次に蜜香ちゃんに会ったのは一週間後だった。
カアカア、ゲコゲコ、と知らないメロディで歌っている。
「やあ、蜜香ちゃん」
相勤者は前回と同じく湯川さんだったので、遠慮なくしゃがんで砂場にいた蜜香ちゃんと視線を合わせる。
「こんばんは、けんじクン。」
「お、名前覚えててくれたんだ。嬉しいな!」
「けんじクンもみぃの名前覚えててくれたじゃん」
「そりゃあ蜜香ちゃんみたいな可愛い子の名前忘れたりしないよー!」
「萩原……」
背後の湯川さんからはハチャメチャに深い溜息が聞こえたが、目の前の蜜香ちゃんはキョトンとした顔をした。
「ん?うん、ありがと?」
こりゃあ通じてないな?仲良くなりたいんだけどなあ。
「ねえ蜜香ちゃん。蜜香ちゃんはさ、みぃちゃんって呼ばれるのと、みっちゃんって呼ばれるの、どっちがいい?」
蜜香ちゃんは眉尻を下げて、ちょっと首を傾げて困った顔をした。
「うーん、けんじクンみぃと仲良くなりたいの?」
「うん♡」
俺が勢いよく頷くと、蜜香ちゃんは完全に困惑した顔で湯川さんを見上げた。
湯川さんに首根っこを引っ掴まれて立たされる。
「うんじゃない萩原。おまえ、いい加減にしろよ」
「えー、だってこんな可愛い子とお近付きになれる機会逃したくないじゃないですかぁ」
「おまえなんで警察官になったんだ……」
「倒産しなさそうなんで!」
呆れ返っている湯川さんの半目を受け流していると、足元からくすくすと笑い声が聞こえてきた。
「んっふふ、倒産しなさそうだからおまわりさんになったの?面白いね、けんじクン」
こてん、と首をもたげて見上げてきた蜜香ちゃんは蕩けるような笑顔で、「ぅぐ」と変な音が喉奥で鳴った。
すげー破壊力たっか……。あなたの戦闘力は53万です……。
マジで小学生にグラッと来そうになるんだけど、この子危なすぎないか?こんな子が普通に一人で出歩いてていいの?ダメじゃない?
「一万年に一度の美少女……」
「湯川のおじちゃま、けんじクンめちゃくちゃ面白いね。でもおまわりさんとして大丈夫?」
「ダメかな」
「即答だね、ウケる」
湯川さんが首を横に振り、それをみてくすくす笑う蜜香ちゃんに、良かった楽しそうだ、と安堵した。
やっぱり女の子は笑ってるのが一番だよね。あんな寂しそうに一人で歌うくらいなら、ギリギリまで一緒に居てあげたい。
「んふふ、面白かった。ああ、でも、そろそろお別れだね。もうすぐ日が落ちるから、離れてもらってもいい?」
「ああ、長居して悪かったね」
「ううん、楽しかった。ね、また二人ともまたみぃとお話ししてくれる?」
「もちろん!じゃあまたね」
「またね、湯川のおじちゃま、けんじクン」
手を振って、すべり台へ登っていくのを見て俺たちも離れる。
「けんじクン!」
後ろから声をかけられ、振り向くとふわっと花の香がする。
足元に蜜香ちゃんがいた。ええ、足音すらしなかったけど?
「かがんでー」
「うん?なに?」
子どもらしい少し小さな両手に、右手を掴まれ、少しドキッとする。
腰を屈めると、蜜香ちゃんはちょっと背伸びをして、顔を寄せてきた。うわすっげ、近くで見るとさらに美人さんでドキドキしてきた。
頬が赤くならないように平静を装いながら、口元に寄せられた手を見て、ああ、と耳を貸す。
「みぃのこと、みぃって呼んでいいよ。けんじクンだけ、トクベツ」
ッッッッあ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
「本当?嬉しいな、みぃちゃん。じゃあ今度からそう呼ぶね」
「んふふ、絶対呼んでね。またね、けんじクン」
「うん、またね」
ととと、と軽い音を立てて離れていく背を見送る。
よォーッし、よしよしよし良く耐えた俺ェ!!!!
