ことの発端は、3月にあった例の納采の儀のことだった。
「ねえ、わたくしのほうは失敗させたことだし、しばらく時間稼ぎが出来たけれど……だからといって、あなたに流れることはないわよね?」
翠星ちゃんのこの一言に、軽く「あははははは、ないないない!」と笑った蜜香ちゃんは、次の瞬間顔色を変えて、「いやまて、最近なんか接触してきてる男がいるな?」と一言呟いた。
「オレそれ知らねえッスよ。そういうの自分で気をつけてくださいって、お願いしてましたよね?」
「ごめん、自分が渡会にとってそういう対象になる可能性を完全に排除してた。ちょっと相談するわ」
真顔のままどこかに電話を掛け始めた蜜香ちゃんに、西山も青い顔になって頭を抱えていた。
翠星ちゃんもこめかみを抑えていた。
「……え?」
ひとり状況に取り残されたオレは、このときはよくわかっていなかった。
ここから蜜香ちゃんは、仕事だけでなくプライベートでも忙殺されることになる。
☆
念のため翠星ちゃんをあの屋敷へ避難させてから東都に呼び出された。
「そういえば恒次のこと、ちゃんと紹介するの忘れてたんだよね。一文字一家って言ってわかる?」
蜜香ちゃんとはホテルのラウンジで合流した。
このホテルは先日、翠星ちゃんが利用したところではなく、海外に本社のある高級路線のホテルだ。
「岡山拠点の?」
西山と2人で蜜香ちゃんの座るソファの後ろへ立ち、相手の到着を待つ。
「そう。先代の会長……今は隠居爺を自称してるんだけど、まだ影響力の強い方でね。その方がうちの親爺と、兄弟盃、それも五分のを交わしてて……盃のことは勉強したよな?」
「あ、はい。わかります」
一文字一家の先代の会長といえば、かなり有名な任侠だ。
中国地方のほとんどを牛耳り、九州の一部まで傘下に置く。
東の清生、西の一文字と言われ、比肩して劣らない勢力を持つ指定暴力団である。
龍桜会と港会の抗争の際には龍桜会側についたのは知っていたが、そうか、兄弟盃を交わしてたのか。
五分といえば上下の別なく、対等な関係であることを示す。
「今の頭とアタシらの父親も
「そう、だったんですか……」
斜め後ろからだと、蜜香ちゃんの顔色は伺いしれない。
フラットな声色は、いつもと変わらないように思えた。
「来た。気合い入れなよ、恒次。相手は百戦錬磨の猛虎だ」
3人の男性が入口からロビーを突っ切ってこちらへまっすぐ向かってくる。
先頭を歩くのは、確かに一文字一家の長、通称を山鳥毛と名乗る男だった。その後ろに背の高い男と金髪の男が続く。
見えた瞬間から立って待っていた蜜香ちゃんは、キレイな姿勢でその様子をずっと見ていた。
近づくと、男が軽く腕を広げる。
「先日ぶりだな、小鳥。こんなに直近で会えて嬉しいよ。おいで」
ハグで始まった挨拶は、かなり親しげな様子だった。
「ご機嫌ようおじさま。先日は父のためにありがとうございました。此度もわざわざ私のためにご足労頂いて、申し訳ありません」
「小鳥のためならこれくらい、苦ではないさ」
先日……清生瑩龍の十三回忌か!
大勢が来るのと、襲撃があっては困るからとオレは外されてたけど、そうか、来ていたのか。
「ふふ、こうすると大きくなったのがよくわかる。先日もかなり立派に施主を勤めていたが、時が経つのは早いものだ」
「ありがとうございます、おじさまにそういって頂けて嬉しい。今日は広い部屋をとりましたから、そちらでゆっくりおはなししましょう」
「ああ、移動しようか」
やりとりの間、ずっと視線を感じていた。
移動の間も刺さるような視線を感じる。
エレベーターに乗り込むと、口火を切ったのは山鳥毛の右後ろに立っていた背の高い男だった。
「琥珀、彼が例の?」
「にこ兄、気が早くない?そうだよ。ちゃんと紹介するから待って」
「いや、彼が気の毒でな。どら猫、あんまり威嚇するな」
「威嚇はしてねーって……うす」
「ふふ。きみ、うちの子猫がすまないな」
「あ、い、いえ」
みんな動かないまま、会話は続けられる。
「にゃんくん、なんでそんな睨んでんの?」
「目付き悪くて悪かったな」
「何言ってんの、猫目かわいいよ」
「おまえマジふざけんなよ蜜香ァ……」
「どら猫、気を抜くな。ちゃんと立て」
「もー、ホントやだ……」
「南泉さんどんまーい」
西山がどつかれた。
な、なんか和やかになった……?
