Fate/Zure   作:黒山羊

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025:A Moment's Rest.

 昨夜の死闘は教会によって『超強力なダウンバーストの発生』という報道が行われ、神秘の漏洩は起こらなかった。新都は立て続けに発生した災害の影響か人通りが少なくなり、市民の中には疎開する者もちらほらと出始めている。

 

 そんな中、ハイアットホテル最上階に位置するケイネスの工房ではソラウが何をするでもなくソファに腰かけていた。昨晩の戦闘で疲労したケイネスは未だ就寝中、ランサーは食料の調達に出かけており不在。そんな訳で、彼女は朝からワインを飲むという享楽的な行動に出ていた。ソラウは酒に強い性質らしく、酔いは一向に来ないのだが。

 

 ソラウは、酒の味は嫌いではない。名家の令嬢として培った味覚は、酒の美味さを十二分に理解させてくれる。だが、彼女は『酔えない』という一点において、酒を本当の意味で楽しめていない。無論、幾ら強いとはいえアルコールを摂取して酩酊するという意味での酔いは経験した事がある。だが、普通ならば感じる筈の感情の昂りとしての『酔い』が、彼女には全くなかったのだ。

 

 彼女の心は、空っぽだと言っても良い。ゼロを幾ら倍加させようと思ってもゼロのまま。昂るべき情緒が無いソラウにとって、酔いとはひたすらに眠くなる事を指していた。

 

――――その筈だったのだが。

 

 ワインセラーの片隅に何気なく置いてあった琥珀色の酒が入った酒瓶。ラベルも何もないその酒がふと目にとまったソラウは、中身をグラスに少しだけ注ぎ、匂いを嗅ぐ。独特の芳香は、これが酒である事を示している。鑑定の魔術を掛けてみるが、毒の類でも無い。――――毒でないならば、飲んでみても問題ないだろう。そう判断したソラウは、舐める程度の量が入ったグラスに、口を付けた。

 

 その直後。ソラウは、脳が爆発したのではないかと錯覚した。自我が膨張し、全能感と幸福感が脳の中で火花のように駆け巡る。その体験は僅か一瞬の事ながら、ソラウはソファに崩れ落ち、心地よい脱力感に全身を弛緩させる。自身の鼓動が鼓膜を擽る感覚がどうにも面白く、ソラウは思わずクスクスと笑い始めた。その状況に陥った自分自身が面白くて更に笑ってしまうのだから、もう止めようがない。

 

 そうして一頻り笑った頃、いつものように食事を包んだ紙袋を持ったランサーが帰って来た。ケイネスの枕元にあるテーブルに一人前の『絶品カツとじ丼』を置いた彼は自身とソラウの分を持って彼女に近づき、ソラウが飲んでいる酒と何やら様子がおかしい彼女に気付いて、さも面白そうに笑った。

 

「ぬぅぅ、酒瓶の中に隠しておったのだが、よもやケイネスの奴じゃなくソラウ嬢に見つけられるとは。――――この征服王から簒奪して見せるとは、ソラウ嬢も中々やるな!」

「あら、このお酒は貴方のだったのね、ランサー。ごめんなさい、つい飲んでしまったわ。……ふふ、変ね、私。なんだかすごく面白いのよ」

「ほう、ソラウ嬢は笑い上戸か。――――いや、この美酒はあの金ぴかから簒奪した物故、その効果か?」

「魔術の類は掛かっていないから、純粋に凄く美味しいだけかもしれないわよ」

「まぁ、神代の酒だしなぁ。……ところで、ソラウ嬢は『とろーり中華餡かけ丼』と『がっつりステーキ丼』のどちらが――――」

「中華餡かけでお願いするわ。朝からステーキは流石に重いもの。……いや、そもそも丼自体重い気はするのだけれど」

「朝と昼をたっぷりと摂るのが健康的な食生活なんだぞ? 逆に夜は喰わんでも構わん。――――いつの間にやら夕餉を大量に食う文化が世界に広まっとる様だがな」

 

 そういいながら、ライダーはソラウに中華丼を渡して自身はステーキ丼を食べ始める。今回は新都の丼専門店で買ってきたらしい。ここ数日のうちに、ソラウは順調に庶民的な食べ物に順応しつつあった。最低限のマナーさえ守っていればいい食べ物というのは思いのほか気分を軽くしてくれる。毎日毎日コース料理三昧でテーブルマナーにひどく気を使う食事をしてきたソラウにとって、それはひどく新鮮な事だった。

 

――――――この街に来てからというもの、毎日が新しい事ばかりだ。

 

 そんな事を思いながら、ソラウはプラスチックスプーンで中華丼を上品に食べるのだった。

 