あーーーーっぶねえ本当に危ねえ、すっげえグラッと来た。
俺はロリコンじゃない、俺はロリコンじゃないぞ大丈夫大丈夫大丈夫。可愛い女の子が好きなだけ。
いや〜〜〜〜〜〜怖いな美少女〜〜〜〜!あんだけあざといのにめちゃくちゃ可愛いって思っちゃうの怖いだろ!
少し弾んだ声が聞こえてきて、振り返ると蜜香ちゃんの口角は少し上がっていた。
「萩原、あんまりあの子に入れ込むなよ」
「わかってます」
湯川さんの元に戻ると、そう俺に忠告した。どこか危機感を持ちながら気を引き締めて頷く。いや本当に冗談抜きでアレは取り扱い危険物すぎる。
まあ、でも。それでも。
「今のあの子は犯罪被害者じゃないですか。ちょっとでも笑顔でいられたら良いなと思っただけです」
「そう、か。そうだな。俺も、あんな楽しげに笑う蜜香ちゃんは久しぶりに見たよ」
湯川さんは、笑おうとして失敗したような顔で、頷いた。
そうしてすべり台の上で一人歌う蜜香ちゃんを見る。
それでも、ただの小学生じゃないか。
いや、ただのというにはちょっと容姿が綺麗すぎるかもしれないけど。
子どもに罪はなく、ただ環境が少し特殊なだけ。しかも状況だけ見れば彼女は純然たる被害者だ。
あの綺麗な歌声と笑顔が曇らなければいい。
俺がいる間だけでも、彼女を一人寂しく歌わせたりしたくない。
女の子の笑顔の一つ守れないで、何が警察だよ。
俺はそんな警察官にはなりたくない。
お迎えがきて手を振って帰っていく蜜香ちゃんを見送り、自転車に跨がる。
「蜜香ちゃんのおじちゃまって呼び方カワイイっすよね。俺もおにぃちゃまって呼んでくれたりしないかな〜!」
「おまえよく警察学校卒業できたな」
これはマジのガチな本音なんですが、茶化してないと本当に落ちそうで怖いです。
あの子本当に恐ろしいよ……。
☆
それからというもの、俺の勤務のタイミングに合えば蜜香ちゃんと少しだけお話した。ほとんど毎週会えたから仕事の励みになったし、巡回の楽しみだった。
最初は俺の話だった。
幼馴染の陣平ちゃんのこと、姉と喧嘩したこと、実家が倒産した話、警察学校でのこと。
湯川さんにも話を振って、湯川さんの家族のことをきいた。
中学生の息子さんいるんだ、へえ~!
そのうちぽつぽつと蜜香ちゃんが話してくれる内容を集める。
パパとママとの思い出、パパの異母兄弟で蜜香ちゃんを気にかけているらしい兄弟の話、学校でよくお話するお友達。
それから、お姉ちゃんのこと。
蜜香ちゃんは本当にお姉ちゃんのことが大好きで、お姉ちゃんと電話が出来たときは嬉しそうにしていた。
「お姉ちゃんはお名前なんていうの?」
「スイショウ。宝石の翡翠に、夜空の星で翠星って書くの。素敵でしょ」
こういう字、と落ちていた枝で地面に書く。
子どもが書いたと思えないほど整っていて、俺より綺麗に書くな、と素直に感心した。やっぱり女の子だからだろうか。
「へえ、良い名前だね!音も漢字もキレイ」
蜜香ちゃんは肯定されたのが嬉しいのか、うん、と頷いた。
「すぅちゃんはね、みぃとお顔が同じで、目の色だけ違うんだよ。緑と青とが入り混じって、ちょっとだけ黄色が見える不思議な色してるの。みぃは黄色とオレンジとちょっと朱色が見えるから、赤ちゃんのときは目の色で見分けてたんだって。産まれてすぐに、看護師さんがママに産まれたよーって見せてくれたときに、二人とも目を開いたから、みんなびっくりしたって言ってた」
「赤ちゃんってそんなすぐ目ェ開くの……?」
「ううん、みぃとすぅちゃんが早すぎたんだと思う」
ケラケラ笑う蜜香ちゃんに、絶対に赤ちゃんのときはもっと可愛かっただろうなと思う。
ただでさえ赤ん坊って無敵の可愛さなのに、蜜香ちゃんならもっと可愛いこと間違いないだろう。お姉ちゃんと並んでいたなら、破壊力2倍だったはず。これは確実。
火事で写真は全部焼けてしまったらしく、アルバムは残ってないのだという。
大好きだったパパとママとの写真は一枚もなくて、そりゃあ余計に寂しいだろう。
ああ、だから家族で遊びに来ていたこの公園に。
