今日は夏を先取りしたかのような高気温に恵まれた。
いや、恵まれたというのは語弊があるだろう。長袖を着ている時期に突然夏が来ても、喜ぶ者は少ない。通りを見ても季節外れの暑さにうんざりしている人が多かった。
何が嫌って、食べ物が悪くなるのが嫌なんだよな。
肉も魚も腐りやすい。パンだってそうだ。普段もうちょっと日持ちするものが少しだけ腐りやすくなる。なんてことない変化に思えるかもしれないが、家庭ごとの冷蔵庫がないこの世界では結構シャレにならなかったりする。
商人達もいつもなら隣町まで輸送できる食材を泣く泣く諦め、レゴールで投げ売りする他なかったらしい。屋外炊事場では傷みそうな食材や安売りされた食材でまとめて料理を作ったり、燻製を作っている人が多かった。
このクソ暑い時期に長々と炊事はしたく無いが……やっておかないと厳しいとこもあるんだろうなぁ。
ともかくそんな暑さのせいか、今日はギルドに詰める奴が多かった。
ギルドは夏は涼しく冬は暖かい、安定した造りの建物だからな。今日みたいな日は結構涼しいんだ。飯と酒の値段は高いけど、涼にはかえられん。
「だから構える時はもっと弓を寄せなきゃダメでー」
「モングレル先輩のは顔を寄せてるだけっスよ。身体側に弓を寄せなきゃ意味無いんス。腕は体に対してまっすぐっスよ」
「身体のどこに対するまっすぐだよ……」
「おっさんになると覚えが悪くなっちゃうのかなー……」
「おいコラ、その言葉は鋭すぎて人が死ぬぞ」
俺はちょっとだけ冷たいエールを飲みながら、ライナとウルリカから弓を教わっていた。
今日はギルドが氷室からデカめの氷塊を買い上げたらしく、どうやらそれで涼を取りつつ、希望者には料金割り増しで申し訳程度に氷の入った酒を提供しているらしい。
氷を入れたエールなんて薄くなるだけの代物でしかないが、冷えたビールの美味さが魂に染み付いている俺としては買わずにはいられなかった。
「しかし矢筒ってのは高いんだなぁ。ただの筒だしもっと安いもんだと思ってたぜ。まだ手が出ねーや」
「矢を素早く取り出すための重要な装備だからねー。こだわればもっと高いよー?」
「でもピンキリっスよね」
「レザーで自作するかなぁ俺はなー」
レザークラフトに関してはそれなり以上の腕があるしな。大まかな造りがわかれば自作するのも悪くない。その方が安いし。
なんてことを考えていると、ギルドの入り口が開いて大人数がやってきた。
ちらりと見ただけでわかる大柄な団長の姿。
ディックバルト率いる“収穫の剣”のメンバーだ。
しかしどうも様子がおかしい。
いつも無口で無表情なディックバルトが、随分と憔悴しているようなのだ。
俺の感じ取った違和感はギルド内の他のメンバーにも伝わっていたらしく、どこか騒然としている。
「おいおい、どうしたんだい。ディックバルトさん随分としんどそうにしてるじゃねえか」
「何があったんだ?」
「……ディックバルトさんがよぉ〜……娼婦にゴールドプレートを盗まれて、衛兵の厄介になっちまったんだ」
「はぁ? 娼婦が寝てる間に客のもん盗んだってのか?」
「マジかよ……」
詳しい話を聞いてみると、どうやらディックバルトが今朝まで泊まっていた娼館で窃盗にあったらしい。
盗まれたものはディックバルトの持つゴールドランクのプレート。犯人は同じ部屋で寝ていた、ディックバルトの相手をしていた娼婦だ。ディックバルトが起きると姿が消えていたが、そう時間も経たずに捕まっていたらしい。
動機はゴールドプレートを売っ払おうとした、ってところだろう。捕まった娼婦のいる娼館は安い店で、あまり稼げない女の集まる場所だったらしい。
その金でさっさとどこかへ逃げようとでもしていたんだろうな。それにしても杜撰な犯行だと思うが。
そもそもこの犯行には、大きな落とし穴がある。
「……モングレル先輩、ゴールドプレートって別に金じゃないっスよね」
「ああ。真鍮だな」
「昔は本物の金だったらしいけどねー……」
娼婦の盗んだゴールドランクのプレート。確かに見た目は金ピカだが、これは金ではなく真鍮で出来ているのだ。
