環状線に仕掛けられた爆弾は、蜜香の予想通り線路にあった。
俺は環状線爆破の本命が森谷教授の設計した橋にあると考え、森谷邸に確認にきて教授の犯行を暴いたが、米花シティビルのことを見落としていた。
「あそこには蘭が!」
「10時はもうすぐだぞ!」
「まあまあ、みんな落ち着いてよ。お茶が入ったから一息つこうぜ」
突然聞こえた玲瓏な声に振り返る。
ギャラリーの入口にはにっこりとお手本のように笑った蜜香がいた。手にはティーセットがある。
「こんばんは〜。良い夜ですね、せんせー。勝手に厨房借りてすみません。いやァ、せんせーのことだから絶対キッチンなんてこだわり抜いたろうなと思ったけど、かなり使いやすくて驚きましたよ。なんか参考にしました?」
「み、蜜香くん……?どうしてここに」
森谷帝二がうろたえるが、俺は自分の血の気が引いていくのがよくわかった。
間に合わなかった。
「あはは、そんな気になります?ほら先日、手土産にダージリンのファーストフラッシュ持ってきたじゃないですか。アレ、飲んでくれたかなーと思って」
「あ、ああ……頂いたよ、一度。さすが蜜香くんが選んだものだけあってとても良いものだった」
「良かった。手に入ったもの飲み比べて、一番美味しかったもの持ってきたんですよ。選ぶの楽しかったなぁ、せんせー紅茶好きでしょう?セカンドフラッシュと悩んだんですけど、時期的に春摘を楽しんでいただきたくて」
蜜香は言いながらトレーを西多摩市構想の模型ケースに置き、カップを丁寧に布巾で拭いて、ティーコゼーをかぶせていたポットから紅茶を注いだ。
どうぞ、と蜜香は森谷帝二、目暮警部、おっちゃん、白鳥刑事、俺へとカップを渡していく。
「ああ、なんか混ぜものの心配でもしてます?大丈夫ですよ、アタシ、飲食物に毒物混ぜるの本当に嫌いなので。殺すなら物理って決めてるんです」
ああ、翠星があんなふうになった原因、そうなんだっけ……。
というか、警察の前で堂々と物騒だな。
「カップもきちんと拭きましたでしょう?これが最後に拭いたもの。ご安心できるようにまずはアタシから口をつけましょうか」
す、と蜜香はカップに口をつける。
「うん、美味しい。綺麗でしょう、この色と艶。華やかで透き通るような爽やかさのある香りと味。イイモノ選んだんですよ〜」
「蜜香くん、今はそれどころじゃないんだ、米花シティビルが」
目暮警部がそういうと蜜香は、く、と口の端をあげた。
「これで帝二先生とお茶するの楽しみにしてたんですよ、本当に。ローズガーデン見に来るって仰ってたし、新しい襖もみていただきたかった。最後になるなら、晩餐とはいかずとも一杯くらいは共にしたくて伺ったんです」
森谷帝二が紅茶の香りをかぎ、口をつける。
飲み込んで、ふ、と笑った。
「キミが清生琥珀でしたか、蜜香くん」
「ようやくおわかりになりました?声で気付いてくれるかと思ったんだけどなぁ」
森谷と蜜香の視線が交わる。
お互いが穏やかだった。
「ふふ、聞いたことがあるとは思いましたよ。蜜香くんの声は耳に残りますからね。君のテノールの音に似ている、と」
「せんせー、クラシックお好きでしたもんね。良く歌いましたよね、さらば愛の家」
本当に仲が良かったのだろう。ガーデンパーティで遠慮なく戯れにいっていた蜜香を思い出す。
一線を引きがちな蜜香が自分から絡みに行く相手は、身内じゃなければ珍しい。
「……先生じゃないといいな、と思ってたんですよ。でもね、先生ならやるなって思ったんです。だから、気づかないフリだけしてあげました。感謝してくださいよ、この時間まで引っ張ったんだから」
ドン、と揺れて、窓の外を見る。
米花シティビルが赤く見えた。
「蘭!」
「ただね、許せねーことが一つだけある。アンタは一般人を巻き込んだ。それだけがどーしても、アタシには我慢ならねーのよ。ましてやアタシの大事なモンに手ェ出されて、黙ってられるわけがねーんだ」
蜜香は落ち着いている。
「おじさん大丈夫、蘭姉ちゃんは無事だよ」
「何を言って」
「蜜香ちゃんが!蘭姉ちゃんのことを、蜜香ちゃんが危険にさらすわけないよ!」
だよな、蜜香。
「よォくわかってんじゃねーの、コナン。大事な大事な幼馴染が危ない目にあうってのに、アタシがこんなに大人しくしてるわけねーだろ。本当にリラちゃんがそこにいるなら、な」
紅茶を飲み干した蜜香は、俺が持つ紅茶を指さして飲まねーの?とばかりに首を傾げた。
飲む。
ダージリンファーストフラッシュなんて、おまえが買ってくる以外で飲めねーもん。
「てーじせんせー、あんまりSNS好かないでしょ。それどころか、テレビすら見ないことのほうが多い。でも、今回くらいは見るかなって思ったから、わざと情報規制させなかったんだけどな。その様子だと見てなさそうだ」
「なに?」
「17時の時点で米花シティビルは客、職員、すべて避難完了し、19時の時点で位置的にビルの破片が散逸しそうな爆弾は解除した。再設置も完了した時点で退避もすんでるよ、それが20時」
……ん?なんか今変なこと言わなかったか?再設置?