とにかく、ずっと見られていた視線の圧が緩和された。
事前に渡された資料からいくと、背の高い男は山鳥毛の左腕と称される
こちらは一文字一家に名を連ねている新進気鋭の男。
確か歳は谷岡さんと同学年だったはずだ。接触があるかは分からないが、大学も同じで同期生。学部までは書かれていなかった。
今は岡山にいるが、学生時代は都内にいたことはわかる。
対する金髪の男は一南泉。
まだ大学4年生で、出身さえ見なければ一般人と称して良いほどクリーンだった。西山と同い年なのか。
猫呼ばわりされてるけど、怒らないのか、怒れないのか。
エレベーターを降りる頃にはまたピリッとした空気が戻っている。
切り替えが早く警戒を怠らないのは、それだけこの会談が重要視されているからだろうか。
部屋はもちろん、スイートルームでとっていた。
すばやく日光さんと西山が中に入り、安全の確認をとってから入室する。
このあたりに同じ階層の建物はないが、カーテンはしめている。射撃を警戒してのことだった。
「さて、本題に入る前に紹介しますね。こちらが警視庁から預かってる唯野恒次。本名は言わないでおきますけど、知りたかったら仰って」
蜜香ちゃんと山鳥毛さんがソファについてすぐにそう紹介されて頭を下げる。
蜜香ちゃんから事前に、オレが警視庁からの預かりである旨を話すことは聞いていた。オレが不必要につつかれないためだという。
「いや、いい。小鳥が消したあとだろう?」
「まあそれなりに。とりあえずネットに残ったものはすべて書き換え済み。警察学校以外の公的書類もそこそこ」
「それなら調べても意味がないからな」
これはマジでありがたいんだけど、警察の身としては正直そのノウハウが怖い。
警視庁公安部と分担して、個人の持つ卒業アルバム以外はすべて痕跡を綺麗にしてくれている。
そのかわりに唯野恒次という人間もきっちり出来上がっていた。
「それじゃあ本題に移ろう」
山鳥毛さんが少し、前のめりになる。
左隣を軽く叩き、そこに南泉くんが座った。
「いいのか、本当に。これは瑩龍が生きていた頃に交わした、冗談混じりの話だったんだが……」
山鳥毛さんが少し目を伏せる。
蜜香ちゃんは、少し黙って、それから口を開いた。
「……本音を言うと、私の結婚相手に関しては諦めてるの。誰でも良いわけじゃないけど、私の身体は私のものではないと思ってるから」
少し砕けた口調は、ふわふわと甘い声色だった。まるで、幼い頃を夢見るような。
それでいて、内容には苦みしか無い。
「それは、翠星のためか」
「うん、それもあるけど……私は、清生琥珀であって清生琥珀ではないから」
「渡会蜜香、か」
「そう」
その会話の意味は、よくわからなかった。
「でも、今の私には、清生琥珀にも、渡会蜜香にも、結婚相手が必要で……私を潰されると、今後の翠星が動けなくなる」
「うちで翠星を保護するのは難しいからな。龍応殿も、翠星を連れてくる気はないのだろう」
「あの人、本当にオンナには興味ないから。私が潰れれば龍惺を連れ戻せばいい、って本気で思ってる節あるし」
「龍惺がそれを望まなくても、か」
「結局のところ、自分の子供のこと、父以外は本当にどうでもいいんじゃないかな。条件で行くなら玖龍もそうなのに、お気に入りを優先させるあたり見てると余計そう思う。玖龍には申し訳ないけど、順当にいけば玖龍が先でしょ?」
玖龍は谷岡さん、龍惺は谷岡さんの弟か。
清生龍応のお気に入りは龍惺さんのほうらしいことは、谷岡さんからも聞いているけれど、本気なのか。
「私には本当の意味での後ろ盾として、親爺の庇護は望めない。今の私があの人にそこそこ気に入られてるのは、父の子どもで、父の言動と似ているからと、容姿が最初の妻に瓜二つだからだと思う。翠星がそこにひっかかってくれればいいけど、親爺のことだから気まぐれに捨てられてもおかしくない」
「……だろうな。それは私もわかる」
ふう、とため息をついて山鳥毛さんが額を抑える。
