオス卿が貴族であるとして疑っていない。

 あれほどの知識を持つ者は教育を受けた人物だから、ということだ。

 そういうこともあって、平民の区画に酒をばら撒くことを渋っている部分もあるのだろう。

 ……私としては、貴族ではないと思うのだがなぁ。

 

「あれは精霊祭を利用した蒸留酒の宣伝であり、対外的なアピールだ。あの強い酒精と味が広く知れ渡れば、それだけで一気に販路が広がる。話題作りが一度に済ませられるのであれば、その方が楽だろうに。頭の硬い連中はこれだから……」

「自分達で飲む分を多く確保したかったのでしょうな」

「売り込む側が酒に溺れてどうするんだ……ああいう商品は、他所に売ってこそだろうに」

 

 種子の選別と消毒、それによる麦の増産。からの、余剰作物を利用した蒸留酒作り。

 時間はかかったが、なんとか金銭を整える算段がついた。今までもレゴールは好景気に湧いていたが、これからは更に外貨の獲得に邁進してゆけるぞ。バロアの森の開拓と石材の確保が捗るというものだ。ああでも護岸工事と架橋工事もあったな。やっぱり金はいくらあっても足りる気がしない。

 

「ああ、ケイオス卿に伯爵を代わってもらいたいものだ」

「お戯れが過ぎますぞ」

「わかっている。ケイオス卿はそのようなことはしない」

「……いえ、そういうことではなく……」

「だがわかるだろう、アーマルコ。彼がより入念に手を加えれば街はより発展するのだ。それがわかっていて間接的にしか影響力を発揮できない彼のことが、私には歯痒くてならん」

「……発明と政治はまた別かと。ウィレム様の各方面に対する利害調整の手腕は、誰にでもできることではありません」

「他人の顔色を窺ってその時その時で場当たり的に立ち回っているだけだ。こんなこと、誰にでもできるだろう」

「ふむ……ウィレム様にとってはそうなのかもしれませんが。稀有な才能かと」

「下手な褒め方だな。私は凡人以下だよ。はぁ……嫌だなあ、もう……」

 

 甘い焼き菓子を頬張り、熱いハーブティーを飲む。

 ああ美味い。仕事中の甘いものは最高だ。

 

「むぐむぐ……で、アーマルコ。他には何か報告はないか? どうせなら一度に全部聞くぞ」

「はぁ、そうですな。優先度の低いものとして、レゴール市街で特定の人物を探すような動きが見られるとのことです」

「ほう?」

「捜索者はいずれもギルドマンたちで、特にそれを隠しているわけでもないようなのですが」

「探しているものとは? まあケイオス卿かね」

「いえ、スケベ伝道師です」

「なにて?」

「スケベ伝道師です」

「ええ……どこの誰ぇ……? 怖いよ……そんな報告上げてこなくていいから……」

「何か凄まじい夜技の類を知る賢者だとかで、近頃話題となっているそうですな。私からの報告は以上です」

「……レゴールが平和で何よりだよ」

「左様でございますな」

 

 まあ、レゴールが平和だろうとそうでなかろうと、私の仕事量は大して変わらないのだが。

 

 やれやれ。作物の増産方法の提供で王都も少しは大人しくなってくれるだろうが……向こうも一枚岩ではないからなぁ。

 協力的になってくれるのはいいが、どうせならレゴールを目の敵にする連中も抑え込んでてくれないものだろうか……。

 

 無理かなぁ。期待するだけ無駄なんだろうなぁ。はぁ……嫌だなぁ……。

 

 ああ、お菓子美味いなぁ……。

 

 

 

 




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これからも当作品をよろしくお願い致します。

( *=∀=)zZZ

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