Fate/Zure   作:黒山羊

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002:Embezzlement case.

 自身の論文を目の前で破り捨てられる、というのはウェイバー・ベルベットにとって人生最悪の経験の一つである。構想に三年、執筆に一年を費やしたその論文につぎ込んだ熱意と努力は――たとえその論文が所謂『中二病』的な自身を正当化しようとする自己顕示欲の塊だったとしても――確かに本物だったのだ。そして、その屈辱の原因たるケイネス・エルメロイ・アーチボルト講師に怒りのやり場を向けた事も、19歳という大人に成りきれない時期の青年としてはそれほど異様な事でも無かった。その気持ちはそのまま徐々に風化し、いつしかあの頃は若かったと自省するような、極ありふれたモノなのだから。

 

 しかし、ウェイバーは実に不幸な事に――いや、訂正しよう。当時の本人からすれば実に『幸運』な事に、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト講師の鼻を明かす手段を偶然にも得てしまったのである。

 

 その手段とは、レポートを破られた人生最悪の日から数日経ち、ケイネス講師がその経歴をより高めるべく極東で行われる大儀式――即ち、聖杯戦争に名乗りを上げるという噂が時計塔に所属する魔術師とその卵達に遍く知れ渡った頃、ウェイバーの元に誤配された一つの小包であった。その小包には宛名こそ無かったが、見るからに高級そうな木箱に納められていた事が、ウェイバーの若い好奇心を刺激した。その結果『もしかしたら自分宛てかもしれないし』と自身に言い訳しながらついつい開封してしまった事こそが、ウェイバーの人生における一つの転換点になったのである。

 

 その中に入っていた『物体』はウェイバーの様なひよっこ魔術師ですら理解できる程の神秘の塊。大層曰くがありそうなそれを見たウェイバーの脳髄に瞬間的に『聖杯戦争』に関する情報が閃いたのは、時計塔がその話題で持ち切りだったせいもあるが、彼が夜な夜な聖杯戦争に参加してケイネスをズタズタにぶちのめす妄想をふけっていた事が大きいだろう。――彼の元に配送されたそれは紛れも無く英霊召喚用の触媒であった。彼の記憶によれば英霊召喚の触媒に付与された曰くや神秘がより強力であればある程、英霊の格にも期待が持てる。そして、ウェイバーが推察するに、これはケイネスが用意した触媒だと考えるのが妥当である。確かにその結論は、ウェイバーが知る限りにおいてこの時計塔で触媒が必要な男はケイネスしかいないのだから当たり前だ。

 そうして、ケイネスを見返すべくウェイバーは一大決心をした。この触媒を盗んで日本まで高跳びし、ケイネスを出し抜く形で聖杯戦争に参加することで、自身こそが最も優れた魔術師であると証明する事にしたのである。そうと決まれば善は急げ。ウェイバーは自身の有り金すべてと僅かな荷物を抱えて時計塔を飛び出し、一路日本の冬木市へと向かった。

 

 本来であれば時計塔に潜伏していた遠坂家の密偵に届く筈であったにも拘わらず彼の元に誤配された、『蛇の抜け殻の化石』と共に。

 

 

【002:Embezzlement case】

 

 

 そんな決心からさらに数日後。極東の片田舎に位置する冬木の街で、ウェイバーは毛布にくるまりながら『ウェヒヒ』と気色の悪い声を発していた。一見するとかなり危ない人だが、ウェイバーがそんな笑いを洩らすのも致し方ない程のモノが彼の手には浮かんでいる。其処にある三画の刻印こそは、ウェイバー・ベルベットが正式に聖杯戦争の舞台に上った証拠である『令呪』。サーヴァントに対する絶対命令権であるそれがあれば如何に強力な英霊であってもウェイバーの前に屈する筈なのである。

「ふふふ、むふふふふ……!」

 

