翌朝。
俺はケンさんの店にやってきて、仕上がったものを見せた。
「これは……看板ですか」
「ええ、ケンの菓子工場……このお店を示す簡単な立て看板です。これをこうして広げて、この棒を2つの出っ張りに引っ掛ければ、ほら」
「おおー」
前世ではよく見かけるA字型の立て看板だ。展開と固定のやり方は脚立に近いかな。
看板には“ケンの菓子工場”というデカデカした文字と、焼き菓子……に見えなくもない俺のイラストに、簡単なお品書きも書いてある。それと一部のおすすめメニューの値段もな。この板は俺が洗濯板を作る時に失敗したやつを流用した。良い使い道ができて良かったぜ。
「しかし私の店にも看板はありますよ? お客さんは確かに来てませんが、存在が知られていないというわけでもないのですがねえ……」
「甘い……甘いぜケンさん。ミカベリーのジャムより甘いぜそれは」
「ミカベリーのジャムより!?」
「見てみなよケンさん。確かにケンさんのお店はちゃんと看板も出している……ドアに吊るす感じでね」
「ええ」
「……ちょっと小さくないっすか?」
「小さいですかねぇ……」
いや小さいよ。見てみあれを。
多分これ説明しなきゃ理解されないと思うけど、看板つってもドアの上にでっかいのがあるわけじゃねえんだ。
窓のない酒場のドアに、ネームプレートみたいにして店名の書かれた札がくっついてるだけなんだ。
わかんねーってこんなん。
お役所の事務所じゃないんだからさ……。
「俺の作ったこの看板も大きいわけじゃないですけどね、あのネームプレートよりデカいですよ。そこからしてまずおかしいんです」
「ですが……私のお菓子の味は確かですよ?」
「お菓子が誰かの舌の上に到達する前の段階ですからね……」
「なるほど……そういう考えもありますか……」
そういう考えもなにもこのレベルで躓かれるとな……コンサルとしては結果が滅茶苦茶出しやすくて上客も上客ではあるが……。
「これを店の前に出しておけば、通りかかった人が店の存在に気付くでしょう。で、まんまと吸い込まれ二度と戻ってこれなくなる、と」
「ちゃんと帰しますよ?」
「いやいや一度入った客をずっと中に閉じ込めるくらいの気持ちで良いんですよ。なんならタンポポ茶の値段を二杯目以降は半額にして、長時間居座らせても良いな。苦いお茶で我慢できなくなった客が二皿目のお菓子を買うって寸法ですよ」
「モングレルさん……もしや本当に私の店のことを考えて……?」
「ふふふ、まるで俺が酒の席で安請け合いしたかのような言い方をされててショックですが……俺ぁ本気ですよ。昨日もギルドで宣伝しておいたし、お土産に持っていったお菓子も好評でした。自信持ってくれ、ケンさん!」
「……ありがとう、ありがとうモングレルさん。ええ、必ずお客さんを我が店に幽閉してみせます!」
その意気だぜケンさん。
さあ、それじゃあ早速開店といこうじゃねえか!
「ところでモングレルさん、その掃除道具は?」
「あ、俺午前中はここらの都市清掃やってるんで」
「……お疲れ様です」
「いえいえ。あ、ケンさんのお店の近く重点的にやっときますね」
「ぬふふ、嬉しいなぁ。ありがとうございます」
そういうわけで、今日もケンさんのお店が始まった。
が、そう都合良く朝からジャカジャカお客さんが来るはずもない。
みんな仕事があるんでね。ケンさんもそれがわかっているからか、朝の早いうちはまとめて作ったクッキーを他の店に配達しに出かけていた。
その際にドアに吊るされた看板をひっくり返し、“ただいま配達中”と主張してはいるのだが……その時になんと店名が表に出て来ない。これでは完全にケンさんの店の気配がしない。そりゃ存在感も薄いわけだわ。オープン&クローズくらい別の看板作ろうぜケンさん……。
「お客さん来ないですねぇ……」
「まだ昼だよケンさん。安心してくださいよ、この時間から客はやってくるもんなんすから」
「お昼時……ここで来なければ、難しいところですね」
この世界におけるお菓子は、主食と大差ない認識だ。飯のかわりに食べるもの。カロリー的に考えればまぁ当然だろう。食後のデザートという文化は極々一部だけだ。
そういう意味じゃこのケンさんのお店は特殊なんだが、それでも美味いのは本当だ。物好きな人は来てくれるはず……。
「本当にここなんスか……って、あれ? モングレル先輩」
「よう、アルテミス諸君」
「……あの立て看板が無ければ見過ごすところだったわ」
「ねー、小さいねー。あ、モングレルさんこんちはー」
店にやってきたのはアルテミスだった。
ライナ、ウルリカ、シーナの三人である。いつもよりちょっと連れが少ないか。
「今日は貴族街で弓の指導をやってきたんスよ。その帰りに寄ろうってことで……あ、モングレル先輩の席そこ大丈夫スか」
「良いぜ。いやぁ紹介した手前来なかったらどうしようかと不安だったところだ。来てくれて助かったぜ」
「あ、なんか真っ黒いの飲んでるー」
「タンポポ茶だ。風味は炒り麦茶みたいなもんかな。胃腸にも良いぞ」
