Fate/Zure   作:黒山羊

1 / 39
001:The Past.

 ――――これは、ゼロへと至らぬ物語。観測者の視点の数だけ存在する数多の並行世界、その内の一つの物語。そんな物語の名は強いて言うのであれば、そう。

 

 これは、ゼロで無い新たなる未来へ至る、ズレた世界の物語である。

 

 

【001:The Past.】

 

 

 彼が冬木の地を踏んだのは、かれこれ三ヶ月ぶりの事だった。新都と呼ばれるその場所は、冬木の中心、流行の最先端とも言える場所だ。そんな高層ビル、高層ホテルがそびえる新都の片隅に、彼の住むアパートがある。ボロでもなく、かと言って高級マンションでもないそれなりのアパートメント、という表現がぴったりなその部屋。そこで今、彼は図書館で借り出してきた文献の山を相手に、並々ならぬ意欲で『資料』の製作を行っていた。

 彼は文筆業を飯のタネにする身だ。本来であればサラリーマンの様に報告書や始末書を書く必要はない。しかし彼はカタカタとキーボードを指で叩きながら、一心不乱にプレゼンテーション用と思しき資料を作り続けている。

 

 その原因は彼――間桐雁夜が昼間、幼馴染にして初恋の相手である遠坂葵と再会した折に伝えられたある事実に他ならない。三ヶ月ぶりの出張から帰り、土産持参で葵とその娘たちに会いにいった雁夜に告げられたその内容は、雁夜がこの様な行動を起こす原因としては十分に過ぎた。

 

 葵の娘の遠坂凛と遠坂桜。その内、妹の桜が雁夜の生家である『間桐家』に養子縁組した、というその内容を伝えられた時に雁夜の胸に去来した驚愕と無念、そして自己嫌悪の感情は筆舌に尽くしがたい程のモノだった。もしも桜が一般的な家庭へと養子に出たのならば、雁夜も此処までは反応しなかっただろう。いや、むしろ『魔術師』を嫌悪する雁夜としては祝福の念すら覚えるかもしれない。何しろ雁夜自身、魔導の家に生まれた運命から辛くも逃れた身であるがゆえに。――しかし、しかしだ。その縁組先が自身の実家であるのなら話は別。雁夜は断固としてそれを認める訳に行かなかった。その場所が、地獄であると知っていたからだ。

 

 自身が逃げ出したという咎を、全く無関係の、幼い少女が負わされると知った時の雁夜の絶望は甚だしく、そのまま衝動にまかせて実家に殴り込みをかけようとした程であった。それを雁夜がギリギリで思い留まったのは、最も辛い筈の遠坂葵が必死に涙をこらえていたからに他ならない。大いに愛情を注いでいた娘が養子に出ると言うのは、葵にとって辛い選択だったに違いない。ましてや、『雁夜が間桐の家から逃げ出している』という事実を知る葵は間桐の家がどのような魔術を使用するのか薄々感づいている筈なのである。そんな彼女が耐えているというのに、自己満足の為に実家に殴りこむという選択ができる程、雁夜は無神経ではなかったのだ。

 

 しかし、雁夜は同時に、桜を諦められるほど外道でも無かった。冷静になった上で雁夜は葵に一つだけ質問を投げる事にした。――それの返答によって救出方法が異なってくる、と考えて。

 

「……葵さん、桜ちゃんは、いつごろ養子に?」

「……もう、一週間になるわ」

「そう、か。……わかった、近いうちに実家によって、桜ちゃんにもお土産を渡してくるよ」

「ええ、そうしてあげて。あの子、雁夜君にはよく懐いていたから」

 

 そんな短い会話の後、雁夜は葵に別れを告げてから図書館へと足を運び、必要になるであろう資料をかき集めた。――そして、現在へと至るのである。

 

 彼が一見、桜を諦めたかのような素振りで書類などを作っているのには、当然ながら訳がある。雁夜が知る限りにおいて、間桐家の真の当主である間桐臓硯は最悪の下種である。そんな臓硯であれば、既に桜に対して拷問の様な訓練を行っていることは明白だった。――ここで、一般的な心情としては、「一刻も早く桜を助けなくては」と考えるのが当然だろう。だが、その性急さは『大魔術師』間桐臓硯を相手にする上ではマイナスでしかない。単なる児童虐待のクソジジイであれば警察を突入させれば片は付くが、魔術師相手ではそうはいかないからだ。

 

 故に。雁夜はすぐにでも実家に突撃をかけたい心を抑え、『桜と引き換えにしても十分に臓硯側に利益がある』提案を模索するべく、こうしてキーボードを叩いているのである。間桐臓硯は下種だが非常に聡い。何百年も生きる化物である臓硯が極めて老獪かつ打算的な性格をしている事は、『息子』である雁夜の良く知る所だ。だからこそ臓硯から桜を助けるには、『取引』しか方法がない。そして、雁夜が選んだ取引手段は、臓硯が求めてやまない『とある事象』に関するものだった。

 

 カタカタと絶え間なく続いていたタイピング音が、止まる。最後にざっと内容を確認してから雁夜はそれを印刷し、いつも使っている肩掛け鞄に入れた。それから彼は、時間を惜しむように迅速にシャワーを浴びると、布団に潜り込んで目を閉じる。労働で疲れた頭を休息させ、翌朝の戦いに備えるために。

 

 

* * * * * *

 

 

 そして、翌日早朝。まだうっすらと霧が掛かった冬の街を抜けて、深山町までやってきた雁夜は計画を実行に移した。その先が自身の破滅であると承知しながらも、雁夜の足は止まることなく、むしろより力強く進んでいく。一夜で考案した策が臓硯にどこまで通用するかは分からないが、これ以上考えても良い策がひらめくとは思えず、更にこの策を実行する為の猶予も残り少ない。ならば迷いは不要。あとはジャーナリストとして磨き上げて来た自身の舌鋒を如何に活用するかである。

