「ライナ……俺は任務に出る。過酷な……とても過酷な、任務だ」
「っス」
「だから今夜……もし俺が戻ってこれたら……ライナの所に行っても良いか?」
「っスっス」
「ありがとう、ライナ……これでもう思い残すことは、無い」
ライナがジト目で俺を見つめている。
「なんでモングレル先輩はお風呂入るだけでそんな感じの喋り方になってるんスか」
そう、俺は今日の任務が終わった後、アルテミスのお風呂使用権の二回目を使う予定だった。
聞くところによれば今日は終日クランハウスにナスターシャがいるという。だったら風呂の用意をしてもらうチャンスだろう。
「こういうのをフラグっていうんだよ」
「ふらぐ……」
「ま、験担ぎってやつだな」
「なんなんスかねそれ……まぁ良いスけど……ナスターシャ先輩たちにも伝えておくっス」
というわけで、俺の今日のプランが決定した。
仕事を頑張った後に風呂。最高だね。仕事にも気合が入るってもんだよ。
「よーし、じゃあ頑張って作業やってくかぁ!」
「うるっせぇ……」
「なんだこいつ……」
「ギルドマンかよ……しかもブロンズ3? なんでこんな所にいるんだ……」
俺は今、レゴール東門外の工事現場にいる。
レゴール外壁拡張に伴い、ここ東側の広い範囲を整備することになったのだ。
街を広げるというからにはそれはもう大規模な工事になる。
鉄筋コンクリートを岩盤にゴリゴリするようなことまではしないが、基礎工事はやる。重機無しでな。そういう意味では前世の工事よりも重労働かもしれん。
そして今日行われているのは下水道の整備だ。
既にある程度の切削作業は行われており、石材やレンガによって下水道の大まかな造りが顕になっている。とはいえまだまだ終わってない部分も多い。かといって雨が降るたびに泥が流入するのでは困るので、人海戦術で急ピッチの作業が行われているわけだ。
しかし夏場の重労働は非常にしんどい。人件費に金をかけたくもない。
そういう時に誰を動員するのかというと、そうです。犯罪奴隷です。
「下水道は街の命だ。誰もうんこ臭い街で暮らしたくないからな。常にうんこ臭い街で暮らしてたら悪い病気にも引っかかりやすくなっちまう。だから俺達のやる仕事は非常に重要なわけだ。わかるな?」
「……兵士でもないのにお前、随分やる気だな」
「街のためだかなんだか知らねーよ」
まぁ現場の士気は低い。こいつらにとっては懲罰の一環みたいなもんだしな。
それでも万が一やる気があるやつがいればって思って発破をかけてはみたが、難しいか。
しょーがねえ。俺は俺で力仕事しておくか。
これはアイアン相当のしょぼい仕事ではあるが、さっさと完成してくれたほうが俺としてはありがたい設備だしな。俺のマンパワーで竣工を早めてやろう。
「な、なぁあんた。モングレルさんか? そうだよな?」
「お? ……おー、なんだ、覚えてはいるぞお前。でも悪いな、名前がちょっと思い出せないわ」
「ロディだよ。あんたに捕まって犯罪奴隷にぶち込まれた間抜けさ」
知らないやつから声を掛けられたと思ったら、そいつは知り合いだった。
以前秋ごろにアルテミスのメンバーと一緒にバロアの森を調査した際、違法罠を仕掛けていたアイアンクラスのギルドマンだ。
その時しょっぴいて衛兵に突き出したきりだったが……見ない間に、ちょっと痩せたかもな。
「捕まえた俺が言うのもなんだけど、どうだよ。犯罪奴隷の暮らしは」
「そりゃもう最悪さ。ベッドは粗末だし飯は不味い。肉が恋しくなる」
俺が掘り出された土を運ぼうとすると、ロディは仕事を奪うように猫車のハンドルを握った。
「なんだ、手伝ってくれるのか?」
「これも仕事だしな。もちろん手伝うよ。……真面目にやってれば待遇も良くなる。モングレルさん、あんたの言ってた通りだ。あの助言のお陰で俺は、少しだけだが悪くない仕事をやれているよ」