「へー美味しそうー」
客が来ると一気に店内が華やぐな。それもアルテミスの面々だ。お菓子屋といったらこういう空気感じゃなきゃいけねえ。
「いらっしゃいませ。モングレルさんのお知り合いでしょうか?」
「ええ、まぁ同じギルドマンの誼でね。昨日ここの豊穣クッキーだったかしら、いただいたわ。美味しかったから今日も注文させていただこうかと」
「ぬふふ、それは嬉しいですね」
「ンッフ……」
「ライナ、笑っちゃ失礼でしょっ」
「? ああ、お菓子と一緒にタンポポ茶もおすすめですよ。いかがでしょうか?」
「じゃあお菓子とお茶をそれぞれ一つずつお願い」
「ええ、かしこまりました」
ケンさんは上機嫌でキッチンへ戻っていった。嬉しそうだな。久々のお客なんだろうか。
……それにしてもライナ。ケンさんの笑いがツボったか? 変なところでツボるな。
「へー、お菓子屋さんかぁー……なんていうか、あれだね……想像していたのより、こう……」
「ええ、そうね……」
しばらくしてお菓子とタンポポコーヒーがやってきた。
艶めかしく輝くフロランタンと芳醇なタンポポコーヒー。悪くねえよな。決して安くはないが、この価格で飲み食いできるクオリティではないと思うんだよな。
「おまたせしました。……モングレルさんのご友人でしたら、隠しても無駄でしょうな。当店はどうも、なかなかお客様が店に来ないようでして……何かお気づきになられましたら是非とも遠慮なく、私に仰ってください」
「まぁまぁ、そういうのは食べてからだぜケンさん」
「おっとそうでした。ではごゆっくり……」
三人は皿に盛られたフロランタンをつまみ、ザクザクと食べる。
「んまー!」
「美味しいねっ!」
「……うん」
すると普段仏頂面を浮かべているシーナですら口元が緩むのだから、お菓子ってのは凄い。
個人的にヒマワリの種じゃなくてアーモンドスライスでも……っていうのはワガママなんだろうな。
まぁこれはこれで美味しいよ。サングレールの味ってのはこんな感じなのかもしれねえな……。
「……遠慮なく、と言ってたけれど。ケンさんだったかしら。気になっていたことを訊ねても良いかしら?」
「おお、是非お願いします」
「ご意見はありがたく受け取るぜ。俺はケンさんと一緒にこの店をレゴールで一番の菓子屋にするって決めたんだ」
「マジっスか先輩」
「いつもの冗談に決まってるでしょー……多分」
シーナはタンポポコーヒーを飲み、やや言いづらそうにしてから再び口を開いた。
「……この店、何故店内の調度品が素っ気ない丸テーブルと椅子だけなの?」
ふむ。言われてみるとたしかに店内はテーブルと椅子だけだな。カウンターの席はないし、カウンターだったものはナッツや材料を置いておく棚にされている。
それ以外は置物も壁掛けもラグマットもなにもない、完全に無味無臭の簡素な部屋だった。
気にし始めると確かに気になるかもしれん。
「調度品を置くお金を使うよりも、材料や調理器具を優先してまして……」
「限度があるでしょう……出す物が美味しくてもこれじゃ客は長居したくならないわよ……」
「しかし、私の作るお菓子はレゴール最高のものですよ……?」
「当然のような顔で凄まじい自信を放ってくるわね……味だけでなく店内の過ごしやすさにも目を向けて欲しいわ」
「あ、わかるっス。殺風景っスよね」
「そこらへんの安い酒場よりも何もないよねぇー……」
なるほど……シーナのいうことにも一理あるな。
俺は美味いものさえ提供してくれるなら一人用のカウンター席で味に集中する形式でも構わないし、なんならそれでコストカットになるっていうのなら歓迎するタイプだから考えが及ばなかったぜ……。
完全に客を中にぶちこんでおけばそれで良いと思ってたわ。
「ふむ、内装ですか……埃の舞いにくいものを選んで上手くやるとしましょう……他には?」
「看板がわかりにくすぎるわ。もっと大きいものを建物に付けたほうが良いんじゃないの」
「言われてますよモングレルさん……!」
「いやケンさんの看板だぜそれは。ドアのやつのことですよ」
「駄目なんですか!?」
「うん、多分駄目ですよあれ」
思い返してみれば俺もケンさんが出前に出てる時とかに偶然会ったときしか店に入ってなかった気がする。それ以外は存在が消滅してるような店だったしな……。
まぁ店名が消えてるんじゃ気配を消してるって言い方も間違いじゃないんだが。
「とにかくそれに気をつければ、少しは良くなると思う。……次も、今日来れなかった子を連れてまた来るから。今度はもっと居心地の良い店になるよう、頑張ってちょうだい」
「美味しかったねー! また来るよー!」
「っスね。お酒も合いそうっスけど」
そうこうして三人は帰っていった。帰り際にお土産用のフロランタンも買っていったので、売上としてはまずまずだろう。
もちろんたった一組の客が来ただけで満足しちゃいけない。
今日の課題をしっかりフィードバックさせて、明日の結果に繋げていくんだ!