理由は頑丈さとかコスト面とかもあるが、何より金の塊を身につけていてはいらぬ犯罪を呼び込むからだろう。ギルドマンのランクプレートで最も製造コストが高いのが銀プレートというのは有名な話だ。
ギルドマンにとっては常識も常識。一般人にとってもそこまで伝わってない話じゃない。
それでも、そんな当たり前を知らずに生きてきた不運な女がいたということなのだろう。
「馬鹿な娼婦も居たもんだぜ」
「あのディックバルトさんから盗むとは……許せねえな。どこの店だ? 潰してやる」
「犯罪奴隷の慰み者になっちまえばいい」
正直、俺もギルドマンだし殺気立つ連中の気持ちはわかる。客の物を盗む奴は許せない。
だが……やっぱりな。犯行に及んだ娼婦の背景を想像しちまうと、やるせない思いの方が先に来ちまうんだわ。
仮に目の前にその娼婦がいたとして、石を投げつける気にはなれない。
「元気出してくれよぉ〜団長〜……」
「──俺が……俺が、私物の管理を怠ったせいだ……」
「そりゃちげぇって〜……」
「俺がしっかりしていれば……──こんな悲しい事件そのものが、起きないはずだったのだ……」
ディックバルトは娼婦を犯行に及ばせたことを自分のせいだと思い込んでいるらしい。
もちろん、やった奴が悪いのは当然だしディックバルトもわかってはいると思うのだが……娼婦を責められない性格なんだろう。あいつは優しい男だからな。
「なんか……かわいそうっスね」
「落ち込んでるねー……」
「なに、酒でも飲んで騒げば元気になるさ」
こういう時こそ強い酒の出番のはずだが、まだまだウイスキーは流通しない。流石におせーぞレゴール伯爵さんよぉ……。今年植える種籾を全部使ってウイスキーを量産してくれや。
「くそっ、このまま団長が復活しねェのは不味い……かくなる上は、いやらしい話題を作って無理矢理盛り上げるしかねェ……!」
「やるのかチャック……!? だが、それでディックバルトさんの調子が戻るとは……!」
「──いやらしい……話……か……──?」
「! 反応した……これならいけるかもしれねぇ!」
「任せてくれディックバルトさん! 今新鮮な下ネタを仕入れてやるからな……!」
「あァ、もとよりその治療のためにギルドまで足を運んだんだ……! 野郎ども、準備は良いかァ〜!?」
おいおい、なんか始まりそうな雰囲気じゃねえか。
確かに覚えのある、修学旅行の夜のようなこの熱狂のうねり……間違いない……!
「第三回……熟成カビ入りスモークチーズ猥談バトルの始まりだぜぇええええッ!」
「イヤッホォオオオオオゥ!」
「猥談なら任せろー!」
「モエルーワ!」
「なんだ今の!」
出たぁー猥談バトルー! おま、お前らマジで……ディックバルトがいるからってもうちょっと周り見ろよ!
今日とか普通に若木の杖の連中もいるんだぞ!
「まーたはじまったっスね……」
「……もしかして今回もさー、モングレルさんは参加とか……するのかなー」
「マジっスかモングレル先輩」
「……冷えたエール。そう、冷えたエールだぜ、今日のは。そこに足りないものが一つだけあるとしたらよ……それはもう熟成カビ入りスモークチーズしか無いんじゃねぇのか?」
「いやピンポイントすぎてわかんないっス」
そもそもカビ入りチーズ自体が稀だ。匂いのあるチーズだが、これがまた酒に合う。それだけでも美味いってのに、それを燻製とか……強いやつに強いやつを組み合わせるようなもんだろ。
だけどカビ入りチーズなら俺はスモークせずに単体で食いたいなーなんて思っちゃう。
「この熟成カビ入りスモークチーズはなァ〜……バロメ婆さんから貰った特製のチーズなんだぜぇ〜? 果樹の細枝で燻した香り高い無敵のチーズだぜぇ〜? そんな高級なチーズをよ〜……なんと、参加者には一欠片、勝った奴には三欠片もプレゼントだァ〜!」
「ヒューッ!」
「やりますねぇ!」
「さすがチャックだ! 婆さんにモテるぜ!」
「うるせ〜!」
マジかよなんかスモークでも美味そうじゃん……こ、こうしちゃいられねえ。男の尊厳を踏み躙ってでも俺は勝ち取るぞ、そのチーズ……!