「おう、そうか」
「仕事しながらでもいいから、話さないか? 知り合いとの会話に飢えてるんだ」
「もちろん構わねえよ。じゃ、一緒に作業していくか」
「へへっ。ギルドマンが俺らに混じって労働してるなんて、変な気分だ。自由の身になったような錯覚を覚えるよ」
ロディは二十歳前くらいの青年だ。
元々違法罠を仕掛けていた辺り器用で、狩人としての実力もあったのだろう。
だがそれも犯罪奴隷堕ちしたことで潰えてしまった。もったいないことだ。真面目にやってりゃ、今頃アイアン3にはなってただろうに。
「ここじゃ自分のやりたい仕事もできなくて参っちゃうよ。仲間達とも離されるし、同室の奴らは嫌な性格だし……正直、違法罠のことは何度も後悔してる。今でも寝る前は毎日な」
「しんどいか」
「まぁね。けど、さっきも言ったけど看守に気に入られたおかげで酷い扱いはされなくなってるよ。虐められたりは、まだ無いな」
「そうか。幸運だったな」
「あとちょっとで出られるらしい。……今度は違法じゃない普通の罠で猟をするよ。それで、好きなだけ肉を食べるんだ」
「肉は、ほとんど出ないのか」
「出ない。オートミールばっかりさ。たまーに、スープの中に屑肉みたいなものが沈んでるだけ。……ふう、今日は暑いな……」
「……だな」
真面目に取り組めば犯罪奴隷とはいえ、模範囚的な扱いを受ける。
少なくともぶーたれて反抗的な態度を取るよりは、解放されるのも早くなるだろう。
こいつの犯罪も軽いものだったし、さほど時間がかからないだろうな。
「おいロディ、こっちこっち」
「え? なんだよモングレルさん……」
「他の奴に見られないようにこれ、食っとけ」
「……」
俺がロディに差し出したのは、一枚のジャーキーだ。
クレイジーボアから作った極々普通のジャーキーである。しかし俺なりにベストなスパイスを利かせた、良い感じの味付けの逸品だ。
ロディは少しだけ悩むような素振りを見せてから、黙ってジャーキーを口に運んだ。
そして今の一瞬の後ろめたさを隠すように、そのまま土を運ぶ作業へと戻る。
「どうよ、味は」
所詮は保存食だ。生のものを焼いたようなジューシーさは少しもない。
それでも、ジャーキーを何度も噛みしめるロディの横顔には一筋の涙が伝っていた。
「……美味いよ。すげぇ美味い……またボアを獲りてーなぁ……」
「仕事、真面目にやってこうぜ。すぐにそんな生活に戻れるさ」
「うん……」
この日の作業は捗った。全体で言えばまだまだだろうが、少なくとも俺達のいた区画の進捗は悪くなかったことだろう。
半分以上監督をサボってた兵士にはちょっとした嫌味を言ってやりつつ、ロディの働きが良かったという話はしておいた。
それが作用するのかしないのかはわからんが、できればいい方向に転がってくれると良いなと思う。
「そして風呂ですわ」
犯罪奴隷はあの後せいぜい水を浴びたりなんだろうけど、俺は綺麗なお風呂をいただこうと思います。
悪いなロディ君。俺は土にまみれた後は風呂に入りたいタイプなんでな……一人だけ身奇麗にさせてもらうぜ……。
「おじゃまするぞー」
「あ、モングレル先輩。お疲れ様っス。お風呂入るんスね……って、結構汚れてるじゃないスか」
「仕事でちょっとな。まぁ、風呂に甘えるつもりで来た。廊下は汚さないから勘弁してくれ」
「いや別に構わないっスけど。汚れてるのがなんか珍しかっただけっスよ。ナスターシャさんはもう準備してるんで、お湯ができるまでロビーで待ってて欲しいっス」
「いや、さすがにこの格好で汚すわけにもいかねえよ」
玄関でライナと話していると、奥から袖を濡らしたナスターシャが歩いてきた。
「風呂なら準備できたぞ。ゆっくり入ると良い、モングレル」