 

【025:A Moment's Rest.】

 

 

 家政婦も、凛も、葵もいない遠坂邸。自身の他にはサーヴァントだけしかいないというその館で、時臣は額の汗を拭う。

 

 バーサーカーの脱落で事態は大きく動いた。アサシンと感覚共有をしていた綺礼の口から明らかになった他のサーヴァントの情報は、どれもこれも規格外のものである。英雄王ギルガメッシュの『乖離剣』。征服王イスカンダルの『王の軍勢』。そのどちらもが、通常の英霊の枠には収まらぬ究極宝具だった。此方には二騎のサーヴァントを所有するという優位はあるものの、依然として分が悪い事に変わりはない。

 

 そして、セイバーはセイバーで、宝具と戦術がこの上なく時臣と相性が悪かった。隙あらば背後を狙い、砂で眼潰しを仕掛ける。絶対切断、魔術無効、治療不可の嫌がらせ宝具を容赦なく使う。そんな英霊に加えて、マスターはあの『魔術師殺しの衛宮』である。正直に言えば、反吐が出るほど不快な陣営だ。――――恐らく彼らが次に狙うのは遠坂である。アインツベルンに雇われた魔術師殺しはこの戦争中にライダー陣営の拠点を爆破し、ランサー陣営のマスターには痛手を負わせている。間桐がいち早く敗退した今、次に狙われるのは自分たちだと容易に想像できた。

 

 それに加えて、行方が杳として知れないキャスター陣営の事も気にかかる。冬木市の近隣で行方不明者がちらほらと発生している辺り、どう考えてもキャスターが暗躍しているに違いないのだ。しかし、入念に神秘の秘匿が行われ、偽装工作もされている以上、時臣にはキャスターの行方を追いようがない。

 

 単純に力が強過ぎるランサーとライダー、裏でこそこそとしていて厭らしいセイバーとキャスター。対象的なグループに分けられる今回の参加陣営に対し、講じるべき対策は山ほどあった。

 

 アサシンの腕を治療して戦力を復旧し、ジルの宝具を生かすべく資金繰りをする。といった基本的な事から、キャスター対策の魔力感知結界の増設、ライダー対策として空への監視強化、ランサーの固有結界対策として敷地内をごく僅かに異界化させる――――などなど、逐一対策を講じていく。後手後手に回っているような気もするが、今は伏して機を窺うべきだというのが、遠坂陣営の総意であった。

 

 そしてその意見の通りに準備を急ピッチで行った結果、どうにか昼過ぎに急場しのぎの対抗策が完成し、ようやく一息つけるようになったのだが。

 

 ドン、という振動が時臣の耳に響く。教会からの呼び出しは、昨晩の戦闘に参加した全マスターに向けてのものだった。

 

 

* * * * * *

 

 

 言峰璃正神父にとって、今回の聖杯戦争は実に骨が折れるものになっている。

 

 昨晩の騒動を隠ぺいするために教会と協会が手を取り合って証拠隠滅に励んだと言えば、その苦労がどれだけのものかはよくわかるだろう。昨晩から作業を始めたのにもかかわらず、つい今しがた漸く証拠を完全に消滅できたのである。

 

 そして現在。昼下がりの冬木教会で、神父は最も面倒な事態に対面していた。――――昨晩の戦いにより令呪の獲得権を得たマスターは四人。遠坂時臣に一人勝ちをさせたい璃正にとって、これは歓迎できる事態ではない。だが、監督役が前言を撤回する訳にも行かず、璃正は各マスターを協会に呼び出した。

 

 当然ながら、マスター本人が来ている陣営は半数だ。令呪は譲渡可能なモノであるため、代理人による出席でも問題はないのである。だが、璃正は不正を防止するため、最低でもサーヴァントを同伴させるように要求を出した。その結果、璃正の前には現在セイバーを連れたアインツベルンのホムンクルス、ライダーとそのマスターの少年、ランサーとケイネス、そして、アーチャーに扮するアサシンが訪れている。アサシンは個人での参加だが、その手には時臣の持たせた瑪瑙の板がある。魔力が込められたその板に、令呪を刻みつけて持って帰る算段らしい。

 

「監視係からの報告によれば、貴方方が今回の功労者であるという事ですな。霊器盤でもサーヴァントの脱落が確認されております。バーサーカーの討伐により、令呪一画を進呈いたしましょう……それでは皆様、お手を」

 

 そう言って、璃正はそれぞれのマスターや代理人の手を順に取り、令呪一画を譲渡する。ライダーのマスターは使い果たしていた令呪を一画取り戻し、ケイネスは今回の戦闘で使用した分がチャラに。時臣とセイバー陣営は追加の令呪を得た形になる。一応令呪の数だけ見れば時臣が優勢だが、やはりネックとなるのはライダーとランサー。この二陣営に令呪が渡ったのは、実に痛い。