 深山町の懐かしい街並みを抜け、古びた洋館としか言い様のない実家の門を無遠慮に潜る。当然この侵入は臓硯に察知されるだろうが、元々臓硯に会いに来た以上さしたる問題はない。

 

「……よし」

 

 丹田に力を込め、昂る精神を理性で塗りつぶす。魔術師らしく電子機器のドアベルなどない間桐邸のドア。其処についているノッカーに手をかけて数回打ち鳴らす。と、恐らくは臓硯の指示で待機していたのだろう。すぐに玄関の戸は開かれ、久々に見る懐かしい顔が忌々しそうに雁夜を出迎えた。

 

「……何の用だ雁夜」

「……兄貴か。実家に帰省するのに用は要らないだろ。ジジイは居るか?」

「帰省? 家出同然に逃げ出したお前が? はっ、馬鹿を言うな。もう一度聞くが、何の用だ雁夜」

「……ジジイに用がある。……聖杯戦争関連でな」

「正気かお前? ……まあ良い、そう言うことなら、話は本人としろ」

 

 眉間に皺を寄せ、とっとと帰れと言いたげな目をしながらも、雁夜を招き入れる実兄・間桐鶴野。明らかに嫌われているが、雁夜としてもそれに関しては自身に非があると自覚している。何しろ雁夜が出奔したせいで鶴野はお飾りとはいえ間桐の当主に据えられてしまったのだ。日々臓硯と対面せねばならない心痛と恐らくは桜の調教を任されている罪悪感を考えてみれば怨まれても仕方がない。どちらかと言えば「間桐」寄りな「目的の為ならどんな手でも使う」雁夜に対し、兄の鶴野は平々凡々な一般人的思考の持ち主だ。彼にとってこの十年近い日々は地獄だったと容易に想像できる。まぁ、それも恐らく今日からは多少マシになるだろう。臓硯は鶴野よりも雁夜をいじめる事に精を出すに違いないのだから。――そんな事を考えながら勝手知ったる我が家の廊下を進み、臓硯が待ち受けているであろうダイニングの扉を躊躇いなく開けて、雁夜はようやく目的を果たす為の戦場に立った。しばしの沈黙。その後に最初に言を放ったのは、上座に座して雁夜を待ち受けていた臓硯だった。

 

「……出奔した身でよくも儂の前に現れたものよなぁ、雁夜」

 

 五百年を生きる魔術師が言葉と共に放った重圧は部屋全体を押し潰さんとするかのように包み込み、魔術の修行など毛程もしていない雁夜に抗いがたい恐怖を四方八方から捻じ込んでくる。しかし、「抗いがたい」という表現の通り、それは決して「抗えない」物ではなかった。萎えかけた精神に奥歯を噛み締める事で喝を入れ、雁夜はあくまでも挑発的に、不遜に、そして堂々と臓硯に答える。

 

「家出した息子が帰って来たんだ、喜ぶところだろう? ジジイ」

「相変わらず品の無い奴よな。して、何の用じゃ。儂は桜の教育で忙しいんじゃがのぅ」

「ぬかせよジジイ。どうせ兄貴にやらせているんだろう? ……まぁ、それは良い。今日はアンタの夢を叶えてやりに来たんだ。まぁ、タダじゃないがな」

「ほう?」

 

 言ってみろと顎で示す臓硯に、雁夜は持参した鞄からバインダーに挟んだ書類の束を取り出し、それなりの速度で投げつける。それを難なく受け取った臓硯は暫し書類に目を通し――直後、実に愉快と言わんばかりに嗤った。

 

「呵々、成程嘯くだけの事はある。確かに、儂もこの方法は考えつかなんだわ。……じゃがな、おぬしにこれを実現できるというのか?」

「……アンタが俺に協力すればな。条件に当てはまる英霊は星の数ほどいるだろう。ケンタウルスのケイロン、不死の薬を探し求めたとされるギルガメッシュ、錬金術師ニコラス・フラメル、不老不死とされるサンジェルマン伯爵、聖剣の鞘に不死効果があるとされるアーサー王……。それらの聖遺物を探すのはあんたなら出来なくはない筈だ。そして、其処に書いてある方法なら、サーヴァントを現界させ続けることもアンタには容易いだろう?」

「……ふむ。確かに。……良いぞ雁夜、この契約を結んでやろう」

「……まて、魔術的に誓約しろ。アンタは何時裏切るとも限らないからな」

「仕方がないのぉ。明日の朝までに簡易の契約魔術書を用意して置くわい。……全く、誰に似てこんなに可愛げのない育ち方をしたのかのぉ。親の顔が見てみたいものよな」

「忌々しいことだがアンタに似たに決まっているだろうが。……そもそも俺の親はアンタが喰ったんだろ。痴呆が始まったなら老人ホームを紹介しても良いぞ?」

「呵々、言いよるわ。……しかし雁夜、努々忘れるでないぞ? おぬしは儂に『身体を売り渡した』のじゃからなぁ?」

 

 ――そんな事は言われずとも分かっている。明日の朝、臓硯の作った契約書にサインを刻んだ時点で、間桐雁夜はその人生の終焉を味わうことになるだろう。だがしかし、其処には一片の後悔も存在しない。

 

 愛する女が愛した娘を、彼女の夫に先んじて地獄から救う。

 

 それは人間・間桐雁夜が最初で最後に手にする、『遠坂時臣に勝利した』というちっぽけな栄光。しかしそれは、雁夜の人生の終わりの彩りとしてはそれほど悪くはない。少なくとも、雁夜はそう思っている。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。