「お、悪いなナスターシャ。ありがたく堪能させてもらうぜ」
「今日は前のようなビールは準備していないのか?」
「あー、持ってきたかったんだけどな、忘れたわ。まぁ別になくても良いんだよ。大事なのは風呂本体だ」
「何かあれば呼んでほしいっス」
「おー」
クランハウスに入り、脱衣所へ。
いやー、本当に綺麗な建物だ。“収穫の剣”も普段からこのくらい綺麗にすりゃいいのにな……。
とりあえずパパッと脱いで、さっと浴室へ。
手桶で身体の汚れを流し、流し……それはもう入念に流し……。
最低限、現代人らしい禊を果たしたなってタイミングでお湯に浸かる。
ざぶん。……ぉぁああぁ……。
「湖とは違うな……やっぱ……」
前に泳いだ湖もそれなりに汚れ落としにはなったが、やっぱりお湯なんだよな。
水じゃ絶対に落ちない、それこそ灰を使っても拭えない見えざる汚れっていうのかな……そういうのが、お湯に浸かることで初めて溶け出すっていうか……。
遠回りな言い方になっちまったがつまり、風呂最高だわ……。
「……モングレルさーん、入ってる?」
「お? ウルリカか。なんだー」
「……お邪魔しまーす」
「っておいおい」
俺が止める前に、ウルリカが浴室へと入ってきた。
「えへへ、誰かと一緒に入るなんて初めて……なんか変な感じ……」
しかも脱いでるし。
下は布を巻いて隠してるけど、上は裸だ。そしてそんな姿を見てようやく、ああ、やっぱりこいつ本当に男だったんだなって実感が湧いてきた。
けど男同士とはいえ、ここはあくまで個人用の風呂だ。一人の風呂タイムを邪魔されるのはちょっとな……。
「ウルリカお前、俺は孤独で静かで豊かな風呂をだな……」
「はいこれっ、モングレルさんのために持ってきたエールでーす」
「……マジかい?」
「しかもナスターシャさんが冷やしてくれました。どうー? 私偉い?」
とりあえずエールを貰って一口。……あーうめぇ……熱い風呂に浸かりながら飲む冷えたエール最高だわ……。
「あと……これはまぁ、モングレルさんが嫌だったら良いんだけどさー……背中とか流してあげよっか? ほら、洗いにくいでしょ? 日頃から私もお世話になってるしさ……本当に嫌じゃなければ良いんだけど……」
「……そんな恩返しをされるほどウルリカ達に何かした覚えはないんだけどな」
けどこうして浴室に入ってくる辺り、ウルリカもこういう女所帯での暮らしで寂しさを感じてもいたんだろうか。
共同浴場に入ると面倒くさい男に狙われそうな顔してるもんな……。
「しょうがない。じゃあ背中洗うの任せていいか?」
「えっ、良いの? 本当?」
「男同士裸の付き合いだ。もちろん、ウルリカも身体を良ーくお湯で流して洗っておくんだぞ。風呂の前に身体を流さないやつは男女問わずゴブリンと同じだ。良いな?」
「う、うん。そうする……ゴブリン扱いは嫌だし……」
風呂でしばらく温まった後、ウルリカに背中を流してもらう。
自分でも長い布を使えば洗えないことはないが、どこにでもありそうな手ぬぐいで、しかも洗浄力の弱い洗剤で洗っているようなものだ。そんな生活を長年やってきたせいもあって、ひょっとすると俺の背中は酷い汚さかもしれない。
「どうだウルリカ、俺の背中汚くない? 背中の中心の、首の下辺りとかどう? なんか変色してたりとかない?」
「べ、別に普通だよ……? なんだかモングレルさん変な所気にするんだねー……女の子みたい……」
「自分じゃ見えないんだからしょうがないだろ。……あー、汚れが落ちてそうな感じがする……」
以前は超高級娼婦に文字通り洗ってもらっただけの風呂を堪能したけど、あの時の娼婦は俺のことすげー不本意そうに睨んでて落ち着かなかったな……。
あの子は今何をしてるんだろうか……。
「……はい、おーわり。次は前ね?」
「前は自分でやるっての」