「本当は翠星とまた一緒に暮らせるのが一番いい。でも、世間はそれを許してはくれない。私たちはまだ未成年で、親権は渡会と清生がもっていて……どこかに逃げても、法律を盾にされれば確実に私たちが負ける」
「唯一対抗できるのは、結婚に関することだけ、か」
「そう。だから、儀式上でも不受理届でも、ギリギリのラインで翠星が反抗できている今が一番、翠星を自由にできるチャンス」
蜜香ちゃんが立ち上がり、おもむろに床に膝をついた。
「蜜香!?」
「琥珀!」
きれいな三つ指のそろった土下座だった。
「お願いします。南泉くんを私の結婚相手にください。私に一文字の後ろ盾をください」
絶句し動けなくなるほどの威力を持って、その場は凍りつく。
「清生琥珀として兄弟盃を交わすだけじゃダメなの。それだけじゃ、私が渡会と結婚させられる可能性が出てくる。南泉くんとの婚姻が一番、私にとって安全で、翠星が自由になれる唯一の道で、もうそれしか私に取れる手が残されてないんです」
一度も頭はあげられることなく、けれど部屋に声が響く。
「南泉くんも、こんな理由で結婚を申し込んでごめんなさい。今まで仮の許婚みたいな扱いだったはずなのに、急にこんなこと、南泉くんの意志を無視して、こんなお願いして本当にごめんなさい。でも、南泉くんでないと意味がないの。御前の直系の、南泉くんじゃなきゃ」
動いたのは、南泉くんだった。
蜜香ちゃんの前にしゃがみ、頭を撫でて、それから横に。
「お頭、オレからもお願いします」
隣に並んで、こちらは膝をついて頭を下げた。
「女に頭下げさせるような情けねえオレだけど、蜜香のところに行く覚悟だけは前から決めてた。今まで好き勝手させてもらっといて、感謝してもしきれねえし、これ以上ワガママいうのもどうかと思うけど、これだけは通させてほしい。これで最後にするから、どうか、よろしくお願いします」
「どら猫……」
日光さんが、思わずといったように呟く。
山鳥毛さんは仕方なさそうに、それでも愛おしそうに目を細めて頬を緩めた。
「顔を上げなさい、二人とも」
それでもあげない二人に、日光さんが動いて肩を叩く。
南泉さんには頭にも一発くれていた。
二人が顔をあげるのを待って、山鳥毛さんが話し出す。
「二人の気持ちはわかった。……あんな小さな子どもだったのに、もう結婚の話か。私も年を取るわけだな」
「お頭はお若いですよ」
「はは、世辞は今いらないぞ日光。……ふふ、この話をしたら、瑩龍が苦虫を噛み潰すような顔をするだろうな。目に浮かぶ」
山鳥毛さんは穏やかに笑い、立ち上がって二人の頭を撫でた。
「好きになさい。でも琥珀、私からいくつか条件を出させてくれ」
「……はい」
蜜香ちゃんが居住まいを正す。
「一つ、清生琥珀として一文字一家まで赴き、私と盃を交わすこと。これは前から予定していたからわかってるな」
「はい」
「二つ、子猫に龍応殿との親子盃を交わさせること。これらはおまえが段取りをとりなさい。いいな」
「もちろんです」
「三つ、これが一番重要だぞ。よく聞きなさい」
ちょっと肩が動いた蜜香ちゃんは、素直に頷いた。
「南泉と、ちゃんと夫婦になること。うちの子猫も立派な男だからな」
蜜香ちゃんは、隣の南泉くんをみて、それから笑った。
「いいお嫁さんになれるように頑張ります」
「ふふ、そうか。さて、子猫。おまえにも一つ」
「うぇっ、オレ!?う、うす」
南泉くんの背筋がピーンと伸びる。
「頭をさげたからには、必ず貫き通せ。琥珀以上のいい女は、探してもなかなかいないぞ。逃がすな」
「逃げませんけどォ!?」
「ウス!」
……決まったのか。
これで一文字一家と清生の結びつきがまた一段と強くなった。
警察の監視はより一層強まるだろう。
蜜香ちゃんはそれも折り込み済みのようだけれど。
それでも、翠星ちゃんのために自分の結婚相手を決めるのか。
翠星ちゃんには、自由に選んでいいと言うのに。
この子はどこまでいっても、姉のために自分を縛るんだな。
なあ、荻原。本当に、どうしたら良かったんだろうな、オレは。