「またっスかモングレル先輩……そういうスケベなのはあんまり……ウルリカ先輩? どうしたんスか?」
「えっ? え、いやなんでもないよー? どしたの?」
「なんか上の空っぽかったっスけど……」
「そんなことないそんなことない。それよりさっ、モングレルさん応援しようよ! 勝てば私たちにもチーズ分けてくれるかもだよ?」
「うーん、チーズは食べ飽きてるっスから……」
「贅沢だなぁー……」
我こそはというスケベ男たちが中央に集い、それを白い目で見る女ギルドマンたちは譲るように端のテーブルへと移動してゆく。
そうだ、それでいい。ここは今から戦場になるんだぜ。女子供はうちに帰んな。
「──審判はこの俺、ディックバルトが務めさせてもらう……──皆の溜め込んだ知恵と精力、存分に吐き出してくれ」
「ウォオオオオッ!」
「なんか既にディックバルトさんが元気になってるけどやってやるぜぇええええ!」
「チーズは俺のものだーッ!」
こうして再びきったねぇ男たちによるバトルが幕を開けた……!
「先攻はもらった! “連合国出身の子は耳が弱い”!」
「ぐっ……!?」
「マジかよ!? これは早くも決まったかぁ〜!? ブライアンには厳しい展開だ〜!」
「──いや、真偽不明ッ! 少なくとも俺の経験上は……誤差の範囲! 有効打無し!」
「なッ……!? じゃああれは、俺への演技だとでも……!?」
「チャンスだ! いくぞ! “女の子って実は胸を思い切り揉んでもそんな気持ちよくないらしいぜ”!」
「──勝者、ブライアン!」
「ぐわぁああああっ!? 俺のテクニックが、全て虚像だっただとぉおおおッ!」
「──男を気持ち良く騙してくれる女……それもまた、一夜の甘い夢……女の技巧よ……」
「はいよ〜、勝者のブライアンには3個な〜」
「しゃあっ!」
戦いの場は白熱している。
勝者は美酒に酔い、敗者は項垂れ寂しくチーズを齧る……いや量が違うだけで食ってるものは美味いはずなんだけどな。
負けただけで随分と落ち込むなこいつらは……。
「今回もアレックス参加するのかよ」
「うちの副団長にチーズを勝ち取ってこいと言われてしまいまして……モングレルさんもですか?」
「美味そうなチーズだからなー、せっかくだし今回もサクッと勝って多めに貰っとくぜ」
「自信ありますねー……」
「そりゃ負ける気はしねぇよ。俺には賢者より受け継がれた知識があるからな」
「胡散臭いなぁ……」
「おいモングレルさんよォ〜……そいつは聞き捨てならねえぜ〜……? サクッと勝ってだァ……? そいつは俺との勝負が楽勝だっつー侮辱だぜぇ!?」
なんかまたチャックが突っかかってきたよ。
「いや別にお前と対戦するとは決まってないじゃん」
「俺が決めた! 主催者権限だァ!」
「チャックのリベンジマッチだぁ!」
「三度目の勝負だ! 今回はチャックの勝利となるのか!? それともモングレルの連覇で終わってしまうのか……!?」
おいおい俺ヒール扱いかよ? どう見てもチャックのがヒールって顔だろが。
「──モングレルよ……勝ち上がってこい。俺の居る高みまで──」
「嫌です……」
「問答無用だァ! いくぜ俺の先攻ッ!」
「出たー! チャックさんの主催者権限イニシアチブだー!」
やっべまた先攻取られた。
まぁ取られても勝ってきたから別にいいんだけどよ。
「ククク……前回、前々回と男ネタでやられちまったからには、同じ戦場で汚名をそそぐしかねェ……! くらいやがれ! 男は……“玉”でも感じる……ッ!」
「おおっ! マジかよ!」
「痛いだけじゃないのか!?」
「まだまだァ……追加攻撃だぜェ〜ッ!」
追加攻撃!? そんなんあるの!?
「他にもなァ……“男は太ももでも感じる”んだぜェ!」
「太ももで!? ただの脚なのに……!?」
「チャックさん適当に言ってるだけじゃ……判定は……一体……!?」
「──有効! 二連撃!」
「うおおお決まったぁああああ!」
二連撃!? なんかコンボとかそういう概念あったりするのこれ!?
くそ、未だに戦いのルールの全容が見えてこねえ……!