「お邪魔しまーす……あ、モングレルさん?」
「お、エレナだ。ケンさん、またお客さんですよ!」
「なんとなんと! ぬふふ、早速忙しくなりましたなぁ……ありがとうモングレルさん!」
「良いってことですよ。俺は俺で安くお茶が飲めるし。明日から店内の彩りも頑張りましょう、ケンさん」
「ええもちろん!」
アルテミスが帰ったと思ったら次はギルド嬢組だ。ランチ休憩に早速ここを試そうってことだろう。昨日のフロランタンが良く効いたようでなによりである。
……客が食ってる時や帰る時の感触も悪くない。
今まで認知されてなかっただけで、店をやっていくポテンシャルそのものはあるみたいだ。良かった良かった。
慣れないコンサルごっこで変な引っ掻き回し方をせずに済んでなによりだ。
これからはちょくちょく、この店に寄らせてもらうことにしよう。
そしていつかウイスキーを入荷させて、甘いものと一緒にいただくんだ……入荷してくれるかな? 酒はさすがに駄目かねぇ……まぁ今度ダメ元で頼んでみるとしよう。
それから10日ほどもすれば、ケンさんのお菓子屋は繁盛しはじめた。
その日の売上をそのまま調度品に全ツッパする男気ある設備投資により店内のレイアウトは瞬く間に豪華になり、それまでの無課金アバターみたいな内装は見る影もなくなった。
今では荷物置きにしていたカウンター席部分も開放しなきゃいけないほどの盛況ぶりで、配達や配膳で手が足りないから若い人も一人雇っているのだという。
まるで新装開店したかのような勢いだが存在が知られてなさすぎただけだというのだから、広告や宣伝ってのは本当に馬鹿にできないよな。
「よーっす、ケンさん」
「ああモングレルさん、どうも。カウンター席しかないのですがよろしいですか?」
「賑わってますねぇ……大丈夫ですよ。ミカベリージャムのタルト一切れとタンポポ茶を貰えるかな?」
「はいはい、了解です。あ、そちらの端は予約席なのでその隣で」
店内はやはり、女性客が増えている。暇してる御婦人とか、高給取りなお嬢様とか。中にはそんな女性の気を引くためにこの店をチョイスした男の姿もある。
そういう客層を見ると、やっぱり店内の内装ってのは大事なんだなと改めて思わされる。
うーん、俺も老後はこういうお菓子屋というか喫茶店を経営してみたいぜ……。
ただ忙しくて大変なのは嫌だから、スタッフを五人くらい雇っておきたいな。
俺はカウンターでコーヒー飲みながらグラス磨いてるぜグラス。
「いらっしゃいませ……ああ、もしや予約の」
「失礼するよ。へえ、こういう店だったのかぁ……」
「席はこちらです、どうぞ」
「うむ。……はぁ、椅子高いなぁ、嫌だなぁ……んしょ、よっこいせ……ふぅ」
新しく来たお客さんは、ちょっと小綺麗な格好をしたおじさんだ。
背が低く小太りで頭も禿げているが、どこぞの商会長でもやってそうな気品を感じる。
「話題になってるあれ、なんだっけ……豊穣クッキー。それと焙煎麦のクリーム乗せをいただこうかな」
「かしこまりました。少々お待ちください」
これで全席満員御礼だ。すげー人気店になったもんだよ本当に。
クリームなんて扱っちゃってまぁ……予算が増えて色々作れるようになって楽しいだろうなぁ。
いつかこの店でプリンとか作ってもらうことにしよう。
農家には鶏卵の増産をやってもらわなくちゃな。夢が広がるぜ……。
「ケンさん、俺にナッツの飴包みもらえるかな」
「む、美味しそうな……私にも同じ奴を」
「はい! しばしお待ちを!」
人気店になると客の回転数上げたくなるだろ、ケンさん。
だけどそれは許さねえぜ。俺が来たからには半額のタンポポコーヒーを三杯以上は飲ませてもらうからなぁ……!
安い豆菓子で粘れるだけ粘らせてもらうぜ……!