 まるで片思いの相手から恋文を貰った乙女の如く、枕に顔を埋めてベッドの上をゴロゴロと転がるウェイバー。脳味噌は令呪によってサーヴァントをカッコよく従える自身の姿を早くも妄想し、瞼の裏には自身が聖杯戦争を勝ち抜く姿がありありと浮かんでくる。そんな彼の妄想の中では可愛い――青少年の皆様が一度は自身の恋人だったらと妄想する類の顔立ちの――少女がサーヴァントと自身が聖杯をその手に掲げていたり、ウェイバーが時計塔のロードになったりと実に愉快な現象が発生している。割とぱっとしない思春期を送った青年に特有の成功願望の凝り固まった様な妄想だが、こういう空想はしている本人には実に楽しいモノなのだ。

 

 だが、ウェイバーが本日20回目のムフフという声を漏らした次の瞬間。そんな妄想は、階下から響いてくる女性の声ですっかり醒めてしまった。

 

「ウェイバーちゃん、ご飯が出来ましたよ。早く降りていらっしゃい」

「……はーい。今いくよ、お婆ちゃん。ちょっと待ってて」

 

 階下の女性にウェイバーは気の抜けた返事を返し、ため息と共にベットから這い出す。下手に冷静になってしまったせいで先程までの自身の醜態にようやく気がついたらしく、その表情は苦々しい。ごほんと一つ咳払いをして、ウェイバーは気合を入れ直す。

 

「落ち着け、浮かれるな。僕はまだスタート地点に立っただけなんだ。僕、いや、私の優秀さを世に知らしめる為にも、此処は慎重になるんだ」

 

 鏡を見て自分にそう言い聞かせてから、ウェイバーは軽く身支度を済ませて階下で待つ老夫婦の元へと向かう。暗示を用いて冬木に住む外国人夫婦の家に転がり込むというのは、経済的にも隠密性からも中々悪くない手であったとウェイバーは自負していた。上げ膳据え膳の悠々自適たる生活を何のコストも無しに手に入れられるというのは、財布に余裕のないウェイバーにとって凄まじいメリットである。魔術には何かと金がかかるし、サーヴァントを召喚するにも様々な準備が必要で、それにも時間と金が掛かる。戦争において重要なのは補給線であるという言葉を、ウェイバーは此処に来て痛感していた。

 

 老夫婦と共に食卓を囲むウェイバーの脳内で今のところ最重要になっているのはやはり、生贄の問題だ。魔法陣を描くには水銀や溶かした宝石を用いる方法などもあるが、やはり生贄の血で以て陣を敷くのが手っ取り早くて簡単である。何より自然に分解される為、痕跡が残り難い。ウェイバーが見繕った召喚予定地は丁度雑木林の中にあるため、血液は地中の細菌の働きによって速やかに分解されるはずである。しかし、問題はこの日本という国では生贄の動物を手に入れるという行為が予想以上に難しい、という点だった。生きた鶏一匹が5000円と聞いた時のウェイバーの困惑は日本人にはわかるまい。時計塔ではあれほど簡単に無料で手に入っていた物が、この国では金を払わねば手に入らないのである。

 

 とはいえ、水銀を買うにはもっと手間がかかるし、宝石がウェイバーの手持ちの資金で買える訳がない。となると、だ。

 

「……腹をくくるしかない、か」

「ん? ウェイバーや、何か言ったかい?」

「あ、いや、何でもないよお爺ちゃん。ただの独り言だから」

 

 ウェイバーはここ数日でかなり上達した作り笑いと共にマッケンジー翁をやり過ごしながら、心の中で決断した。

 

――今夜、手近な鶏小屋から鶏を盗み出そう、と。

 

 

* * * * * *

 

 

 

