それからまたあの山奥の屋敷へ二週間滞在して行儀指導を受け直し、オレは翠星ちゃんのいる渡会家へと送られる。
そこで翠星ちゃんの御付きとして生活しているわけだが、渡会家は針の筵だった。
オレにではなく、翠星ちゃんにとって。
「なんなんですか、ここ……」
「ふふ。わたくしにとっては慣れたものですけれど、あなたにはつらいかもしれませんね。こんなものですよ、呪術の大家なんて」
新興宗教の団体に一度潜ったことはあるが、そこよりも異様で酷く陰湿だった。
そりゃあっちは相互扶助だから仲間意識があるのかもしれないが。
毎日のルーティンワークのように行われる人権侵害やモラハラでこっちがノイローゼになりそうだ。
食事に混ぜられている有毒植物を見て、血の気が引く。
「あら、今日は随分と杜撰だわ。ニラに見せかけて、なんて在り来りすぎてつまらないわね」
スイセンだった。調理済みの。
「……ちなみにチョウセンアサガオも」
どこの部位を切り取っても何かしらに似ていると誤食が絶えない有名有毒植物である。庭に植えてあるのを見た。
「大抵の部位は経験済ですよ」
「そんなあっけらかんと……!」
翠星ちゃんに会うたびに蜜香ちゃんが食材を見せて目の前で手料理を作って食べさせているのを何でかと考えてたけど、予想以上に酷かった。
翠星ちゃん毒耐性ついてるけど気を抜かないようにね、と言われた時点である程度想像は出来てたが、内情が酷すぎる。
「ヒ素は使われないから安心してくださって結構よ」
「そんな可能性まで考えなきゃいけないんですか?」
双子が下手な潜入捜査官より修羅場をくぐっているし能力を持っていることを風見さんに報告したら、風見さんは胃を抑えていた。
その気持ちよくわかる。彼女らまだ十六歳なんだよな。
三月末、宗家からやってきた若い、と言っても二十歳過ぎくらいの男性と、参議院議員だった渡会家当主が翠星ちゃんの元に来た。
「随分久しく顔を見なかったな、翠星」
「あら、態々御隠居にまで御足労頂くなんてわたくしも偉くなりましたわね。どちらが上の立場かしら」
「は、小癪な」
おー、コワ。
元衆議院議員の渡会行春って言えば良い噂しか聞かない穏健派で知れてたけど、やっぱそういう人間には裏があるんだよな。
「若君まで連れて、いかがいたしました?」
「随分なご挨拶だな、小娘風情が。おまえの価値はその胎にしかないことを努々忘れるなよ」
「そちらこそ随分なご挨拶じゃございません?その胎に頼らねばならぬほど落ちぶれた割には大きく出ますこと」
無機質な人形じみた所作で首を傾げ、ゆっくりと笑顔を作った翠星ちゃんは、一歩も引かずに煽った。
不愉快げに眉をひそめる若い男と対称に涼しげな顔で受け流す渡会行春。
若い男は俺に目を留めると、ふ、と笑った。
「さすがあの女の血だな、目を離した隙に男を咥え込むとは」
「あら、上等な血を引く割には
はは、翠星ちゃんキレッキレだな~。
「相変わらず口が減らぬ。女のくせに調子に乗るなよ」
「古いお家の方は思考も凝り固まって、お若いのに残念なことですわ。温故知新とは申しますけれど、温めすぎても悪くなるばかりじゃありません?」
いや~今日の翠星ちゃん絶好調だな。イキイキし始めたぞ。
こないだ蜜香ちゃんと『お上品な悪口講座』でえらく盛り上がってた内容出てきたから実践できて嬉しいんだろうな。オレも『あっ、これ進○ゼミでやったとこだ!』的な面白さはあるけど。
遠回しの侮辱は必須技能って二人共口揃えて言ってたけど、毎度こんな応酬してれば納得だな。
「それで?そちらの男は蜜香の差金か。熱心なことだな」
「ふふ、碌に口説きもしない男より情の篤い妹ですの。良くできていますでしょう?」
「は、おまえ程度に言葉を尽くすなど時間の無駄だ。今日は納采の儀で来たのだからな」
の、のうさいのぎ。納采の儀!?結納じゃなく!?