「さすがのモングレルでもこれは厳しいだろうがよォ〜……へへへ……凄腕の娼婦の姉さんに聞いた情報だぜェ……!」
「……これは、決まったな」
「ここから逆転するのは、ディックバルトさんくらいでないと……」
ギャラリーは既に勝負が決まったかのような雰囲気を放っている。
おいおい……確かにコンボシステムには驚いたがよー……。
「……なぁ、誰がいつ白旗をあげた?」
「ッ!? こいつ、まだ戦意を……!」
「チャック……お前は俺に二度、敗北を喫している。そのくせ三度目も俺に楯突いた……以前と同じ、弱いままでな」
「なっ!? 何を……!」
「うんざりだよ、お前……二連撃? たったそれだけのクソ雑魚パンチでこの俺に勝つだって? 笑わせてくれる……」
「は、ハッタリだ! 今回のは、俺の勝ちで……!」
「なら、倍プッシュだ」
「……!?」
ざわりと、空気が変わる。
「俺に勝てるって吠えるならよ……賭けてみせろよ……チーズを、“6欠片”……!」
「なんッ……!」
「まさかこいつ、本気でチャックさんに勝つつもりか……!?」
「わからねぇ……このスケベバトル、もう俺たちの目で追えるスピードじゃない……!」
「なに、俺だってタダでチーズを増やせってわけじゃない。俺が負けたらチーズは一欠片もいらねぇよ。なんなら銀貨を賭けてやってもいい……」
「モングレルさーん? ギルド内で公然と現金賭博をされるのは困りますねー?」
「あ、ミレーヌさんごめんなさい……じゃあチーズだけという方向で……」
「それなら構わないですよー」
あっぶねえミレーヌさんにガチギレされるところだった。
「くッ……ああ良いぜッ! チーズ6欠片! 言われてみればそんなに大したことねえ賭け金だ! 乗ってやる、その勝負ッ!」
「うおおおお! チャックさんが倍付けに乗ったぞぉおお!」
「でも現金じゃないからイマイチ盛り上がらねぇなぁあああ!」
「ノリで盛り上げろぉおおお!」
「さあ……来いよモングレル! てめぇなんざ怖くねぇ!」
ふう、どうやら覚悟を決めたらしいなチャック。
良く吠える奴だ。その勇敢さに免じて……一切の慈悲なく、幕を下ろしてやる。
「“口、耳、首筋”……」
「……!?」
「“腋、乳首、背中”……」
「な、なんだてめェッ! 一体何を……!?」
「──ぬぅッ! これは……ッ!」
気付いたか、ディックバルト。だがもう遅い。
「“へそ、鼠蹊部、会陰部、肛門、内腿、膝、足指”……ふぅ、やれやれ。まあひとまずこんなところだな」
「な、なんだこいつ! さっきからベラベラと! ただ身体の部位を連ねやがって〜……!」
「……まだ喋るのか、チャック」
「何を……! いや、まさか、そんなッ」
「俺が今挙げたのは……“全て男の性感帯だぜ”?」
「あべしッ!」
その瞬間、チャックは3メートル近く吹き飛ばされて床に倒れ込んだ。
哀れな奴め。自分が死んでいたことにも気づかなかったか……。
「──勝者、モングレルッ!」
「チャ、チャックぅーッ!」
「マジかよ! 男もそんなに感じるのか!」
「知らなかった……自分の身体なのに……!」
「──うむ。だが、これらも意識して触れることで感度を高める他に“覚醒”の手段は無い……だが、確かに存在するのだ……天晴れだ、モングレルよ……」
「へ、へぇー……まだそんなに色々、あるんだー……」
「誰か、誰かチャックに気付け薬を!」
「酒で良いか!?」
「ああそれで頼むッ! チャック、目を覚ましてくれ……!」
「ゴボボボ……」
馬鹿め。俺に歯向かうからこうなるんだよ。
チーズは貰っていくぜ、ありがとよチャック。はっはっはっ。
「──さすがだな、モングレル。よもやそれほどまでに男の身体に精通しているとは……──もしやお前も俺と同じく、そういった店にも……?」
「いや、俺のは通りすがりのスケベ伝道師から聞いた」
「またしてもスケベ伝道師かよ!」
「探してもいなかったぞスケベ伝道師!」
「在野にこれほどのスケベ伝道師がいたとはな……」
「ていうか今ディックバルトさんヤバそうな事言ってなかったか……?」
「聞かなかったことにしろ……任務に差し支える……!」
こうして俺は6欠片の高級チーズをふんだくり、テーブルへと舞い戻った。
「……モングレル先輩、相変わらずスケベ話好きなんスね」
「いや、好きというか……知ってるだけだから。ほら二人とも、そんなことよりチーズおあがり」
「わーい」
「ウルリカも食えよほら。あ、俺のエール温くなってやがる……!」
「あ、うん……いただきまーす……」
「畜生、温いエールじゃせっかくの美味いチーズも……いや、全然イケるなこれ……」
その日、俺はアルテミスの後輩らと若木の杖の女の子たちに白い目で見られながらも、普段はなかなか味わえないカビチーズの旨味を堪能したのだった。