大麦の作付けが本格化を迎える。
実は大麦の作付け面積は近年ジワジワと増えていたのだが、今年はさらにそれを拡大したらしい。一体何スキーの影響なんだ……。
しかしウイスキーもなかなか出回ってこなくてモヤモヤするな。
既に一般に販売はされているようなのだが、高級品なため仕方ないとはいえほぼ貴族街に出回っているらしい。あとは王都向けだったり、輸出向けだったり……そろそろレゴールの下町にも回せや。物売るってレベルじゃねえぞ。
まぁ最初から全ての需要を満たせるわけじゃないから仕方ねえけども……一度味わってしまうともっと欲しくなっちまうんだよなこれが。
「うーん、麦芽水飴はすこーしだけ安くなったが……ウイスキーは相変わらずだな……」
大麦から作る麦芽水飴は収量が増えた影響かちょっと値下がりした。それでも十分高いけど。
飴色の語源にもなったという、琥珀色の美しい麦芽水飴。……くそー……ウイスキーみたいな色しやがって……。
「モングレルさーん」
「お、ケンさん。どうもどうも」
「どうもこんにちは。お久しぶりですね」
「久しぶりっす。……お店再開したの久々に見ましたよ。もうお菓子屋やめちゃったのかと」
「ぬふふ……まだやめませんよぉ。最近厳しくてやめようかギリギリなとこではありましたが」
市場を歩いて少ししたところで、馴染みのお菓子屋さんが珍しく顔を出していた。
ロマンスグレーの髪の壮年男性。彼はケンさんという。かつて王都のお菓子屋で働いていたお菓子職人だったが、店のボスの横柄な性格が嫌になりレゴールにやってきたという、苦労してそうな人である。
まぁ苦労してるのは今も変わらないのだろうが……。
「お店がやってるなら、久々に入らせてもらおうかな」
「本当ですか! どうぞどうぞ、お入りください。あ、お金は取りますよー?」
「いやいや払います払います。俺は稼ぎの良い独身ギルドマンなのでね」
「ぬふふ、独身は良いですよね。お金がかからない。自分の好きにお金を使えるのは良いことです」
ケンさんのお店は古い酒場を改装したものなので、店内のレイアウトはほぼ酒場である。
カウンター席は無く、その分広めに取ったキッチンでお菓子類を作っている。
クッキーやビスケットなどのお菓子が主な商品で、色々なお店に卸しているものでもある人気商品ではあるのだが、お客さんがそれを店内で食べてくれなくて困っているらしい。
稼ぎ頭の焼き菓子はもっぱら配達品だ。よそに届けてそれで終わり。
もちろん貴重な売上なのでやめるわけにはいかないのだが、ケンさんとしては店が賑わうことがないので複雑なところだろう。
「新作の豊穣クッキーです。さあどうぞ」
「おー」
お出しされたのは皿の上に三枚ほど並べられた正方形のフロランタンのような糖菓子だ。
下のクッキー生地に……柑橘とひまわりの種などを乗せ、麦芽糖の水飴で固めたようなやつ。表面は飴がテラテラ輝いてて綺麗だし、普通に美味そうだ。
んむんむ……ああ、良いねこれ。ひまわりの種の風味が香り高くて実に美味い。生地がしっとりしていて、それでいてベタつかない……。
「こちらタンポポのお茶になります。苦い風味がよく合いますよ」
「おお、どうも。……うーん、この苦さが良い」
「ぬふふ」
このお店ではタンポポの根から作った黒いお茶……というよりコーヒーみたいな飲み物を提供してくれる。
前世でも代用コーヒーとして、タンポポの根を炒った飲み物は細々と普及していた。カフェインは無いけど逆に健康的で良いかもな。味としては、コーヒー欲を抑えてくれるだけの近さはある。お茶と言われればお茶な感じの飲み物ではあるんだが。
「ふう……こんな美味いのにどうして客が来ないんですかね」
「ありがとうございます。……ううん、私も悩みなのですがね……やはり場所が、高級菓子に向いていないのでしょうなぁ」
そう。ここは庶民がよく使う市場に近い通りにある。金持ちがあまり通らない場所なのだ。
「近頃は水飴も蜂蜜も安くなって、より手頃な価格でお菓子を提供できるようになったのですが……やはりこの立地では難しいのかもしれませんねぇ」
ケンさんはお菓子の味に対しては酷く真面目で、妥協というものが下手な人だった。
今やっている数売りのクッキーも本来なら不本意なのだろう。今俺が食べたフロランタンのように、高級路線でやっていきたいはずなんだ。
「うーん……けど今は景気も上がってきているし、時間が過ぎればチャンスも生まれてきそうなもんですよね」
「はい、そう思っているのですが……それまで果たして、この店が持つかどうか」
「厳しいっすか」
「厳しいですねぇー……」
タンポポの根もひまわりの種もサングレール原産の作物だ。それをわざわざ連合国経由で輸入したやつをこの店では使っているわけで、そりゃあコストも馬鹿みたいに上がる。
しかしケンさんは妥協できない。不器用すぎる男だ。
……このタンポポコーヒー、個人じゃなかなか仕入れられないんだよな。この店が無くなったら好きな時に飲めなくなる。それはちょっと、いや結構惜しい。
……テコ入れするか。
「……ケンさん。俺に良い考えがある」
「ええーモングレルさんにですか」
「露骨に期待してなさそうだ……いやいや良い考えなんですよ。俺がこの店を繁盛させる……そうだな、相談役になりますよ」
「相談役を雇うお金の余裕もないんですよ……」
「いやいや儲かったらで構いません。それにお金もいらないです。ただ、儲かったらその時は……今後俺がこのタンポポ茶を飲む時、半額にしてもらえれば」
「……この店が盛り上がるのであれば、安すぎるというものですねぇ。しかし本当にお客さんが来るのでしょうか」
「なぁに簡単ですよ。ケンさんのお菓子は完璧なんですから、後は客をここにぶち込みゃいいだけです。そのために頭を捻るだけですよ」
俺はお土産にフロランタンをいくつか買い、お会計を済ませ、席を立った。
「また明日も来るんで、店を開けといてください。その時に良いものをお見せしますよ」
「……年甲斐もなく、期待して良いですかね?」
少し不安そうに微笑むケンさんに、俺は力強く頷いておいた。
まぁ実際のとこわからんけど。俺経営者よくわからんし。
でも、半額のタンポポコーヒーが飲めるってんなら……普段の仕事よりも一層、本気出していかなきゃなぁ!