 

 璃正は、内心で苦虫を噛みつぶしながら、教会を去っていく各陣営たちを見送るのだった。

 

 

* * * * * *

 

 

 ウェイバーにとって、今回のバーサーカー討伐戦は非常に意味のある闘いだった。眠気に襲われ、眼の下にクマを作り、カフェインの副作用による片頭痛に苛まれながらも、その顔は晴れやかである。

 

「鼠よ。令呪一画を手に入れた程度で大層な喜びようだが……よもやその様なもので我を縛る事が叶うとは思っておるまいな?」

 

 そう言って凄んでくるギルガメッシュにも、ウェイバーはそれほど恐れずに答える。この聖杯戦争を通じて、彼の心臓は毛が生えるどころかそろそろ鱗まで生えてきそうなほどに強くなっていた。

 

「思ってる訳無いだろ。三画使っても平然としてるような奴に一画でどう命令しろって言うんだ?」

「ほう? 分かって居るではないか。――――だが、解せんな。それならば何故、貴様は其れほどまでに嬉しそうにしている?」

「いや、確かに一画で新たに命令は出来ないけどさ。――――重ね掛けならできるだろ?」

「む!?」

 

 恐らく、ウェイバーがギルガメッシュを不意打ちするなど、後にも先にもこれっきりだろう。そんな思いを抱きながらも、ウェイバーは彼のサーヴァントに命令できる唯一の命令を、叩き込む。

 

「ウェイバー・ベルベットが令呪を以て英雄王に願う! ――――――僕の命を助けてくれ!」

 

 その命令は速やかに遂行され、ウェイバーの手から令呪が消えうせる。

 

「鼠、貴様何を考えている? 確かに流石の我も令呪四画で以て助命嘆願されたとなれば保護してやらざるをえんが……」

「一応言っとくが、考えなしにした訳じゃないからな?」

「では、説明してみよ。言い分次第では、聞いてやらんでもない」

「…………僕はこの戦争で最も弱いマスターだ。まず間違いない。その上寝不足で、かれこれ一週間は寝てないんだ。いつでも誰でも殺せるだろ?」

「道理だな」

「――――だからこそ、『僕の命を守る』令呪が生きてくる。多分お前は僕が危険に陥るたびに令呪のサポートを受ける。一画分なら大したことはないけど、四画分だったらかなりのもんだろ?」

「確かにそうだが。――――仮に貴様が死にかけていた場合、今の我は令呪の効果によりステータスが軒並み上昇するだろうな」

「それを利用する。僕がお前と一緒に戦場に出続ける事で、お前のステータスは今まで以上に跳ね上がる。戦闘時の強化ブーストってのは便利じゃないか?」

「……限定的な命令であるがゆえに令呪のバックアップは強力になり、その限定的状況を敢えて発生させることでバックアップを常時発動する、か。鼠にしてはなかなか考えられた策ではないか。――――だが、鼠。貴様、自分が死ぬとは考えんのか? この策は貴様が死地に赴かねば完成しないのだが」

 

 眉間に皺をよせてそう問いかける英雄王に対し、ウェイバーは溜息を吐いてから、啖呵を切る。

 

「あのなぁ…………。お前は確かにマスターをネズミ呼ばわりするわ、遊び呆けるわ、慢心するわ、調子に乗って宝具失うわと、中々最悪なサーヴァントだけどさ。――――それでも間違いなく、お前は最強のサーヴァントだ。そんなお前が僕程度を守れない訳がない。世界最強の味方がいるのにビビる奴なんている訳無いだろ! ……只でさえ最強のお前をより最強にする為なら、ちょっとぐらい僕が怖い位、どうってことないさ」

「――――――――ふ。ふははははははははははははははッッッ!!!!!! よくぞ言った鼠! いや、ウェイバー・ベルベット! お前は俺が嗤うに値する道化(ピエロ)だ! ふはははははッッ!!!!」

「誰がピエロだ!」

「そう怒るな道化よ。我はな――――貴様が我に対し不敬を働いても全て赦すと言っているのだ。道化を飼うのは王の嗜み。そして道化の狼藉は笑って流すのもまた王の嗜み故な?」

 

 そう言ってギルガメッシュは、ウェイバーの背をバンバンと叩きながら爆笑する。

 

 叩かれたウェイバーの目に浮かぶ涙は、叩かれた痛みによるものか、多少なりとも自身が英雄王に認められた喜びによるものか。――――それを知るのは、本人のみである。


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