「ま、このまま見ててくれよ。キレーに崩れるから」
「「「「は!?」」」」
「というわけで解体工事でーす!」
パッと華やかに笑った蜜香は、いそいそとタブレットを出し、窓際に持ってきた。
「いやぁ、世界にはちょっとイカれた爆弾魔が居てね?そいつ国際指名手配されてるらしいんだけど、建築物の爆破解体させるとマジで芸術的だから、アタシ大好きなんだよ!ドンパチやってないときは電話一本で繋がるのもポイント高いんだぁ、今回も頼んだら全部計算してくれた」
ケラケラ笑っているが、こいつどんな伝手もってんだ。
「タイマーも弄らせてもらったからさぁ、あと10分くらいかなー。これ中継映像、インターネット配信のやつ。ポチに爆破解体やるよって言ったら、喜々として現場行ったから映るんじゃないかな。ずっと見たがってたし」
「お、おい蜜香くん……」
「あ、大丈夫だよ。警察のお偉いさんには許可取った。ついでに伝手使って報道に圧力かけさせてもらいました!今回の件はもうすでに解決済み、テロの可能性は低いけど爆弾の解体が間に合わないって発表してありまーす」
完全に見物気分でいやがる。
蜜香のライダースをひっぱると、蜜香はしゃがんだ。
「蜜香ちゃん、本当に蘭姉ちゃん大丈夫なんだよね?」
「ん?リラちゃんなら心配しなくていーよ。アタシのマンションで今、ノコちゃんとスイーツビュッフェしてるから。ちょー平和。さっきまでそこに混ざってたんだけどさぁ、イッくんこの件で来れねーって伝えてきた。今日にゃんくん居ないから、このあとパジャマパーティーしようと思ってるんだけど、コナンもくる?キミ明日、誕生日だろ。ケーキ用意してあるよ」
いや、俺のこと言ってくれるのはありがたいけど。
つーかこいつ、今まで何してたのかと思ったら蘭と園子と遊んでやがった。
「はは、女子会まざるのは遠慮しとく」
「あら残念。じゃあリラちゃんに帰りケーキ渡しとくわ」
そのまま蜜香は俺を抱えて立ち上がる。
「さ、もうそろそろだぜ」
ネット配信の中継映像は、そこそこの距離から米花シティビルを映している。
「Five,Four,Three,Two,One.」
カウントを始めた蜜香は、く、と口の端を持ち上げる。
「Zero!」
ドォン、と遠くで聞こえて、窓の向こうで、映像の中で、米花シティビルが崩れていく。
「先生がやりたかったのは、30代につくった不完全な作品をこの世から消し去ること、でしょ?自分の満足できない作品は愛せない、そういう気持ちが芽生える芸術家の気持ちはわかるよ」
蜜香は目を伏せて、小声で「気持ちはね」と呟いた。
「ついでに工藤新一への恨みを晴らしたかったわけだ。でもイッくんは流石に譲れねーからさァ、作品消すのだけは協力してあげよーかなと思って」
顔をあげた蜜香はそう言いながら振り返り、森谷帝二を見た。
こつん、と蜜香の頭が俺の頭にもたげてくる。ぎゅ、と抱きしめられる力が強くなった。
「アタシ、本当に先生の作品好きなんですよ?不完全でも、あのコたちは美しかった。谷岡に会社任せたら弟子入りしたいって言ったの、冗談じゃなかったんだけどなぁ」
「それはヤクザから足を洗うまで待ってほしかった、ということかな?」
森谷の言葉に蜜香は眉尻を下げて、く、と口の端をあげて笑う。
「いいえ。アタシがアタシじゃなくなった、そのときに。そんなにお待たせするつもりはなかったんですけどね」
蜜香は俺を降ろし、森谷帝二に近づき、抱きしめた。
「大好きです、帝二小父様。どうぞ御身体にお気をつけて」
「ありがとう、蜜香くん。いつかキミがこだわりぬいた最高傑作を、私に見せてくれたまえ。楽しみにしているよ」
「……はい」