「ようエレナ。お疲れー」
「ああ、モングレルさんこんばんは。仕事……ではないですよね、こんな時間に」
俺は昼の明るい間にちょっとした工作を済ませてから、ギルドへとやってきた。
酒場は任務を終えた連中で賑わっているが、受付は空いている。この時間帯を待っていたんだ。
「ちょっと掲示板の近くにこいつを張り出してもいいか聞いておきたくてよ。今は特に掲示物も無いし構わんだろ?」
「なんですかそれ……ケンの菓子工場……お菓子屋さんの宣伝ですか?」
俺が持ってきたのは羊皮紙にインクで描いたケンさんのお店の宣伝ポスターだ。
簡単な店の場所、新作の菓子情報をわかりやすく図にしたもの。印刷技術なんてないから大量にばらまくことはできないが、人目につく場所に貼っておけば問題はないだろう。
「へえ、こんな通りにお菓子屋なんてあったんですね。知らなかった」
「貼り出して良いかい?」
「うーん……副ギルド長に確認を取ってみて……になりますかねぇ」
「今貼らせてくれるならこれ食べて良いよ」
「……」
スッと机に差し出したフロランタンを見て、エレナは周囲の様子を窺った。
そして険しい顔つきでフロランタンを手に取り……食べた。
「……」
「エレナ、顔、顔。緩んでる。ばれるぞ」
どうやらお気に召したらしい。良かった良かった。
「……まぁ、しばらくの間でしたら。数日でしたら許可します」
「ありがとう、話がわかる相手でよかったぜ」
「モングレルさん、もう一枚ありますよね?」
「ダメ」
「むむむ……」
いやしんぼめ。高いお菓子なんだからそんなたくさんはあげません。
何よりこのフロランタンは大事なミッションのために使わなきゃいけないんだ。
「ようアルテミス諸君」
「……なによ、モングレル」
「なんスかなんスか」
俺はエールを片手にアルテミスのいるテーブルへとやってきた。
普段俺の方からはアルテミスに絡みに行かないことを知っているせいか、シーナはどこか怪訝そうな顔でこっちを見ている。
「まぁそんな邪険にするなよ。今日の俺はお菓子屋の宣伝に来ただけなんだからな」
「宣伝? お菓子?」
「えーなになにー、さっきエレナさんと話してたのってそれのことー?」
「ほれ。どうよ俺の手描きポスターは」
羊皮紙のポスターをテーブルに広げてみせると、アルテミスの面々は興味深そうに覗き込んだ。
「……大きな字はともかく、細かい文字が下手ね」
「うっせ、下手なのは元々なんだよ」
というよりわざとだけどな。ケイオス卿の手紙の文字と似ないように普段はちょっと崩して書いてるんだ。
「へー……行ったことないっスね」
「私も……ありません。知らなかった……」
「豊穣クッキーか。ふむ……どんな味なのやら」
「あ、こちらサンプルになります」
「現物あるんスか!」
「わぁー綺麗! え、モングレルさんこれ貰っちゃっていいの!?」
「良いぞー、みんなで分けて食べるといい。お前らアルテミスが興味を持ってくれれば、ケンさんのお店に客が増えそうだからな」
ギルドには女も多い。特にギルド内部で働く女は高給取りだ。人通りが多いギルドにポスターを掲示するのは悪くない。
そしてアルテミスはほぼ女で構成されたパーティー。しかも内部には家庭持ちも多く、主婦のネットワークと繋がってもいる。
女といえば甘いもの。その繋がりを狙えば、きっと悪い結果にはならないだろう。
「んっ! 美味しいっ……! ザクザクしてる!」
「あら、本当ね。こういうナッツも悪くないわ。……お茶が欲しくなるわね」
「モングレル先輩、お菓子取って良いっスか」
「好きにしろ」
「わぁい……んー! 甘いっ! 美味しい!」
よしよし、なかなか好感触のようだ。あとはポスターを掲示板近くに出せば終わりだな。
で、明日の朝になったら店の前に三角の立て看板でも出して店がここにありますアピールしときゃ完璧よ。
「……それにしても、これは任務ではないでしょう。どういう風の吹き回しでお菓子屋の広告なんてやってるのよ」
「別にやましいところがあるわけじゃねぇよ……これで店が繁盛した時、俺が店で頼むタンポポ茶が半額になるってだけだ」
「やっぱそういうことっスか」
「ぬふふ」
「変な笑い方っスね……」
「これね、ケンさんの笑い方」
「マジっスか」
まあさすがの俺もタダじゃ動かんよ。
基本的には俺の生活が豊かになることしかしてやらん。
そういう意味じゃ今回の個人商店を儲けさせる動きは珍しいかもしれないな。
さてさて。明日、ケンさんのお店がどう賑わうのか。ちょっとだけ楽しみだぜ。
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( *・∀・)? )))