ここしか残ってないのか、思い出が。
「すぅちゃんはね、すごいんだぁ。みぃが悲しくならないように、絶対に寂しいって言わないの。でもね、みぃ知ってるよ。すぅちゃんがずっと哀しいの。パパもママもいなくて、みぃもいなくて、あの家は敵だらけだから」
すべり台に登って、蜜香ちゃんは俺を見下ろした。
辺りは日が落ち始めて、夕陽を背にした蜜香ちゃんの表情は見えない。
「だからね、みぃ、決めてるんだ。絶対にあの家からすぅちゃんを取り戻す。絶対に、何があっても」
その声色の泣きそうな震えに、思わず蜜香ちゃんの手を取る。
「ふふ、応援してくれる?けんじクン」
「うん……うん。応援するよ、みぃちゃん」
笑う蜜香ちゃんの声に、震えはない。
でも、その細い指はひどく冷たかった。
「じゃあ、じゃあね、けんじクンにいっこお願いしたいことがあるんだぁ……約束、してくれる?」
優しく耳に届くような穏やかな声が、甘ったるく緩む。
慣れてきた頃からか、蜜香ちゃんがよく内緒話をするときにそんな声音で囁くようになった。
もともと耳馴染みのいい、子どもにしては少し低い声だったけれど、多分これは蜜香ちゃんの素に近い声なんだろう。いつもよりも低く、そして柔らかい雰囲気で包まれるような。
「俺に出来ること?」
手招きされて、すべり台に一歩近寄る。
蜜香ちゃんが身を乗り出して、落ちそうで危ないな、と腕を伸ばした。
何を思ったのか、蜜香ちゃんは手摺を放してオレに手を伸ばす。
「ちょ、危な」
スル、と首元に腕が伸びてきて、一層花の香りが濃くなる。
「みぃがいつかそうしなきゃいけなかったとき、怒ってくれるのはけんじクンが良いなって思ってるコト」
「……みぃちゃん?」
顔を上げると、蜜香ちゃんは目の前で泣きそうな顔をして笑っていた。近づく。
「みぃがいつか、どうしても悪いコトをしなきゃいけなくなって、それを成し遂げてしまったとき。けんじクンに、一番に気づいてほしい」
囁き声が、耳元で聞こえて、最後に頬に柔らかな感触と、リップ音。
爽やかな甘い匂いの残り香にくらくらした。
「待ってるから。みぃのこと、ちゃんと
その日、俺は非番だった。
なんとなく会える気がしていつもの公園に足を運び、私服のままで蜜香ちゃんと少し長く話をしていた。
泣きそうで、どこか嬉しそうな表情を残して、蜜香ちゃんはすべり台から居なくなっていた。
「おい、おい萩原、大丈夫か?」
交番の別勤務についている先輩が肩を叩いてくれたことで気がついて、日が完全に落ちていることを漸く認識した。
「あ……お疲れさまです。巡回ですか?」
「そうだけど……今日は休みだろおまえ、どうしたんだこんなとこで。寮から遠いだろ」
「ああ、なんとなく気が向いて……蜜香ちゃんに会ったんで、話してたんですけど」
「やっぱりアレ中林組の車か。おまえ小学生に入れ込むなよ、マジで洒落にならねーぞ。しかもあの子は」
「わかってます。わかってますけど、あの子」
指先で幼い唇が触れたところを触る。
「あの子、いつか一人で死んじゃいそうで……」
護ってあげなきゃ。あの子が寂しくないように。あの子の心が悲鳴をあげないように。
あんなに一人寂しいとSOSを出していたのに、俺は本当の意味でわかっていなかった。
「その前に、誰かが止めてやらないと」
一人で頑張らなくていいんだって、もっと大人を頼っていいんだよって教えてやらないと。
警察官の俺に、捕まえてくれなんて頼むのではなく。助けてって言って良かったんだ。
あんなに華奢で小さな背中が寂しそうなまま離れていくなんて。
これが、蜜香ちゃんと公園で会った最後の日になった。
萩原研二は生きているか
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生存(健康)
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生存(植物状態)
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死亡