森谷帝二は少し、嬉しそうな顔をしていた。
☆
翌日帰宅した蘭は、白い箱をもっていた。
「みっちゃんがこれ、コナンくんにって。女子だらけで遠慮させちゃったから、今度は南泉さんもいるときにおいでって言ってたよ」
「ありがとう!あれ、2個入ってるよ?ショートケーキと、こっちはなに?」
箱におさめられた小さな丸いケーキは、上に飾られたイチゴがきらきらしていた。ショートケーキだ。
隣には真っ白なメレンゲに焼き目をつけたタルトがある。
「そっちはタルトシトロンっていうレモンを使ったタルトなの」
「へえ!蘭姉ちゃん、一緒に食べよ」
「私は昨日いっぱい食べたもの、大丈夫。コナンくんが両方食べていいよ」
「いいの?」
「うん。みっちゃんからのお詫びの気持ちって言ってたし」
蘭が紅茶をいれてくれるというので、皿にだして眺めた。
ショートケーキにのったチョコレートのプレートには、“
何故フランス語。
というか、本当にあいつ誕生日ケーキとして用意してくれてたのか。
そういうとこ律儀なんだよな。
「大量に作ったから食べに来てって言われて行ったんだけど、本当に部屋一面スイーツだらけですごかったのよ。写真みる?」
紅茶をいれた蘭が隣に座るのを待って、ショートケーキから食べる。
イチゴの酸味でさっぱりして食べやすい。サイズ的にも丁度いいし、くどく感じない。
「わ、すごい。え、これ蜜香ちゃんのお家だよね?」
「うん、そう。すごいよね」
ケータイで撮った写真を見せてもらうと、ダイニングテーブルやカウンター、ローテーブルにも所狭しとゼリーのはいった器や小さなケーキが並んでいた。
マジでスイーツビュッフェじゃねえか。
どこに向かってんだあいつは。
「せっかく一緒に暮らしはじめたばっかりなのに、南泉さんは結納の打ち合わせで福岡のご実家に帰省されてるんですって」
へえ、それで南泉さん居なかったのか。
「みっちゃんはお休みが昨日だけで、ついていけなかったから寂しかったのかな。手持ち無沙汰だと手の込んだことしたくなるみたいで、料理の作り置きとか大量にしてるのは知ってたんだけど……。前より品数が多くてびっくりしちゃった」
「ん?蜜香ちゃん、こういうの何度もやってるの?」
「これで4度目だったかな。前は試食会のあまりって言ってたけど、今回はイチから全部作ったみたい」
「何してんの……すごいね……」
思わず本音が出た。
仕事の一環ですらないのか、これ。
料理はストレス発散、とか言ってるのは聞いたことあるが、だからってここまでやるか。
以前から思っていたが、蜜香って時間を操れるんだろうか。
一昨日まで仕事で、昨日は事件があって、その中でこれを用意するヒマがどこにあったんだよ。
あいつの家の冷蔵庫が、家庭向けの一般タイプではなくて業務用のものなのは知ってるが、それでも生菓子なら作り置きに限度があるはず。
「タルトも今食べちゃう?」
「うん」
ショートケーキをぺろっと食べれてしまったので、タルトも貰う。
小さなタルトに焼き目のついたメレンゲがたっぷりとのって、その上に黄色いソースのようなものがのっている。
フォークをさすと、焼き目があるから固いのかと思ったメレンゲがすんなり沈んでいく。中もクリームなのか、思ったよりずいぶん柔らかい。
タルト生地をさっくりと割ると、それなりに固まっているのか黄色のクリームはあまり垂れてこない。どうなってんだこれ。
食べるとレモンの爽やかな酸味がきいていて、甘いけれどさっぱりしている。
コナン名義のスマホにメッセージが届いて、蘭が紅茶のおかわりをいれにいったので取り出す。
『レモンパイじゃなくてごめんね』
……覚えてたのかよ。
『ごちそうさま、美味しかった』