 その日の晩。念の為、寝ている老夫婦に睡眠の魔術を掛けてから家を出たウェイバーは深山町にある養鶏場へとやってきていた。無論鶏小屋には鍵が掛けてあるのだが、魔術師の端くれであるウェイバーにとって、南京錠は大した障害にはならない。一分ほどで速やかに錠前をこじ開け、ウェイバーは持ってきていた香に火を付ける。充満する甘い香り。ラベンダーやカモミールなどのハーブを錬金術で精製したそれは、小屋の中の鶏を残さず眠らせるには充分な威力を持つ、霊薬である。その効果が、しっかりと及びきるのを待ってから、ウェイバーは雌鶏三羽を盗み出して麻袋に入れ、そそくさとその場を立ち去った。

 

 そう、そこまでは上手く行ったのだが。

 

 現在、ウェイバーは麻袋に入れた鶏を担いだ状態で全身に身体強化を付与し、夜の冬木を必死で逃げていた。その背後から追うのは、赤みがかった茶髪の青年。その手には、血みどろのナイフ。

 

 運の悪いことに、ウェイバーは此処最近冬木を賑わしている連続殺人鬼に遭遇してしまったのである。殺人鬼が偶々殺しに入った一家が畜産農家であり、ウェイバーはこれまた偶々その家の鶏小屋に盗みに入ってしまったのだ。

 

 まさしく不運。まさしく不遇。必死に逃げるウェイバーと追う殺人鬼。魔術回路を全力で回すウェイバーに分はあるが、ウェイバーは自身の本拠地であるマッケンジー宅を殺人鬼の標的にするわけにはいかないという点を加味すると、追いかけっこの勝負は五分五分といったところ。

 

 ウェイバーは可能な限り路地を曲がりくねりながら進み追跡を振り切ろうと足掻くが、殺人鬼の方も目撃者を逃がすまいと全力で追跡してくる。先程も述べたように追いかけっこならばその勝負は五分五分だ。しかしそこに地理知識の差が加わった事で、天秤は大きく傾いた。

 

 ウェイバーはせいぜい冬木に来て一週間。しかも基本は引きこもり。そんな彼が路地裏を走れば、どうなるかは明白だった。

 

「くそっ、行き止まりか! まずいぞ、早く逃げないと……」

「ふぅ。はい、ごめん。それ無理だから」

 

 ようやく追いついたと言うようにそう言って、背後から息を切らせた殺人鬼が迫る。デッドエンドでバッドエンドなその事実を前に、ウェイバーはもはや為す術もなく、壁を背にしてへたり込む。

 

 目前に迫る死の化身はぎらつく白刃を掲げ、ウェイバーの喉笛にナイフを――突き立てられなかった。

 

「そこで何をしているのですか!!」

 

 そう恫喝しながら此方に駆け寄ってくるのは、スーツ姿のサラリーマン。殺人鬼はその姿を横目で視認し、そちらに一瞬注意を向けた。へたり込んでいる青年よりも、突進して来るサラリーマンの方が脅威と判断したのか、それとも単に気になったのかは判らない。しかし、その隙はウェイバーにとって神の救いだった。

 

 まさしく脱兎のごとく、形振り構わずウェイバーは逃走。それを殺人鬼が見過ごす筈もないが、それより先にサラリーマンがウェイバーを庇うように割り込む。

 

「さぁ、早くお逃げなさい! 振り返らず、早く!」

 

 そう叫ぶサラリーマンの言葉通り、ウェイバーはひたすら走った。恐怖で小便を漏らしている事も気にせず全力で走った。

 

 そんなウェイバーの背後で、突き刺さるような鈍い音がする。

 

――あのサラリーマンがやられたのかもしれない。

 

 そんな考えをふり払うように、ウェイバーはより一層スピードを増してマッケンジー宅を目指す。

 

 故に、彼は最後まで自身を庇った人物を正視する事はなかった。

 

 

「――――捨て置け、ですか? わかりました、帰還します、マスター」

 

 そんな呟きと共にウェイバーの背後で『殺人鬼を一撃で殴り倒した』サラリーマンが、徐々にその輪郭を歪ませて夜の闇に溶けたことを知らなかったのは、彼にとって良かったのか、悪かったのか。

 

 それはまだ、判らない。

 


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