「……まあ、どちら様の?」
心底不思議です、という顔で首を傾げて右手を頬に添えた翠星ちゃんの左手は、机で隠されていたが強く握り込まれていた。
「恍けるのはいいが、逃げられると思うなよ。おまえには必ず俺の子を産んでもらう」
く、と口の端を持ち上げて笑った翠星ちゃんの左手は、もう握られていなかった。
「ふ、女ひとりまともに扱えもしない男は、虎の威を借りないと何もできませんのねえ。七光りというのも烏滸がましいわ」
キッツぅ~……。
スゲーな、オレこんなこと女の子から面と向かって言われたら泣く自信ある。
全力で扱き下ろされて黙っているような男じゃなさそうだが、若君は口惜しげに顔を顰めたあと、口の端を持ち上げた。
「は、そっくりそのまま返すぞ翠星。蜜香が居なければ何もできない小娘め」
「まあ、その小娘に力競べで敗けた犬が吠えますわね」
「チッ」
「舌打ちなんて下品ねえ、躾のなってないこと。やはり血統よりも育て方が大事なのかしら」
はは、たーのしそー。
空気すっげえ重いけど。
しかし、これが翠星ちゃんの日常か。
こんな時代遅れのモラハラ一族で、半身と引き離され幼い頃から一人で戦ってきたんだな。
今年高校2年生になるという子どもが、薄氷どころか針の筵の上を歩いてきただなんて。
蜜香ちゃんはこのことを知っているから、あんなに必死になってこの家から翠星ちゃんを連れ出そうとしているのか。
不受理申出書は十六歳の誕生日にもう届け出ていると言っていたが、それすら覆される可能性があると蜜香ちゃんは言っていた。
それを可能にできるだけの権力があるのだと。
「十八歳の誕生日、籍を入れる。子を妊むのは卒業まで待ってやるからそのつもりでいろ」
こんな、横暴を。
「ふふ、そもそも納采の儀が無事に終わると思いませんことね。わたくしより資質も才覚も能力も劣るあなた方が、わたくしを上回って儀式を成功できるとお考えなら思い上がりも甚だしいわ」
翠星ちゃんは、それでも背筋を伸ばしていた。
真っ直ぐに二人を見据え、不敵に笑う。
「わたくしこそが『渡会の巫覡』。神々に選ばれし歴代最高の神子。術式でわたくしに勝ろうなどと、あなた如きでは百年早くてよ」
☆
「んで?その儀式は失敗したの?」
「ええ、やり直しもさせてないわ。それに神前の宣誓になっているから、うまくいけばあの男の首が手に入るわね」
「いらね〜〜〜〜。あ、鰯の頭代わりに飾っとくか。一応大家の当主の首だから魔除けくらいにはなるかもよ」
「大して能もない男の首なんて贄にもならないでしょう。臓腑のほうが遥かに役立つわ」
「ふは、違いねーわ。腑分けは任せてよ、最近シナのブローカーが日本人の臓物探し回ってるから高く売りつける」
「あら、世間様のお役に立てるような人間じゃないもの、死亡後くらい有意義に使いましょう。国内で回して頂戴」
「おひぃさんがそう言うならそうしようね」
優雅な午後のティータイムにしては話題が血腥いんだよなあ。
絵面だけ見れば同じ顔の系統が違う服を着たお人形さんたちのお茶会だってのに、どうしてこうも物騒なのか。
あの電話から蜜香ちゃんは西山を引き連れて、一時間もしないうちに現れた。
予約時間をずらしたのが功を奏し、間に合ったのだ。
周囲に聞こえないように小声だし表情も一切変わらないけど、本当に器用だなこの子たち。傍聴対策に口の形を読まれないようにしてるところまで徹底されてる。
というかこれどさくさに紛れてオレに情報寄越してるな?公安に流しとけよってことか。
いつもありがとう蜜香ちゃん、でもたまにドカッとデカいヤマ渡してくるのやめてください。
「そういやさぁ、
ンぐっふ、と喉が変な音を鳴らした。
蜜香ちゃん?と視線を向ければ、涼しい顔でマカロンを口に放り込んでいた。チラ、と視線を向けられて鼻で笑われる。
あ、はい。その程度で動揺するとか片腹痛いな、の顔ですね。
「あなたそんな理由で先延ばしにしていたの?予定では十六歳だったのに中々言ってこないと思えば」
ンッッッッ翠星ちゃんまで!?