「あはは、そりゃそっか……」
「ウルリカの背中も洗ってやろうか?」
「え、え? い、いや……うん、モングレルさんが良いなら、お願いできる……?」
「気にすんなよ。ほれ、後ろ向け」
「……うん」
ウルリカの背中を洗いながら思い出すのは、前世の記憶だ。
こんなにつるつるした肌じゃなかったが、介護施設に入る前の祖父にもよくこうして洗ってやったっけ……。
「んっ、あ……」
「お、悪い。痛かったか」
「大丈夫、へーきへーき……も、もう終わりでいいよ。流しちゃお」
「そうか? まぁそうだな」
再び湯船に浸かりながらエールを楽しむ。贅沢なひとときだ。
足を伸ばして一人で湯船に浸かるのも良いが、今はウルリカと横並びになって風呂に入っている。
身体を洗うのにさんざん浴槽のお湯を使ったせいで嵩が減ってたから、ある意味二人いて良かったのかもな。
この狭苦しさもどこか懐かしくなるぜ。
「モングレルさんはさ……こういうお風呂入ったことあるんだ?」
「あー、まぁ、ちょっと似たようなのにはな。ここほど立派な風呂ではなかったが」
本当は継ぎ目のない浴槽でボタンひとつで楽しめる風呂だったが、そんなことを正直に話しても混乱させるだけだしやめておく。
「余裕がある時は……そうだな、水をためて沸かして、それで入ってたぜ。……開拓村で、ある程度自由だからできた贅沢ってやつだな」
「そうなんだ……」
「ウルリカはどうだったんだ、こういう風呂とか入ったことないのか」
「え、私の家は別にそういうのなかったし……近くの泉で水浴びするだけだったよ。けど、それでも気持ちよかったなぁ。だからそういうの元々好きだったし……アルテミスに入れて本当に良かったよ」
泉か、前もそんな話してたな。
良いなぁ泉。そんな便利なもんがあるならシュトルーベの開拓ももうちょっと楽だったんだが。
「ねえ、しつこいかもだけどさ。モングレルさんもアルテミス来ない? お風呂もあるんだよ?」
「心がすげー揺れるけど、嫌だね」
「……ライナも昇格して、シルバーになるし。モングレルさんも一緒にシルバーに上がってさ」
「俺は何度でも断るぞ? 女ばっかの所じゃ息が詰まるし……」
「私もさ。他の男の人ならともかく……モングレルさんなら、良いよ?」
なんか……その言い方ちょっとエッチやん……。
いや錯覚だ。落ち着け落ち着け。
「別に、アルテミスが嫌いなわけじゃねーよ。俺は俺なりに、ソロかつブロンズだからこそできることをやりたいんだ。……まぁ徴兵が嫌ってのも半分以上は理由としてあるけどさ」
ブロンズでも徴兵はパーティー単位で持っていかれることもある。
それを防ぎたいって気持ちもひとつ。なにより、まぁ行動の自由度がな。
「むー……何度誘っても靡かないなぁ、モングレルさん……」
「話だけなら“収穫の剣”とか“大地の盾”からも来ることあるけどな、全部断ってるんだ。アルテミスも同じだぜ」
「えー、そうだったんだ……他のパーティーも……」
まぁ他は大して熱心な勧誘でもないけどな。丁重にお断りさせてもらったよ。
「……じゃ、じゃあもう私がモングレルさんに色仕掛けしちゃおっかなー、なんて、あはは……」
「……」
「……何か言ってください……」
いやお前、そんな茹で上がったタコみたいな顔色して言われてもね。
「自分で恥ずかしいと思ってる事なら口に出すなよ……」
「……もう上がるもん!」
「あ、怒った」
「怒ってないよ! ふーん!」
ばしゃばしゃと浴槽から出て、ウルリカは脱衣所に逃げてしまった。
……一人分減ると、喫水浅くなるなぁ……。
再び一人になった浴槽で足を伸ばし、残ったエールを流し込む。
……うん。全身浴にエール。身体に悪いけど最高の組み合わせだ。
またいつか別の機会に、こうして風呂と酒を一緒に味わえないものだろうか。