「恒次ゥ、そのまま飲み込めよ噴き出すな」
「あらあら、大丈夫?」
「ダメっスよツネさん、油断してると姫さんも相当な豪速球投げ込んでくるんスから……」
西山が渡してくれたお手拭きで口元を抑え、無理矢理飲み下す。
「アタシだってハジメテは好きな人とっていう世間一般のオンナノコの感覚ぐらいは知ってるよ。あんま理解はしてねーけど」
「お嬢たち、ここハイソなホテルのカフェなんでオープン過ぎる話題やめてもらっていいッスか。オレらが恥ずかしい」
「ポチに恥ずかしいって感情あったの?」
「ありますケドォ?つかオレらのこと考えてよマジで」
ありがとう西山!!!!もーやだなこの子たち……。
ようやく落ち着いて紅茶に口をつけた。
一応指導されて紅茶の淹れ方を覚えたけど、やっぱりプロは美味いな……。
翠星ちゃんがカップを置く。
「その世間一般の括りにわたしが入ると思っているの?」
「その世間一般の括りに入れるために奔走してるんで」
「ああ、そうね、そうだったわ……。ごめんなさい」
この子たちの現実はこんなにシビアで、夢も希望もない。
それに抗うために引き離されていてもそれぞれお互いのために戦っているのを見ると、どうしてオレには何も出来ないんだろうと無力感に苛まれる。
「恒次、あなた今なにを考えてます?」
「どーせ自分には何も出来ないとかそこらへんでしょ」
く、と口の端を持ち上げて笑う蜜香ちゃんは、翠星ちゃんと良く似ていた。
でもさぁ、オレ、もう知ってるんだよ。
そうやって口の端を持ち上げるとき、ふたりとも目の奥には哀しみがあるんだ。
「わたしたちのことは気にしないでいいのよ。大人に手を貸してもらっているだけで安心度が違うの。これ以上は大丈夫。いつもありがとう」
「そーだよ、恒次。いつも翠星ちゃんについててくれてありがと。恒次が居てくれるだけで私も安心できるんだ。前はすぅちゃん一人にしちゃってたからね」
翠星ちゃんは穏やかに微笑み、蜜香ちゃんは眉尻を下げて笑った。そのまま視線を動かし、西山に目を留めて笑みを深める。
「ポチ、ポーチ。こら、啓佑、顔上げな」
俯いていた西山の表情はオレからだとよくわかる。悔しい、という顔だった。
蜜香ちゃんがソファから少し身を乗り出して、その派手なピンクの頭を撫ぜる。
「おまえもだよ、啓佑。あんまり私達に心を傾けすぎるな。おまえと私は所詮他人だ。おまえの家族にはなってやれない。だから、おまえがそんなに悔やむことはないんだよ」
「……ペットは家族じゃないんスか。オレ、お嬢たちの犬っころなんでしょ?」
拗ねたような口調の西山に、双子揃っては幸せそうに笑った。
「散々ペット扱い嫌がってるくせに、わんころは本当にしょうがねえな」
「最初はおまえも、わたしたちが動物を飼えないから拾ってきたんだったものね。ふふ、あんながりがりの痩せっぽちがよく育ったわ」
「そういや“痩せっぽち”のポチだったのに、いつのまにか大きくなったなあ。もうポチって呼べないかぁ」
そうだよな。経歴を調べた限り、西山は少年院から出てすぐに蜜香ちゃんに拾われている。
本人も、お嬢たちに救われたと言っていたし、そんな二人の現状をみて思うところがないわけがない。
「恒次も、啓佑も。おまえ達を拾ったのは目的あってのことだ。おまえ達も、自分の目的を見誤るなよ。私達はただの協力関係なんだから、自分に害が及ぶ前に切り捨てろ。そういう冷静な判断が出来ないと、命取りになるぞ。現実は常にシビアなんだから」
わかってる。オレが個人ができることなんて何もない。
ましてやオレは今、彼女たちに匿われている立場だ。
あの日、オレが蜜香ちゃんに保護された理由は警察内部にいる裏切者にオレが売られたせいだった。
たまたま気付いてくれたのが、組織のフロント企業である製薬会社に勤務しているらしい龍桜会の関係者で、蜜香ちゃんに知らせてくれたから今こうして生きている。
奇跡みたいな偶然だった。
でもね、蜜香ちゃん。
キミはそう言うけれど、オレはそれでも、キミを見捨てられないんだ。